あらすじ
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世界で一番有名な日記、「アンネの日記」の「グラフィック版」です。
コミック感覚で大変読みやすく仕上がっています。
隠れ家での2年間の雑居生活、異常な環境で思春期を迎えた13歳のアンネ。
芸術家のような感受性で周囲をとらえ、それを少女とは思えない的確な自己認識で咀嚼し繊細な文章で書かれた世界的名著です。
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Posted by ブクログ
アンネの日記は何となく知っていたが、今回読みやすいグラフィック版で読んでみました。
グラフィックで見ることでより具体的なイメージを持つことができてよかった。
アンネがここまでの文才を持っていることは知らなかったし、現代の子と何も変わらないような思春期特有の悩みに激しく心が揺さぶられた。
あと少し早く戦争が終わっていれば偉大な作家になったであろうに、残念でたまらない…。
そして自分がいかに恵まれた境遇にいることか気付かされました。
Posted by ブクログ
原作を尊重しグラフィックをつけた絵本。
アンネの複雑な心情や、13歳とは思えない大人びた世の中の描写に驚いた。本当の友達を求めているけど出会えない屈折した気持ちを日記にぶつけるところや、両親との心理的溝。他人であるよそよそしさと諦め。恋人と接している時に現れる第2の自分を俯瞰して見ていること。
この日記は途中で途切れてしまう(秘密の部屋が発見されて収容所に入れられてしまうから)彼女が生きていてその先の物語が読みたかった...
日記の中でも、アンネが繰り返し尊敬していると言っていた、大好きな父親オットーが唯一生き残り、アンネの日記を世界中で出版することに尽力している。
Posted by ブクログ
『侍女の物語』と同じく、原本から入るのはむずかしそうだと思っていた作品がグラフィック版で出ていたので手に取ってみた。作家小川洋子さんがこの日記をとても高く評価?してらっしゃるのもあって読んでみた。
ナチスに苦しめられてつらい日々を送り死んでいった女の子の日記と思っていたけれど、読んでみると全く印象が違う。彼女が望んでいたとおり、あの戦争を生き延びて作家になっていたらどれだけ素晴らしい作品を世に出してくれたのだろう。そう思ってしまうほど、ありのままを打ち明けるということへの貪欲さのようなものを感じた。それはきっと物書きをする上で最も重要な才能の一つだろう。成長とともに感じる当然の痛み、苦しみ、甘美さ。そしてそれを戦争によって不当に阻害されてもまっすぐ自分を通そうとする強さ。内面を見つめながら世界を見つめた14歳の少女。
この作品がただの戦争記録として以上に評価される理由がわかった気がした。
彼女の、一人の人間としての葛藤がどれだけ魅力的か。どれだけ後世の人々の希望になるか。そして改めて、こんな聡明な少女の未来が戦争で奪われたことを忘れてはいけない。
また、アンネの心の、色とりどりの機微が、たくさんの絵柄によって補助的に説明されているのはグラフィック版ならではの良さだと思う。最後に編者が述べていた通り、全てのページにアンネを宿そうという気概が感じられる。
日記が終わる最後の記録より「彼女(本当のアンネ)が主役を演じるのは、私とふたりきりのときだけです」。
Posted by ブクログ
どんな不幸の中にも、つねに美しいものが残っているということ。それを探す気になりさえすれば、それだけ多くの美しいもの、多くの幸福が見つかり、人は心の調和を取り戻せるでしょう。それだけの勇気と信念とを持つ人は、けっして不幸におしつぶされたりはしないのです。
Posted by ブクログ
アンネ・フランク財団の後援のもと邦訳が出版されたグラフィック版。フルカラーの絵がとてもとてもすばらしい。あとがきにもあるように、原作を1/3ほどに短く縮めているようだが、絵の中のアンネの生き生きとした表情から、その夢やあこがれ、不安、焦り、いら立ちなどがくっきりと伝わってくる。
「いつ終わりになるかわからない隔離生活」というもののほんの一端をわたしたちも今味わっているけれど、隠れ住んでいることが露見したら確実に死が待っているというその恐怖たるやどんなものだっただろう。そんななかでも、ただおびえるだけでなく、自身や家族に対しての思索を深め、また戦争というものへの怒りを書きつづったアンネ。収容所が解放されるひと月前に亡くなったのか……。
Posted by ブクログ
アンネの日記は途中までしか読んでいなかったが、この本で日記が終わるまでに起こったことをよりわかりやすく知ることができた。
グラフィックがあると、どんな生活を送っていてどういうことに想いを馳せていたかが、とてもイメージしやすく、出来事がうまくまとめられていた。
それにしても、アンネ・フランクの信念や考えは、自分の心に刺さってくる。すばらしい自己考察だ。そして日記を書き始めてから、書き終わるまでの間のアンネフランク自身の成長や変化もすごい。
鋭い洞察力と考察力と信念、勇気をもったアンネ・フランクは、強制収容所でいったいどんなことを思っていて、死を迎えたのかが気になってしかたないが、いまではもうわかることはない。
人間の奥深さを感じた。
以下は自分が印象的だったアンネの言葉
・だれかがふさいだ気分でいるとき、わたしの助言はこうです。「外へ出るのよ。野原へ出て、自然と、日光のめぐみとを楽しむのよ。じぶんじしんのなかにあるこうふくを、もういちどつかまえるようにつとめるのよ。あなたのなかと、あなたのしゅういとにまだのこっている、あらゆるうつくしいもののことをかんがえるのよ。そうすればしあわせになれるわ。」
・どんな不幸の中にも、常に美しいものが残っているということを発見しました。それを探す気になりさえすれば、それだけ多くの美しいもの、多くの幸福が見つかり、人は心の調和を取り戻せるでしょう。そして、幸福な人は誰でも、他の人をまで幸福にしてくれます。それだけの勇気と信念とを持つ人は、決して不幸に押しつぶされたりはしないのです。
・自然に対する、健康やその他の多くのものに対する喜びを感じている限り、そのようなものをずっと手放さずにいる限り、人はいつでも幸せを掴むことができるのです。どんな富も失われることがあります。けれども、心の幸福は、いっとき覆い隠されることはあっても、いつかはきっと蘇ってくるはずです。生きている限りは、きっと。孤独なとき、不幸なとき、悲しいとき、そんなときには、どうかお天気のいい日を選んで、屋根裏部屋から外を眺める努力をしてみてください。まちなみだの、いえいえのやねをみるのではなく、そのむこうのてんをなだめるのです。おそれることなく、てんをあおぐことができるかぎりは、じぶんのこころがきよらかであり、いつかはまたこうふくをみいだせるということがしんじられるでしょう。
Posted by ブクログ
恥ずかしながら『アンネの日記』を読んでいない。
小学校低学年の時に簡略版を読み、その後絵本や、様々な著者によるアンネの本(ホロコーストの本も)は読んだので、一応知っているつもりになって、もともとの『アンネの日記』を読みたいという気持ちがなくなってしまったというのもあるし、結構厚いので、いくら歴史的な本とはいえ、少女の独白だけの本が正直言って面白いのか?と疑問も湧き、読まなかったのである。
そしてまた、別の著者による『アンネの日記』に手を出してしまった。
グラフィック版とあり、ぱっと見るとマンガ化かと思うが、ちょっと前読んだ『サブリナ』みたいに、かなりきちんと作り上げられており、安易なマンガ化では決してない。よく学習マンガで偉人の伝記なんかがあるが、そういうものとは全く違う。アンネの文章そのままの部分も多く、見開きでびっしりと原文のまま載せられているページもある。小さい字で横書きなのでかなり読みにくい。しかし、丁寧に読んでいくと、この文章は削ったり、絵で表したりすることはできない部分なんだな、『アンネの日記』の肝の部分だな、というのが分かる。つまり、読みやすさより、『アンネの日記』を正確に伝えることを重視しているのである。そこが大変良い。読みやすさを重視した本は山のように出ているのだから。
さらに、文字を読むだけではイメージしづらい、当時の状況や隠れ家の様子が、絵のおかげでよくわかる。(クリスマスツリーとハヌキヤが並んで置いてあるフランク家の様子も描かれており、彼らがガチガチのユダヤ教徒ではなく、キリスト教も適度に取り入れて暮らしていたことがわかる。)登場人物の顔が、残っている写真そっくりな上に生き生きとした表情があるので、より人間的に感じられる。
これを読んでから原典版を読むといいと思う。これを読めたら、とも言える。
アンネの日記が後世に残ったのは、彼女の不幸がきっかけではあったが、単に可哀想な少女の日記なら、これ程までに読まれることはなかっただろう。彼女には確かな才能と類まれな感受性があったから、思春期の、特に少女を中心とした若者の心を捉えたのだ、と改めて実感した。
これだけの才能のあった若者が(才能がなくても。というか、何が才能かは長く生きてみないとわからないことも多い。)、命を奪われる残酷は、本来あってはならないことだが、人間の歴史では、アンネ以降もたくさんの未来ある若者が戦争や紛争で命を奪われている。その理不尽さを今一度考えて欲しい。
これだけの苦難の生活の中でも「どんな不幸の中にも、つねに美しいものが残っている」(P109)「どんな危険なときにもその中に滑稽な一面を見つけ、それを笑わずにいられない」(P131)という強さ。
「なぜ人間は、ますます大きな飛行機、ますます強力な爆弾をつくりだしておきながら、一方では、復興のためのプレハブ住宅を作ろうとしたりするのでしょう?どうして、毎日何百万という戦費を費やしながら、医療施設のために使うお金がぜんぜんない、などということが起こりうるのでしょう?どうして、飢え死にしそうな人たちがいるのに、世界のどこかでは、食べ物がありあまって、くさらせているところさえあるのでしょう?」(P130)「このところ、ひとつの疑問が一度ならず頭をもたげてき、けっして心に安らぎを与えてくれません。どうしてこれほど多くの民族が過去において、そしてしばしば現在もなお、女性を男性よりも劣ったものとして扱ってきたのかということです。こういうおおいなる不法のまかりとおってきた、その根拠を知りたいんです。」世の中を見据える目。
「(お父さんは)いつも私に語りかけるとき、むずかしい過渡期にある子供として語りかけた」「彼(ペーター)が私を征服したんじゃなく、私が彼を征服してしまったんだ」(P142)「私はせめて彼をそういう視野の狭さから引っぱりだしたい、彼の若さという限界をひろげさせたいと願った」(P143)この洞察力。
もうひとつ、大人になって感じることは、この困難な状況で、アンネの両親が精一杯のことをしたことに対する敬意である。衣食住さえままならない中、子ども達の安全を第一にしながらも、より良い人間となるよう、本を読ませ、語り合い、抱きしめた。母親は隠れ家生活中はアンネに嫌われたけれど、これは思春期特有の身近な同性を嫌悪する心があったと思う。母エディートは、父オットーより、心配を表に出しすぎてうっとうしがられた感じがあるが、この極限生活の中で、この程度で居られたことは凄いと思う。私なら子どもを虐待してたかも。
それから、姉マルゴーのこと。アンネはいつも姉と比較され、姉の方が褒められることに腹を立てているが、マルゴーだっていろいろ思うことはあっただろう。ペーターのことだって、彼は私にはものたりないみたいなことを言っていたが、本心かは分からない。感情を素直に表現し、なんと思われようが言いたいことを言う妹を羨む気持ちが絶対あったはず。爆撃に怯えて父の布団にもぐり込む妹を横目で見ながら、一人で震える夜もあっただろう。マルゴー、あなたにも生きていて欲しかった。あなたにも語るべき物語があっただろう。