川端康成のレビュー一覧
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1950(昭和25)年から翌年にかけて雑誌に連載された、川端が50ー51歳の頃の作品。『千羽鶴』『山の音』などと同時期のものである。
私は遙か昔、高校生の頃に川端康成の小説を結構読んでおり、当時もずらっと書店に並んでいた新潮文庫の川端康成を、どんどん買って読んだのだった。
しかし、川端作品はどうも私にはピンとこないような気がしていたのだが、最近未読だったものをまた読んでみるようになり、今回、本作を読み通して、なるほど、これは優れた作品だと初めて納得がいった。
比較作品論的に読んでみるとただちに気づくのだが、この小説には登場人物の容貌などの「描写」がほとんど無いのである。文章はかなりの省 -
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川端康成の本をはじめて読んだ。
こういった文学的領域に足を踏み入れる予定はなかったのだが、多くの中国人が好きらしく、読んでみようと思った。
122編のなかでひとつ好きな話があればいいなというテンションで読んだ。
「雨傘」「木の上」は好きかもしれない。
「駿河令嬢」「日本人アンナ」「ざくろ」「秋の雨」は嫌いじゃないかもしれない。
「乗馬服」はなんだかなぁと思った。
結局、「木の上」が一番好きかな。
読みながら、ジェネレーションギャップをかなり感じていた。そんな些細なことで恥じらいを感じるのかと思ったし、言葉遣いが自分のイメージする江戸時代だった。 -
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「駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれども反ってそれにつれて、駒子の生きようとしている命が裸の肌のように触れて来もするのだった。彼は駒子を哀れみながら、自らを哀れんだ。」
「そう言って、気のゆるみか、少し濡れた目で彼を見上げた葉子に、島村は奇怪な魅力を感じると、どうしてか反って、駒子に対する愛情が荒々しく燃えて来るようであった。為体の知れない娘と駈落ちのように帰ってしまうことは、駒子への激しい謝罪の方法であるかとも思われた。またなにかしら刑罰のようであった。」
雪国の温泉旅館に通う主人公の藤村と、駒子・葉子とい -
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ネタバレ「私は本年五十歳に達し、これを記念する心も含めて、全集を刊行することになった。」(P5)ことをきっかけに旧稿をまとめて見て自身の過去を追憶。
小学六年の綴方が凄すぎて(川端本人は「自分のこと自分の言葉を一つも書いていない。」(P18)とは言うものの)級友たちはどう感じていたんだろうか。
清野との愛は歳を重ねるにつれて「少年時代の愛」という良き想い出に昇華されたのでしょうか。
川端は本当に文章が良いなぁ。内容はさておき読んでると癒されます。難しいけど。
※以下は自分用にメモ。
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中学二年の時の作文帳や谷堂 -
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令和四年五月に新装発行となった名作。一卵性双生児と思われる、生き別れた姉妹の奇跡的な出会いと、生まれ育った環境の違いから生じるそのお互いの心境や生き方について京都を舞台として見事なまでに描いている作品。
祇園祭、葵祭、時代祭、北山杉、高雄の紅葉、鞍馬の竹伐り、南禅寺、京都植物園などなど他にも色々と京都の情景、風物を知ることができ、作品に深みを増すと同時に、この作品によって、さらに京都という都市自体が色彩を帯び、更なる歴史へと誘われる。
作品全体を通しては、登場人物の京言葉で、円やかで優美さに包まれており、これが睡眠剤を飲み、文章の狂いがあるという作品かと疑われるほどに明晰さすらも感じる。