川端康成のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
3.5以上4未満
純文学と言われる枠に 最近たちかえるようになってひしひしと感じるのは、
この時代の純文学小説家は 現代よりもずっと 同じ言語を使える者同士でしか通じ合えなかっただろうな ということ。
日本はなまじ識字率が高い為に「自分は日本語を理解している」と思っている層が大半だと感じているけど、
一方で 本質的な事も含めて言語を理解している層は少ないように思う。
敬語が通じにくい人に敬語を使っても
その心配りが意味をなしにくいのと同様、
日本語に本質的に向き合う人でなければ
本書の深さは伝わらないんだろうなと
なんとなく感じる。
わたし自身がこの書の深さを感じとれている側、と言いたいのではなく…
なんというか 孤高と孤独さをもって 突き放されたような読後感。
純文学に元々壁を感じやすい人には 読み進めにくいように思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ表題作「眠れる美女」について。
老いた男の欲望、若い女の眠る身体、死の気配、美文、処女性幻想、女の沈黙、時代的な無理解などが複雑に絡まった見事に醜悪な作品である。
老いた江口は、眠らされた若い女たちと一夜を過ごせる秘密の館へ通う。女たちの傍らで、彼は老い、欲望、過去の女たち、死を思い返し、自らの醜さと惨めさに沈んでいく。
江口は、自分の行為が醜いこと、惨めなことを何度も認識している。
眠れる美女の隣で眠ることを「醜悪な老人の行い」と認識しながらも、想像上の「すでに男でない老人」と自分を比べ、自分はまだ違う、まだできる、と信じている。しかし実際にはできない。禁を破ることを想像しても、覚悟はない。欲望はあるが、責任は取りたくない。主人公江口老人が認識する醜悪と惨めさの上をいく醜悪と惨めさを、読み手はそこに見る。
また、繰り返し描かれる眠れる美女の美しい身体の描写に対して、妻の存在はほぼ触れられない。そこに江口の無力さが際立つ。
終盤、娘に異変が起きる。眠れる美女のはずが実際永眠していると知ると、江口は歯の根が合わないほど震える。江口の老いた欲望の幻想空間、甘美な自己憐憫を、本物の死が破る場面は見事である。
それによって倫理が回復するわけではなく、むしろ、女の身体が最後まで代替可能なものとして扱われることで、この館と江口の視線の醜悪さが完成している。
感想を一言で言うなら、素晴らしく気持ち悪い。
そして、江口老人は10段階中8000くらい腹立たしい。今まで読んできた小説の主人公の中で、もっとも気持ちが悪く腹の立つやつである。そこまで読み手の感情を喚起させる無駄のない文章は圧倒的で、芸術的だ。
『散りぬるを』
『散りぬるを』の主人公は、山辺三郎の殺人を、過去からの帰結ではない、どこにも接続しない純粋な意志、すなわち未来へ向かう自発的な始まりとして見ようとする。しかし作品内では、記述・写真・記憶・供述といった過去を保証するはずの媒体が繰り返し不確かなものとして示される。そのため、過去から自由な意志への憧憬は、確かな過去の不在によって支えられると同時に、その不在によって根拠を失ってもいる、というふうに読んだのだけど、初読の仮説としておくにとどめる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
どれだけ多くの人が本作に対する感想で、
この一文を抜き出していたとしても、やはりこれを書かざるを得ない。
3人の登場人物、島村、駒子、葉子と1人の語り手。
新潟 越後湯沢を舞台としたこの作品は、
人間の渇望を主題に据え、その中で愛や救済を例として美とはなにか、を探求する。
私が持ったこの作品の特徴は、何よりも美しい情景描写であった。冒頭の一文はもちろんのこと、沈みゆく夕陽がもたらす山の影。積もりゆく雪への繊細で極めて視覚的な表現の数々を例として、自然を描き出す。
一方、島村が見つめる、駒子や葉子の声や視線、動作は自然を描き出すそれとは若干に一線を画し、
その全てに自然にはない温度を感じさせる。
こうした中でもたらされたラストの繭倉での火事のシーンは、これら全ての衝突として温度を感じさせる。
しかし、最後の数々の解説から、
どうやらこの作品には島村の空虚やそれを映し出す多くの隠喩が散りばめられているようである。
全てを書き切らないことによる創造性の増幅は
単なる読者への配慮や想像の委任ではない。
特に天の河が描き出される終盤の情景。
島村と駒子の関係性をまさに織姫と彦星に準え、
そしてそれが冒頭の一文、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
へと繋がる。2人の関係性における時間的な限定性をこの一文が暗喩しているのだ。
何度でも何度でも、
再びこのトンネルを抜けることで雪国へと飛び込み、
この旅で見つけ出せていない様々な表現や仕掛けの数々を我々は楽しむことができる。
それこそがこの作品の持つ魅力である。 -
Posted by ブクログ
かの有名な冒頭。
改めて読むと、鳥肌が立った。
暗から明へ。閉塞から解放へ。夜の闇の底に光る白い雪。トンネルに響く列車の音が雪に吸われて静かになる情景まで浮かぶ。
東京からやってくる島村と、雪国の芸者、駒子。そして列車で向かいの席に座っていた葉子。
ともに同じ部屋で寝ているのに、二人が交わったかどうかの描写が一切なく、キスすら明示されない。関係がないことはなかろうが、あえて書かれないことで、不倫には違いないのに、純愛のように映る。
印象的なシーンは多い。
列車から見える夕景色と重なる、車内の葉子の顔。
揺れ動く感情を抑えつつもそうできなくなる駒子。
「いい女」の箇所はなかなか理解できなかったが、解説を読んで理解できた。
特に、天の河の描写による示唆が沁みた。 -
Posted by ブクログ
50歳の記念に全集を刊行するにあたり
過去の作品を見直す作家
少年の頃の日記や手紙も見直される
そこには中学の寄宿舎での美しい後輩との
同性愛のような関係が
綴られている
『床に入って、清野の温かい腕を取り、
胸を抱き、うなじを擁する。
清野も夢現のように私の頸を
強く抱いて自分の顔の上にのせる。
私の頬が彼の頬に重みをかけたり、
私の渇いた脣が彼の額やまぶたに落ちている
‥‥清野は時々無心に眼を開いては私の頭を抱きしめる。私はしげしげ彼の閉じたまぶたを
見る。別に何も思っていようとは見えぬ。
半時間もこんなありさまがつづく
私はそれだけしかもとめぬ。
清野ももとめてもらおうとは思っていぬ』
この清野との関係はわずかな期間で
離ればなれになってからは
手紙のやり取りがあるのみ
美しい後輩に慕われてお互いの
寂しさを埋めていたようなそんな
関係はよくある話なのかもしれない
普段のはかなげな清野の姿と
滝にうたれる清野のキリリとした姿が
対照的で
この不安定さが少年なのかなと
思わせる
ちょっとぞわぞわしてしまう
また、装画が素敵です
遠藤竜太さんの版画のようです -
Posted by ブクログ
「伊豆の踊子」
差別されている旅芸人との付き合いによって、ようやく世界と和解できるようになった物語。(国木田独歩「忘れえぬ人々」を想起させる。)終盤の部分(「孤児根性」の後)が好きで味わい深い。「私」の心理の描写に心が打たれた。踊子の恋に落ちたというより、踊子に浄化されたと言った方が正しいのではないかと思う。救われたから、もう会えなくてもいい(お守りのように自分のそばでいるから)。「美しい空虚の気持ち」という表現は川端文学を理解する鍵であろう。
「抒情歌」
とにかくこの小説(象徴抒情詩)が好き。まだ川端を知らない、川端文学を読んでない人に、この一文を勧めたい。「あなたも私もが紅梅か夾竹桃の花となりまして、花粉をはこぶ胡蝶に結婚させてもらうことが、遥かに美しい」という万物一如の汎神論の世界観に魅了され、なんか共感も覚えている。万物の中の、一応人間と呼べられる我々は、万物(草木国土)を愛しなければならない、言い換えれば、愛の心を育たなければならないのだ。一人を愛することは、その愛の心の作用でありながら、その愛の心を更に育てるためでもある。恋人を失うことより、愛の心を失うことが悲しいくて残念でならない。「火中に蓮華を生じ、愛欲の中に正覚を示す。」万物それぞれが蓮華を生じるように。
「温泉宿」
冒頭のような激しい表現の反面、全体としては季節の流転の中で数多い女の運命を淡々と語る印象。語りすぎないことを心がけ、その冷徹な描き方で薄い哀傷が感じられる。
「禽獣」
話が面白い。「雪国」以前の川端の最も芸術性の高い作品と言われるのも納得する。語り手と「彼」の曖昧な境界を味わるのがこの小説の醍醐味。また、「彼」の屈折や逡巡を興味深く表している中で、人間のある意味での宿命、純粋の美に対する矛盾を提示する。禽獣と女の対照も不気味であるが肯綮に当たっている。 -
Posted by ブクログ
この作品は教科書で読む定番の小説だが、それは学生と踊り子の少女の淡い恋愛感情が端正に表現されているからだと思う。学生は親族を亡くした孤児で、寂しさや世間への反抗心などを持っているが、伊豆への一人旅で逢った旅芸人たち、特にその中の踊り子に心が惹かれ、道中常に彼女に思慕を募らせる。そんな彼の気持ちに応える様に踊り子も彼に親切にし、二人の心が徐々に通じ合っていく。その様子が自然に優しい目でもって描かれていくので、読んでいてドキドキするが、安心感もある。ただエンディングは急にきて、東京へ帰る船の中で学生が泣きじゃくるだけなので、良い小説なのにもったいない感じがした。しかし著者にとっては自然な終わり方なのかも知れない。またこの新潮文庫の一冊は短編集になっていて、他に3つの短編が収録されている。どれも川端氏の才能の多様さや自由な作風が感じられる作品で、踊り子に続いて読む価値があると思った。とりわけ温泉宿は宿の女中や地域の娼婦たちの身の上や男との付き合いを日記の様につづったものだが、それぞれのエピソードに面白みがあり、楽しめた。思うに著者は、旅芸人や娼婦など当時の社会の底辺にありながら、自由にしたたかに生きる女たちの姿に、生き生きとした生命の美を感じていたのではないだろうか。