あらすじ
「聞く」は声が耳に入ってくることで、「聴く」は声に耳を傾けること――。「聴く」のほうがむずかしそうに見えて、実は「聞く」ほうがむずかしい。「聞く」の不全が社会を覆ういまこそ「聞く」を再起動しなければならない。そのためには、それを支える「聞いてもらう」との循環が必要だ。小手先の技術から本質まで、読んだそばからコミュニケーションが変わる、革新的な一冊。
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Posted by ブクログ
この本を読んで「聞いてもらう」機会を増やそうと思い、今日は「聞いてもらえる場所」を増やすために行動しました。「聞いてもらう」とは「頼る」こと。それは私の苦手分野だけど、サポートネットワークを拡げることで私自身どう変化するのか、試してみます。
Posted by ブクログ
人の話が聞けない状態なのは自分も聞いてもらえていないから・・・とてもすとんと来る。自分が思いを人に聞いてもらえていて初めて、誰かの話を聞けたり支えたりできるのだ。昔は周囲との距離が今より近くて、お互いの愚痴やため息を聞くことができた。今は人付き合いのわずらわしさが先に来て、自分の弱さを人に見せることができなくなっている。
いいなあと思ったのは、「聞く」から始めても「聞いてもらう」から始めても、どちらでもいいという点。結局自分の周りが聞いたり聞いてもらったりという人間関係で守られている状態、それができるのが望ましいわけだから、どちらから始めても結局同じですよという考え方。とてもいいと思う。
Posted by ブクログ
とっても良かった!小手先の技術も本質の技術も、どちらも当たり前のことを言っているだけだけど、やっぱりお話しする、聞いてもらう、聞くことは心を軽くするために大事。当たり前の感想だけど笑 聞くことを意識する時の話とか、まさに心当たることも多くとても参考になりました。心理学部だったこともあり「聴けていない」を気にすることも多かったけど、ちゃんと「聞く」から始めたいですな。
Posted by ブクログ
とても優しい本で心が温かくなりました。
人の話を聞くためには、自分も人から話を聞いてもらう必要がある。
人を孤立から救うためには、カウンセラーといった専門家のちからより、日常のなかで人々が近しい話を聞き、聞いてもらうという連鎖が生まれる環境の方がよっぽど大切。
「やさしくされることでしか、人は変われないし、回復できません」というのは真理だと思う。
まずは周りの人の話を聞くことから始めようと想いました。
Posted by ブクログ
孤立とはどういう状態か
孤立しているときには、僕らは「ひとりぼっちだ」とか「寂しい」とは思えません。
みんなから馬鹿にされているとか、自分なんてダメ人間だとか、死んだほうがいい
とか、心の中には自分を責める声が吹き荒れています。
そこには想像上の悪しき他者がいます。
カウンセリングをやっているとよくわかるのですが、「寂しいです」とクライエン
トが言いはじめたときって、そういう悪い他者たちがふと消えて、静かになったとき
なんですね。
心の中を飛び交ううるさい声が消えて、ポツンと一人でいる自分に気が付く。する
と、「ああ、私は寂しかったんだ」と思える。
これが孤独です。
ですから、「寂しい」と語られるようになるとき、孤立は孤独に変わっています。
治療は前進し、心は前に進んでいます。
繰り返します。
心の世界に悪い他者がゥョゥヨしているか、一人でポツンとしているか、それが孤
立と孤独の差異です。
したがって、前章で述べた「孤独」にはこの二つの意味が混ざっていたと言えます。
整理すると次のようになる。
孤立しているときには話は聞けないけど、孤独になれるならば話を聞くちからが戻ってくる。
僕らはバラバラになった社会で生きていて、お互いのことがわからなくなっている。
その裂け目を埋めるために、使われているのが専門知なのでしょう。
自分の世間知では理解できないものを、専門知が名前を付けて、知識を与えてくれ
ます。たとえば、病気の名前をつけてくれて、どう配慮すればいいのかを教えてくれ
るわけです。
世間のちから
ここで補助線を引くために、医療人類学の泰斗クラインマンのヘルス・ケア・システム理論を紹介しましょう。
クラインマンは、それぞれの地域には、人々の健康をケアするためのシステムがあると言い、それを専門職セクター/民俗セクター/民間セクターpopular sectorの3つに分けました。それらが補い合いながら、僕らの心身の健康を保ってくれているわけです。
説明していきましょう。
まず、専門職セクターとは、医者とか看護師とか、あるいは心理士もここに入りますが、ようはその社会で公認された専門家のことです。
現代社会だと科学に基づく治療を行う専門家になりますが、昔の日本だと漢方とか
が専門職セクターに入っていましたし、古代インドだとアーユルヴェーダが公式の治
療になったりします。
これに対して、民俗セクターは、非公認の専門家たちです。
現代日本だと、アロマセラピストとか占い師とか拝み屋さんとかは民俗セクターで
すね。専門職セクターと民俗セクターの境界線は
時代とか社会によって揺れ動きます。
僕は以前に『野の医者は笑う』という本を書い
ていて、沖縄のシャーマンとかスピリチュアル・
セラピストと心理士の比較を行いました。
民俗セクターと専門職セクターの治療者はどこ
が同じで、どこが違うのかという問題を考えてみたわけです。
専門家は普通の人が互いにケアすることを助けるために存在しています。
ただし、専門知にも弱点があります。
「うつだから」とか「発達障害だから」という言葉を使うことで、「これは専門家に
任せておけばいいや」となってしまうのでは本末転倒です。それは余計に困っている
人を孤立させてしまいます。
ですから、専門知は世間知に溶けやすいものである必要がある。
カウンセラーの仕事は通訳
カウンセリングというと、カウンセラーが特別な聞き方をして、心を癒しているみたいなイメージがあるかもしれませんが、そうではないんです。
ほとんどの場合、クライエントの心に回復をもたらしているのは、身近な人たちです。本人のわかりにくくなってしまった言葉が、まわりに理解され、心配してもらえ
るようになり、話をきちんと聞いてもらえるようになると、心はだんだんと安心感を
取り戻し、つながりが再生していきます。
カウンセラーの仕事は通訳です。
本人の言葉を翻訳して家族に伝える。あるいは、本人の異常事態になってしまった
心がしゃべっている言葉を翻訳して、本人の通常運転しているほうの心に伝える。
彼自身に彼のことを伝えるということです。そうすると、彼自身が自分について周
囲に伝えられるようになる。
聞く技術本質編
「なにかあった?」と尋ねてみよう。
どうしてもそう言えないときには、聞いてもらうから、はじめよう。
聞いてもらう技術 本質編
「ちょっと聞いて」と言ってみよう。
今はそう言えないときには、聞くところから、はじめよう。
Posted by ブクログ
コロナウイルスが世界を震撼させたとき、菅首相の言葉は、メルケル首相の言葉のようには自国民に響かなかった。なぜか?
菅首相の言葉は「聞いて」もらえなかった。国民に不自由を強いる緊急事態を詫びたメルケル首相の言葉は「聞いて」もらえた。著者は言う。「話を聞いてもらうためには先に聞かなくてはならない。」聞くことが聞いてもらうためには重要で、聞いてもらうためにも聞くことが重要だ。どちらから始めてもいい。両者はグルグルと巡り続ける。あまりにも自由で孤立しやすい現代社会に蔓延する病魔はコロナウイルスだけではない。「聞けない」「聞いてもらえない」という悪循環が目下、流行中だ。そこから抜け出して「聞く」「聞いてもらう」の循環へ。
本書の目的は、この転換の第一歩の踏み出し方を読者に伝えることだろう。
話を聞くことも、聞いてもらうことも、私たちは呼吸をするが如く日常的に行なっている。ときとして、しかしそれが難しくなる。相手が理解不可能のエイリアンに見えてきて、自分は敵に囲まれた孤立状態に陥ってしまう。エイリアンの話は聞いても理解できないし、敵に話を聞いてもらうなど愚かだ。そんな場合に心理士の専門知は役立つ。しかし、それと同じくらい、あるいはそれ以上に家族や友人、なんでもない身近な人が意味を持つ。彼らは第三者となって停滞した循環に潤滑油を指してくれる。そうして2人を対話のテーブルに向かい合わせる。仕上げは「時間」と言う名の魔法の粉だ。両者は時間をふんだんにかけて、十分な理解(あるいは愛)を手に入れるのだ。
だから急いではいけない。聞く時間、聞いてもらう時間はファミレスでの数時間では不十分だ。帰り際には一言、「また会おう」が必要なのだ。
ーなにかあった?
ーちょっと聞いてよ
ーなになに?
ーマジでさあ・・・
始めは聞く側でもいい、聞いてもらう側でもいい。
循環はそこから始まり、回りだす。
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・病人役割
・worldly wisdom/wisdom of world
・フロイト:「中立性」「転移」
・「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
・つながりは受動的なもの。気付いたときには自分の周りを取り巻いている
・専門知が世間知の限界を補い、世間知が専門地の暴走を制御する
・専門知は変数である
・専門知は世間知に溶けやすいものでなければならない
・理解と愛情は≒
・道徳は心と体が元気なときにやればいい。疲弊している人には「頑張れ」ではなく「お大事に」が必要。
・専門知を得ると人はバカになりがち。何でもかんでも専門知で強引に分類し、自分が快感を得ようとする。全部を正しく見ようとしたら頭が破裂しそうなくらい複雑なはずの世界を、専門家は無理やり切り取って簡略化する。専門家になることは、ある意味ではバカになることである、という認識は必要。
・「ふつう」という言葉は嫌われるが、大事なのはその使い方。混乱した状況を整理し、理解をもたらすような使い方においては十分有用。例:それは普通の状態を超えてるよ、と言われて自分がどれだけ苦しかったのかに気づく場合。
・他者と共有していない時間の経過は、事態を悪化させがち。
・エビデンスも論理も無駄に鋭くなれば、対話よりも対立を深め、お互いに信条を傷つけたくないだけのイデオロギー的偏向というこの世で最も忌むべき自己目的化が生まれる。
・新聞やニュース番組などで両論併記できれば、二者の対立に閉じられたイシューが第三者に開かれる。高みでも中間でもない第三者の存在が、問題を健全な俎上に推し進める。
・中立性は、自動的にマジョリティ擁護(保守)と同じになりかねない。
Posted by ブクログ
①Information (客観的な情報)
聞くの本質
→「何かあった?」と尋ねてみる
→どうしてもそう言えない時は、聞いてもらうから始める
聞いてもらうの本質
→「ちょっと聞いて」と言ってみる
→今はそう言えない時、聞くことから始める
聞く、聞いてもらうは循環している
聴くよりも、聞く方が難しい
→心の奥底に触れるよりも、懸命に訴えますのありがとうられていることをそのまま受け取る方が難しい
何故人の話を聞けないのか?
→まず自分の話を聞いてもらえてないから
→相手との関係がギクシャクしているから
心にとって真の痛みは、世界に誰も自分のことを分かってくれる人がいないこと
→聞くことが、物理的な痛みをやり過ごすことにも役立つ
孤立している時は話は聞けないが、孤独になれるならば話を聞く力が戻ってくる
→孤独の前提は、安定した現実
→心の内側に、静かな個室があるイメージ
→お金や良い繋がりが孤立に効果的である
→時間を信じ、こまめに会い続けることがメンタルヘルスケアの最終奥義になる
みんなが心配している、本人もしばしその心配に頼ることができる、これが心の回復の核心
→みんな聞こうとしている、本人も聞いてもらうことを恐れなくなっている
→聞いてもらう人は、誰でも良い
怖い人、怒りぽい人ほど、実は怯えている
聞くための技術
→相手に時間と場所を決めともらう
→眉毛にしゃべらせる
→正直に接する
→沈黙を奨励する
→大事なことはためて話す
→7色の相槌
→奥義 おうむ返し
→気持ちと事実をセットに
→何も浮かばない時は質問する
→一度限り解決しない、何度でも会う
聞いてもらうための技術
(普段からまわりを耕す)
→隣の席に座る
→トイレは一緒に
→一緒に帰る
→zoomで最後まで残る
→焚き火を囲む
→単純作業を一緒にする
→悪口を言ってみる
(緊急時にSOSを出す)
→早めに周りに伝える
→訳ありげな顔をする
→トイレに頻繁にいく
→遅刻して、締切を破る
②Insight(〜かもしれない、〜なはずだ)
自分が聞いてもらってないばかりに、上手く聞けていない節があるのかもしれない
聞いてもらうことそのものにヒーリング効果があると聞き感激した、自分も沢山聞いてもらいたいと思った
→そのためにも自分から聞くこと
→そして聞いてもらうこと
③Intelligence (学びや改善点、ネクストアクション)
自分で我慢できると思ったことでも、聞いてもらうようにする
→相手にとっても喜ばしいことなのでは?
Posted by ブクログ
聞くためには聞いてもらうことが、聞いてもらうためには聞くことが大切。
関係が気難しくなったときこそ相手の意見を聞き、そして自分の考えを聞いてもらおうと思う。
聞いてもらう環境作り、これから意識する。
Posted by ブクログ
「弱い声、小さな声こそを聞いていきたい。」
僕は職業占い師として、日々たくさんの相談者さんたちから、さまざまなお話を聞かせていただいています。
そして、その現場で実感しているのは、悩みが深く、強く、大きな人ほど、呼吸は浅く、声は弱く、小さくなっている方が多いということです。
リソースが有限な世界で、僕たちはそのリソースを奪い合いながら生きています。
意識していなくとも、悪意でなく善意であっても、それが誰かのためであっても、自分が何かを得れば、誰かが何かを失っている。
実際の相談現場でも、誰かが救われるとき、誰かの痛みが見えなくなることもある。
そんな世界で生きている以上、悩みを人類から根絶することは不可能だし、みんながみんな満たされ、穏やかに生きていくことも不可能だと思います。
そんな中、強い声、大きな声を持っている人は、悩みが襲ってきたときにも、人に聞いてもらったり、相手の方から聞かれたりしやすいかもしれません。
だからこそ、もともと声が弱く小さな人、または悩みの中でそうなってしまった人の“声”こそを、僕は聞いていきたいと思っています。
どんなに、どんなに小さな声でも、聞く人がちゃんと聞こうとしさえすれば、それでも声は届くと信じています。
この本は、その気持ちを再度強く思い起こさせてくれました。
最後に、読んでいて少しウルッときた一文。
「日本中の支援職がまた会おうと約束しつづけている」
僕もその輪を広げるために、まずは自分のまわりのつながりを再確認し、話を聞いてもらいながら、また聞いていきます。
Posted by ブクログ
誰も彼もが余裕がないので(わたしも)、この本に書いてあることを実践するのはとても難しい。でも、少しでもできそうだったらやってみたいとちょっと前を向かせてくれる優しさもある。
また世間知は身近な世界の人同士で共有されるというのもそりゃそうだと思う。年を取るにつれ、環境が変わるにつれ、周りの人も変わっていく、そのことをよく理解する必要がある。
また、最後の「誰に聞いてもらうか?」は大事だと思った。「誰でもいい」と、思えることが。この人にこそ話したい、わかってほしいという気持ちが閉塞感を生んでしまうこともあると思ったため。
Posted by ブクログ
私たちが人の話を聞けなくなってしまうのは、その人自身が孤立してしまっている時。
部下の文句を受け止めるには、上司自身が他に善きつながりを持っている必要があるし、お母さんが子どもの話を聞こうと思ったら、お母さんの話を誰かが聞いていないといけない。
話を聞いてもらうには、「聞いてもらう技術」がいる。だけど、たいした技術じゃなくて、小手先の技術である。話を聞いて欲しい人と隣の席に座ってみたり、一緒に帰ったり。あとは会議後のzoomで最後まで残ってみたり。焚き火を一緒に見るとか、歯磨きに一緒に行くとか。不安や愚痴を話しやすくなる場を共有してもらうという感じ。
だけど緊急事態であれば、ワケありげな顔をしてみたり、黒いマスクをしてみたり。遅刻したり、締切を破ってみたり。「どうしたの?」どう声をかけてもらうことが重要。とりあえずS O Sが伝わればOK。だが、声をかけてもらうのを待っているだけだと、ちょっとめんどくさい人に見えそうなので、「話を聞いてください」と言えるなら言ってしまうことが大切。言われた方も嬉しいはず。
実体験でもみんな感じているのではないかな。自分がちゃんと聞いてもらえている時にのみ、わたしたちは人の話を聞くことができる。聞いてもらわずに聞くことはできない。
Posted by ブクログ
聴いてもらえる人が身近にいることがどれだけ安らぎを与えるのかを最近気付いた。弱いと思われるかもしれないが弱音やぐちを聞いてもらうだけで毎日の息苦しさから救われているかがよくわかる。
今の世の中、余裕がないことが多いが聞くも聞いてもらうも人の関わりには欠かせないことだと思う。
Posted by ブクログ
東畑さんの説明は難しい専門用語を使いすぎずとても分かりやすい所が好き。
また、柔らかい文体と少しのユーモアが混じるあたりもすいすい読めるので、新書なのにエッセイのような読後感!
Posted by ブクログ
聞くためには聞かれる必要があり、聞かれるためには聞く必要がある。聞くの循環が凄く面白かったし、納得した。聞くこと・聞かれることの凄さを再確認し、聞く・聞かれるを大切にしていきたい。
Posted by ブクログ
聞く技術に関する本はたくさんある。またうまくプレゼンする技術に関する本はたくさんある。
この本の特別なところは、その両者でもないところ。「聞いてもらう技術」というのが面白い。
本書で結構強調して述べられている(「聴く」よりも「聞く」のほうが実は難しい)というのはある意味発見である。本に書いてあるように、私も聞くのは簡単で、聴くの方が難しく効果的なものだと思っていた。
けれど日々の生活の実感として、圧倒的に必要な場面が多いのは「聞く」であるし、また難しいものであるという認識がないのが始末に悪い。
家庭、職場での日々を振り返っても、実は難しい「聞く」の技術は伸ばすことができていないせいで日々のコミュニケーションに問題が起きている気がする。
「ちゃんと聞いてくれない」というフラストレーションが原因となって関係性が悪化しているケースがとても多いのではないか。
Posted by ブクログ
小手先のオウム返しなどの技術を紹介しつつ、社会における「聞く・聞いてもらう」重要性と危機感について書かれた1冊。仕事で傾聴、アセスメントスキルが必要になったので、時間をおいてからまた読み返したい。
Posted by ブクログ
聞く技術と聞いてもらう技術はセットである。第三者として自分が誰かの話を聞いてみる、それが、聞くがグルグル循環する最初の一歩となる。聞く人に心の余裕がないと聞くことができない。そのために聞く人は誰かに聞いてもらう。そういう風にして循環していくのだ。
Posted by ブクログ
「聞く」とは何か。私たちは日常から聞くことをしています。それが難しくなった現代。心に余裕がなければ聞くことも正しくできません。世間知の我々は大きな役割を実は担っています。
普段から気をつけていることもありますが、たまに読み返して心に留めておきたい言葉がたくさんあります。
Posted by ブクログ
自分の感じていたことが文章化されているような気持ちになった。納得する部分も多く、また「小手先のテクニック」から深い話まで、どう振る舞うべきかの指針が書いてあるので役立ちそう。
ただ、「聞いてもらう技術」の小手先テクニックは、一時期自分がとても苦しい時期に無意識に実践していたことばかりだけど、誰からも声掛けされなかった覚えがあるので、苦々しい気持ちになってしまった。
Posted by ブクログ
今、職場でうまく言語化できてないモヤモヤが解消された気がした。
私は聞いてもらっていないし、聞いていない。
上司からはいつも聞けていない。だから、聞いてもらうにも何を聞いてもらったら良いか分からない。分からないなりに、いったん聞いてもらうことに注力してみるけど、その後聞くことを疎かにしているからうまくいってないんだろうな。
なるほどなって思うと同時にやっぱり面倒くさいし難しいなー!て思った。笑
Posted by ブクログ
「聞く」ことの重要性とともに「聞いてもらう」ことの大切さにも気づかされました。
「聞く」と「聞いてもらう」が循環し、人と人とのつながりができることが肝要なのではないかと思います。
友人的な第三者が、心配してくれ、わかってくれる。それだけで心満たされ、その体験によって誰かを気づかい、声をかけ、話を聞くことができる。ゲートキーパーなどの役割を声高に説かなくても、そんな小さな積み重ねによって、世の中が少し変化するような気がしました。
Posted by ブクログ
生きていくためには、聞いてもらい、聞くことが必要
具体的で小手先感のある技術の話から、生きていくのに必要なつながりの話になる
心理士の著者の具体的な話には説得力がある
誰かに聞いてもらおうと、勇気をもらえる
時々、読み返したくなるかもしれない
Posted by ブクログ
社会に出たばかりの新入社員たちが、次々と心を病んで、「○○病」と診断されて休んでしまう。もちろん企業も悪いわけだが、別面で、「医者に行く前に人生の先輩たちに相談しようよ」というケースもある。だって、社会に出ることはとてつもなく大変な体験なんだから。それは病気じゃなくて、社会的な事実なんだよ、と。
こういうケースに適切なアドバイスを受けられる環境がずいぶんと減って、いきなり医者=専門家になっている。その手前の大きなグレーゾーン=世間知が空洞化してしまった。困るのは若者や弱き人たちだ。現代に必要なのは、「つながり」だ。
とてもまっとうで、真摯な指摘だ。逆にいえば、ここまで現代社会は孤立化、空洞化してしまったということだ。東畑さんは、きわめて現代的な問題意識を持ち、そしてかなり実践的。希有な知識人だと思う。
Posted by ブクログ
聴くと聞く、孤立と孤独‥一見同じような意味に見えるが、問われると違いが正確に答えられない。説明されて読んでみてなるほど!と思うが、中々実践してみようと思っても難しいと思った。
自分の中の悪しき者が増殖してそれらに支配されない様に、心の中の空きスペースに小さな希望とつながりが持てるようにしておきたいと思える本でした。
Posted by ブクログ
他者に聞いてもらうことで責任を預かってもらい、心を再起動させるという考え方がしっくりきた
聞いてもらわないと聞けない。それを続けていくことでつながりの循環を生む
Posted by ブクログ
⚫︎聞く気持ち
新聞にて。東畑先生の本で、なんとなく題名が気になり。聞くとこも大事だが、聞いてもらうことから始めること。聴くよりも聞くが難しい。話をしっかり聴くことが難しいと思うがまずは聞くということが難しいのだ。
人の話は事実と気持ちがセットのときに伝わってくる、安心は予想外のことが起きない環境、広間で話すか密室かはその時々で選択、治すのは専門家ではなくて身近な人、専門知から世間知に戻るのが本当の専門家、気持ちを人に話せなくなり、かかえこむと病気になる、など、話を聞く、聞いてもらうを通じて、人の心、認識に踏み込んでいる。
Posted by ブクログ
聞くと聴くは違う。
孤立と孤独は違う。
話を聞いて欲しいときは、まず自分も話を聞くところから。
対話の技術というよりは、対人関係における自分の心と態度の在り方を見直すための本。
文章が平易なので講演を聞いているような感覚で読める。
それが気楽でもあり、少々冗長な感もあり。
話を聞いてもらってなんとなく解決したような気になったけど、よく考えたらあんまり答えは出てなかった。でも気は楽になったから良いや、みたいな感じ。
壁にぶつかったときに気持ちや考え方を切り替えるきっかけを求めて読むには良いと思う。
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれ買った本。東畑先生の「雨の日の心理学」を読んで、あ!これも先生の著書だったのか、と気づいた。
聞いてもらう技術は、なるほどと思うものもなり当日インパクトを感じたが、結構いろいろ忘れてる。やっぱりこの手の教えを請う本は、読めば読むほど先に読んだ他の本の印象が薄れていく。強い印象はないけど読みやすくかった。
Posted by ブクログ
聞く技術の本質編
何かあったと尋ねてみよう
どうしても言えない時は、聞いてもらうから始める。
聞いてもらう技術本質編
ちょっと聞いてと言ってみよう
今はそう言えない時は聞くところから始める。