あらすじ
新緑の山あいの温泉で、島村は駒子という美しい娘に出会う。駒子の肌は陶器のように白く、唇はなめらかで、三味線が上手だった。その年の暮れ、彼女に再び会うために、島村は汽車へと乗り込む。すると同じ車両にいた葉子という娘が気になり……。葉子と駒子の間には、あるつながりが隠されていたのだ。徹底した情景描写で日本的な「美」を結晶化させた世界的名作。ノーベル文学賞対象作品。(解説・竹西寛子、伊藤整、堀江敏幸)
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Posted by ブクログ
小さい頃、家族でスキーに行った雪景色を思い出しながら読んだ。真っ白な世界なのに、どこか薄暗い昔ながらの日本の雰囲気が浮かんできて、とても綺麗だった。ただ、「君はいい子だね」と「君はいい女だね」の違いはまだわからなかった。もっと人生経験を積んでからもう一度読みたい。色々な文からたくさんのことを想像できるだろうけど、私にはまだその想像力がないから、もどかしかった。
大学の全学共通科目の授業で、この本を先生が朗読してくれたけれど、その先生の声が脳内再生されてしまった。できれば先生の声は聞かずに、新鮮な気持ちで聞きたかった。
Posted by ブクログ
暑い夏は『雪国』ですよねー。悲しいほど涼しいです!
新潮文庫の100冊に第一回(1976年/昭和51年)から選ばれているだけあって、さすがのおもしろさです。
なぜ川端康成さんなのか?ちょっと長いけど説明させてください。プレミアムカバー欲しさじゃないですよ。
以前わたしが「日本文学案内」として読んだ、東京在住のチェコ人作家で日本文学研究者のアンナ・ツィマさん『シブヤで目覚めて』が選書のきっかけです。
アンナさんは『シブヤで目覚めて』で、新感覚派の作家「川下清丸」を創りだし、彼の短編小説を作中にチェコ語で書きました。
この短編のモチーフのひとつは島崎藤村のスキャンダルです。一方、文章の参考にしたのが、川下清丸の「友人」である川端さんの、チェコ語に翻訳された小説だったそうです。
わたしは、同じ新感覚派である「川下清丸」(日本語訳です)と川端さんを比べてみたいと、軽い気持ちで読んだのです。
レベチ! テーマが異なるのもあるかもしれませんが、アンナさんには申し訳ないけど、違いますねー。
この『雪国』は、絵画のような、日本画のような印象です。
絵筆の一筆一筆が、文章の一文一文となり、遠近も色鮮やかに、一枚の絵のようにえがかれています。
タイトルは『雪国』で冬のイメージ強めですが、日本の四季と人情がていねいに書かれています。
だから、この一冊は絵画を鑑賞するように読めばいいのかなと思いました。
そんなことを思ったのはよいけれど、わたし、絵画鑑賞ってどうしたらいいのか分かんなかったー。 (T_T)
選んだ文庫本は、読者を手厚くサポートしてくれています。注釈、三本の解説、川端さんの年譜も付いています。
なかでも、郡司勝義さんの「注釈」には助けられました。
川端さんが自分の趣味嗜好と文学性を一致させていく「独特のキーワード」があることを教えてもらいました。ほんと、文章中に繰り返される「独特のキーワード」にびっくりです。
あるいは、川端さんの「肌」への強い思いから、「人肌」や肌触りの織物「縮(ちぢみ)」などに感じる「独特の感性」にも気づかされました。ありがとう、郡司さん!
これらの言葉たちは、絵画のような小説にあって、輪郭を描き出しているようです。
そこに駒子と葉子が紅の色彩を、情景描写が背景を与えていきます。
駒子さん、葉子さんとくればもう一人、島村さんです。物語のなかで、大切なひとです。
解説その二で伊藤整さんが、島村について書かれています(昭和22年7月)。
「島村は決して情人とか女好きという存在ではなく、美しく鋭いものの秤である。」(p198)
島村は、美なるものを読者に可視化してくれるセンサーのようです。
いろいろな感じ方があると思います。
わたしは島村を、絵画の世界に入り込み、好きに動きながら、美を照らし出し、味わう「妖精さん」のように思いました。(笑)
もうひとつ、解説に納得の情報がありました。解説その三の堀江敏幸さんです(令和4年4月)。
それによれば、『雪国』は一つ時の作品として書き下ろされたものではないようです。
少しずつ雑誌に発表され、幾多の推敲、追加、改稿を経て完成したようです。
最初の『夕景色の鏡』(文藝春秋、昭和10年1月号)からはじまり、昭和46年に牧羊社版「定本」として完成したそうです。川端さんがお亡くなりなる前の年です。
それを知り、絵画に固執する?わたしの頭は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を思い浮かべてしまします。
この小説は何回でも、どこから読んでも楽しく読めるように思います。名画?とはそのようなものではないでしょうか。
Posted by ブクログ
全体を通して表現がしつこくない美しさで作者の感受性の豊かさを感じた。
雪国を舞台とした島村の一人旅の結晶みたいな小説。情景の美しさはもちろん、生々しい表現が全くないのにも関わらず駒子との親密さが伝わってきた。さらに葉子を島村の世界に引き込んで理解しようとする過程も絶妙だった。
伊藤整さんの書評『島村の思念の限界は、美にその存在を賭してはいるが、それは抽出され、燃え上がり、変化する瞬間の美であり、その瞬間がすぎると空白になるという性質にある。』
これがこの本を理解する上でとても分かりやすかった。もう一回読み直したい
Posted by ブクログ
すごく好みの作品でした。川端康成さん特有の美しく惹かれる文章や世界観がすごく好きです。新潟を舞台にした銀世界の広がるしんしんとした風景が川端康成さんの文章から伝わってきます。なにより、本作に出てくる女性が言葉遣いが柔らかく丁寧で、女性の面倒臭い部分(失礼にあたる言動ですがご了承ください)が忠実に表現されて流石だなと感嘆しました。文章もすごく読みやすく世界観に惹き込まれやすくなっていて万人におすすめできます。ただ、島村という主人公が妻子持ちなのにも関わらず2人の女性と恋をしているというお話なので、主人公がクズなのは嫌という人にはおすすめし難いです。
ご興味あればご一読ください。
Posted by ブクログ
ええ……待って……凄い……というのが正直な感想。
ストーリーはともかく、日本画のようであり、読む人の頭の中から山の景色を引っ張り出す、あまりに美しい情景描写。
視線の動きを追うので、まるで一緒に旅をしているようだった。肌に当たる熱や、寒さ、田舎の景色や湿度、山の匂いを感じるようだ。そして、文字というものは、言語というものは、こんなにも美しく天の河を描けるのかと、他人の脳裏に映し出せるのかと、純粋に驚いた。
それと、久しぶりに田舎に帰ったような気にもなった。
杉林の前の蜻蛉の群れや、淡い翅を持つ蛾たち。冬に向かうにつれて居間にやってきては力尽きる虫たち、部屋に迷い込んでよろめく蜂。私も掘り炬燵に入りながら、床やテーブルに落ちてくる虫をじっくりと見てしまうタイプなので、山の中の家の空気を思い出さざるをえなかった。
勿論女性の色っぽさや魅力を描くのも上手いし、心理描写も、永遠に国語の教科書に載せ、テストに使うべきだと思うほどだが、やはり私は人も含めて景色が好きだ。ストーリーよりも、日本の景色を楽しんでしまった(笑)
古い作品のため、長文だったり難しい漢字を使っていたりと、文章自体が読みにくいかもなので、買う人は中身見てからのほうが良さそう。
Posted by ブクログ
マジ描写キレイすぎて度肝抜かれる、雪国だからこそこのなんとなーくすれ違ってる感じが儚くてちょー綺麗、最高。自分も国境の長いトンネル抜けたい
Posted by ブクログ
何度読んでも、美しい詩のような作品。具体的なロケ地をもちながら抽象的で、鮮烈な感覚に目が冴える。孤独で空っぽの主人公はのらりくらりとして、真剣に今を生きる女たちの表層しかなぞれない。不誠実なようでいて、真摯に刹那的な美に向き合っているとも言えるのかもしれない。
Posted by ブクログ
葉子は美しく、しかし後になって気違いだとわかる。その事実にショックを受けつつも作中で葉子はそれを少しも見せない。ただひたすら、美しい人として立ち現れてくる。
物語は主人公と駒子を軸に進んでいくのに、自分の心を震わせたのは葉子のほうだった。彼女がほしいという感情ではなく、なりたいという感情に近い。生き方と儚さに強く惹かれた。
自分は男性で、気も確かで、便利な時代に生きていて、美しくもない。どうやっても葉子にはなれない。それでも物語の中に差し込まれるあの異物感のある存在が羨ましく映った。
Posted by ブクログ
あまりにも純粋で美しく流麗な文章
衝撃的なあのラストシーンによって、今まで読んでいた物語のジャンルが大きく変化するわけだが、そもそも最初からこのラストシーンに向けて走っていたということを読者が思い知らされるというわけで、あまりにも巧みな造りに呆然とさせられる
Posted by ブクログ
駒子(こまこ)は肉体・現実・生命。駒子は嫉妬し、泣き、怒る。感情が濃い。身体感覚が強い。肌・酒・汗。具体的な温度。一方、葉子(ようこ)は精神・幻影・死。現実感が薄い。顔より先に声(悲しいほど美しい声)。しばしば遠くから見られ、光や反射の中にいる(鏡のような窓に映る娘の顔)。雪国の風景から生まれた幻のような存在。そんな葉子が火事の中、突然「重力」を持って落ちる。窓の反射や遠い声として存在していたものが肉体として落下する。幻が肉体に、観念が現実に、美が死によって物質化。島村の「美しい雪国」は揺らぐ。火事、悲鳴、墜落、死体。生々しい現実が侵入してくる。島村は夜空に浮かぶ天の河を見上げ、巨大な宇宙の感覚に溶けていく。川端康成『雪国』1948★
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頭が澄んだ水になって、それがぽろぽろ零(こぼ)れ、その後には何も残らないような甘い快さ。川端康成『伊豆の踊子』1926
どれだけ現世を厭離(えんり)しても、自殺はさとりの姿ではない。川端康成『末期の眼』1933
別れる男に、花の名を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。川端康成『化粧の天使達・花』
海辺にある秘密の宿。特殊な性風俗店。紹介制。客は老人。老人が金を払い、裸の若い娘と密室で一夜を過ごす。娘は睡眠薬で眠らされており、反応はない。相互的な性愛でなく、一方的に老人が若い生命のぬくもりに触れる。死体
『眠れる美女』1960★
Posted by ブクログ
このクソ暑い夏に読むとすうっと涼しくなりそうなくらいの雪の描写のすばらしさ。冬に行ける。正直つめたくてしんとした雪の描写だけで満足できる。
駒子と葉子、最初はふたりともに清潔な美しさがあったのに、駒子はだんだんとそうではなくなっていったような気がした。ダル絡みがうざくて面倒くさくて、それをいじらしいと思うかどうかは人によるんだろうけれど、島村は嫌いじゃなさそうだったね。
Posted by ブクログ
情景が鮮明に浮かんできて読んでいると涙が出てきそうなくらい美しい本。
駒子がとにかく可愛い。
川端康成ならではの繊細な言葉選びがより一層引き立てられている。
火事のシーンでは、駒子の気持ちがより汲み取ることができ、苦しく美しく、悲しい気持ちになった。
Posted by ブクログ
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
どれだけ多くの人が本作に対する感想で、
この一文を抜き出していたとしても、やはりこれを書かざるを得ない。
3人の登場人物、島村、駒子、葉子と1人の語り手。
新潟 越後湯沢を舞台としたこの作品は、
人間の渇望を主題に据え、その中で愛や救済を例として美とはなにか、を探求する。
私が持ったこの作品の特徴は、何よりも美しい情景描写であった。冒頭の一文はもちろんのこと、沈みゆく夕陽がもたらす山の影。積もりゆく雪への繊細で極めて視覚的な表現の数々を例として、自然を描き出す。
一方、島村が見つめる、駒子や葉子の声や視線、動作は自然を描き出すそれとは若干に一線を画し、
その全てに自然にはない温度を感じさせる。
こうした中でもたらされたラストの繭倉での火事のシーンは、これら全ての衝突として温度を感じさせる。
しかし、最後の数々の解説から、
どうやらこの作品には島村の空虚やそれを映し出す多くの隠喩が散りばめられているようである。
全てを書き切らないことによる創造性の増幅は
単なる読者への配慮や想像の委任ではない。
特に天の河が描き出される終盤の情景。
島村と駒子の関係性をまさに織姫と彦星に準え、
そしてそれが冒頭の一文、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
へと繋がる。2人の関係性における時間的な限定性をこの一文が暗喩しているのだ。
何度でも何度でも、
再びこのトンネルを抜けることで雪国へと飛び込み、
この旅で見つけ出せていない様々な表現や仕掛けの数々を我々は楽しむことができる。
それこそがこの作品の持つ魅力である。
Posted by ブクログ
かの有名な冒頭。
改めて読むと、鳥肌が立った。
暗から明へ。閉塞から解放へ。夜の闇の底に光る白い雪。トンネルに響く列車の音が雪に吸われて静かになる情景まで浮かぶ。
東京からやってくる島村と、雪国の芸者、駒子。そして列車で向かいの席に座っていた葉子。
ともに同じ部屋で寝ているのに、二人が交わったかどうかの描写が一切なく、キスすら明示されない。関係がないことはなかろうが、あえて書かれないことで、不倫には違いないのに、純愛のように映る。
印象的なシーンは多い。
列車から見える夕景色と重なる、車内の葉子の顔。
揺れ動く感情を抑えつつもそうできなくなる駒子。
「いい女」の箇所はなかなか理解できなかったが、解説を読んで理解できた。
特に、天の河の描写による示唆が沁みた。
Posted by ブクログ
雪国の山村の情景描写が美しい
美しい描写が多すぎて抜粋箇所に困る
わかりやすい起承転結・プロットの面白さというよりも、美しい日本語と美しい日本の情景を求めて読むなら間違いない一冊
雪山、養蚕、温泉の描写に先日訪れた白川郷周辺の風景を思い出した。たまたまだが読むタイミングとしても良かった。
Posted by ブクログ
川端康成は『片腕』ぐらいしか読めていないので更に鑑賞していきたい。
本作を読んで感じたのは「鋭い美的感覚」である。
最初の電車からの風景と葉子を重ねるシーンしかり、駒子の身体的描写しかり、考えたことはないけれど心に沁みる表現が沢山あった。具体的でないのに、漠然とした形を伴って強い迫力があった。
また、天の川や徒労という言葉は駒子との悲劇的な終着点を想起させる。しかしそんな二人の関係には、読者の目を離させない美しさと空虚さがあった。
葉子の美しさは惹かれるものだが、同時に駒子を想起させる装置のように感じた。
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雪国の情景が浮かぶような、素敵な日本語で埋め尽くされています。
当時の若い芸者が過ごしている日常なども鮮明で、そこを背景に男女の複雑な心境や境遇が書かれています。
島村の無為徒食な人生とは違って、芸者の苦労などが垣間見え、大人の恋愛というよりは悲哀の小説でした。
特に葉子が切ない。
島村が気の向くままに突然「墓参りをしよう」などと言い出す自由奔放な性格が、女を翻弄する男の心情を明確にしていると思いました。
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自分は九州出身なので、“雪国”ってだけで静謐な異界に突入した気分ですが、雪国出身の人だと感じ方が違うのかな?でもトンネル抜けちゃったりすると、そこはもう異界ですね。そう言えば伊豆の踊り子でも冒頭でトンネル超えてましたね。
前半では「川端康成って歳とっただけで、やってることは伊豆の踊り子の頃と変わんないじゃん」と言う身も蓋もない感想が頭を過ります。大人になってズルく図太くなっていますね。時代性なのか主人公の出自によるものなのか、鈍感な一面は相変わらずです。一方で駒子にはある種の純粋さも垣間見えます。駒子に見送られて雪国を離れるまでで話が一つ完結している感じ。
東京の妻に「田舎の蛾に卵産みつけられんじゃないわよ」(こんな下品ではありませんが)と釘を刺された後半は、駒子との関係も少し倦んできます。前半で垣間見えた駒子の生きづらい純粋さを、後半では葉子が肩代わりして持っている感じ。しかし、女性の唇をヒルに例えて美しいと言う川端はヤバいですね。
10年後に書き足されたと言う最終章・雪中火事は、星降りしきるなか舞い上がる火の粉、沸き起こる水煙、誰もが幸せになれないカタストロフでありながらも凄絶に綺麗。
でも必要ですかね?
駒子はまた重荷を背負わされた気がします。
読み終えて数日、思うように感想が書けず改めて読み返してさらに数日。手強かったです。
Posted by ブクログ
まだ私には早かったかも。
言葉の言い回しとかがやっぱり難しく、内容理解するというより、ただ文字を追ってるな〜ってなることが多かった。
もっといろんな本を読んでから再度チャレンジしたい。
Posted by ブクログ
暑い夏に読みました。
雪国の美しい景色と、その地で生活する人々の暮らしの描写が、何とも涼やかでした。
登場シーンであんなにも美しく、清潔な印象を持っていた駒子が、徐々に俗っぽく、鬱陶しささえ感じさせる女になっていってしまったのは、なんとも哀しいような気がします。
島村と出会ってなければ、彼女の人生は違っていたのかな…。
というか、駒子は島村のどこにそんな魅力を感じたのでしょうか。都会暮らしで文化的な趣味を持つ所でしょうか?
妻子を置いて何度もこの地に来る(小太りな)男、現代の価値観ではなかなか彼の良さは分かりづらいなあと思います。
でも、日本を代表する文豪による、優れた文学的表現に触れることができ、良い経験になりました。
Posted by ブクログ
ちょっと頑張って手を出してみたけど流石に難しかったです笑
でもお気に入りのオシャレな一文を見つけたのでここに載せときます。
『女の耳の凹凸もはっきり影をつくるほど月は明るかった』
Posted by ブクログ
情景描写はたしかに美しかった。ストーリーの構成というよりは、日本語が持つ美しさとか表現の豊かさとか、そういうところに注目して読むのが正解なのかな。
Posted by ブクログ
冒頭の文章は秀逸。
情景の書き振りや心情の描写が繊細で綺麗だと感じた。ただ、時代の違いで理解し難い部分や雰囲気が伝わらない箇所はある。それにしても、文章による表現の豊かさが感じられる名文学だと思った。たまにこういうものを読むことでまた本の面白さを感じられる。
Posted by ブクログ
東京出身の冷淡男・島村
島村に愛情をぶつける芸者・駒子
島村が惹かれている儚い美女・葉子
島村と駒子の恋愛における温度差
全てを“景色の一部”としか捉えられない島村
葉子という「幻影」、駒子という「現実」
ラストは繭倉の火災→幻が崩壊し、現実が悲鳴をあげ、島村は独りで「天の河」の美しさに恍惚とする
虚無感、美しき残酷、カタルシス
Posted by ブクログ
名著として紹介されることも多い川端康成の雪国。越後湯沢が舞台であることも有名。
初めて手に取って実際に読んでみたが、ストーリーがあまりないように感じ、面白みを感じなかった。おそらく、ストーリーを追うのではなく、一文一文を味わうような純文学の読み方が必要。
今の自分では魅力に気づけないのだろう。少し間を空けて、読み返してみたい。