前川喜平のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
望月衣塑子さんは知っているが、前川喜平さんとマーティン・ファクラーさんは何か本を読みたいと思っていた。
メディアの問題を考えたかったこともあり、本書は自身の要求を満たすのにちょうど良かった。
この本は「安倍政権が、いかにメディアや教育に介入してきているか」などをテーマにした議論をまとめたもので、
議論から浮かび上がってきた言葉が「同調圧力」だった。
福島での汚染水放出に対する中国人の反応は、まさに「同調圧力」によるもので、中国の政権やメディアのコントロールが強く感じられる。
「日本の海産物は食べたくないですか?」に対し「その質問には答えたくない」と口を閉ざすのも同調圧力に屈しているからだ。
日本でもコロナ禍でのマスク着用強制やライブハウス・飲食店の営業非難など「自粛警察」が多発した。
これは歪んだ正義感によるもので「同調圧力」とは若干違う感じはあるが、個人攻撃がエスカレートする点では同じだと思う。
・第一章 記者の同調圧力(望月衣塑子)
望月衣塑子さんは、菅官房長官から露骨に嫌がらせを受けていたが、
それよりも同じ側にいると思っていた他社の政治記者から迷惑だと言われたことに憤慨している。
「お前がでしゃばるから、菅氏が機嫌をそこね、ぶら下がり取材の情報が取れなくなった」のがその理由だったらしい。
内閣情報調査室からの脅しも受けているし、官邸から望月記者を名指しした東京新聞への申し入れが9回も来ている。
こうした圧力がかかるから、記者クラブに属する政治記者は、政治権力側からの監視対象にならないよう"気をつけて"仕事をしている。
朝日新聞の南彰さんが、
「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料で、その作成を怠ったことは国民への背信行為だ。」
と、そういうことをおっしゃった政治家(菅義偉のこと)もいるのですが、どなたか官房長官はご存知ですか?
と質問し、直接菅官房長官を攻撃したことがある。
政府側が「あいつ(南彰)は何とかならんのか」と言った相手が、他社の記者クラブの面々だったということが「同調圧力」の環境ができている証拠である。
このような状況は記者クラブ制度がもたらした弊害の最たるもので、権力の乱用の見張り番というメディアの使命を著しく損ねている。
「政府の方針にケチをつける者は許さない」という、どこかの国みたいな社会にならないように、各社の記者達の奮起を望みたい。
・第二章 組織と教育現場の同調圧力(前川喜平)
前川喜平さんが挙げるのは、文科省の体質と、安倍政権の教育への乱暴な介入。
文科省に限らず、各省庁で不毛な仕事とされているのが「国会答弁づくり」。
この仕事を振られると、まず「ウチじゃない」と断る理由を考え押し返すので「振り揉め」という言葉ができていた。
余計な仕事は作らない慣習が根付いているので、安易に仕事を受けるなという「同調圧力」があるという。
もう一つが、道徳教育の教科化で、検定に合格した教科書を使わせ評価まですること。
特に、安倍内閣が"教育勅語"の精神を復活させることに傾倒していることに憤りを感じていた。
戦前回帰の愛国主義、国や家庭のためなら個人を犠牲にするのが美徳であるという精神の押し付けに危機感を覚えた。
私も日本の文化を大切にすることに反対はしないが、
2017年の道徳教科書検定について、「パン屋」を「和菓子屋」に書き換えさせたことを覚えている(くだらないと思った)。
「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」つまり愛国心に関する扱いが不適切として修正させられた内容がこれだ。
今思えば、この道徳問題も某宗教の影響を受けており、国家による国民のマインドコントロールの手段として使おうとしていると感じる。
学校の先生たちは教育委員会や文科省の決め事には逆らえないので、同調圧力を受けながらの道徳の授業をしていると思うと気の毒だ。
・第三章 メディアの同調圧力(マーティン・ファクラー)
アメリカとの比較になりがちだが、日本のメディアを客観的に論じている。
ファクラーさんは、中国では頻繁に取材が妨害され何度も拘束されたという経験がある。
アメリカでもトランプによってニューヨークタイムズやワシントンポストがアクセスを断ち切られ、最高権力者にフェイクニュースとののしられてきた。
ロシアでは権力によってジャーナリストが摘発され、命の危険にもさらされる。
日本のジャーナリストの環境は恵まれているのに、日本の記者たちは何に怯えているのか疑問を呈している。
その理由としてたどり着いた結論は「記者クラブの制度が生み出す同調圧力」に怯えているということだった。
逆らうと仕事を奪われるという恐怖心を植え付けられている。
日本では役所の取材になると読売新聞でも毎日新聞でも同じような記事になる。
アメリカではそのような誰が記事を書いているのか分からないような新聞は売れない。
アメリカでは記者の署名を入れ、主語が「I」の記事を書くようになってきた。
主観的な記事で信頼性を競い合っているので、他社との差別化となる取材に力を入れ独自性を出している。
対して日本は取材対象者との円滑なコミュニケーションを維持するのが良しとされ、
受け取った大本営発表をそのまま記事にし、その裏で並行して実際に起きていた"事実"に踏み込めないでいる。
この体制は、民主党政権の時には出来上がっていた。
福島第一原発事故の時も、メルトダウンしていた事実や、放射線物質の拡散データも隠され続けた。
事故から3年も経って朝日新聞の特別報道部が報じた「吉田調書」のスクープ記事は大きな波紋を広げたが、
これはその時、原子力発電所の輸出を推進していた安倍首相にとって大迷惑だった。
当時ことあるごとに朝日新聞を名指しで批判していた安倍首相は、読売新聞と産経新聞に「吉田調書」のコピーをリークし、
朝日新聞の記事のミスを徹底的に攻撃させた。
残念だったのは、なぜか朝日新聞はここで特別報道部を縮小し権力監視を弱めてしまったことだ。
内部で何があったのか知らないが、権力に近寄り過ぎた多くのメディアの同調圧力に屈したようにしか見えない。
・座談会 同調圧力から抜け出すには
この問いに答はない。
人は死の間際に「じぶんがやりたいことをやっておけばよかった」と悔いるのだという。
親が言うから、組織の方針だから、と他人のせいにする言い訳に従って行動している限り同調圧力から抜け出せない。
自分の行動は、自分で考え納得し判断したものかを振り返ってみるといい。
私も「本当はこうしたい」と思っていても「同調圧力」軍団と戦うパワーがないから我慢してしまいがちだ。
一緒に戦う仲間を見つけることが必要だな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ今から3年前2019年、当時の首相による日本学術会議の会員任命拒否問題は、政府による自由・学術・教育に対する介入であると大変な危機感をつのらせることになった出来事でしたが、自分の周りでこの件について同じようなことを考えていたり意見を交換したりということがあったのは、小学校教員である友人ただ一人との間でした。
そこにあるものの不穏さを感じ取った人が自分の周りにはあまりにも少なかった、と思います。
それから現在までを振り返ってみるとたった3年の間に自由というものがとても堅苦しく緊張の伴うものになってしまっており今なお進行形であると感じます。
気づいたら周りから固められてて自分は奇特な意見を述べる少数派になってる…という状況がたまに起きるようになり、うかうかと思ってることを言いづらくなりました。(例えばマイナンバーカードを持つことについてとか…)
組織の中でできる活動として、教育に関するおかしな介入や締め付けに抵抗している友人の姿を目の当たりにすると、自分も黙っていてはいけないと思うものの一個人でどんな風に「おかしいぞ!」とか「ふざけたことしてんじゃないよ」と世の中に問えばいいのか、問えるのかと無力感が正直あります。
大きな声を発することができなくても、周りがみんな朱くなっても自分が白だと思ったら白という意見を曲げない強さをせめて維持し続けたいと思います。
本書は、これからまた数年過ぎたところから本書が著された当時を振り返る、そしてその時の現実・現状を見直すという、考え続けるための一つの標となる一冊だと思います。
編集部によるあとがきにも勇気をもらいました。今後もこのような良書を出版し続けてほしいです。 -
Posted by ブクログ
一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対する挑戦というか。
個人的には反日思想の展示など不愉快だし、する必要はないと思うが、一方で表現に規制がかかる危うさには怖さを感じる。こうした規制を許せば今後、反日的なものでなくとも、政府や権力者が、言論や表現に制約をかけられる世界になっていくわけだから。
アートの世界だけでなく、科学技術なども国の意向に沿わなければ補助金がなくなり、活動できなくなってしまう模様だ。それは果たして国民にとって健全な、豊かなことなのだろうか。賛否両論のものに対して全員が自由に発言できる世界、何事にも反対意見を出して議論できる社会、多面的に物事を考えられる世の中、そうしたものを守らなければ。などと思いました。 -
Posted by ブクログ
2019刊行、「新聞記者」映画化に伴う鼎談からの本。
官邸に、歯に衣着せぬ質疑をあびせて排除寸前に追い立てられた女性記者。
文科省で安倍政権の教育への政治介入や縦割り行政の現場に立っていた官僚。
ニューヨークタイムズの記者として、アメリカのジャーナリズムと日本の報道を比較しその忖度体質を炙り出す記者。
ここで語られている事が、実際の日本の中枢で21世紀になっても起こっている事であり、長期政権下でますます露骨になっているやり方でもある。
公正とか正義とか…行政や報道に対し、厳しく求められるべきものは、どこにいったのだろう。本職の人間たちがこの有様では嘆かわしい。
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Posted by ブクログ
日本には同調圧力が依然として残っている。記者の望月氏は政府批判を理由に首相官邸への質疑応答に取り合ってもらえなった。そしてそれを追求するメディアはなかった。
元文科省事務次官の前川氏は根強い官僚主義を批判しており、「遅れず、休まず、働かず」とリスクを恐れマニュアル通りのマネジメントしかできない組織体を揶揄している。
NYタイムズ記者のファクラー氏は日本のジャーナリズムに警鐘をならす。多くのメディアは公権力から危害を加えられる危険性を感じることはほぼないが、当該権力に忖度する姿勢を一貫しており、問題の本質を直視したり、精度の高い情報を報道することができていない。
これら3つに共通することは日本には空気を読み、権力に対し忖度するという同調圧力に屈する風潮があるということ。 -
Posted by ブクログ
いま書いている論文の中で必要になって、いまさら手に取ることに。
ちょうど『新聞記者』を見たばかりだったので、巻末の加計学園獣医学部認可問題をめぐる鼎談がよけいに生々しく読めたが、この本の主筋は官僚論であり、教育行政論とみるべきだろう。とくに、筆者自身が関与した八重山育鵬社教科書採択問題や教育基本法「改正」をめぐる記述は、教育政策「改正」がめぐる記述は、教育政策の決定過程とその内情を伝える貴重な記述と思う。ただし、著者は小泉内閣時の「義務教育国庫負担金」をめぐる官邸との暗闘(?)については、自分が抵抗したと書いているだけで、具体的には一切触れていない。なにか事情があるのだろうか?
少なくとも本書を読む限り、著者が特別すぐれた官僚だったとは思わない。『面従腹背』は組織で生きる人間としての当然の心得であるはずだ。しかし、日本の国家官僚は、そうした「良心」というか、個人としての思想を否定しなければ生きられない場所に、ますますなってしまったらしい。「心」を無にして、時の政権を護るための辻褄合わせに奔走する――。そんな世界の中に生きることの空しさを、彼ら彼女らはどうやり過ごしているのだろうか。
国会対応や野党ヒアリングにかんして、官僚の多忙さを匿名でtweetする人たちが増えた気がする。しかし、そういうひとたちは何か勘違いしているのではないかと思う。たぶん「心」を無くして働いているひとたちは、「心」のあるひとが憎らしいのだ。