深町眞理子のレビュー一覧
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クリスティの旅行記(というより生活の記録)を深町眞理子訳で読む!なんという贅沢な読書体験!これを知らなかった自分を悔やみ、旅行記コーナーに置いててくれた東京堂さんに感謝。
年下の考古学者の夫と数年にわたり発掘に赴いた、1930年代のシリア。民族ごとに個性豊かな現地の民たち、息を呑む美しい風景。宗教と伝統、文化の違いに、ときにあきれ、困り果てながら、イギリス人らしいユーモアをもってすべて記録していくクリスティの透徹した観察眼。また、夫との仲睦まじさにも心が潤う。
いやほんと面白いですよ、世界のアガサ・クリスティが、「奥方さまは本を読めなさるのか! えっ、字も書ける! こりゃあ旦那さまも鼻が高い」みたいに言われちゃうんですよ! というわけでこのままアガサ・クリスティの自伝に行く! -
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ネタバレアンネの日記は途中までしか読んでいなかったが、この本で日記が終わるまでに起こったことをよりわかりやすく知ることができた。
グラフィックがあると、どんな生活を送っていてどういうことに想いを馳せていたかが、とてもイメージしやすく、出来事がうまくまとめられていた。
それにしても、アンネ・フランクの信念や考えは、自分の心に刺さってくる。すばらしい自己考察だ。そして日記を書き始めてから、書き終わるまでの間のアンネフランク自身の成長や変化もすごい。
鋭い洞察力と考察力と信念、勇気をもったアンネ・フランクは、強制収容所でいったいどんなことを思っていて、死を迎えたのかが気になってしかたないが、いまではもうわかることはない。
人間の奥深さを感じた。
以下は自分が印象的だったアンネの言葉
・だれかがふさいだ気分でいるとき、わたしの助言はこうです。「外へ出るのよ。野原へ出て、自然と、日光のめぐみとを楽しむのよ。じぶんじしんのなかにあるこうふくを、もういちどつかまえるようにつとめるのよ。あなたのなかと、あなたのしゅういとにまだのこっている、あらゆるうつくしいもののことをかんがえるのよ。そうすればしあわせになれるわ。」
・どんな不幸の中にも、常に美しいものが残っているということを発見しました。それを探す気になりさえすれば、それだけ多くの美しいもの、多くの幸福が見つかり、人は心の調和を取り戻せるでしょう。そして、幸福な人は誰でも、他の人をまで幸福にしてくれます。それだけの勇気と信念とを持つ人は、決して不幸に押しつぶされたりはしないのです。
・自然に対する、健康やその他の多くのものに対する喜びを感じている限り、そのようなものをずっと手放さずにいる限り、人はいつでも幸せを掴むことができるのです。どんな富も失われることがあります。けれども、心の幸福は、いっとき覆い隠されることはあっても、いつかはきっと蘇ってくるはずです。生きている限りは、きっと。孤独なとき、不幸なとき、悲しいとき、そんなときには、どうかお天気のいい日を選んで、屋根裏部屋から外を眺める努力をしてみてください。まちなみだの、いえいえのやねをみるのではなく、そのむこうのてんをなだめるのです。おそれることなく、てんをあおぐことができるかぎりは、じぶんのこころがきよらかであり、いつかはまたこうふくをみいだせるということがしんじられるでしょう。 -
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ビブリア古書堂で「たんぽぽ娘」を知り、井上一夫訳の「たんぽぽ娘」を読み、この本を手に取った。
「特別急行がおくれた日」
「河を下る旅」
「エミリーと不滅の詩人たち」
「神風」
「たんぽぽ娘」
「荒寥の地より」
「主従問題」
「第一次火星ミッション」
「失われし時のかたみ」
「最後の地球人、愛を求めて彷徨す」
「11世紀エネルギー補給ステーションのロマンス」
「スターファインダー」
「ジャンヌの弓」
以上13の短編が収められている。
目的はやはり「たんぽぽ娘」にあった。
本書の訳者は以前読んだものと違い、伊藤典夫氏である。
翻訳者が違うと、やはりどこか質感が変わるもので、私は伊藤訳の方が好きだ。
細かい表現がわかりやすいし、ロマンチックな場面はより素敵だと思う。
「おとといは兎を見たわ、きのうは鹿、今日はあなた」という表現も伊藤訳だ。
ストーリーはすでに知っていたのではあるが、何度読んでもいいものだと思う。
他の作品はどうだったかというと、「たんぽぽ娘」に負けない作品ばかりだった。
嘘偽りなく、本当にどの作品もよかった。
その中であえて挙げるならばと思っても、「河を下る旅」、「神風」、「主従問題」、「ジャンヌの弓」と絞りきれない状態だ。
世界観と情景描写はとにかくわたしをわくわくさせるし、物語からは切なさと安らぎの両方を感じられる。
それでいて、二番煎じにはならない。
これだけの物語をこんな文章で書けるのなら、さぞ執筆活動は楽しかったことと思う。
死の前日まで次回作の準備をしていたというのも、それが理由の一つではないだろうか。
とにかく他の作品を読みたい。
しかし、4つの長編と200の短編のうち、日本で翻訳された作品はそう多くはない。
あとがきによると、伊藤氏は次のヤングの短編集を計画しているようだが、彼もすでにご高齢である。
…私は英語ができない。
もし英語を読むことができれば、いくつかの作品は手に入る。
「たんぽぽ娘」の原文を味わうこともできる。
さて、どうするか。 -
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恥ずかしながら『アンネの日記』を読んでいない。
小学校低学年の時に簡略版を読み、その後絵本や、様々な著者によるアンネの本(ホロコーストの本も)は読んだので、一応知っているつもりになって、もともとの『アンネの日記』を読みたいという気持ちがなくなってしまったというのもあるし、結構厚いので、いくら歴史的な本とはいえ、少女の独白だけの本が正直言って面白いのか?と疑問も湧き、読まなかったのである。
そしてまた、別の著者による『アンネの日記』に手を出してしまった。
グラフィック版とあり、ぱっと見るとマンガ化かと思うが、ちょっと前読んだ『サブリナ』みたいに、かなりきちんと作り上げられており、安易なマンガ化では決してない。よく学習マンガで偉人の伝記なんかがあるが、そういうものとは全く違う。アンネの文章そのままの部分も多く、見開きでびっしりと原文のまま載せられているページもある。小さい字で横書きなのでかなり読みにくい。しかし、丁寧に読んでいくと、この文章は削ったり、絵で表したりすることはできない部分なんだな、『アンネの日記』の肝の部分だな、というのが分かる。つまり、読みやすさより、『アンネの日記』を正確に伝えることを重視しているのである。そこが大変良い。読みやすさを重視した本は山のように出ているのだから。
さらに、文字を読むだけではイメージしづらい、当時の状況や隠れ家の様子が、絵のおかげでよくわかる。(クリスマスツリーとハヌキヤが並んで置いてあるフランク家の様子も描かれており、彼らがガチガチのユダヤ教徒ではなく、キリスト教も適度に取り入れて暮らしていたことがわかる。)登場人物の顔が、残っている写真そっくりな上に生き生きとした表情があるので、より人間的に感じられる。
これを読んでから原典版を読むといいと思う。これを読めたら、とも言える。
アンネの日記が後世に残ったのは、彼女の不幸がきっかけではあったが、単に可哀想な少女の日記なら、これ程までに読まれることはなかっただろう。彼女には確かな才能と類まれな感受性があったから、思春期の、特に少女を中心とした若者の心を捉えたのだ、と改めて実感した。
これだけの才能のあった若者が(才能がなくても。というか、何が才能かは長く生きてみないとわからないことも多い。)、命を奪われる残酷は、本来あってはならないことだが、人間の歴史では、アンネ以降もたくさんの未来ある若者が戦争や紛争で命を奪われている。その理不尽さを今一度考えて欲しい。
これだけの苦難の生活の中でも「どんな不幸の中にも、つねに美しいものが残っている」(P109)「どんな危険なときにもその中に滑稽な一面を見つけ、それを笑わずにいられない」(P131)という強さ。
「なぜ人間は、ますます大きな飛行機、ますます強力な爆弾をつくりだしておきながら、一方では、復興のためのプレハブ住宅を作ろうとしたりするのでしょう?どうして、毎日何百万という戦費を費やしながら、医療施設のために使うお金がぜんぜんない、などということが起こりうるのでしょう?どうして、飢え死にしそうな人たちがいるのに、世界のどこかでは、食べ物がありあまって、くさらせているところさえあるのでしょう?」(P130)「このところ、ひとつの疑問が一度ならず頭をもたげてき、けっして心に安らぎを与えてくれません。どうしてこれほど多くの民族が過去において、そしてしばしば現在もなお、女性を男性よりも劣ったものとして扱ってきたのかということです。こういうおおいなる不法のまかりとおってきた、その根拠を知りたいんです。」世の中を見据える目。
「(お父さんは)いつも私に語りかけるとき、むずかしい過渡期にある子供として語りかけた」「彼(ペーター)が私を征服したんじゃなく、私が彼を征服してしまったんだ」(P142)「私はせめて彼をそういう視野の狭さから引っぱりだしたい、彼の若さという限界をひろげさせたいと願った」(P143)この洞察力。
もうひとつ、大人になって感じることは、この困難な状況で、アンネの両親が精一杯のことをしたことに対する敬意である。衣食住さえままならない中、子ども達の安全を第一にしながらも、より良い人間となるよう、本を読ませ、語り合い、抱きしめた。母親は隠れ家生活中はアンネに嫌われたけれど、これは思春期特有の身近な同性を嫌悪する心があったと思う。母エディートは、父オットーより、心配を表に出しすぎてうっとうしがられた感じがあるが、この極限生活の中で、この程度で居られたことは凄いと思う。私なら子どもを虐待してたかも。
それから、姉マルゴーのこと。アンネはいつも姉と比較され、姉の方が褒められることに腹を立てているが、マルゴーだっていろいろ思うことはあっただろう。ペーターのことだって、彼は私にはものたりないみたいなことを言っていたが、本心かは分からない。感情を素直に表現し、なんと思われようが言いたいことを言う妹を羨む気持ちが絶対あったはず。爆撃に怯えて父の布団にもぐり込む妹を横目で見ながら、一人で震える夜もあっただろう。マルゴー、あなたにも生きていて欲しかった。あなたにも語るべき物語があっただろう。 -
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ネタバレロバート・F・ヤングが送るSF短編集。全体的にハッピーエンドが多くロマンチックな作品が多い。
「特別急行が遅れた日」
SFでよくある「小さな世界」の短篇。そのネタ自体はオチまで読まずとも察しのつく読者は多いだろう。日常的な日々の中のちょっとした変化と、被造物がこの階層からなる小さな世界とその創造主を意識した所で短篇は終わる。変化はまさに神のいたずらであり、いつもと変わりない日々が固定されているのはゾットするのを通り越して諦観にも似た気持ちを抱いてしまう。
「河を下る旅」
表題作を除けば個人的にはこれが一番面白かった。謎の河下り。薄々その理由に気がついているがそこから目を背けている男女。とどのつまりは三途の川であり、河の上での会話、土手にある宿で泊まっての身の上話などが走馬灯として繋がっていく。途中の自殺の途中であることが分かってからの文字通り急流のようなストーリー展開が見どころである。最後は自殺をきっかけとして二人は運命の出会いを果たすわけだが、ホッとすると同時に非常に美しい終わりであった。最も短篇らしい短篇であり、完成度は高い。
「エミリーと不滅の詩人たち」
詩を読むアンドロイドとそれに魅せられた補助学芸員の話。詩を読むアンドロイドという設定が素晴らしく、そうした芸術は必要とされず、より分かりやすいものほうが喜ばれるという苦悩はとても生々しく嫌というほど理解できる。詩人のアンドロイドを救う方法が、展示物の車に乗車させるという解決策はとてもミラクルで、まさに博物館で働く人間らしい企画とアイデアの勝利であろう。余談だが、「詩の世界の空が落ちてきた」や「エミリーも詩人たちと同じ船に乗っている」などの訳文が雰囲気とあっていてとてもいい。染み渡る一本である。
「たんぽぽ娘」
流石の表題作というだけあって素晴らしいSF短篇である。突然丘の上に現れたタイムトラベラーだと名乗る若い女。そんな彼女に恋をしてしまい、逢瀬を重ねる主人公。彼の知らない不安を目に浮かべる妻。三者三様の思惑が絡み合った恋の物語で、丘の上に現れた若い女の正体が、彼の妻の若い頃だというオチが素晴らしく、まさしく時を超えたラブストーリーである。昔に会っていたからこそ、その日その瞬間に恋に落ちることを妻は知っており、その恋が本物であることを証明するために若い時の主人公と会って結婚する……しかし主人公がその日に恋に落ちることは、すでに決定された未来であり、そこから先のことは分からない。妻の長年の不安の正体が明らかになると同時に、主人公の恋も成就するというアクロバティックなアイディアであり、これはもう思いついたもの勝ちだろう。
「第一次火星ミッション」
子どもの頃のバローズ的世界観の空想的な火星の旅。大人になって宇宙飛行士になり、本物の火星に行くと、そこで子どもの頃になくしたナイフが落ちてあり、それをそっと埋め直す。子どもの想像力は無限であり、ひよっとしたら現実も捻じ曲げてしまう力があるのかもしれない。
だいたい印象に残ったのはこの三篇で、全体的に読みやすい短編集だった。えげつない結末やソリッドな作品はほぼ皆無だが、センチメンタルなアイディアが冴え渡っており、有名作品と言うだけあって一読の価値のある作品集である。