あらすじ
「あったことをなかったことにはできない」安倍晋三首相と親密な関係といわれる学校法人加計学園が、国家戦略特区に獣医学部を新設した問題で、官僚トップの事務次官を務めた著者がなぜ「総理の意向があった」と記された文書の存在を認めたのか。
「公正・公平であるべき行政が歪められた」として、安倍政権下で起きた加計学園問題をはじめ「権力私物化」の構造を糾弾する。そして、「道徳の教科化」や「教育勅語」の復活など、安倍政権が進める教育政策に警鐘を鳴らす。さらに、文部科学省という組織の中で、「面従腹背」しながら行政の進むべき方向を探し続けた38年間の軌跡を振り返る。
※こちらの作品は過去に他出版社より配信していた内容と同様となります。重複購入にはお気を付けください
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
おもしろかった!
面従腹背ー表面は服従すふように見せかけて、内心では反抗すること。
教員免許更新制、教育課程行政、八重山教科書問題、さらには加計学園問題まで、役人としてだけではなく、私個人としての教育情勢についてやりたくなかったこと、やりたかったことが溢れ出ている。
特に免許更新制と10年次研修の導入については、文科省と政治家のせめぎ合いがあったとは知らず、勉強になった。
Posted by ブクログ
面従腹背 個として信念を見失わずに生きたのだとわかる。それにしても忖度する人に囲まれた裸の王様状態の安部氏と取り巻きの横紙破りの出来事がみんな憲法改正につながっていくことが分かる。「個」が主役である。つくづくこれを読んでいて感じた。長いものに巻かれても、蟷螂之斧、一寸の虫にも5分の魂と思う。気概のある官僚・政治家がいないなあ。
Posted by ブクログ
東日本大震災以降、自民党が作り上げたこの国の数々の大嘘を目の当たりにしてきたが、この本を読んで、この日本という国がますます大嫌いになった。
ファシズムに走り続ける自民党。安倍晋三もその流れの中の末端のひとりに過ぎないらしい。憲法改悪も、道徳教育や教育勅語の復活も、靖国神社も、戦争のための一つの手段。国民を気持ち良く戦死させるための仕組み。世界や地球といった大きな概念もなく、見えているのは意味不明の日本民族という幻想だけ。このようにしてヒトラーも生まれ、巨大化して行ったのだろう。
こんな学校で学ばなければならない子供達、こんな国であと何十年も生きなければならない子供達がかわいそう。
こんな国で今、子供なんか産むもんじゃない。
Posted by ブクログ
いま書いている論文の中で必要になって、いまさら手に取ることに。
ちょうど『新聞記者』を見たばかりだったので、巻末の加計学園獣医学部認可問題をめぐる鼎談がよけいに生々しく読めたが、この本の主筋は官僚論であり、教育行政論とみるべきだろう。とくに、筆者自身が関与した八重山育鵬社教科書採択問題や教育基本法「改正」をめぐる記述は、教育政策「改正」がめぐる記述は、教育政策の決定過程とその内情を伝える貴重な記述と思う。ただし、著者は小泉内閣時の「義務教育国庫負担金」をめぐる官邸との暗闘(?)については、自分が抵抗したと書いているだけで、具体的には一切触れていない。なにか事情があるのだろうか?
少なくとも本書を読む限り、著者が特別すぐれた官僚だったとは思わない。『面従腹背』は組織で生きる人間としての当然の心得であるはずだ。しかし、日本の国家官僚は、そうした「良心」というか、個人としての思想を否定しなければ生きられない場所に、ますますなってしまったらしい。「心」を無にして、時の政権を護るための辻褄合わせに奔走する――。そんな世界の中に生きることの空しさを、彼ら彼女らはどうやり過ごしているのだろうか。
国会対応や野党ヒアリングにかんして、官僚の多忙さを匿名でtweetする人たちが増えた気がする。しかし、そういうひとたちは何か勘違いしているのではないかと思う。たぶん「心」を無くして働いているひとたちは、「心」のあるひとが憎らしいのだ。
Posted by ブクログ
面従腹背とは…表面は服従するように見せかけ、内心では反対する
こと。
著者の前川氏は38年間に渡る文科省官僚時代、この言葉を座右の銘
としてきた。
それは、大枠から見たらささやかな抵抗かもしれない。どうせ
なら内部にいるうちに告発してくれればと思うこともないとは
言えない。
ただ、政治家などからのさまざまなな圧力にさらされながらも、
どうしても譲れない部分でご自分の意見を貫いたのは理解できた。
そして、前川氏のようにささやかな抵抗を続けている官僚は、
どの省庁にも少なからずいるのではないか。
教育基本法の改正、八重山教科書問題、国旗・国歌法の制定、
そして道徳の教科化。一連の流れを本書で振り返ってみると、
いかに教育が歪められて行っているのが分かるし、うすら寒さ
さえ感じる。
おかしいと思うんだよ。道徳の教科書にパン屋を登場させたら
検定が通らなくて、和菓子屋に変えたら検定パスって。
日本の伝統がどうたらこうたらって言っている政治家たちって
どうせ明治以降のことしか「伝統」と思ってないんだろうな。
こんな人たちが教育に口を出して圧力をかけてるのだものな。
「教育勅語」復活も近いのかもしれないと思うとぞっとする。
教育って為政者の為、国の為のものじゃないんだよな。その辺り
をはき違えている政治家が多いのだろうか。
尚、第4章に収められている座談会は加計学園の何が問題なのか
が分かりやすく語られているので非常に参考になった。
Posted by ブクログ
前川喜平さん好きだから読んだ。
エリート出身だし、文科省でも色々頑張ってたんだな、内部で色々変えたくても大変なんだなっていうのがわかった。
官庁での仕事の教育専門の話が多かった。
Posted by ブクログ
"面従腹背"という姿勢には賛否両論あるだろうが、組織で働く人には多かれ少なかれ、自分の意見、心情とは異なっても組織の論理、上司の意向に沿って動かなければならない苦しいときがあると思う。
しかし、現代にあって、政治家、特に時の政権を動かす人たちが私利のために各省庁に圧力をかけ、行政を歪めるという、民主主義においてあってはならないことが行われていたというのは、衝撃的だ。
若手の公務員で数年で辞める人が多いのは、そういう理不尽な体制の中で働くことに嫌気がさすからではないか。実際、
本書には書かれていないが、森友問題では心ある1公務員が自殺にまで追い込まれた。
面従腹背すらせず、心をなくし、政治家の意を汲んで働くだけの役人が出世するような状況は一刻も早く改善されるべきだ。
Posted by ブクログ
文科省のナカの様子がうかがい知れる貴重な証言ではある。特に、政治家の動きとそれに対応する文科官僚の動き、審議会の存在意義の変化等について語られた第3章は参考になった。ただやはり著者自身に相当な負い目があるようで、それで、決して良い意味とはなり得ない「面従腹背」をタイトルにしたのだろうが、内容を読めば読むほど、著者の「腹背」ぶりより「面従」ぶりが印象的で、著者としてはその時々に自分ができることの最善(「自分の信念とは違うから辞める」と言うのよりは簡単でない道)を選んだのだろうが、どうしても言い訳がましく聞こえて鼻白んでしまう部分はある。それでも、退職後とは言え、こうした発言をすることは相当な勇気がいることであり、それ自体は支持したい。
Posted by ブクログ
面白読物を期待して読み始めたが、著者が真面目なのか政治の要素が強い本だった(読む前に気づくべきだった)
者を"シャ"、一日を"いっぴ"と読む、といった政治家用語は面白かった。
Posted by ブクログ
元文部省、文部科学省の官僚であった著者が見てきたことが書かれている。
省庁内部で行われてきた教育行政。
政治家による圧力。
それらが大きく露呈したのが、森加計問題である。
本書では、加計学園の獣医学部創設問題についても書かれている。
面従腹背とはどういうことかと思ったが、本書を読んでなるほどと思った。
著者がいうそれは、表向きは従って、腹の中では自分の考えを持ち、時期が来たらそれを行動に移すということである。
それは組織内部にいないとできないことである。
本書を読めば、教育基本法など官僚が政府の圧力に抗おうとした痕跡が分かる。
これは面従腹従しなかったことの証である。
それにしても、理不尽ともいえる政治家の圧力の中で仕事をするのはどんな気持ちなんだろうと思った。
ストレス溜まりまくりなのではないだろうか。
いくら官僚が優秀でも、政治家がダメなら宝の持ち腐れである。
森友問題で自殺した財務省の赤木氏のことを思うと本当にいたたまれない。
腐敗した政治家に、良心が勝つ世の中になってほしい。
Posted by ブクログ
タイトルにある面従腹背とは、官僚時代に政府、組織の意向に表向きは従いながらも内心は反抗したことがある。ということから来ている。今は、官僚ではないので眼横鼻直に例えて、当たり前、ありのままに言う、行動できるようになった。と筆者は語っている。
官僚時代に、文部科学省で子供、学生の未来を想い紆余曲折ながらも尽力されたことは頭が下がる思いもするし、尊敬すらも感じた。一方で、安倍政権に対する批判があったが根拠が弱く推測の域を出ていないように思う。
なお、自身のスキャンダルであるバー問題では、売春問題の調査だと言っていたが本には軽く触れているだけ。人に対しては厳しく批判する割に自分のことは優しい。
この点がどうしても納得できなかった。