“チョココルネも好きだった。硫酸紙のフタがついているのをはがし、そこについたチョコクリームをお行儀わるくなめてから、本格的にたべはじめる。ちかごろは透明のフィルムでフタをしたものが多いが、硫酸紙でふさいであるのが、正調である。
わたしの場合は、うずまきのしっぽをすこしずつちぎって、それでチョコレートクリームをすくいながらたべる。
邪道である。鯛焼きのように、ちゃんと頭から食し、うずまきのしっぽのクリームのないところを、さいごに味わうのが正しいたべかたである。しかし、その作法どおりにたべていると、すぐに満腹になって、うずまきのしっぽにたどりつかない。しっぽこそが、うまいと思っていたので、チョコレートクリームに飽きないうちに、さっさとたべてしまうというわけだ。のこったチョココルネがどうなっていたのかは知らない。母がかたづけていたのかもしれない。”
自伝風。
甘くて美味しいものが物凄く食べたくなってしまった。
“かつて新宿の伊勢丹に<バビントン>というティールームがあった。
(中略)
ここでは、極上のマフィンとスコーンを食すことができた。あの味に二度と出逢えなくなると知っていたら、もっとありがたさをかみしめながら味わっておいたのに。なんだがいつも、友だちとあれこれおしゃべりしながら、いつのまにかたいらげていた、というようなしだいで。
とにかく、焼きたてで出てくる。マフィンはもちろん、アメリカ式カップケーキ型ではなく、ひらたくて丸いかたち。二枚にひらいてトーストしたものが出てくるけれど、フォークかナイフのさきをさして、さくっと半分にしたのだろうとわかる切り口だ。ハム&チーズマフィンは、縁がちょっと焦げているくらいに熱々の焼きたてで出てくる。
スコーンの、ざっくりした焼きあがりも格別だ。シロップとマーマレードとクロテッドクリームがついてくる。いまや、スコーンを売る店はいくらでもあるけれど、どれもこれも甘食を思いだす口あたりだ。ぽろぽろとくずがちらかるのはだめ。スコーンそのものに、あれこれフレーバーがついているのもだめ。チョコチップいりやナッツいりなどもってのほか。<バビントン>のスコーンは、シンプルに小麦のうまみを味わうことができ、ざっくりしていながら、しっとりと香ばしく、クリームやシロップとよくなじんだものだった。
この店でマフィンやスコーンをぱくつきながら、子どものころに読んだ『パディントンのクリスマス』(M・ボンド作『くまのパディントン』の続篇)で、“ママレードサンドイッチ”と翻訳されていたパディントンの大好物は、たぶん、これのことだったんだ、と思ったものだ。”