1968年10月17日、川端康成のノーベル文学賞受賞が決定(文豪今日は何の日? より)
ってことで『雪国』を。
ざっくりとしか…というより、ラストを知らなかった自分に気付く 笑
まず読み終えて思ったのは、私ごときの持ち得る語彙ではレビューを表現しきれないということ。
確かに強く受け取ったこの気持ち
...続きを読むがあるのに、上手く言葉にできない。
いやこれ、凄いぞ!
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」はあまりに有名だけれど、そのあとに続く短い文章も味わい深い。
「夜の底が白くなった」が、それだ。
「悲しいほど美しい声」と「徒労」が数多く繰り返されているのに気付き、付箋紙を立てる。
島村が、はっきりとこの女(駒子)がほしいだけなんだと自覚するシーン、風景描写が印象的だった。
「蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山よりも高く、黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった」
とても清々しく、何か吹っ切れたような島村の心の動きを絶妙に捉えている。
「嘘のように多い星は、見上げていると、虚しい速さで落ちつつあると思われるほど、あざやかに浮き出ていた」
鳥肌が立つほど美しい表現に思えた。
この小説、本当に冒頭から凄まじい表現力に圧倒される。
「二人は果てしなく遠くへ行くものの姿のように思われたほどだった。……夢のからくりを眺めているような思いだった」や
「山の感傷が女の上にまで尾をひいて来た」など。
登場人物たちの内面にも通ずる風景描写が美しい。
容姿や仕草の魅力を伝える美しい表現。
風景描写に、作中ではあまりハッキリと伝えられることの無い島村・駒子の内面が滲み出る。
読者は、文字の並びからではなく持ち得る心で、島村や駒子の内面の変化に揺さぶられてゆく。
詳しくは描かれていないが、島村は妻と子がおり、親の残した財産で駒子の居る地にも足を運べる。
駒子は芸者。
島崎にとって、国境のトンネルが異世界への入り口のような役目を果たしているように感じられる。
島村の言った「いい女だね」を駒子が聞き間違えるシーン。
これは聞き間違いというより意味を取り違えたということか?
駒子は、性的に都合のいい女のような意味合いに受け取ってしまったということか?
蚕のシーンが暗示するものとは何か。
蚕は蚕部屋で黙々と桑を食べ、糸を吐き出す。
幼虫のうちに一生分の餌を食べ、ふ化して成虫になると交尾をして卵を産むと数日で死んでしまうらしい。
私には、駒子も閉ざされたこの雪国で、芸者という役割を果たし、この地で朽ちてゆくことの暗示に思えた。
「蚕のように駒子も透明な体でここに住んでいるかと思われた」
駒子・葉子・行男は三角関係にあったのか。
こちらについてもはっきり書かれていないけれど、あったのだろうと思えた。
しかしそれを島村は徒労だと考える。
「駒子が息子のいいなずけだとして、葉子が息子の新しい恋人だとして、しかし息子はやがて死ぬのだとすれば、島村の頭にはまた徒労という言葉が浮かんで来た」
それに、駒子と葉子は写し鏡のような存在にあると感じられた。
冒頭、列車のガラスに映る葉子の妖しく美しい夜光虫のような眼に射抜かれ、悲しいほど美しい声に惹かれるが、
そもそも、久方ぶりに女に会いに来たのだ。
時折いじらしさを見せたり、お酒に飲まれたり、それでも芸者として凛とした生き方の駒子。
川端は島村が惹かれる駒子に対し「清潔」という言葉を幾度も使う。
葉子はというと、妖しげな魅力を放つ不思議な存在だ。読者にも、なかなか内面まで読み取れない。
その一方で、病に伏せる行男に対し献身的に世話をしている。
冒頭のガラス越しの葉子のシーンといい、作中にある鏡越しの駒子のシーンといい、鏡が印象的に使われている。
葉子は不思議な存在だ。
思うに、この土地では、いびつであっても3人のトライアングルがきちんと形成されていたのではないか。
他者を寄せ付けない、3人にしか分からないバランスで成り立つトライアングル。
私には、別の地から訪れた島村がひびを入れたように見えた。
ラストは怒涛の展開。
暗示的に天の川が用いられて、ラストは終始天の川と火事の描写だが、天の川といえば結ばれることの無い彦星と織姫。
それは島村と駒子に重なる。
毎年限られた季節だけ合瀬を重ねていた二人だ。
「島村も振り仰いだとたんに、天の河のなかへ体がふうと浮き上がってゆくようだった。天の河の明るさが島村を掬い上げそうに近かった。………恐ろしい艶かしさだ。島村は自分の小さい影が地上から逆に天の河へ写っていそうに感じた。」
ここでもまた鏡効果が用いられている。
「しかも天の河の底なしの深さが視線を吸い込んで行った」
山深い土地であるから普段から星は多いが、先に出てくる星空の描写とは明らかに違う。
先にも挙げた、「嘘のように多い星は、見上げていると、虚しい速さで落ちつつあると思われるほど、あざやかに浮き出ていた」(P37)が、それだ。
そして繭倉が火事だと知り、「天の河が垂れさがる暗い山の方へ駒子は走っていった」のだ。
平然と「天の河?きれいね」と言う駒子に対し、
島村は「駒子の顔が古い面のように浮かんで」、「天の河はまたこの大地を抱こうとしておりて来ると思える」のだ。
燃える繭倉を見ながら駒子は島村の手を握るけれど、駒子につと手をやりそうになった島村は指先が震える。
島村の震え。
これは、戦きだ。
燃え盛る火の粉も「天の河のなかにひろがり散って、島村はまた天の河へ掬い上げられてゆくようだった。煙が天の河を流れるのと逆に天の河がさあっと流れ下りて来た」
そして島村はなぜか、「別離が迫っているように感じ」るのだ。
凄いシーンだ。
天の河は美しいのに、島村には恐ろしい。
そして火事。
頬に炎の熱風を感じながら、ぞっとして寒気さえ感じそうだ。
緊迫のシーンは更に続く。
繭倉の2階から葉子が転落するのだ。
「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」
葉子は気がふれてしまった。
葉子を胸に抱える駒子。
その一方で島村は、葉子を抱き取ろうとする男達に押されてよろめく。
気圧されて近付けないといった感じか?
「踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった」
怖い描写だ。
宇宙の闇が自分の中に落ちてきたような大きな不安感、虚無感、ひんやりとした冷たさと"ぼっち感"。
作品を通して暗示が幾重にも重なって、
物凄い作品に思えた。
物語は火事のシーンで終わり、2人の行く末は書かれていない。
けれど多分、決定的な別れだと思う。
駒子の生き様が凛々しい。
二度と島村と会うことがなくても、葉子の面倒を見なければならなくても、駒子には芸者として大成して欲しいと願ってしまった。