東畑開人のレビュー一覧
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東畑氏はこれまで、「日本のありふれた心理臨床」などを通じ、純粋な学問的実践からは程遠い、日本のリアルな心理臨床の肯定的な理解と評価を目指してきました。
今回の一冊では、さらにそこから一歩踏み出して、私たちが一庶民として、また一社会人(援助職)として何気なく行なっている「ふつうの相談」にまで触れ、専門職としての実践との接点や差異について触れています。
補遺の「中断十ヶ条」もいい味を出していて、これまでの東畑氏の著作と結びつけながら理解をすると、心理専門職のやることから、一庶民としてやっている「ふつうの相談」まで、「相談する」「話す」ということそのものへの理解へ繋がっていくように思えます。 -
Posted by ブクログ
プロセスの一端を知っている(担っているとは言えない)ので、
客観的な感想を言えば、
「わかりやすい」。
私たちが抱いてきた違和感や傷つきや、
疎外感や怒りも含めて、
言語化しながらどこまでも論理的であろうとするところが、
限りなく臨床的だと思う。
一方で、
精神分析にそこまでの葛藤を抱いていない臨床家には、
わかりやすさが危うさにもなるのではないか。
手軽に、深く思考できないことを自己肯定できる手段になる気がする。
それは、
実際にそういう臨床家を見てしまったからだ。
でも私が感じたその感情ですら、
権威主義との同一化になりうるのかもしれない。
ここから一層、
内省と客観視を深めたいと思う。 -
Posted by ブクログ
読み出してから、これは一般向けの本ではないのだと気がついた。心理療法に携わる人たちを読者に想定した、心理療法論の論文であった。それでも、東畑さんのこれまでの著作はどれも非常に興味深く、そうか!と思うところが多々あったので、素人にはわかりにくいところもあるだろうけど読んでみようという気になった。で、やはりおもしろかったし、何というか勉強になった。
心理療法論と言えば、大学で教えられ書店に研究書が並ぶあれこれが思い浮かぶ。精神分析・ユング心理学・認知行動療法・人間性心理学などなど。著者は本書で、そうした「学派的心理療法」や一般に行われている折衷的な「現場的心理療法」と、そうした専門家の扉を叩く前の「ふつうの相談」を、包括的に説明する心理療法論を提示している。研究者や医療関係福祉関係など専門家の方たちがどう評価するのかはわからないが、わたしとしては納得の内容だった。
その内容を要約することは難しい(当然だ)。ただ、著者の考えの核となっているのは、一般向けの最初の著書「野の医者は笑う」から一貫している。「心の治療というのは、説明モデルを通じて、人間をある種の生き方へと象っていく営みである」というのがそれだ。これはあやしげなヒーラーから精神分析の大家に至るまで共通している、という指摘には目から鱗が落ちた。学派的心理療法であれ世間話での知人へのアドバイスであれ、それぞれ暗黙の前提となっている「望ましい姿」というものがあり、それぞれの価値観がある。そこを見定めることは、難しいがとても重要なのだと思った。精神医療やカウンセリングなどについてモヤモヤとしていたことがかなりスッキリした。
また、文化依存症候群について述べられたくだりにも、なるほどと思う点があった。痩せを追求する「摂食障害」は欧米文化を文脈とした文化依存症候群だとあって、言われてみれば確かにそうだ。さらに、空気を読むことを重視する日本で「アスペルガー症候群」が多く診断されるとあるのには考えさせられた。そういう視点はあまりなかったので。
「文化的な規範があるときに、それがもたらす副反応も存在する。すべての文化がそれぞれに固有の文化症候群を抱えざるを得ないのである。」
心理療法と言うと、「治療者と患者が個室で向かい合っている」図を思い浮かべてしまうが、著者は、そこを取り巻く社会環境に目を向けなければならないと説く。
「臨床現場は制度が求めることを果たさねばならない。人間を社会が望むように象ることが求められる。現場知には社会的規範が埋め込まれているのである。制度はもちろん、公共的な議論と手続きの上で成立したものであるから、社会に必要なものを提供することを狙っている。実際、そのことで助かる人もたくさんいる。だけど、同時にそこには暴力性が含まれていることも忘れてはならない」
これは、こと医療や福祉の臨床現場に限らず、教育の場でも同様のことが言えるだろう。学校は生きていく力を育むものだけれど、そのことに傷つけられることもあるのだ。それに自覚的であるのが、厳しいけれど大事なことなのだと思う。 -
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ネタバレ本の中に「この論文は」と書いてあるとおり、論文チックで内容が難しい。
ふつうの相談とは。
「人と人がつながること。人が人を支えること。これが普通の相談の根源で響いている」
普通の相談ややり取りによって相手が楽になったり何かしらのほっとすることがあればいいなあと思った。こういう何気ないやり取りっていつか詳細に調査されるんだろうか。
・この本は、専門家、メンタルヘルス・ケアに関心を持つ読者、一般市民に向けて、ふつうに相談したり相談に乗ったりすることが、心にとっていかなる治療的意味を持つのかを書いてある
・球体の臨床学。それは人と人とがつながること、人が人を支えることについての基礎学である。 -
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オムニバス形式で内容は若干まとまりを欠いているように思えるが、学びは多く、今後は個人のカウンセリングだけでなく、組織や社会を巻き込んで広い視点から臨床実践を考えて行く必要があるなと思った。価値に沿った実践ということで、セラピストの価値とクライエントの価値、セラピストの所属する組織の価値などは、それぞれどこまで擦り合わせていけるのだろうか。単に、雇う側と雇われる側の関係だと、そこまで意識されないのかもしれない。ただ、臨床をしていく上で、組織の制約を受けているなと感じることは多々ある。心理的安全性の話もあったが、こういった側面からの組織改革が個人的に興味を惹かれた。
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初めて理解した。臨床心理士と公認心理師の違い。ベースが学派か臨床か、の違いかあ、なるほど。
本書の内容はとても学術的で小難しい面も多々あるけれど、でもいちいち納得。いちいちわかる。自分の臨床経験にいちいち合致する。
中井久夫の個人症候群の話とか、熟知性のなかで起こる治療とか、臨床現場にいる人なら感覚的に腑に落ちる話。
受けている著者のセミナーの質問コーナーでも、まあとにかくいちいち「わかる〜」とつくづく思えた。この納得感が、実際に現場で対人援助をしている人たちに猛烈に受け入れられ、だから著者は人気があるのだろうな。この「わかってもらった感」、ここが彼のカウンセラーたる所以か。
そして何より思うのが、やっぱり中井久夫はすごいなあ、と。陳腐な言葉になってしまうけど、それが感想。
追記
セミナーで、著者は本作にはおせっかいについて書いてあると言ってたけど、そうなのか?そう思えなかった私が理解できてないだけか。 -
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現在2023年4月末。先日、まもなく新型コロナが5類になることが正式決定されたとニュースで流れた。
この本に掲載されているインタビューや手記は2020年。コロナ禍がいよいよ始まり、おそらく世界中の誰もが、今まで非日常と思ってきたことを日常的なものとしなくてはならないという不安に覆われはじめてきた、そんな時期の発言だ。そのような意味では、更に数年後、コロナ禍を振り返るための格好の史料となりうると思った。
この本の中で多くの識者たちが言及していたと思うが、人間にとって一番厄介なのは、人間の心の中に生じる差別、偏見、批判なのだ。どのような状況下にあっても生じるこの心の動きに、私たちはどのように打ち勝っていけばいいのだろうか? -
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中年期。
それは長い辛い時期。
四惑の時期。
それを打開するにはどうしたら?
と思って読み始めたが。。
4人の方の中年期の生き方を題材にしている。
実は二人目の方の真ん中あたりまで一度読んで、どうにも理解ができず、ひと月以上放置。
再度、初めから読み返したら、前回よりはるかに理解できた。
そして、そのまま4人目まで読み終わり完走。
読んでみてわかったのは、打開策ではなかったのが残念。
まあ、そりゃ、個人差がありすぎる事象なので打開策なんてすぐには見つからんよな。
でも、わかったことがある。
私は、停滞の道を歩んでいるなと。
でも、会社では、青年に戻る道も期待される。
どっちも中途半端で「これが私の道」が見えないんだなー。ってこと。
そして、日本そのものが中年期に入っているがために、簡単には解決さない時期に拍車がかかっていること。
日本のそれとセットで考えると、簡単には足抜けできなそうな中年期。
これからもしばらくお付き合いしていかねばならんのか。。
しんどいな。。
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孤独には二種類あるということを知ることができた。ロンリネスとソリチュード。前者は「見捨てられること」を意味し、苦痛であり人を損なうもの。一方でソリチュードは他者を忘れて、自分自身の声に耳を澄ます、自分自身であるために必要な孤独。
また、ソリチュードは安心な他者を得て初めて可能になる。帰るところがあるから、一人で旅ができるのと同じ。
自分が今感じている孤独は、ロンリネスだと思う。一人行動はこの数年でできるようになったけど、それを楽しめていないのは、居場所がないと思っているから。他者との繋がりがどんどんなくなっているから。居場所を作って初めて一人を楽しめるんだと、自分の孤独の正体がはっきりした。
「そういう救いようがない世界に私たちは生かされているんだと思うほうが、本を閉じたとき、劇場を出たとき、生の実感を得られるのかもしれません。」