斎藤真理子のレビュー一覧
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中動態。プラトンのイデア論。使われていない言葉のギリシャ語(言葉の古層の比喩か)。目が見えなくなる男性。言葉を失った女性。若き日の初恋の破綻(男性)。裁判で負け子どもを手放す(女性)。ドイツから韓国に、母親と妹との別離、距離を隔てた地での親友(男性を愛している?)の死(男性)。ドイツでは異物としての視線にさらされる(男性)。その二人はソウルのカルチャースクールのギリシャ語講座で教え・教えられる関係にある。
なんという複雑に錯綜した構造の小説だろう。執筆に2年間かかったのも頷ける。
離別を経験し、見えなくなり、発声ができなくなっているからこその出会い(溶け合い)。
そして、この二人を描写し -
Posted by ブクログ
ネタバレ肉体に受ける血の流れる傷の他に、罪悪感や後悔や喪失感も紛れもない傷。
この本に収録されている七編の主人公や登場人物たちほどでなくとも、それらの傷は多くの人にあると思う。
もちろん、私にも。
読んでいて、登場人物たちの傷と共に自分の古い傷を改めて意識する。
登場人物たちはたとえば表題となっている「回復する人間」ではタイトルどおり傷から回復するのだろうか?
どうやって?
目が離せなくなる。
だが、彼らは必ずしも回復するわけではない、と私は思う。
ただ、登場人物たちは自らの傷との向き合い方、折り合い方を通して私たちがそれぞれ持つ傷に寄り添う。
傷を抱えたわたしに寄り添う。
それは同じような痛みを感 -
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視力を失いつつあるギリシャ語講師と言葉を話すことができなくなってしまった女性。
どちらもコミュニケーションにあってほしい機能が損なわれつつあったり、損なわれている。
だが、目が見え、言葉を話すことができるからといって、わたしたちは互いを本当に理解し合えているのだろうか。
その意味で、ギリシャ語講師もギリシャ語を学ぶ女性も他人ではない。
繊細で美しくたおやかなハン・ガンの詩人の言葉で描かれるそれぞれの置かれている状況や胸のうち。
それをたどりつつストーリーを追えるのはどこか贅沢なことに思える。
問題は何一つ解決したわけではないし、二人もやはり分かり合えているわけではない、たぶん。
にもかかわらず -
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ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』を読んで、韓国語にとても興味を持った。”この本を読んで”というよりもっと初めの段階、”このタイトルを読んで”興味を持ったといった方が正しい。
『隣の国の人々と出会う』は、『흰(ヒン)』の訳を『すべての、白いものたちの』とした翻訳者・斎藤真理子さんの著書である。正直なところ、翻訳についてのいろいろを知ることができるかな?と思っていたのだが、それは私の一方的な希望で、この本には、朝鮮の歴史的背景や日本との関係性、そしてそれらを踏まえての言語・文学などについて多く書かれていた。
あとがきに、「シナモン抜きの水正果(スジョングァ)になってしまい反省している」 -
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ネタバレ主人公がたどり着いたインソンの家にインソンは確かに現れて、小鳥もいたのだと思う。
インソンが語った島や母親たちの歴史にときに眉をしかめ、身震いした。
激しく表現される怒りより静かな怒りの方が深いことはままあるが、作者の筆を動かしたのはその静かな怒りと忘却を拒む強い意志に違いない。
ハン・ガンが描き出す美しく繊細で静謐な世界に浸るのはこの上ない喜びだが、詩のような美しい描写を続ける彼女の目は歴史の傷から逸らされることはない。
じゃあ、自分に何ができるのかというと、事実を知り悼むこと。
何処の国のできごとなのかとか、自分は何処の国の人間なのかなど関係ない。
わたしたちは同じ血の通った人間なのだ。
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「背負ってさしあげますよ」「それはだめだよ」「体のでっかい孫が孝行していると思って、そうしてください」
セフンのような思いやりを持ってこんな行動ができたなら。
「ずっと差別されずに育ってきたから、差別を見たときにこれは差別だってすぐにわかるのよ。自分の持ってる資源でできることをやってるだけなのに、何だっていうの?」
有能で責任感の強いソラの言葉に胸がすく思いがする。
「おばさん、助けて」会ったこともない人だ。でも、ジョンビンのママなら助けてくれると思った。大人が必要だった。
まだ幼いジョンビンとダウンの物語が優しくて切ない。
客観的で、でも細やかで、人間の善意のようなものが51人の物語を