川端康成のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
10/29/2025
川端康成の鋭い感性、日本語の美しさが際立った作品だった。話は家で主に進むのだけれど、娼婦、男娼、アメリカ人など戦後の闇の部分も入れていた。ただ、修一は最低だと思った。確かに戦争は精神を崩壊に近い形にさせたかもしれない。でも、やっていいことと悪いことがある。絹子には同情しかない。勝手気ままに生きてきたとあるが、そうしなければ生きていけなかっただけであって、自分から望んだわけではないのではないか。
菊子に対する慎吾の思い、恋心というか親心寄り。保子の姉に憧れていたが、義兄に憧れていた似ても似つかない妹と結婚した。こんな始まり方でも夫婦は続いた。子供達は失敗しているのに。戦後 -
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表題作だけ読んでの感想です.....旅という非日常の中で特に心も浮き立ってる時は恋に落ちやすくなっていると思います。
前半は旅もまだ折り返しではなく出会って恋に落ちたばかりの相手との今後に胸踊らせときめいてるのが伝わりました。
後半は踊り子が男性という事を知ったのと同じ頃合にに旅も終わりが見えました。旅ではなく日常で出会ってても恋に落ちたのだろうか気になりました。
ごく短編ですが恋の始まりと終わりの情景が伝わってきました。
踊り子の性別についてですが声変わり云々の台詞後の場面転換は「暗転」だと思いました。また最後主人公が船で男性のマントの中で穏やかになっている描写が有るので踊り子は男性 -
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初めての川端康成。
一頁目から列車を降りるまでの描写は、物語が始まる前の前振り的なものかと思いきや、すでに風景や人物や、それが列車の窓を通して重なり合う繊細な描写がレベチで、初っ端からから本気の本気の文学で、文豪ってこういうことか…と驚き。
だってさ、その初めの列車の中から、
「結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の感触で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとそのとき指で窓ガ -
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川端康成を初めて一冊ちゃんと読んだ。
風景や人物の描写が、文豪に普通期待するレベルの何倍も繊細でレベチ。最初の列車を降りるまででもう異常。て、天才。
雪国での暮らしぶりについても、小説でありながら価値の高い記録となっている。もう死んじゃったのか。しかも自死とはなぁ。あまりに貴重な才能。
内容自体は「私はいったい何を読まされている」とずっと思ってしまうくらいどうでもいいしハッキリ言って軽蔑するが、こんな風に世界を観察できる人にはそういった体験すらもこんなに美しく映るのかと、感受性の底力を思い知らされた。
山の風景の描写が大好きだし、途中から急に蛾で不穏になってくる辺りも大好き。大丈夫!? -
Posted by ブクログ
湿り気、夢、女
解説にもあるけど意識の流れ(水の流れ)
「どなたです。」
「お客さまですから、お母さま、あげないでちょうだい。」
「先生です。」と久子は小さいが張りのある声できっぱりと言った。そのとたんに銀平は狂わしい幸福の火を浴びたように、びんと立った。ピストルでも持っていたら、うしろから久子をうったかもしれない。玉は久子の胸を貫いて、扉の向うの母 にあたった。久子は銀平の方へ倒れ母は向うへ倒れた。久子と母は扉をへだてて向 い合っているから、二人ともうしろへのけざまに倒れたわけだ。しかし久子は倒れながらなにかきれいに身をまわして向きかわると、銀平の脛に抱きついた。久子の傷口から噴き出す血が -
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川端康成文学忌、川端忌
1952年日本芸術院賞受賞で
ノーベル文学賞対象作品だそうです。
北鎌倉円覚寺の茶室が小説の舞台のひとつとなっています。川端康成は、当時の寺にあった庵で寝泊まりして書いたそうです。
ストーリーは、謎めいた流れがあり
崩れた家庭の拠所を探し続けているような
どこに向かっていくのかわからない。
昭和なら許されたかもしれない不倫。
亡き父親の愛人だった女性との情交。
その愛人の娘への情愛。
幾つかの茶道具が男女の仲を象徴していたのかと思う。
庭で割られた志野茶碗は、別れを
売却された茶碗は、絶縁を
所有続けた水差しは、未練を
続編の「浜千鳥」続千羽鶴が併録されているけれ