あらすじ
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。「無為の孤独」を非情に守る青年・島村と、雪国の芸者・駒子の純情。魂が触れあう様を具に描き、人生の哀しさ美しさをうたったノーベル文学賞作家の名作。(C)KAMAWANU CO.,LTD.All Rights Reserved
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
とりあえず読んでください。
情景、心、感覚全てを言葉で、理路整然とそうあるべく所に置かれるように説明されている。
幾何学的な美しさを持つ文章でありながら、あまりにもある種人工的な美しさの文章でありながら、確実に僕らの中に経験があるクオリアの種みたいなものを精密に描写されることで他人事ですまさない、一人称的な読み方をさせる書き口。
Posted by ブクログ
大傑作
鏡を使うなどの視覚描写の巧みさは言わずもがな、
台詞における引き算の美学も大好き。
さながら極寒で無機質な雪国が魅せる自然の美しさのよう、過酷な状況で逞しく生きる女たち。
男に熱があまりないのが、よい比較になっている。
主要な4名の具体的な描写があるわけではないが、関係性や台詞や行動で、感情が浮かび上がってくる。
このように余白が私たちに妄想を促してくれるので、読むのが楽しくなる。
Posted by ブクログ
「駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれども反ってそれにつれて、駒子の生きようとしている命が裸の肌のように触れて来もするのだった。彼は駒子を哀れみながら、自らを哀れんだ。」
「そう言って、気のゆるみか、少し濡れた目で彼を見上げた葉子に、島村は奇怪な魅力を感じると、どうしてか反って、駒子に対する愛情が荒々しく燃えて来るようであった。為体の知れない娘と駈落ちのように帰ってしまうことは、駒子への激しい謝罪の方法であるかとも思われた。またなにかしら刑罰のようであった。」
雪国の温泉旅館に通う主人公の藤村と、駒子・葉子という二人の女性を描く。駒子は藤村に深い恋慕を抱いていて、それは藤村も理解しているのだが、藤村には駒子とどうこうなろうという気はない。これは駒子を愛していないから、というわけではない。その描写が上記した文の引用であり、この複雑な心情の機微がこの物語の一番の魅力なのだと思う。
葉子はどこかミステリアスな女性として描かれており、感情を表に出す駒子とは対照的だ。藤村は葉子にも惹かれているのだが、それは駒子に対しての感情とは全く別物であり、むしろ葉子を通じて駒子を見ている、とまで言えるのかも知れない。これは二つ目の引用で描いている。
藤村の心情は、理解不能なようでとても共感できる。彼の達観した諦念のようなものが、上品に心に響いた。
Posted by ブクログ
米津玄師のorionに、真白な陶器みたいな声という歌詞があるが、雪国の白い陶器に薄紅を刷いたような皮膚というのを連想させた。
スキィ、ヴェエル、ポスタア、ウィスキィ、カアテン、クリイム、ストオヴ、大正や昭和初期らしい表記で、宮沢賢治感もあって、好き。
濃深縹色、玉蜀黍(とうもろこし)色、檜皮(ひわだ)色、桑染(くわぞめ)色、紅葉の銹(さび)色、、、日本の伝統色による表現が多かった。
表現がこれまで読んだどんな作品よりも深くて素敵で驚いた。読んでよかった。
Posted by ブクログ
水のようにスッと入り、音楽を奏でるような文章。やっぱり、私は川端康成の文章が好きだ。
ただ、内容はあらためて読むと、なんだこのおやじ、という感はある。
Posted by ブクログ
久しぶりに純文学を読んで、ああ読みにくいなと思った。面白くないということではなくて、一文一文を咀嚼するのに時間がかかるという意味で。むしろ味はしっかりとある。日頃食べやすく切られたSNSや動画ばっかり消費していたんだなと気づかされた。難しいなと思ったのはセリフ回し。駒子や島村ら登場人物たちの発言には目的語や詳しい説明が語られないことが多く、いかにも日本語らしい。解釈の余地も大きい。翻訳者は苦労するだろうなと思った。
Posted by ブクログ
30歳を手前に古典文学を改めて読みたいと思い拝読。
日本語の美しさを感じる文章で、感性を刺激された。ただ最近の作品を多く読む自分には、文脈や言葉がスッと入ってこない部分もあり、やや苦戦しつつ読破。個人的には縮の表現が美しく、実際に見てみたいと感じた。
また歳を重ねてから雪国で読み直してみたい。
Posted by ブクログ
国境の長いトンネルをぬけるとそこは雪国であった。
ここしか知らない「雪国」。学校では作者とタイトルと有名な一節を丸暗記して終わっていたが、もったいなかった!
特殊な状況や登場人物は登場しない、ありふれた人物のやり取りや心情が、情景とともに流れ込んでくる様子に、飽きる事なく一気に読めてしまった。
Posted by ブクログ
登場人物の心情と特定の状況、景色をマッチさせて綺麗に文章化されてて読み応えがあった。駒子の純粋で繊細な心と島村、、気持ちはわかるけどもさぁ……と。わがままですよ、わかってるならケジメつけましょうよ、と。終盤は少し展開が早くて理解が追いつかなかったが、再読しようと思う。モデルになった湯沢温泉にも是非行きたいですね。
Posted by ブクログ
初読。課題本。
タイトルと冒頭と粗筋は聞いたことがあったが、思っているのと若干違う話だった。正直近代文学は表現を追うのに必死で話が入って来ながち。
主人公である都会人の富裕層島村と、若い温泉芸者駒子、そして美しい声の娘葉子が中心人物。
島村は本人も言っている通り親の遺産を食い潰して無為徒食の日々を送っているとの事だったので、対照的に温泉街で必死に生きる駒子や葉子を俯瞰するには丁度良い位置なのかもしれない。文中で頻繁に出て来る、駒子に向けた 離れている時は恋しく思うのに、近付いた途端突き放すような言動は、彼が「バレエの論文を書いていながら、バレエを直に見たことがない」という人物像に象徴されていると思う。
クライマックスである火事のシーンはやや唐突気味であるが、それまで再三描写されていた雪国の非日常的に静かな美しさと、そこに日常生きている人々の生々しい騒々しさとを対比させることで、雪国での非日常が終わる=島村と駒子の関係性が終わることを暗示しているのでは?と考えた。
あと女性の肉感的な描写が執拗なくらいあるわりに嫌な感じはせず、寧ろ綺麗なように感じさせるのは作者の妙だなーと思う。
考えさせる余地があり、文脈を読み取らないと筆者の真意が分からないあたり、文学だなーといった感じ。ただ、解説でも駒子が純真ながら自堕落で~みたいなこと言っていたが、どっちかと言うと仕事もせずに妻子放って温泉街で女はべらせてる島村の方がよっぽど自堕落ではないか?と思った。
Posted by ブクログ
1回目は全く理解できなくて数年ぶりにこの本をとって読んでみました。日本語ってこんなに綺麗なんだなと思わせてくれる文章でした。どうやって生きたらこのように描写や感情を美しく言語化できるのでしょうか。
ただ相変わらずストーリーが面白いかと言われるとよく分からなくて、何がオチなのかなと疑問です。
Posted by ブクログ
正直、物語はよく分からなかったのですが、悉く表現が美しく情景が綺麗なので、こんなにも雪が美しいものだということを、初めて知った一冊になりました。
いい感じに物語がよく分からないから、余計にいいのかもしれないとか、思います。
Posted by ブクログ
雪国
川端康成
物語の舞台は新潟県湯沢温泉
無為徒食の男「島村」と雪国で芸者をしている「駒子」の物語。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。…」の一文で始まる有名な作品ですが、初めて最後まで読みました。
駒子が自分に好意を寄せているのを知りながら、最後まではぐらかし続ける島村。物語が進んで、関係が近づけば近づくほど、結びつかない二人の描写は読んでいてヤキモキしました。芸者という駒子の設定から少し大人びた表現もありますが、心情や動作、周囲の情景の変化などを文字だけで描写する川端康成の表現力に、文学の奥深さを感じました。
学生時代に授業か何かで読んだ時はよく分からず食わず嫌いをしていましたが、改めて読むと名作といわれるものは、やはり名作なんだと再認識です。
また自分がこういう作品を多少は味わえるようになったことに少し感動しました。
Posted by ブクログ
難しい・・・。文学とは物語のドラマチックさではい別の何かで魅せるものだというが、この作品はそういうものだった。日本語ならではの曖昧な表現の妙味とか、愛や生活の無常さとか、それらが寂れた景色に沈んでいく様とか、そういうのなのかなぁ?巻末の、英国人による解説が秀逸だ。作品についての講義でも受けないと、魅力を知り尽くすのは難しそうだ。
Posted by ブクログ
高橋一生と奈緒のドラマ『雪国』を見て読んでみようと。
情景描写が美しい。日本語、言葉が美しい。うつくしいなあ、だけでも読んでいられる。
雪国という別世界で、徒労感や無力感やある種のあこがれを持って(つまり優しいような、でも、どこかシラーっとしたような目で)、情熱や必死さ哀しさを、ただみてる。
乾いて言ってしまうと、情熱や主体性を取り戻したいと思ってる男の話?
Posted by ブクログ
有名な冒頭以外に一度も読んだことがなかったので今更ながら読んでみました。ストーリーとして云々よりも描写が美しくて忘れられません。芸者駒子のか弱さと強さを共に持ち合わせたひたむきな生き様が静かに深く胸に染み渡ってくるようでした。しかしながら最初から最後まで駒子の情熱に対してしまむらは冷静すぎて、なんと罪作りな男のだろうと腹立たしくも感じました。妻子ある島村が何故に駒子に惹かれたのだろうと思うとそれはまさしく雪に晒すとより白くなる縮と同じで、彼は駒子を通して自分の中の濁った部分を浄化しようとしてたのではないか?と思います。駒子はそれを知って泣いたのでしょうね。ラストシーンが冒頭に増して良かったです。
Posted by ブクログ
2年前から、#雪国リトリート というプロジェクトをお手伝いさせていただいております。関わり始めて以来、何度となく、”国境の長いトンネル”を抜けて雪国に行っております。
湯沢あたりでは、そこかしこで「川端康成」の面影を感じており、いつか読んでみようと思っていた、こちらの名作。
私自身、純文学というものにあまり馴染みがなく、どういう気持ちで読んだら良いのか、まだ掴めないでおります。ただそれでも、登場人物それぞれの人間らしい弱さは、すぐそこに感じるようなリアルさがあり、胸を締め付けるものがありました。
そして、どこか醸し出される情景や心情の雪国らしさ。南国のような突き抜けた優しさではなく、どこか一歩引いた奥ゆかしい優しさが感じられます。それが太陽の優しさと雪の優しさの違いなのでしょうか。
作品中、”縮(ちぢみ)”や”雪晒し(ゆきさらし)”についての記述があり、ちょうど塩沢紬について話を聞いた後だったので、新潟と着物文化がまた少しつながった感覚がありました。
おそらくまた読み返したくなる気がする、そっと本棚にしまっておこうと思うようなそんな小説でした。
Posted by ブクログ
主人公の何をしているかわからない日常と、その割に奥さんをほおって温泉宿で浮気をしている生活にどうにも感情移入ができないと思って、人に話したら、それが「高等遊民」というもんだと説明された。この時代のあるインテリ男子の憧れの生活スタイルだったようだ。それが学べる小説とも言える。
Posted by ブクログ
生きていることの儚さとか意味のなさとか、そのなかでの虚ろな戯れの美しさを感じる物語。曇天の北海道旅行には最適な本だった。日本語の繊細さを噛み締めにまた戻ってきたい。
Posted by ブクログ
序盤の、汽車の場面の描写がとても良かったです。寒さで曇った窓ガラスを手で拭くと、向かい側の席に座る女性の顔が反射して浮かび上がり、窓の外の風景と重なり合う。その顔に野山の灯火が映し出されたところが美しかったです。
中盤〜後半も随所にある風景描写は好きでしたが、全体的に時代設定や雪国の文化に馴染みがなく想像しづらい部分があり、難解に感じました。
川端康成の他の作品も読んでみようと思います。
Posted by ブクログ
島村と駒子の愛が切なく語られる。終始2人の心情と行き来のやり取りが語られるが、最後のドラマチックな場面と天の川の美しさが交互に描かれる部分が壮大だった。
Posted by ブクログ
名著と言われているから読んでみたが、
物語の内容としては平坦で少し退屈に感じる場面もあった。
だが、それを許容して読み進められるほど、描写、特に情景の描写が丁寧かつ美しく、雪国出身の自分にはありありと想像できて旅の哀愁を感じられて心地よかった。
Posted by ブクログ
読むのに難しい本でした。
途中まで読み進めて、なんとなく消化できず、もう一度最初から噛み砕くように読んでみました。
ところどころ登場人物の感情がむき出しになり熱量が上がる場面はあれど、物語としては終始淡々としていて、主人公たちの心理描写と同じくらい(もしかしたらそれ以上に)風景の描写が挟み込まれるので、どちらかというと小説を読むよりは絵を鑑賞するという感覚に近かったです。
というか、当たり前にさらっと書かれてるけど主人公が嫁と子供を置いて何日も旅館に泊まり掛けるのとか、今の感覚じゃ普通じゃないよねー。笑
いつか機会があれば物語の舞台である湯沢町に行ってみたいと思いました。
p85
「君が東京へ売られて行く時、ただ一人見送ってくれた人じゃないか。(中略)その人の命の一番終りのペエジに、君を書きに行くんだ」
このセリフ好きです。
Posted by ブクログ
文学的評価が定まっていて、さらにノーベル文学賞を獲っているから読み通せたのだけれど、もしこれが無名の作品だったら、きっととてもではないが最後まで読み通すことはできなかってだろう、と思う。
「結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている~この指だけは女の触感で今も濡れていて~鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが」この箇所は色々な人が取り上げているけれども、こういった清潔な色っぽさの描写にはっとさせられる。他にも、「人間は薄く滑らかな皮膚を愛し合っているのだ」「島村は死骸を捨てようとして指で拾いながら、家に残して来た子供達をふと思い出すこともあった」「そうして駒子がせつなく迫って来れば来るほど、島村は自分が生きていないかのような苛責がつのった。いわば自分のさびしさを見ながら、ただじっとたたずんでいるのだった」という表現に、ああ、こういう表現もあるのか、と、感心した。
どこかで感じたことがあるような、名状し難い感情の揺れ動く瞬間、しかも数時間も経てば忘れてしまうような感情の僅かなさざなみに、こうも的確な言葉を与えられるのかと思うと、その表現手法に驚いた。
あと、駒子と葉子の話しぶりや身振りや台詞回しが妙に生々しく、確かに男女の会話ってこんな感じだよなあ、と思わせられる部分が多かった。そういう男女の交わりを品格を損ねないで描ききるのはすごいな、と思った。
けれども、じゃあ、話として面白かったかと言われると、別にそうでもない。いや、別に不倫がダメとか、主人公がクズだから嫌だったとか、人格者ぶりたいわけでもなく、ストーリーラインがずっと平坦でなだらかで気怠い感じがどうも性に合わない感じがした。
Posted by ブクログ
無為徒食でニヒルな島村と、不器用だが素直で純粋な駒子との愛のかたちが描かれた本。
徒労を嫌い蔑み、虚無でもあり事実をそのまま受け取るような島村と、熱を帯びた情念で素直に生きる芸妓の駒子の対比が、特に最後の火事の場面において印象的に書かれている。
「徒労とは」
人々は無駄を嫌うが無駄をしない人などおらず、駒子のような徒労を続ける、続けることができる強い人間を逆説的に肯定している作品だと感じた。
Posted by ブクログ
駒子に対する島村の細かい感情の描写が秀逸。というか島村自身が文学的。これこそ耽美だわあと思わされる。雪国って寂しいんだよなあ。でもそこで火が起きた時の力強さとのコントラストはすごく良いね。分からない単語がたくさんあって、読み進めるのに結構時間がかかってしまった。駒子、迫りすぎ感は否めないけれど彼女の気持ちを考えると切ないー。島村もうやめてえー
Posted by ブクログ
純文学。妻子がいながら、雪国の温泉宿で芸者の駒子と過ごす主人公。さらに葉子にまで興味を持つ。色に乱れたシーンは無いが、内容はエロに近い。うーん、よくわからない。