あらすじ
ノーベル文学賞受賞作家による珠玉の短篇集
大切な人の死や自らの病、家族との不和など、痛みを抱え絶望の淵でうずくまる人間が一筋の光を見出し、ふたたび静かに歩みだす姿を描く。
『菜食主義者』でアジア人初のマン・ブッカー国際賞を受賞し、『すべての、白いものたちの』も同賞の最終候補になった韓国の作家ハン・ガン。本書は、作家が32歳から42歳という脂の乗った時期に発表された7篇を収録した、日本では初の短篇集。
「明るくなる前に」:かつて職場の先輩だったウニ姉さんは弟の死をきっかけに放浪の人になる。そんな彼女を案じていた私に3年前、思わぬ病が見つかる。1年ぶりに再会した彼女が、インドで見たというある光景を話してくれたとき、小説家の私の心は揺さぶられる――ウニ姉さんみたいな女性を書きたい、と。
「回復する人間」:あなたの左右の踝の骨の下には穴があいている。お灸で負った火傷が細菌感染を起こしたのだ。そもそもの発端は姉の葬儀で足をくじいたことだった。ずっと疎遠だった姉は1週間前に死んだ。あなたは自分に問いかける。どこで何を間違えたんだろう。2人のうちどちらが冷たい人間だったのか。
大切な人の死や自らの病気、家族との不和など、痛みを抱え絶望の淵でうずくまる人間が一筋の光を見出し、再び静かに歩み出す姿を描く。現代韓国屈指の作家による、魂を震わす7つの物語。
[目次]
明るくなる前に
回復する人間
エウロパ
フンザ
青い石
左手
火とかげ
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
肉体に受ける血の流れる傷の他に、罪悪感や後悔や喪失感も紛れもない傷。
この本に収録されている七編の主人公や登場人物たちほどでなくとも、それらの傷は多くの人にあると思う。
もちろん、私にも。
読んでいて、登場人物たちの傷と共に自分の古い傷を改めて意識する。
登場人物たちはたとえば表題となっている「回復する人間」ではタイトルどおり傷から回復するのだろうか?
どうやって?
目が離せなくなる。
だが、彼らは必ずしも回復するわけではない、と私は思う。
ただ、登場人物たちは自らの傷との向き合い方、折り合い方を通して私たちがそれぞれ持つ傷に寄り添う。
傷を抱えたわたしに寄り添う。
それは同じような痛みを感じる者として心強いこと。
読み終えて、傷はあって、ときに傷んでも、きっと前を向いて歩いていける、そう思える。
回復する人間
火とかげ
が好き。
青い石
も好み。
Posted by ブクログ
ハン・ガン4冊目、菜食主義者に続いて読んだ中では好きかもしれない。ギリシャ語の時間も面白かったのだけど。
7つの短編集ということもあり、すらすら読んでしまった。エウロパ、左手も好きだったけれど、青い石、火とかげ、の二篇はさらに好きだった…。
「エウロパ」
僕とイナの"友情"について。僕はイナのことを愛しているし、女性の格好をして出歩くことをイナといる時にはできるといういくつもの設定で、エウロパというタイトルは僕でありイナなのだろうか?とまだ理解しきれていないところはあるのだけれど。
…僕は黙ってベッドに近づき、イナに短くキスをする。イナの唇から苦いタバコの匂いがする。彼女はまだ僕を卑怯者と呼んだことはない。狭くて高い平均台のような、僕が生きている境界から飛び降りろと言ったこともない。ただ、時々一緒に夜の町を歩いてくれるだけだ。僕らの間に何ごともなかったように、優しく、そしてつれなく。砕けそうなほど強くお互いの体を何度も抱きしめ、鎖骨をまさぐり、苦痛に近いほどの愛着を感じながら、温かい肌をこすりつけあったことなどなかったように。
ライブ、頑張ってね。金曜日の。
イナは返事する代わりに笑いながら言う。送らないからね。
僕もまた人を信じないと、時に僕に苦痛を与えるイナの笑顔を見ながらそう思う。いつか彼女が僕に、僕が彼女に、深い傷を負わせるだろうと僕は知っている。僕らの散歩が永遠に続かないことも知っている。(p.92)…
この終わりを明確に自覚しながら、それでも今この瞬間に愛着を持って生きていくしかない自分というものが、痛いほどわかるので、ジーンときました。
「青い石」
私からあなた(同級生の叔父さんで初恋の相手であり、おそらく血友病であって、もうすでに鬼籍に入っている)へ語りかける話。
出だしの、
久しぶりにあなたに呼びかけてみます。そこであなたは、元気でいますか。私は今も、ここで元気にしています。…そうやって元気に暮らしているのです。寂しいときに木を数える癖、照れくさいときに手で額を隠す癖も変わりません。
あなたもそんなふうに、元気でいるでしょうか。(p.119)
という部分を、話を読み終えてから最初に戻ってどういうことかわかって読むと、切なさが胸に去来した。
…私が勇気を出して再びあなたの唇を自分の唇でおおったとき、あなたは私の背をかき抱き、しばらく震えていました。そして黙って私の体を押しやりました。
…ここまで。
あなたは上気した顔で言いました。私の頬を撫でおろすあなたの墨のついた手に、私はもう一度口付けしました。
早く、早く、大きくおなり。
あなたが笑いながら言った言葉に、私たちは一緒に、長いあいだ笑いましたね。そしてあなたは快活に言いました。
知りたいよ、君がどんなふうに年をっとていくか。老いていく時の様子がどんなふうか。(p.139)
こんな素敵なラブストーリーはなかなかないじゃないですか…年の差があっても、二人が個人として交わす時間が愛おしくて、でもそれが叶っていないことも知っているからより切なくて…。こういうの私好きなんですよーー。私も好きな人がどういう風に歳をとっていくのか見ることはできないから、より一層そう思うのかもしれない。それから私とあなたの間にあった年の差も、親近感をうむ一つの要素。私もあの人と同い年になったときに、何か述懐することがあるのだろうか?
墨色の空がだんだん明るくなっていきます。こうやって青い光が毛細血管のように、暗闇の隙間から染み出してくるときには、私の体内の血もまた違ったように流れている感じがします。私の意志、私の記憶、いえ、私というものが何でもないもののように消えていきます。波がひとしきり寄せては返すまでの短い時間に現れるやわらかい砂浜のように、私たちがここに止まっている時間はわずか一瞬だという気もします。そんなときにはふいに、あなたの絵が見たくなります。
もしかしたら時間とは流れるものではないのかもしれない。そんな思いも同時に訪れます。つまり、あの時間へと戻っていけば、あのときのあなたと私が雨音を聞いてるの。あなたはどこへ行ったのでもないの。消えてもいないし、立ち去ったわけでもないの。いつからか身についた、あなたと同い年の男性に出会うたび、歳月が変化させたあなたの顔を漠然と思い描く癖を捨てたのは、そのためです。
だから、あなたに尋ねてもいいでしょう。
そこであなたは、元気でいますか。雨音はまだ、耳に心地よいですか。永遠に持ってこられなくなったじゃがいものことは忘れてしまったでしょうか。ずっと昔の夢の中のあなたは、むくんだ腕で青い石を拾い上げているでしょうか。水の感触がわかりますか。陽射しを感じますか。生きていることを感じていますか。
私も、ここで、それを感じているのです。(p.141)
この終わり方、大好きでした。
「左手」突然意思を持ったかのように動き出す左手と、それによるバッドエンド。。
「火とかげ」原題は「黄色い模様の蠑蚖(ヨンウォン)」で、ヨンウォンというのが永遠という言葉と同音異義語なのだそうだ。それをかけ合わせた素敵なタイトル。絵が全てと生きてきた女性が事故で手をうまく動かせなくなり、描けなくなったときに、という話。まさに「痛みがあってこそ回復がある」というような話だった。この話も、青い石も、運命の人とはすれ違ったまま相手が亡くなっているという設定が多い。
…深夜、眠りから覚めて洗面台の鏡を見ると、多々の動物的な感情が波打つ私の内面がかろうじて一枚の皮膚で縫い合わされているように思えた。信じられなかったのは、子どもっぽくて繊細なその顔が以前に比べて別に変わったように見えなかったことだ。ドリアン・グレイの肖像のように、暗闇の中の倉庫で、私の顔は醜く歪んでいったのか。退行と人知れぬ発狂の痕跡がそのまま刻印されていったのか。(p.216)
ニヤリ笑。
結局のところ、私とは何の関係もなかった人だ。永遠に行き違う運命だったのだ。彼の長い眠りの中に、私の思い出ーほんの形だけだったとしてもーも永遠に埋もれてしまった。あの人のうなじも。手を触れることすらできなかった産毛も、温かい肌も。
額から汗のしずくが垂れ、こめかみを伝って流れ落ちる。ずっと忘れていた憐憫の気持ちが、静かに私の体に染み渡る。
どこから湧いてくるのだろう、この静かな気持ちは。
どこからこんな気持ちがー生きたいという、生きねばという思いが、響いてくるのか。(p.274)
Posted by ブクログ
ハン・ガンの短編集。気になっていた白水社のエクス・リブリスシリーズを初購入。
訳者のあとがきにあるように、傷口が回復する前には痛むもの。人の心も同じで、様々な挫折、諦め、苦悩の果てに、回復の兆しが見えてくる。そんな作品が多い短編集だった。
相変わらず文体や情景が綺麗で、読んでいるだけで心が洗われた。以下、作品毎の感想。
◎明るくなる前に ★おすすめ
弟を亡くした姉。自分がもっと気にかければと後悔し、以後、自身を罰するように生きる。“そんなふうに生きないで”。この祈りが刺さる。
◎回復する人間
誰かの視点で語られる、決して分かりあうことのできなかった姉に先立たれた“あなた”の話。回復するためには痛みが伴う。心の声が、もう本当に切実で良い。
◎エウロパ
女性になりたかった、でも心から愛する人は女性だった男の話。路地裏に響く歌の情景が良い。決して手の届かない女性をエウロパに例えることも綺麗。永遠には続かない関係だと予感させる終わり方も切ない。
◎フンザ
自分の思い描く桃源郷に逃げながら、子育てと大黒柱を担う生きることに疲れた女性の話。少し暗い話。いつか破滅するか、破滅することを選ぶであろう終わり方か。
◎青い石 ★おすすめ
友達の叔父に恋した女性の話。綺麗な恋愛小説。凄く映像化してほしい作品。
◎左手
まさかの凄く暗い話。この短編集の中ではかなり異色作。勝手に動くようになった左手のせいで、守りたかったものも守れず自滅する男の話。夜、店でライトに照らされて影が壁に伸びる情景が本当に良い。
◎火とかげ
事故の影響で両手が使えなくなってしまった画家の話。絵を描く事にしか生き甲斐がなく、両手がほとんど動かなくなったため生きているだけの屍となってしまい、夫とも不仲になってしまう。生き甲斐を失っても、そこからどうやって希望を見出すのか。この本のテーマである、喪失と回復が描かれた作品。
Posted by ブクログ
初めての韓国文学で、初めてのハン・ガン。
静謐な文体。読むうちに心が沈黙して、無我の境地になる。喪失からの静かな、みずからはそれと気づかないほどの細い細い糸のような回復。希望がほんのりと差し込んでくる。
「時間とは流れるものではないのかもしれない」(p.141「青い石」)
「私たちももともとはああだったけど、そのあとにいろいろプログラムされて、本来の状態を忘れて暮らしてるんじゃないかと思うわ」(p.261「火とかげ」)
失ったものは取り戻せないけれど、それを置いてきた時間にいつでも戻れる。そこから回復の一歩を踏み出す。
Posted by ブクログ
「回復する人間」というタイトルがぴったりの、7つの短編集。
さまざまな種類の痛みが描かれていた。
私の経験にかなり近い感覚を登場人物たちの中に見たり、語られる言葉によって気付かされることもあり、興味深いながら苦しい読書でもあった。まるで自分の抱えた問題のようにも感じられてくる。他人事と切り捨てることはできない。
折り合いをつけて生きようとする女性たちの、揺れている心が魅力的に見える瞬間もあった。真剣に向き合いながら傷ついている姿は痛ましいはずなのに。
この中では「左手」という作品の印象が強い。自らを追い詰めていく主人公に、ひとつの救いも用意されていなかったからかもしれない。ひとつ間違えば、自分だって同じような状況になるかもしれないという怖さがあった。この短編をもう一度読みたいとは思わないけれど、揺さぶられるものがあった。