斎藤真理子のレビュー一覧
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韓国社会が経験する苦難に作家はどう向き合い、そうして生まれる作品を読者はどう受容してきたか、の一端が見えてくる。
また、1960年は日本と韓国にとって分水嶺だったんだな、と。市民運動の成功体験と失敗体験は、その後の両社会における主権者意識にも根深い影響を与えたことが、比較によって鮮やかにわかる。
そして、知れば知るほど日本について、自分について考えることを余儀なくされる。韓国社会の痛みや苦しみを「よその国」の出来事とするには、日本の関わりはあまりに深い。
個人的に物心ついたとき既に日本は経済大国だったし、それを享受してきた自覚もあるが、その発展の礎には隣国の悲惨な戦争が含まれ、その戦争が今も終わっていないということ、しかも日本においてそのことはほとんど意識されないということ。意識せずにいられる状況の中で、価値観や歴史認識が形成されているということ。そういったことと否応なく向き合うことになる本だ。 -
Posted by ブクログ
「野蛮なアリスさん」「誰でもない」が大っ好きで今か今かと邦訳を待ち続けていた本作。読んでみると、これまでの作品と明らかにテイストが違う。テイスト?って言うのは適当じゃないか。例えば短編集の「誰でもない」は物語が太巻きだとすると最も米と具が詰まってておいしいところを、痛烈で切実なセンスで盛り付けてくれていたような作品だった。だが、本作は米粒一つぶ一つぶを確かめ疑いながら海苔に乗せてゆく様子を、読者もともに苦しみながら見守るようなそんな作品だ。ともに苦しむといっても、この作品は韓国の情勢、社会事情、街の様子、生活について実体験している人とそうでない人とでは入り込み方が違う。私にはその辺りに詳しくなくて、実感を伴って読むことが出来なくて残念だった。人としてぎりぎりの状態でいる前半戦はマイケル・kみたい。韓国の小説はテーマがあって、社会的正義とか使命を感じる点がすごく面白いし、そのうえで普遍性を感じさせるからファン・ジョンウンはすごいな。「生きてるものの生活がぐちゃぐちゃなのはどうしようもないことだろ、恥じゃない」っていうキム・グィジャの言葉が好き。ファン・ジョンウンがあとがきで「いまだに読むことと書くことを愛しているし、人が好き」って言ってくれてて、ありがとうって感じでした。めちゃくちゃなレビューですみません。LOVE
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Posted by ブクログ
文学と哲学の交錯と融合が示される"はじめに"で、早くもわくわくが高まる。
なるほど、オートエスノグラフィーは当事者の確かな違和感から始まるのだということが、よく分かる。
外部からの観察のみによるラベリングだけはもちろん不充分かつ不正確というのは間違いなく、そこに当事者の分析が統合されることで高まる学究的な価値はとても大きいだろう。
病跡学なる分野があることを初めて知り、また、発達障害や精神疾患に関する診断において、白か黒ではないスペクトラムという捉え方が広く敷衍していることも不勉強ながら本書で教えられたが、実情に即した合理的な考えで、非常に良いことだと思った。
私はかねて、理系・文系で人のタイプをざっくり分けたり行動を分析したりすることを甚だナンセンスだと感じているが、本書で言及されているカントやニュートン、ライプニッツといった近代科学の礎を築いた巨人たちの名を見て、またプラトンやアリストテレスが生きた古代に思いを馳せ、人の思弁はそのように峻別できるものではないと、改めて思いを強くする。
時代が下るごとに分業化が進んでしまっているだけで、文学も哲学も物理学も医学も、突き詰めた先の到達点は同じところなのではないか。
この本の真骨頂は、横道誠氏と各人との対談パートにある。
何気なく交わされる彼らの言葉の中に、深い気付きに至る金言がどれだけ溢れていることか。
私も診断こそ受けていないが、きっとASDでありADHDであるだろう、と自認して50年以上生きてきたが、本書を読んで「うーんまだまだ甘いかも…」と変に自信喪失(?)してしまった。
苦言ということでもないが、石原真衣氏との対談で横道氏は"文化人類学はまず難解な議論を先出しし、後から読み物がやってくるという構成が衒学的だ"と批判されているが、「えっ、この本こそ…」と突っ込んでしまったのは私だけだろうか?
「どうしていい歳をした大人が、『読書感想文』を粉飾したような作品内在解釈にいそしんでいるんでしょう、それが『高級』だという価値観を維持してるんでしょう。」
「ASDがあると凝り性になって、ADHDがあると飽き性の傾向になるんですよね。」
「自分を研究や観察の対象として見つめて、必要があれば他者と共有していいんだという考え方に、すごく大きな扉が開かれた気がしました。」
「最近は認知科学が進んできて、多くの定型発達者でも、疲れたり不調だったりすると、衝動性が増したり、鬱っぽくなったりして、発達障害的なグラデーションの中を生きていることがわかってきました。発達障害者はある部分の特性が強烈に出ているだけで、相対的な違いに過ぎない。」
「分刻みでアポ取って動いている人なんか誰もいない。一時間ぐらい遅刻しても誰も何も言わないし、みんなで車で出かけて三十分走ったころに「忘れ物した!」と言っても、「ああそうか」って平然と取りに帰ってくれる。そういう世界って、楽ですよね。」
「とにかく自分を信用しちゃいけないというのは合言葉ですね。」
「自分は自分を裏切りますからね。体も心も裏切りますからね。」
「子どもの頃の価値観からあまり変わってないんですよね、自閉スペクトラム症(ASD)の「同一性保持」という特性です。
文学にとって、賢くない人たちを描く世界は未開の地で、そこに可能性がいっぱいあると思います。」
「ASD者は身体的にも精神的にも成熟してなお幼児のような印象を与えることが知られている。」 -
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ソル(雪)、ヨルム(夏)、クァンミンは北朝鮮からの脱北者だ。三人が、走るトラックから飛び降りる、まるで映画のような場面から物語は始まる。
なぜ子供たちだけで危険な脱北を実行するのか。ソルは、2度の脱北失敗の後、最後という覚悟で豆満江を渡るが、人身売買で危険にさらされる。ヨルムは北朝鮮を離れて、中国で危険な日々を続けている。 クァンミンの母は脱北を支援するブローカーで、北朝鮮以外のサッカー選手を応援するクァンミンにも寛容だった。しかし、熱心な政権支持者の父親に密告され、母は戻ってこず、クァンミンは一人きりで南を目指す。
人身売買に妻として売り飛ばされる、身内同士の裏切り、預けていた金を勝手に使われる、等々、とうてい児童小説には出てこなかった悲惨な状況も登場する。むしろ大人向けの小説ではないのか、と感じたが、著者が少年少女の物語として刊行したい意向があり、STAMPBOOKSでの出版となった。ありのままに生きたいという願いは、万国共通だから、というのがその理由である。
表紙絵が波=海に向かう子供たちになっているので、最後は予測できるが、そこまでの道のりは大人ですらもたやすくない。 -
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今回のように、詩のような文章はほとんど読んだことがないんだけど、なんというか、美術館で展示された一枚一枚の絵を鑑賞してるような感覚だった。
美術館の絵って、絵画に造詣が深い人なら経験から楽しみを感じることができるだろうけど、自分みたいな素人にとってはただ不思議な感覚を抱きながら目の前の絵を見ることになる。今回読んだ本はまさにそんな感じ。
ただ、絵と本で違うのは、それが描かれたものか、書かれたものかということ。描かれたものはパッケージされた情報が一気に目に入り、その中から読み取れる情報を拾うけど、書かれたものは徐々に情報が出現し、最終的に読み取れたものが自ら得たものとなる。どちらもどれだけ読み取れるかが重要である点で同じだけど、読み取った情報からイメージされるものが違うのは圧倒的に後者じゃないかと思う。なぜなら、絵はすでに描かれているものであり、イメージはそれにほぼ当てはまるから。書かれたものは各自がイメージを形成し、それは各個人により異なるものとなるだろう。
おそらく今回のような作品の楽しみ方は、そこにあるのかもしれない。もちろん、読み方の違いにより生まれる読みの多様性を味わうのも楽しみ方の一つだと思う。 -
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夢のような、現実のような。
生きているような、死んでいるような。
そんな相反する2つの世界の間をたゆたっているような感覚になりました。
訳者あとがきの中で、
「物語の後半、生と死のどちらともつかない場所でキョンハとインソン、アマとアミは一緒にいる。人も鳥も幻想の中で対話し、思いをかわすが、これについてハン・ガンは『愛するとは自分の生だけでなく、愛する人の生を同時に生きることだと思います。特に愛する人のために祈るとき、自分はここにいるが同時にそこにもいるという状態になるでしょう。切なる心でそれを希求するとき、その状態はおのずと超自然性を帯びてきますよね』と語っていた。」
と書かれているのを読んで、この感覚を感じた理由が腑に落ちたように思えました。
内容を言葉で理解するというより、自分もその世界へ没入して言葉が映像のように頭の中に広がっていく感覚が、新しい読書体験でした。
歴史についても改めて深く学び、また再読したいと思います。 -
Posted by ブクログ
韓国語翻訳家の斎藤真理子さんの著書
斎藤さんの来歴にも興味がありましたが、韓国文学についてのくだりを読んでなるほど!と。
韓国文学をこれから読もうと思っている方にはこの本を先に読むことをお勧めしたい。
「韓国文学は正論を盛る器である」
「植民地時代は独立が、朝鮮戦争後は大韓民国の正当性と南北統一が、そして軍事独裁政権下では民主化という「正しさ」が強烈に求められてきた韓国。民主化後も、価値観の激しい対立の中で、自分の立場をはっきり言葉で示すことは生きるために必要な流儀だ。」
対して
「私たちはふだん、ひどい!と思うことを言われても、とっさに言葉でどう返していいかわからないことが多い。」
「私たち日本語で生きている人間の多くは、こういうときにとっさに正論を展開できる訓練を受けていないなあとつくづく思った。」
何しろ「和」を重んじる国ですからね…
四章の「コラムの日々」も面白く、
五章の「日常と本と」を読んでまた読みたい本が増えてしまいました。