斎藤真理子のレビュー一覧

  • 82年生まれ、キム・ジヨン

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    7〜8年ぶりの再読。
    育児にまつわる辛かった経験を慰めてもらったようでもあり、いやいやまだまだ全然終わっていないし慰めきれてもいない思いもあり、でもみんな自分の辛さをどうにかして発露するために、対照的な生き方のひとを悪く言うんだよね、みんな生きるの辛いんだよねって思ったりもした。

    私自身は、やって当たり前とみなされている家事育児を夜遅くまで1人でこなし、夫も子供たちも非協力的、実の母は私の出産3年前に他界、離れて暮らす父は頼れず、同じく遠距離の義両親には「自分さえ良ければそれでいいのか。都会暮らしは愚の骨頂」とか言われていたりとにかくなんでも1人でやってるけど、もはや徳を積めるだけ積んで、いつかものすごく楽しくて幸せなことを1人だけで享受しよう、その日が来るのが待ち遠しい、と祈るような日々を送っている。その日のために自分や周囲の健康を祈り、己を磨く、ただそれだけ。


    この本を再び手に取ったきっかけは、韓ドラにもK-POPにも全くハマっていないのに、ちゃんみなさんとHANAが好きなだけで韓国にめっちゃ興味が湧いて、Duoringoで韓国語をやり始めたら止まらなくなり、韓国自体のことをもっと知りたくなったこと。
    楽しいからもっと他の本も読みたいし、知的好奇心が止まらないー!

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    2026年03月14日
  • 波の子どもたち

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    仕事用に読んだのですが すばらしかった
    斎藤真理子さんのボイスがまたグッときます

    北朝鮮から自由を求め故郷を出てゆく
    16歳の3人の子どもたちを描く。
    ソル、クァンミン、ヨルム

    ソル
    貧しくも愛のある家庭
    何度も脱北を試み捕まっては脱走を繰り返してきた。最後の日、姉さんが信頼できるブローカーだと教えてくれた電話番号に頼って行ってみると…内モンゴルの花嫁に売られてしまう…

    クァンミン
    サッカー選手を目指す男の子。この国では何不自由ない裕福な暮らし。
    父親は体制側の役人で、優遇されている
    母親は夫に隠れて脱北のために動いており、息子を自由にしたいと考えているが…

    ヨルム
    父親が病気で働けず貧しいくらし。小さな頃は押し入れの中で過ごした。
    しかし聡明で頭がよく、双子の姉は自分を犠牲にしてヨルムを学校に行かせてくれた。
    初めて出会った神父の助けでまた脱北を試みる…

    そんな3人が最終的に同じブローカーの元に集まって……

    「もう、自分で選んだんじゃない世界はいらないよ。」

    この言葉が胸に残る
    私たちだって同じだ…

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    2026年03月12日
  • こびとが打ち上げた小さなボール

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    韓国が1960年代にどうであったか、についてよく知ることができる本である。黒澤明の映画の天国と地獄、あるいは泥の河と同じ状況である。一方には会社の役員がいて、一方には労働者がいるという対比であるが、労働の実態が生々しい。

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    2026年03月06日
  • シソンから、

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    どの世界でも女の位置は低い。どん底から這い上がった女から始まった子供、孫たちがそれぞれの知る母親や祖母のことを語ったり思ったり。動物の世界はほとんどそうだけど、ヒトも母系社会になればいいのに。いちばん強くて偉いのはグランマ。でも登場人物の中でいちばん共感したの、長女の夫。遠い国でちらっと見かけたときに呼び止めたいと思ってもらえる人間でよかったって、わかるわ〜。それくらいのヒトでいるのがいいよね。

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    2026年03月04日
  • 別れを告げない

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    今年読んだ中で一番濃い読書体験になりました
    現実の世界から、異世界に誘われ、彷徨いました
    全ての音も、姿も消される恐怖を越えた無の雪世界。
    そこから、青い海、真っ赤な血に塗られた砂浜、全てを消し去った波。
    銃口とマッチの火など、最後までモチーフを繋げることで、人の思いを灯影している。
    記憶が繋ぐ凄惨な歴史がそこにはあり、消そうとしても消せない形とならない記憶がある。
    一文一文が詩的でした。
    とても曖昧な表現が続き、分かりにくいところもあったけど、それは作者の意図であるようですが、もう一度読んだらより深く心に入ってくるかもしれないです

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    2026年02月28日
  • 82年生まれ、キム・ジヨン

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    ん?全部見たことあるぞ?全て身近にあるぞ?日本の平成生まれの私にも経験あるぞ?どこが他国の少し前の物語なのか、意味がわからない。見えてないならそれこそ問題だぞ?

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    2026年02月27日
  • 光と糸

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    淡々とした語り口のエッセイみたいな詩集みたいな、画集のような。
    とても作者さんの人となりを感じさせてくれる素敵な本でした。
    とくに、「本が出たあと」と「庭の日記」がとても好き。
    読みやすいからとかではなくハン.ガンさんの生き方が垣間見られて。
    世界のなかで叫びたいこと、この方にはまだまだあるでしょう。今後も手に取ってみたい作家さんでした。

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    2026年02月20日
  • 光と糸

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    〜世界はなぜこれほど暴力的で苦痛に満ちている?
    と同時に、世界はなぜこれほど美しいのか?〜

    人間の暴力性に真っ向から向き合って、文章で戦うハンガンさん。
    世界が平和と反対方向に向かっているような気がしてならない今、読めてよかった。
    最初の方は2024年にノーベル文学賞を受賞したときの講演の全文。
    彼女がこれまで世に出した書籍がどういうプロセスで書かれたのかがわかって、またいろんな本を再読したくなった。
    中盤はエッセイ、そして後半は日記。
    庭木にアブラムシやハダニがついて、殺虫剤を噴霧したら全部枯れてしまったり、何匹もいたはずの虫が消えていて悲しんだり、花が咲いて喜んだり、花が咲かずに残念がったり、病気が他の木に移らないように鉢を門の外に出していたら、清掃課の人に持っていかれちゃったり。
    ほぼというかすべて庭木の話だったけど、『小さな生態系の伝染病と防疫と駆除を体験した』というハンガンさんがなんか可愛らしく思えた。

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    2026年02月09日
  • 「なむ」の来歴

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    斎藤真理子さんを木にたとえたら、と考える。
    がっしりと張った根は、古い地層に蓄えられた水を汲み上げ、揺らぐことはない。
    稠密に重ねた年輪に支えられた頼もしい幹に、背中を預けて空を見上げてみると、光を求めて両手をいっぱいに差し伸ばしたかのような梢が見える。
    そよ風と戯れて、さんざめく枝先は、どこまでも軽やかだ。
    見慣れた馴染み深い木であるが、僕の中で欅のイメージが重なる。
    この季節のキリッと冷たい空気のなかで、青空を背景に立つ裸木の凛とした佇まいもまた、彼女に似つかわしいように思えてくる。

    木にたとえたくなった理由は、もちろん本書のタイトルからの連想だ。
     “「なむ」とは韓国語で木を指す。本はもとは木であった。”

    また、古今和歌集の序文には、こうある。
    「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」
    人の発する声、文字、遺してゆくものが言の葉ならば、人ももとは木であった、そういってもいいんじゃないか、そんなことを思ってみたりもする。

    ーー
    斎藤真理子さんは、翻訳者である前に詩人であった。
    そのことに軽い驚きを抱くと共に、ハン・ガンの作品を始めとした翻訳の言葉の美しさになるほどな、とも思う。
    だが、後書きの中でさりげなく披露された彼女の詩-ふぶき-には本当に驚き、喜びを感じた。
    すべての白いものたちの、別れを告げない、と繫がっている。

    翻訳者としての言葉のつながりということではない。ふぶきの中で舞う、たった一つの雪片に目を凝らして行方を追いかける。他のすべての雪片ととても似ている、しかし私だけのたった一つの雪片が、記憶の中で、やむことのない吹雪の中で、地に落ちることなくいつまでも舞い続ける。
    そんな雪片のイメージが、僕の中でハン・ガンの言葉と共鳴する。
    そういえば、ハン・ガンもまた、木に惹かれて、木と人の重なりをモチーフとして描く作家であった。

    斎藤真理子さんの言の葉には、土地に根差した歴史と記憶に染み込んだ水を、まずは自らの身体に取り込み、行き渡らせたのちに発せられたという実感がある。
    隣国である韓国、地上戦を経験した沖縄、故郷の新潟、それらを点ではなく繋いだ場所から、東京を、日本を観る視点がある。
    軽妙さと鋭さは、広く深く張った根に支えられていれるのだ。


     “夢は個人の秘密というより、集団の毛づくろいの痕跡のような気がしている。 
     誰のものかわからない記憶、言葉、文章。誰のものかわからない夢。”


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    2026年02月08日
  • 別れを告げない

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    物語の根底に、1948年4月3日に発生した済州島四・三事件がある。
    李承晩政権下の軍・警察、そして駐韓米軍が、1954年までの6年間で約3万人の島民を虐殺した凄惨な事件だ。
    朝鮮半島が南北に分断されることに反対する民衆が、済州島で武装蜂起したことが事件の発端だった。
    その後、韓国が本格的な民主化を迎える1987年6月の民主化宣言までは、済州島四・三事件を語ることはタブーとされている。

    主人公の作家キョンハは虐殺に関する本を出版した後、原因不明の酷い目の痛みと胃痙攣に悩まされていて、精神的にも疲れていた。
    そんな時に友人の映像作家インソンは、キョンハが提案した木製オブジェを製作中に指を切断する事故に遭ってしまう。
    急遽ソウルの病院に搬送され、指の縫合手術を受けたインソンは、飼っているインコが死んでしまうと不安を募らせ、済州島のアトリエへ行って鳥を死から救ってくれとキョンハは切願される。
    キョンハは仕方なく済州島に向かうのだが、その日はソウル、済州島ともに激しい吹雪で大雪の天候だった。
    凍傷、遭難を覚悟する程の猛吹雪の中、何とかアトリエにたどり着くのだが⋯。

    巻末に、訳者の斉藤真理子女史が詳細な済州島四・三事件を紹介している。
    表題の『 別れを告げない 』の意味には、深い意味が込められていることに読書後気が付いた。
    ハン ガン女史はインソン家族の体験を通じて、決して事件を忘れ去ることなく、哀悼の意を抱き続けるとの意だと理解した。
    少々難しい物語だったが訳文も工夫があり、独特の美しさで綴られている。
    ハン ガン女史は、人の心の痛みを物静かに、しかし力強く綴る能力に長けている作家だと思った。

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    2026年02月06日
  • 韓国文学の中心にあるもの

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    韓国の小説を主に取り上げている。小説というよりも、小説を通して、日本の敗戦後から朝鮮戦争、全の独裁、済州島事件、朴のクーデターからセマウル号までを説明したものである。増補では韓国の繁華街での圧死が描かれている小説を掲載しているものだと想像する。
     学生が韓国の現代史を知るのには最適な本である。

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    2026年02月03日
  • ギリシャ語の時間

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    はじめて読んだ韓国文学。
    韓国語とギリシャ語の、言葉の美しさを感じることができたけれど、掴みきれなかったというのが本音。
    きっとまた読み返すと思う。

    独特の作品世界には魅了された。

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    2026年01月31日
  • 光と糸

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    散文短編であるかのようだが ひと繋がりの作品でもあるように感じた 人が人を虐殺する恐ろしく血生臭い事件を掘り下げ自分も血を流しながら書いていながらも 世界はなんて美しいのだろうと感じてしまう そして日が当たらない北向きの小さな庭に鏡で光を当てその成長を見守る ハンガンという人にどんどん引き込まれてしまう

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    2026年01月31日
  • 声を出して、呼びかけて、話せばいいの

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    イ・ランさんとは生い立ちも境遇もまるで違うのだけれど、その世界の捉え方はものすごく腑に落ちる。本作は最初から最後まで死に満ちていて、ほとんどの章で涙をこらえられない。

    家父長制と男児選好思想に染まりきったイ一族の中にあって、「私は、自分の物語を世の中に示すことのできる狂女でよかった。だけどわたしだけではなく、お母さんの狂女の歴史もとても重要だから、広く世に知らせたい。」と言うランさん。そう、お母さんも本当にかわいそうなんだよ…。宗教に傾倒する理由が「聖書に出てくる唯一神=完全な父親像」で、宗教を持たないわたしでも深く納得してしまった。

    お姉ちゃんの死も本当にやるせない。ランさんは、長女病と消尽死と称していたけれど、これにも深く納得。「もう何の借りもないよ、この世に。」

    それでも本作はふしぎと悲愴感が薄く、かなしみもどこかあかるい。脳腫瘍が疑われ、日記に百回以上も「死にたい」と書いてきたランさんは喜ぶが、ふと口にした独り言は「惜しい……」。

    ジュンイチからのメッセージ「ご飯をちゃんと食べて。ご飯を食べると力が出るでしょ」は、イ・ランさんの心ばえでもあり、読者からの祈りでもある。

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    2026年01月31日
  • 未来散歩練習

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    民主化した韓国の現在が80年に起きた光州事件に対する高神大学の学生ムン・ブシクが中心として起こしたアメリカ文化院放火事件が契機となっていることの示唆とその緩やかな接点を「私」と「スミ」という二人の人物を通して描かれている。

    一つの作品の中に「私」と「スミ」の時間を曖昧な形で共存するように描くことは、小説でよくあるストーリーインストーリーのような入れ子構造でもなく、パノラマ写真のような異なる時間を並列に収める構造も独特で面白い。

    ユンミ姉さん、キム・ウンスクといったアメリカ文化院放火事件の実行犯も未来練習した人であり、本作の登場人物たちも未来散歩練習をしながら過去に未来散歩練習をした現在にいる。

    高神大学の学生が起こしたこと、聖堂や教会や十字架といったキリスト教に関しての描写は読者に殉教者へのまなざしを喚起する。

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    2026年01月24日
  • 光と糸

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    8歳にしてあれほど胸を打つ詩を書けるとは。
    本の出版前に、ネット記事で偶然出会ったこの詩を、紙の本の上で眺められることが純粋に嬉しい。

    近頃はディストピア小説の話かと疑うほど、悲惨なニュースを目にすることの多い世の中だが、せめて平和を求める皆さんと金の糸で繋がっていたい。

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    2026年01月16日
  • 年年歳歳

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    “ハン・ヨンジンは赤ん坊との間隔がちょっと開いて初めて、相手と関係を結ぶことができた。子供をじっと見ていたい気持ち、次の表情や次の行動を不思議に思い、知りたくなる気持ち、子供のしかめっつらをかわいそうだな、かわいいなと思って見ていられる気持ち、寛大に対応してやりたい気持ち、忍耐力・・・・・・すべてはその間隔の後に来た。自分の母性にはそれを呼ぶもっと適切な名前が必要だとあるときハン・ヨンジンは思ったが、それは生まれつきのものではなく、その間隔と関係から学習され、形成されたものだった。”(p.64)

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    2026年01月11日
  • 回復する人間

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    よしもとばななの「キッチン」は喪失をシェアすることで慰めをくれるけれど、ハンガンは違う。彼女は、ほら見て私もここに傷があるの、でも美しいでしょ、と静かに目を見つめて言ってくる。

    痛々しい。でもなぜか目を離せない。
    先を読むのが怖い。でも読まずにはいられない。

    傷は放っておいてもいい。でも、看過ごせない傷はじわじわと"私"を侵食し、やがて自分の一部になる。

    時間が解決する、とは本当だろうか。この世界には自然治癒力が働く場所と、そうでない場所がある。勝手に治る傷ばかりではない。自ら回復に向かっていくことで、人はしなやかに強くなっていく。

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    2026年01月05日
  • 回復する人間

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    一つ一つの文が、とにかく美しい。なのに、ヒリヒリとして、切なくもなる。
    ハン・ガンの作品は、私を全く違う場所へと連れて行ってくれる。
    喪失感が襲ってきた時、きっとこの本で描かれていた人達を思い浮かべ、また歩き出すのだろう。

    青い石と火とかげが特に好き。

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    2025年12月21日
  • 声を出して、呼びかけて、話せばいいの

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    「お姉ちゃんの長女病」が心に残った。
    全編を通して出てくる家族という呪いに力尽き果てた姉が印象的だった。
    姉にはどうしても大好きな家族が必要だったけど、必死に守ってきたその家族は姉のことを搾取することしか考えていなかった。
    本当に誰も正しく愛する術を学ばなかったし、持たなかったんだなと思う。

    著者の素直な言葉から、これまでつけられた無数の傷から回復しようともがく思いがよく伝わってきた。愛すべき友人たちがどんどん失われていく箇所も壮絶だった。
    著者の人生に穏やかな日が1日でも多く訪れてくれることを願ってしまうような、祈ってしまうような本だった。

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    2025年12月15日