東畑開人のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
心とは、実際のところ、なんなんだろう?
本書『心はどこへ消えた?』は、臨床心理士・東畑開人という、いかにも心理のプロっぽい先生が、めちゃくちゃ人間くさく共感しやすい“バジー・東畑”という第二人格を生み出し、そのバジーが出会う人々との間に、心という“目には見えない何か”を浮かび上がらせる――そんな週刊誌連載の創作エッセイである。
さて、冒頭の質問のヒントや答えはたくさん本書の中に書かれていたが、今の自分の言葉でまとめ、再定義してみようと思う。
「心とは、喜びや悲しみ、痛みなど、何かを感じているもの、そのものである。」
「感じている」と考えているのは脳だが、脳は何かを対象として考えているのであり、脳自体が喜んだり悲しんだりしているわけではないのだ。
そして、その「何か」が心の正体なのではないだろうか。
ということは、心とは体でもなく物質でもないけれど、確実に、具体的に存在している“何か”ということになる。
そして、その心の場所を問うのが本書である。
心は確実に存在しているが目に見えず、あらゆる科学の力をもってしても、今のところその場所を特定できていない。
心を見ることができるのは心だけなので、結局は自分が持っている目には見えない透明のメガネを引っ張り出し、相手の目には見えない透明な部分を見ようという――とんでもなく難しそうな作業が必要なのである。
ただこれは、文字にすると難しそうだが、実際は多くの場合、人は無意識にできていることなのではないだろうか。
たとえば、友達が急に髪型を変えたので不思議に思って聞いてみたり、
いつもご飯をおかわりする彼氏が一杯だけで「ごちそうさま」と言ったので心配してみたり。そんな感じだ。
そして、それができなくなるような緊急事態――つまり透明なメガネの場所が分からなくなったときこそ、それを見つけてくれる他者が必要になる。
結局、人は一人では、いつ自分の心さえ見えなくなるか分からない。
だからこそ、自分以外の誰かを大切にし、困ったときには助け合おうということなのだ。
具体的には、自分と接する誰かが話す小さな物語をぞんざいにせず、
「心」という、自分の持っている透明なメガネを使って、その人の普段とは違う小さな揺れ――変身の前兆を見逃さない。
それが大切なのだろう。
そして同時に、「心とは?」という壮大で終わりのなさそうな問いに対して、安易に答えを出さず、分かった気にならず、問い続ける人でありたいと思う。 -
Posted by ブクログ
東畑さんの週刊文春に寄稿されていたエッセイ集。雨の日の心理学から怒涛で著作を読み込んでいる自分のハマりぶりに冷静になるとどうなのと思いつつ、おもしろくて、癒されるので読んでしまうのよね…。
会社員として忙しく過ごしていると、仕事の内容としても日々にしてもどうしても大きな物語に巻き込まれて小さな物語が見えなくなってしまう。毎日を回していく中で、個別事情なんて気にしていられないと切り捨てることも多い。本当にそれで良いのかしら。
この本を読んでいる時に、ちょうどそんな姿勢を揺るがす出来事があり、自分の中で大切にしたいと思っていたことを考え直すきっかけになりました。
心はどこへ消えた?何かを見落としそうになる時、忙しい時、自分の中で呟いてみると良いかも。そこに本当はある小さな物語の存在に気づけるおまじないみたいな感じ。 -
Posted by ブクログ
若松英輔さんと平野啓一郎さんの名前があるし、と軽い気持ちで手にした本。そして、長らく積読本。今回、ようやく読み始め、初めて世田谷事件の被害者家族である入江杏さん主催のミシュカの森という会があることを知った。そして、その会の講演をまとめたのがこの本であることも初めて知り、心して読まねば、との気持ちになって読んだ。
平野啓一郎さんの話では、死刑について考えさせられ、東畑開人さんの話では、居場所についてを考えた。特に居場所の話は自分レベルで考えられたと思う。そして、自分にとっての居場所について考えられた。もっと居場所を作らなくては、とも思う。居場所、座っていられる場所。立っている場所は落ち着かず、疎外感を感じる。だから、座ればいいのだ、そこが居場所になる。体と心は繋がっているのだと改めて思わせてくれる、話の流れだった。と思ったことが、私の文章では伝わりにくいとは思うが、私としては腑に落ちた。 -
Posted by ブクログ
山崎怜奈さんが「コロナ禍に読んですごく救われた」と絶賛されていて気になった本。
臨床心理士の著者の元には、さまざまな悩みを持った人々がカウセリングを受けに訪れる。
アメリカでは美容院に行くような感覚でカウンセラーの元を訪れる人が多いと聞いたことがある。ちょっと前髪伸びてきたから、みたいな気軽な感じで、ちょっと心が疲れてきたからカウセリングに行く。
鬱などの明確な諸症状がないと受けられないと思っていた私は、それを聞いてカウセリングに興味を持ったのだが、本書で初めて、カウセリングは長い時間をかけるものと知った。
著者は時に何ヶ月もかけてクライエントの話を聞き続け、思いを吐き出させる。そこには説得も指導もない。毎月来ていたクライエントが訪れない月もある。それでも訪れたら粘り強く話を聞く。
そしてある時、ほんの些細な出来事や著者からの問いかけによって、クライエントが小さな変化を見せる。そこから目に見えるような変化が出るまで、1年以上経っていたりする。なんと根気のいる仕事だろう…!
また定期的に通い続けるクライエントたちもすごい。面倒くさがり屋の私がクライエントなら、もっと早く解決してくれるかと思ったとか家族に愚痴をこぼし、そのうち行かなくなってしまいそうだ…
しかしそれほど心のケアというのは時間のかかるものだと理解できたことは大きい。
悩みにぶち当たったとき、一刻も早くこの沼から抜け出したいと必死にもがくが、それが近道とは限らない。まずは思いを吐き出して自分の現状を見つめ、冷静になる時間が必要だったりする。たった数週間で劇的に変わることばかりではない。本書に登場したクライエントたちのように、何ヶ月も何年もかけて少しずつ変わっていけばいいのかと思うと、随分と気が楽になる。悩みは早く解消しろと、自分で自分を追い込んでいたのかもしれない。
辻村深月さんによる解説も実によかった。
なぜ私たちが小説にこれほど魅せられるのか。その一つは、辻村さんの言う「『大きな物語』が、個人の『小さな物語』を通じて立ちどころに理解できるようになる」という部分にあると思う。
小説によって描かれる、極めて具体的で、個別的で、カラフルな「小さな物語」を通して、社会の根底にある大きな問題や風潮を理解できる。ぼんやりと抽象的だったイメージが、登場人物たちの具体例を通して初めて、ぐっと明瞭になる。そんな瞬間が小説を読んでいると何度も訪れる。
辻村さんは言う。「私が小説家として物語を書くというのは、その個人的な『小さな物語』を形にすることだ。」
次に読む東畑さんの本は、辻村さんがオススメする「雨の日の心理学」にしたい。自分が誰かのケアを必要としたり、ケアをする側に立った際に思い出そうと決めている一冊だそうだ。
軽やかでユーモアがあって、だけど鋭く揺るがない視点を持つ東畑さんの言葉を、今から楽しみにしている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「雨の日の心理学」が良かったので気になっていた本。こちらは論文の形態で「雨の日の心理学」より難しかったけど興味深かった。
世間知と学派知と現場知。いずれも賢いのだろうが、ときにバカになる。専門知は世間知らずになりやすく、世間知は傲慢になりやすい。学派知は暴走しやすく、現場知は閉塞しやすい。(p149)
この部分ほんとにその通り。
たとえば自分の仕事で言えば、「ふつうに考えてその状況はつらいよね」と相談者に共感する心や、「その行動は疾患が大きな原因になっていそう」と分析する知識、「こういう時はちょっと距離を取って様子を見た方が良い方向に転びそう」と経験に基づいた勘。
どれも日々の相談業務において大事なことで優劣は無い。
人が人を支えるという営みでの「ふつうの相談」の大切さについて考えるきっかけになった。
-
Posted by ブクログ
ストーリーズには少し読みながら考えたことなんかを書いたりもしたけれど、結論を端的にいうならめちゃくちゃ面白くて最高な一冊だった。
答えと「癒し」を求めて奔走する取材と迷走する妄想に笑って、その後の思索を読めば色々考えて知的探求のスリリングさも感じたり、セミナーやスクールの描写に驚いたり呆れたりもしながら、辿り着く「発見」と真摯な結論には納得して感動もして、その後の人生と選択にも共感もしていた。スピリチュアルではなく現実が繰り出してくる「ミラクル」なオチも素敵だった。そして、最後の最後には微笑みながら少し泣ぐんで本を閉じていた。ともすれば軽薄に感じて冷めてしまいそうな部分もある文体を、文庫版のまえがき、あとがきでしっかりと押さえているのも”分かっていて“良かった。
沖縄に「傷ついた人が、傷付いた治療者」になる野の医者たちが、特に女性が多い原因が社会にあることや、彼女たちの高いテンションと明るさの後ろに過酷な人生があったことは意識しなければいけないけれど、それでもこの本を読んでいると元気が出てきた。著者も含めたこの本に書かれた人たちの多くが野の医者から「生き方を与え」られたように、わたしもこの本を読むことでそれを与えられた、のかもしれない。そうだと良いなと少し思う。それが「新しい生き方をもたらす」のかは、わからないけれど。
また長くなってきてしまったけれど、これはおすすめ!と珍しく普段書かないことをわたしも書いておきたい1冊。ここ最近で1番付箋のが立った。急いで買いに行って正解だった。またあとで付箋を拾いながら、わたしの生き方についても少し考えてみることにしよう。 -
Posted by ブクログ
「ふつうの相談」には、p62〈外的ケアの整備〉と〈問題の知的整理〉の機能がある。この二つの機能が果たされた時にはじめて、情緒的サポート(ラポール)が成立する。この順序が重要。
ラポールを形成してから心理的作業へ、と教科書にはあるが、まだ何の役にも立っていない専門家をどうやって信用できるというのか。p65
ふつうの相談に決定的に重要なのは、ソーシャルワーク的な想像力p63
問題の所在がどこにあり、どう変化するとよくて、それは何によって可能になるのかが知的に整理され、言語的に納得できることの価値は極めて大きい。客観的状況は同じでも、主観的な風景が変化するからだ。進むべき方角を実感できると、〜苦難を乗り越えていこうとする希望がわいてくるものなのである。p64
福祉職として、ソーシャルワークの一端に身を置くことになり数カ月。相談とは名ばかりの対応しかできない自分が情けないやら、利用者さんに申し訳ないやらな日々を送る中で手に取った一冊。
まだ消化しきれない、けど沢山のヒントをもらったように思います。
最後の「補遺 中断十ケ条」は、電車の中でボロボロ泣きながら読みました。 -
Posted by ブクログ
この仕事は向いていない、私はいつか徹底的に相手を傷つけてしまうことがあるだろう、この分野に身を置くにはあまりに不勉強すぎる(でも何だか向き合えない)、今の仕事は本流ではない…と何度も何度も思いながら、この分野に身を置いてしまっている中で、この本は自分に向けられたものでは?と勘違いしたくなるくらい、お守りになることが書かれていた気がする。
自分の守備範囲がわかっていて、限界がわかっているなら、それはそれで専門性だと思うし、その守備範囲ならではのできることもあるよな、と思った。研鑽していくのはこの守備範囲を広げていくことだったり、自分の守備範囲ってどこだろう(対象しかり、技法しかり、自分自身の力量しかり)ってことを探っていくことかなと思う。
これまでの葛藤は、それでいいんだと思ったし、やっぱり勉強して真摯に向き合おうとも思った。
明日からまた頑張ろう。
内容をきちんと理解できているとは到底思えないので星は4つ。あと何回か、自分の手を動かしながら読み進めて星5つにしたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ未解決事件の遺族である入江杏さんが主宰する集まりの場「ミシュカの森」。
そこへ招かれた方々が「悲しみとともにどう生きるか」をテーマに様々に語ったことをまとめた一冊。
六人の方それぞれの悲しみに対する向き合い方に考えさせられたり理解が深まったように感じたり。
第4章東畑開人さんの「アジールとアサイラムとパノプティコン」という話が興味深かった。避難所と収容所。シェルターと管理所。
そしてその後の対談の中で「自分の物語を物語ることによる癒し」という話がなされます。河合隼雄先生が物語によって生きる力や癒しを得られるというようなことをいくつかの著作の中で語られていたことを思い出しました。
読みながら自分は、物語として書くのが難しければジャーナリング的(思いついたことをそのまま書き出すことでストレス軽減や心を整える効果をえる手法)にとにかく書いてみるというのが救いの一つになるかもしれないと思いました。
第5章平野啓一郎さんの話の中で「当事者でないからこそ書けることがある」ということが話されています。本書とは全く関係ありませんが看護や介護などでも、対象者が身内ではないから必要なケアを感情を込めることなく施せるという意味合いで、そういう側面があるのではないかと思いました。
誰かの辛い話を聞く時、共感することも大切だけれども理解ができない・共感できないからこそ受け止めてあげられるということもあるように思います。
当事者ではないということも状況によっては大事な時もあると思います。
同じ平野さんの話の中で加害者に対する処罰感情が強いあまりに、被害者遺族に対し「亡くなった人に対する思いが薄いのでは」というようなことを言ってしまう人がいるがあってはならないことである、ということが話されていました。
以前読んだ「家族が誰かを殺しても(阿部恭子)」の中に「遺族らしくない」とバッシングする人の話があったのを思い出しました。
平野さんの話の中には他にも、自身の提唱する「分人」の考え方や死刑制度についての意見(これらも本で出されています)、警察や司法に対する不信感など考えさせられる意見がたくさんありました。
入江さんがあとがきの中で、「被害者遺族らしく生きろ」という外圧について書かれているのを読んで辛くなりました。誰であっても勝手に世間から枠を当てはめられて生きさせられるような不条理さに甘んじることはないと思います。
でもどんなに辛いだろうと思います。理解も共感も及ばないだろうけれども、自分にできることは忘れないということくらいでしょうか… -
Posted by ブクログ
東畑氏はこれまで、「日本のありふれた心理臨床」などを通じ、純粋な学問的実践からは程遠い、日本のリアルな心理臨床の肯定的な理解と評価を目指してきました。
今回の一冊では、さらにそこから一歩踏み出して、私たちが一庶民として、また一社会人(援助職)として何気なく行なっている「ふつうの相談」にまで触れ、専門職としての実践との接点や差異について触れています。
補遺の「中断十ヶ条」もいい味を出していて、これまでの東畑氏の著作と結びつけながら理解をすると、心理専門職のやることから、一庶民としてやっている「ふつうの相談」まで、「相談する」「話す」ということそのものへの理解へ繋がっていくように思えます。 -
Posted by ブクログ
プロセスの一端を知っている(担っているとは言えない)ので、
客観的な感想を言えば、
「わかりやすい」。
私たちが抱いてきた違和感や傷つきや、
疎外感や怒りも含めて、
言語化しながらどこまでも論理的であろうとするところが、
限りなく臨床的だと思う。
一方で、
精神分析にそこまでの葛藤を抱いていない臨床家には、
わかりやすさが危うさにもなるのではないか。
手軽に、深く思考できないことを自己肯定できる手段になる気がする。
それは、
実際にそういう臨床家を見てしまったからだ。
でも私が感じたその感情ですら、
権威主義との同一化になりうるのかもしれない。
ここから一層、
内省と客観視を深めたいと思う。 -
Posted by ブクログ
読み出してから、これは一般向けの本ではないのだと気がついた。心理療法に携わる人たちを読者に想定した、心理療法論の論文であった。それでも、東畑さんのこれまでの著作はどれも非常に興味深く、そうか!と思うところが多々あったので、素人にはわかりにくいところもあるだろうけど読んでみようという気になった。で、やはりおもしろかったし、何というか勉強になった。
心理療法論と言えば、大学で教えられ書店に研究書が並ぶあれこれが思い浮かぶ。精神分析・ユング心理学・認知行動療法・人間性心理学などなど。著者は本書で、そうした「学派的心理療法」や一般に行われている折衷的な「現場的心理療法」と、そうした専門家の扉を叩く前の「ふつうの相談」を、包括的に説明する心理療法論を提示している。研究者や医療関係福祉関係など専門家の方たちがどう評価するのかはわからないが、わたしとしては納得の内容だった。
その内容を要約することは難しい(当然だ)。ただ、著者の考えの核となっているのは、一般向けの最初の著書「野の医者は笑う」から一貫している。「心の治療というのは、説明モデルを通じて、人間をある種の生き方へと象っていく営みである」というのがそれだ。これはあやしげなヒーラーから精神分析の大家に至るまで共通している、という指摘には目から鱗が落ちた。学派的心理療法であれ世間話での知人へのアドバイスであれ、それぞれ暗黙の前提となっている「望ましい姿」というものがあり、それぞれの価値観がある。そこを見定めることは、難しいがとても重要なのだと思った。精神医療やカウンセリングなどについてモヤモヤとしていたことがかなりスッキリした。
また、文化依存症候群について述べられたくだりにも、なるほどと思う点があった。痩せを追求する「摂食障害」は欧米文化を文脈とした文化依存症候群だとあって、言われてみれば確かにそうだ。さらに、空気を読むことを重視する日本で「アスペルガー症候群」が多く診断されるとあるのには考えさせられた。そういう視点はあまりなかったので。
「文化的な規範があるときに、それがもたらす副反応も存在する。すべての文化がそれぞれに固有の文化症候群を抱えざるを得ないのである。」
心理療法と言うと、「治療者と患者が個室で向かい合っている」図を思い浮かべてしまうが、著者は、そこを取り巻く社会環境に目を向けなければならないと説く。
「臨床現場は制度が求めることを果たさねばならない。人間を社会が望むように象ることが求められる。現場知には社会的規範が埋め込まれているのである。制度はもちろん、公共的な議論と手続きの上で成立したものであるから、社会に必要なものを提供することを狙っている。実際、そのことで助かる人もたくさんいる。だけど、同時にそこには暴力性が含まれていることも忘れてはならない」
これは、こと医療や福祉の臨床現場に限らず、教育の場でも同様のことが言えるだろう。学校は生きていく力を育むものだけれど、そのことに傷つけられることもあるのだ。それに自覚的であるのが、厳しいけれど大事なことなのだと思う。