川端康成のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ双子の姉妹の話だと聞いて読みたくなった。初めての川端康成である。思っていたより読みやすかった。京の人に校正してもらったという京言葉は本当に美しく感じた。舞子さんが使っているイメージが強いが、一般の人でもこんな雅な言葉遣いだったんだなぁ。四季折々の京の描写があり行きたくなった。北山杉の森に行きたい。
苗子が千恵子を好きすぎて可愛い。尊い姉妹愛。
苗子千恵子、秀男、大問屋の兄弟の五角関係だと思うのだが、終わり方が良くも悪くもスパッと中途半端に終わるのでとても気になる。最後に姉妹2人の夜で終わらせたのはいいと思う。物語の完結が目的ではなく、京という箱庭の中で行き合う人々の物語…かな? -
Posted by ブクログ
デビュー作を含む、川端康成の初期の作品集である。
若さ故か、私の読解力不足か、所々で話者や情景がわかりにくい箇所があった。
しかし、それでも後の文豪となる片鱗を見せ、毒のないサッパリとした文章でありながら、森や温泉の匂いが鼻先にツンと香ってくるような、艶かしい表現を併せ持っている。
特に印象的だったのが『青い海黒い海』だ。自殺をした男の手記である。揺れ動く人間情緒を追った他作品とは一線を画した短編になっており、別の作家の作品だと勘違いしてしまいそうなほどだ。かなり哲学的な内容で、ハマる人はとことんハマるだろう。
日本で2人しかいないノーベル文学賞受賞者は伊達じゃない。しかし、ここまで美しい小説と、あそこまでドロドロとした小説が同じノーベル賞だなんて、私には理解できそうにない。 -
Posted by ブクログ
川端康成文学忌 1899.6.14 ー1972.4.15
川端忌 又は 康成忌
川端康成が、京都の風景・伝統行事・四季折々の木花を美しく描き、京都弁を文字で読めます。(京都弁に関しては、手が加えられているとのこと)
生き別れとなり、全く別の人生をたどった双子の姉妹の出会と別れの物語。
捨て子だが、大切に育てられ呉服問屋の一人娘となった千恵子。親元に残されたが、早くに両親を亡くし家も失い山仕事で生計を立てる姉・苗子。
二人は、祇園祭で偶然に出会う。二人は心通じ互いの幸せを願う。姉苗子は、自分の境遇が妹の幸せに影を落とすことを恐れて、一人山に戻っていく。
メインのストーリーは、姉妹の互いを思いやる心象ですが、着物産業の変化衰退が呉服問屋を家業とする千恵子の家庭事情を変えようとしていました。古都に寄せる波です。お嬢様として育てられた千恵子に、家業の経営を指南する若者が現れて、彼女がこれから変わるだろうと思わせるところです。貧しくても清らかに働き生きる姉は、おっとりと豊かに暮らしてきた妹に、違う生き方も見せたのかもしれません。
執筆時、睡眠薬を多用されていたことは有名ですが、古都は文書がシンプルでとても読みやすい小説だと思います。 -
Posted by ブクログ
伊豆旅行のお供にぴったりの1冊だった。
竹西寛子は『川端康成 人と作品』で、「それらの作品を観光小説風に扱う冒瀆はまことに耐え難い。」と書いてはいるが、こちらのアンソロジーは「伊豆へ旅するひとにも 伊豆を旅したひとにも 伊豆の旅を想う人にも なつかしい愉しい本」。
名作のもととなったエピソードが多く読めて面白い。たとえば『伊豆の踊子』で踊子が「私」を評する「いい人」という言葉について。私たちは「いい人どまり」などと言うように、「いい人」をあまり字面どおりに取れなくなっている。孤児根性をこじらせていた川端康成はこの「いい人」という言葉に心から救われたという。 -
Posted by ブクログ
『十六歳の日記』
奇を衒う表現がないので読みやすく、表現が簡素であるためか却って表現以上のものを感じる。
『招魂祭一景』
正直、情景が全く浮かばなかった。わざとわかり難く書いているのか、狙い通りに書くとわかりにくくなってしまうのか、それとも当時の著者に表現力が足りないのか。単純に若いだけとも感じられる。
『伊豆の踊子』
大学の頃に一度読んで「だから何なんだ」と感じた以来で二度目。『雪国』ほどの胸一杯感はなかったが、それでも今回は、踊子の駆け引きのない少女らしい言動にキュンキュンした。踊子は結局主人公に惚れていたのだろうか。少女から女性への成長の途中といった感じで、場面によって言動に揺れがある(当然)。いつの時代でも、これくらいの女の子の方が却って肝が据わっていて怖いもの知らず。どうかして東京に出てやる、とでも企んでいるようにも感じた。
『青い海黒い海』
安部工房の『砂の女』を思い出した。厨二病の男子学生の妄想哲学といった感じ。良い作品かどうかは置いておいて、個人的にはあまり好きではない。『砂の女』も、合間合間にはさむ昔付き合っていた女(?)との話の回想が青臭くて受け容れなかった。
『春景色』
ロマンチックな作品。今巻の中で唯一の(?)明るい作品。読みたい本が溜まり過ぎているのであまりじっくりは読まなかったが、なにかの折に引っ張り出してゆっくり読みたい。
『温泉宿』
温泉宿にいろんな条件で勤めにくる女たちを描いた作品。今作にかぎらず今巻のどの作品にもいえるが、読んでいると柳田國男の『木綿以前のこと』だっかに載っていた、方々を旅する遊女(?)の話を思い出す。むかしは流れ者というのが沢山いたとか。『温泉宿』の女たちはそれぞれに過去があって、温泉宿にずっといるわけでもなく、出たり入ったり。そこを出て出世することを夢見たり、反対にそこを死場所と思い定めたり、いろんな人がいる。まえに似たような作品を読んだ記憶があるが思い出せない。そのときも余韻が尾を引いて色々頭の中の整理がつかなくなりしばらく病んだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ(以下コピペ)
建築家水原のそれぞれ母の違う三人の娘、自殺した母の悲劇と戦争に恋人を奪われた心の傷(いた)みのために次々と年下の美少年を愛する姉百子、京都の芸者の子である妹若子、全く性格の違う姉や妹をはらはらと見守る優しい麻子。大徳寺、都踊、四条から桂離宮――雅(みやび)やかな京風俗を背景に、琵琶の湖面に浮かんだ虹のはかなさ美しさにも似た三姉妹の愛と生命(いのち)の哀しみを詩情豊かに描く名作。
(コピペ以上)
とあらすじにあるので三姉妹に平等にスポットが当たるかと思いきや、
三女・若子はちょっと絡んでくる程度。
前半のメインはイイコチャンの次女・麻子。
後半は魔的な長女・百子がメインになる。
思い付きでつらつら書く川端の「構成力不足」に居心地が悪い「あらすじ作成者」がつい三姉妹ものと見做してしまったんだろう。
彼女らの歪みの元凶は、まあ、父・水原常男なわけだが、この人、自分のヤリチン具合を、誇りもしなければ(まあそれはいいんだけど)悪びれもしない。
ただフラットに自殺した女や、死んだ妻や、生きているメカケや、同居している娘ふたり、と接する。
それをメカケも娘らも罵ったりせず、女たちは自らに刻まれた歪みで言動もおかしくなっていくわけだ。
次女・麻子は対して面白みがある人物ではない。
川端がよく描いた、理想的な娘タイプ。
面白いのは、長女・百子だ。
この人、竹宮少年という大学生を篭絡しているのだが、その手つきや眼つきがどうにも、川端の「少年」の清野少年を思い出させるのだ。
百子は自分を男性化し、竹宮少年を女性化して扱っている、という記述があったと思うが、これってひょっとしたら、川端が百子に自分を仮託して、かつての自分の願望をねちねち書き込んでいるだけなんじゃ?
「少年」の連載は1948年開始、本作の連載は1950年開始。
やっぱり。
「少年」で堂々と少年愛傾向(「私」ー清野少年)をカミングアウトした後だからこそ、本作で願望充足的変奏曲(百子ー竹宮少年)を奏でようとしているのだろう。
wikipediaでは独立記事として立項されていないし、自伝作品としてカウントされてはいないけれど、部分的に自分埋め込みをしてほくそ笑んでいる、川端の顔が見える。
また百子、戦死した恋人に、おっぱいで銀のお椀(「乳椀」!)をとられた、という仰天挿話があるのだが、ここに何かしら象徴的意味を見出そうとするのも愚かだろう。
ただ50代のオッサンが面白そうだなと思ったアイデアかもしれないし、酒の席で聞いたことを盛り込んだだけかもしれない。
その恋人・敬太による心無い言葉「がっかりした。君は女でない」も、川端のサディズム的・願望充足的・記述かもしれない、が、彼が鹿児島から特攻して死んだという挿話は、川端が1945年、鹿屋航空基地で一か月取材をしたという経験に拠るものだろう。
この人、とことん自分の経験を作品に埋め込まなければ、書けなかった人なのではないか。
で、以上すべてのあれやこれやを、まるで鳥籠に入れたかのように、あるいは箱庭を作っているかのように、書いている作者の眼。
太宰治が、犬や鳥を飼うのがそんなに偉いことなのかと罵倒しているが、その記述が想定しているであろう例の写真の、ちょっと尋常ではない「冷たい眼」で、本作も書かれていると思った。
たとえ百子がどれだけ魔的に活躍しようと、籠の外から神たる作者がサディスティックに登場人物の動き(の小ささ)を愉しんでいる、とでもいうような。
などと考えるきっかけになってくれた作品。
決して代表作ではないし、構成にもやや難があるし、深みや鋭さに欠けるかもしれないが、
そういう気づきを促してくれた点、後の魔的の萌芽が芽吹き始めていることや、関東ー関西の行き来、「古都」への発展前、などなど、読んで得るものが多かった。
解説は北条誠、田中慎弥。
映画版では大筋は同じだが、後半は「いい話」に改変されているみたい。
さもありなん。