あらすじ
新緑の山あいの温泉で、島村は駒子という美しい娘に出会う。駒子の肌は陶器のように白く、唇はなめらかで、三味線が上手だった。その年の暮れ、彼女に再び会うために、島村は汽車へと乗り込む。すると同じ車両にいた葉子という娘が気になり……。葉子と駒子の間には、あるつながりが隠されていたのだ。徹底した情景描写で日本的な「美」を結晶化させた世界的名作。ノーベル文学賞対象作品。(解説・竹西寛子、伊藤整、堀江敏幸)
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Posted by ブクログ
マジ描写キレイすぎて度肝抜かれる、雪国だからこそこのなんとなーくすれ違ってる感じが儚くてちょー綺麗、最高。自分も国境の長いトンネル抜けたい
Posted by ブクログ
あまりにも純粋で美しく流麗な文章
衝撃的なあのラストシーンによって、今まで読んでいた物語のジャンルが大きく変化するわけだが、そもそも最初からこのラストシーンに向けて走っていたということを読者が思い知らされるというわけで、あまりにも巧みな造りに呆然とさせられる
Posted by ブクログ
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
どれだけ多くの人が本作に対する感想で、
この一文を抜き出していたとしても、やはりこれを書かざるを得ない。
3人の登場人物、島村、駒子、葉子と1人の語り手。
新潟 越後湯沢を舞台としたこの作品は、
人間の渇望を主題に据え、その中で愛や救済を例として美とはなにか、を探求する。
私が持ったこの作品の特徴は、何よりも美しい情景描写であった。冒頭の一文はもちろんのこと、沈みゆく夕陽がもたらす山の影。積もりゆく雪への繊細で極めて視覚的な表現の数々を例として、自然を描き出す。
一方、島村が見つめる、駒子や葉子の声や視線、動作は自然を描き出すそれとは若干に一線を画し、
その全てに自然にはない温度を感じさせる。
こうした中でもたらされたラストの繭倉での火事のシーンは、これら全ての衝突として温度を感じさせる。
しかし、最後の数々の解説から、
どうやらこの作品には島村の空虚やそれを映し出す多くの隠喩が散りばめられているようである。
全てを書き切らないことによる創造性の増幅は
単なる読者への配慮や想像の委任ではない。
特に天の河が描き出される終盤の情景。
島村と駒子の関係性をまさに織姫と彦星に準え、
そしてそれが冒頭の一文、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
へと繋がる。2人の関係性における時間的な限定性をこの一文が暗喩しているのだ。
何度でも何度でも、
再びこのトンネルを抜けることで雪国へと飛び込み、
この旅で見つけ出せていない様々な表現や仕掛けの数々を我々は楽しむことができる。
それこそがこの作品の持つ魅力である。
Posted by ブクログ
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
という冒頭はあまりにも有名である。
導入の初めこそ、この指だけは女の触感で今も濡れていてなどと現代的には気持ち悪いことを言うものだと感じたが、
つまり娘の眼と火とが重なった瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮ぶ、妖しく美しい夜光虫であった。p11
などなど、近くの座席で葉子を観察していただけの描写なのだが、とても魅力的な女性に思えてきた。
読んでいるうちに、気づけば世界に入っていた。
終わり方は知らなかったので意外だった。
女がふっと顔を上げると、島村の掌に押しあてていた瞼から鼻の両側へかけて赤らんでいるのが、濃い白粉を透して見えた。それはこの雪国の夜の冷たさを思わせながら、髪の色の黒が強いために、温かいものに感じられた。p37
駒子は待合室の窓のなかに立っていた。窓のガラス戸はしまっていた。それは汽車のなかから眺めると、うらぶれた寒村の果物屋の煤けたガラス箱に、不思議な果物がただ一つ置き忘れられたようであった。p83
雪のなかで糸をつくり、雪のなかで織り、雪の水に洗い、雪の上に晒す。績(う)み始めてから降り終るまで、すべては雪のなかであった。p149
島村はどきっとしたけども、とっさに危険も恐怖も感じなかった。非現実的な世界の幻影のようだった。硬直していた体が空中に放り落とされて柔軟になり、しかし、人形じみた無抵抗さ、命の通っていない自由さで、生も死も休止したような姿だった。p171