あらすじ
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この本は、ぜんぶがすきとほったお菓子でできた、あまくてなつかしいお話です。ことばの菓子司が贈る自伝風極上スイーツ小説。
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Posted by ブクログ
おもしろかったー!!
長野まゆみのエッセイ本は初めて読んだかも。
ノスタルジックな気持ちでいっぱいになりました。紅茶とお菓子をいただきながらのんびり大事に読みたい本。
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久しぶりに長野まゆみさんの小説が読みたいなあ、と思い、図書室でお借りしてきました。
まずは「甘党の系譜」と銘打たれた、明治大正の頃の祖父母たちの暮らしぶりの紹介。
続く「菓子年譜」からは、1959(昭和34)年8月13日に生まれた「わたし」の成長が1年ずつ記されており、ははあ、この主人公がこれから何がしかの事件にでも巻き込まれて行くのかな?と思いながら読み進むも特にそんな事もなく、あれっこれはもしかして……って本を一旦横に置いてスマートフォンにて著者・長野まゆみ氏をググってみたらば、案の定氏は1959年8月13日生まれ。
エ ッ セ イ だ っ た か ! ! !
と気付いた時の衝撃たるや、相当なモンでしたな(同時に本書が「自伝的小説」とされている事も知った)。
離乳食、幼児期に食べた駄菓子、学校給食、小遣いをはたいて買い食いした甘味、デパートや専門店で買う高級菓子などなど、自身の半生を彩る食べ物の記憶が事細かに描かれており、なんだか読んでいるこちらまで一緒に食べた事があるような気がしてきてしまいました。
また、当時の出来事や流行、テレビ番組などについての記述も豊富で、バブル期の日本の雰囲気を感じられるのも興味深いです。私は著者よりもちょうど二回り年下なのですが、1980年代は自分自身の生活と照らし合わせながら読みました。
デビュー作『少年アリス』誕生の経緯や、著者が心酔する宮沢賢治に関する考察も素敵。
有名なコピーに「食は人を作る」というものがありますが、まさに“作家・長野まゆみはいかにして作られたか(何を食べ何を吸収してきたか)”が綴られた一冊だと思います。面白かった!
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長野さんのエッセイ。
その年のエピソードや印象のあるお菓子をテーマに、生まれた時から一年ごとに書かれたショートエッセイ集。
時代を感じられる懐かしいお菓子の話や、その時代の様子を知れて面白い。
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帯によると、自伝風極上スイーツ小説らしいです。とても美味しそうなお菓子の数々にお腹が空きました。長野まゆみさんとは世代が違うのですが、お菓子や生活がノスタルジックで素敵です。今でもあるお店やお菓子なのかな…探したくなります。本編とは離れたところでは、「どんな場合でも、モノづくりをする」という言葉が心に残りました。わたしもそうありたいです。
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可愛らしい表紙絵(著者の手による)を見て、「どんな内容なのかな?」と。
自伝…というのが近いでしょうか。
『長野まゆみ自伝 お菓子の思い出とともに』
というのがわかりやすいタイトルだと思う。
同年代としては、非常に懐かしいものがありますが、お菓子について深く語られることを期待して読めば、がっかりするでしょう。
最後に宮澤賢治、というのも、お菓子を語る上でぜひ必要な人物ではなく、この本の主人公は、お菓子ではなく長野まゆみなのだと確信しました。
時々はさまれる皮肉にちょっと閉口しながらも、一気に読みました。
ああ、そういう時代だったわねぇ~と。
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今更ながら初読。
文藝掲載時に書き下ろし小説とあったので、もっと物語風なのかと思っていたら生まれてからデビューまでの年の大まかなエッセイでした。
お菓子の話だけかと思っていたけれど、その時代の代表的な事柄も交えて書いてあるので時代背景なども分かりやすくて良かった。
ただ、ある程度長野さんのファンでないと面白くはないかもと思いました。
出てくる食べ物がどれも美味しそうで、とてもお腹が空きます。
中には食べたことのあるものも出てきて懐かしくなったり。
今はもう手に入らないものもあるけど、現存するものはそのうち食べ歩いてみたいなぁ。
特にプランタンのカフェのモンブラン!一度食べたことあるけど、食べきれなかったから再チャレンジしたい。
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著者の本を読んだのはこれが初めてでした。
エッセイのような自伝のような、不思議な感覚の作品だと思います。私自身、この作品に出てくるようなお菓子類はほとんど食べませんが、子供の頃に「そういえばそんなお菓子があったな」と懐かしく思い出しました。
マフィンやスコーンの描写は、本当に食べる人でなければできない表現であり、今はくどくて食べることができないかも、と思うクロテッドクリームをたっぷりつけて食べたい気持ちにさせられます。
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小説だと思って借りたのでびっくりしましたが結構おもしろかったです。ただ先に著者の本をもう何冊か(特に少年アリス)読んでおけばもっと楽しめただろうなぁと。
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読みながら天使の卵の本の話をしている高校の国語の先生を思い出した。天使の卵の冒頭で"知識のあるものだけが共有できるもの"の話が出ているということ。それと同じものをこの本で感じた。
教養。
それだけ。
私が共感したのはアポロのくだり。
映画「誰も知らない」の末の女の子がアポロが好きで、その赤のコントラストが映画にモチーフとして出てくる、というところ。
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夢のような、ノスタルジックな、お菓子たち
昭和34年から54年まで。ひとりの少女の誕生から成人までと、その時代を彩るお菓子を中心にした文化史を詳細に描いた、まるでエッセイのような小説。
私は生まれていない時代のことですが、夢のようにおいしそうなお菓子たちの話がなぜかノスタルジックです。
これは、昭和のこの時代だかこそ成立する話であって、現代で書こうとすると、とても難しいのではないかと思う。なぜなら、お菓子もそうだけれど、今の時代というのは、あまりにモノ・情報に溢れていて、ひとつのサブカルチャーを共有することすら難しいから。
長野まゆみの作品は、いつも印象的な食べ物に彩られています!
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長野まゆみの視点から描かれる昭和の風景とお菓子。
内容はとても長野まゆみらしくて好きだったけれど、同じ時代に田舎の農家でかなり大変な思いをしていたであろう自分の親との格差が凄いなと思ってしまい、色々複雑な気持ちになった。
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自伝風スイーツ小説。
先祖も甘党だったという主人公は1959年、昭和34年生まれ。
戦後の高度成長期、バブル時代と
主人公の成長のそばにいつもあったお菓子たち。
洋菓子が多かったのは、国の成長とともに洋風のものが段々と入ってきている時代の象徴なのかなあ。
なんか甘いもの食べたくなったなあ。
Posted by ブクログ
お菓子を中心とした著者の自伝的エッセイ
長野作品の魅力の一つにはお菓子があると思います。中でも蜂蜜のイメージが私は強いのですが。
そんな長野さんですから、さぞかし素敵なお菓子を沢山食べてきたのだろうな、と。
さすがに脱脂粉乳は飲んだことが無いですが、懐かしいお菓子がたくさん出てきました。ハイクラウン!あー好きだったなぁ、そう言えば妖精を描いたようなカードが、確かに入ってました。ああいうパッケージ今は無いですよね。
味もそうですが、パッケージにも強いこだわりがあったというのも知ることができました。長野さんは美大だったんですね。長野作品には、常々色が感じられると思ってましたが、こういう所からなんだろうなと、納得しました。
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あまり認めたくないけど、エッセイはリズムが合わない。『あのころのデパート』でも思ったが、すんなり入っていけないなぁ。なんでだろう?小説は世界観にどっぷり嵌れるのに。頑さが苦手なのかな?
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来し方を振り返り、そこに纏わるお菓子の記憶が辿られる。長野さんは一回り上の世代だけれど、同時代の記憶として懐かしみ、自分のお菓子の記憶も甦り、温かい気持ち。
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お菓子にまつわるエッセイ集。
1959年から始まります。
流石に馴染みのない時代なのだけど、
1966年の『デパートのお菓子』あたりから、なぜか知っている光景で、鼻の奥がツンとしたりしなかったり・・・
後半では、あの『少年アリス』の裏話や、(宮澤)『賢治とお菓子』の章もあり、好きな人にはたまらない本だと思います。
Posted by ブクログ
世代は違えども
懐かしく幼かった頃の
お菓子に対する期待や興奮が
蘇りました。
一つ一つの言葉を
ノートに書き留めておきたい。
宮澤賢治のお菓子の世界、
という事も新しく感じる事が
出来ました。
Posted by ブクログ
内容(「BOOK」データベースより)
この本は、ぜんぶがすきとほったお菓子でできた、
あまくてなつかしいお話です。
ことばの菓子司が贈る自伝風極上スイーツ小説。
**********
↑この紹介なんとなく頭悪い本に見える(笑)
のでこっちを
(内容紹介)
金花糖、動物ヨーチ、クリーム玉、地球モナカ……
時代を彩る駄菓子から、エキゾチックな洋菓子、伝統の和菓子まで、
ナガノマユミの自伝小説にもなっている、
すべてがお菓子でできた甘く懐かしい物語。
**********
Posted by ブクログ
甘党の家系に生まれたとする長野まゆみ氏が、自身の生まれ年(昭和三十四年)から作家としてデビューした年(昭和六十三年)までの履歴を、そのときどき大好きだったお菓子と、世相をからめながらつむぐエッセイ。宮沢賢治の童話=お菓子とあてはめた賢治小論もついている。
作者はわたしよりやや上の世代だが、同じ時代を過ごしてきた共感と懐かしさから、楽しく読めた。
とは言っても共感できるのは、子ども時代とバブル時代くらいか。長野氏は東京生まれで、田舎育ちのわたしからは考えられないおしゃれな中高時代を送っている。いつの時代も生まれ育ちというのは、人を規定する力を持っている。
Posted by ブクログ
■金花糖、動物ヨーチ、地球モナカ…時代を彩る駄菓子から、懐しの洋菓子、和菓子まで、すべてがお菓子でできた甘く懐かしい物語。
■■お菓子をテーマにしたエッセイ集。どのページを開いてもお菓子のお話が綴られてます。ついつい甘いものが食べたくなる一冊。
Posted by ブクログ
まず表紙がかわいい。愛しい。
中身はお菓子手帳と名乗っているものの、実際はまゆみさんの半自伝的なものとして読みました。
勝手な想像ですが、編集さんからここらでそういうものを書いてみましょうと言われたものの、まゆみさんはストレートにそういうものを書かなそうなイメージなので。
これまでもまゆみさん自身について、断片的に知る部分はあったけれど、こうして系譜をなぞって細かく知るのははじめてだったので興味深く読みました。こうしてこの方が出来上がったんだという感慨。ただ食べ物の表現的には、いつもの本のなかに出てくるもののほうがよほど惹かれました。好きなエピソードは鳥を病院に連れていくところ(私自身は鳥苦手なのに、まゆみさんの書く鳥はかわいらしく感じる)、美大受験のあたり、カード集め、OLさん時代の仕事帰りに甘いものを食べるところなど。
Posted by ブクログ
自伝的小説、と帯には書かれているが、これはエッセイと自伝的小説の間のような物語だと思う。少年アリスを書いたときの話が出てくるのでそう思った。
自分の成長と、世間で起こったこと、周りにあった駄菓子やケーキなどのことを並べて書いているだけの本。だがその描写が細かく、これこれだったからこのお菓子が好きだった、これこれだから嫌いだったということが書き込まれていて感心したり、共感したりできた。
Posted by ブクログ
“チョココルネも好きだった。硫酸紙のフタがついているのをはがし、そこについたチョコクリームをお行儀わるくなめてから、本格的にたべはじめる。ちかごろは透明のフィルムでフタをしたものが多いが、硫酸紙でふさいであるのが、正調である。
わたしの場合は、うずまきのしっぽをすこしずつちぎって、それでチョコレートクリームをすくいながらたべる。
邪道である。鯛焼きのように、ちゃんと頭から食し、うずまきのしっぽのクリームのないところを、さいごに味わうのが正しいたべかたである。しかし、その作法どおりにたべていると、すぐに満腹になって、うずまきのしっぽにたどりつかない。しっぽこそが、うまいと思っていたので、チョコレートクリームに飽きないうちに、さっさとたべてしまうというわけだ。のこったチョココルネがどうなっていたのかは知らない。母がかたづけていたのかもしれない。”
自伝風。
甘くて美味しいものが物凄く食べたくなってしまった。
“かつて新宿の伊勢丹に<バビントン>というティールームがあった。
(中略)
ここでは、極上のマフィンとスコーンを食すことができた。あの味に二度と出逢えなくなると知っていたら、もっとありがたさをかみしめながら味わっておいたのに。なんだがいつも、友だちとあれこれおしゃべりしながら、いつのまにかたいらげていた、というようなしだいで。
とにかく、焼きたてで出てくる。マフィンはもちろん、アメリカ式カップケーキ型ではなく、ひらたくて丸いかたち。二枚にひらいてトーストしたものが出てくるけれど、フォークかナイフのさきをさして、さくっと半分にしたのだろうとわかる切り口だ。ハム&チーズマフィンは、縁がちょっと焦げているくらいに熱々の焼きたてで出てくる。
スコーンの、ざっくりした焼きあがりも格別だ。シロップとマーマレードとクロテッドクリームがついてくる。いまや、スコーンを売る店はいくらでもあるけれど、どれもこれも甘食を思いだす口あたりだ。ぽろぽろとくずがちらかるのはだめ。スコーンそのものに、あれこれフレーバーがついているのもだめ。チョコチップいりやナッツいりなどもってのほか。<バビントン>のスコーンは、シンプルに小麦のうまみを味わうことができ、ざっくりしていながら、しっとりと香ばしく、クリームやシロップとよくなじんだものだった。
この店でマフィンやスコーンをぱくつきながら、子どものころに読んだ『パディントンのクリスマス』(M・ボンド作『くまのパディントン』の続篇)で、“ママレードサンドイッチ”と翻訳されていたパディントンの大好物は、たぶん、これのことだったんだ、と思ったものだ。”
Posted by ブクログ
長野さんの作品は小説4・5冊しか読んだこと無いけれど、
清んでいて「生きている」臭いが漂わない美しさ、
硝子や人形といった人工物を連想してしまう文章を書くイメージ。
壊れる時も"メキッ"とか"バキッ"じゃなくて、
ぱりん、と軽みのある音を立てそう。
そんな印象が薄められた本作。
人間味のある"食"にまつわる内容で
しかもエッセイ調だからかもしれない。
だけど、自叙伝なのか小説なのか線引きが曖昧で
ノスタルジックな駄菓子が対象ですら洒落た印象を受ける
描写とエピソードは可憐な雰囲気。
彼女の生活の中で創作活動の比重が重みを持つにつれ、
反比例的にお菓子のポジションが軽くなる。
長野さんにとって「創作」と「お菓子」は
同様に甘みをもつものなのかな、と感じる。
残念ながら私と著者との年代のギャップがあり
共感しづらい箇所はあるものの、
お菓子絡みの個人的年代記を追う過程で
時代の推移もほのかに読み取れるのも面白い。