川端康成のレビュー一覧
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美しくもままならない姉妹愛、親子愛。双子のくだりが出てきたところからページを捲る手が止まらなかった。
親子愛、姉妹愛の爽やかな美しさを描いている。身分の違いのままならなさを、身分が高い側の千重子の側から描いているのも面白い。京言葉が新鮮だけど、印象深くて頭の中でつい同じ言葉を使ってしまう。
背景となる京の四季がメインテーマのようにも思えるくらい色んな姿が描かれている。杉山は3回描かれるが、どれも違った姿で、情景が浮かび上がってくるようで素晴らしい。
太吉郎の盆栽と日本論は面白かった。
身分違いとなってしまった双子の行く末がなんとなくわかってしまうんだけど、それでも先が気になって読むのがとても楽しみだった。 -
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川端を斜めから楽しむ勢だが、けっこう正面から読んで、いいなと感じた。
そして誠に月並みなことに、よく聞く(引用される)ものほどいいな、と。
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川端のノーベル賞受賞記念講演を軸に、日本文化について述べた随筆を厳選!
ノーベル賞授賞式に羽織袴で登場した川端康成は、古典文学や芸術を紹介しながら日本の死生観を述べ、聴衆の深い感銘を誘った。その表題作を中心に、今、日本をとらえなおすための傑作随筆を厳選収録。
【目次】
●美へのまなざし
花は眠らない 1950★
美について 1950
美しい日本の私 1968★
秋の野に 1968
女人なれども 1969
夕日野 1969
ほろびぬ美 1969
美の発見と存在 1969×2★朝のガラスのコツプの光り
日本文学の美 1969★
日本美の展開 1969
鳶の舞う西空 1970
●戦争を経て
同人雑記 1937
平和を守るために 1949
私の考え 1951
東西文化の架橋 1957
●日本文化を想う
末期の眼 1933★竹久夢二ディス
純粋の声 1935
紫外線雑言 1936
日本の母 1942
「日本の母」を訪ねて 1942
哀愁 1947
思い出すともなく 1969
水晶の数珠など 1970
春 1955
付録
Japan the Beautiful and Myself(美しい日本の私) エドワード・G・サイデンステッカー訳
解説 大久保喬樹 -
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ネタバレ割と初期の作品集。
というのもこの角川文庫、1951年の刊行なのだ(が、年譜は死まで更新されている……)。
川端自身による「『伊豆の踊子』について」が嬉しい。
今回は「驢馬に乗る妻」「二十歳」「むすめごころ」「父母」を読んだ。
■「伊豆の踊子」
既読。
■「青い海黒い海」
既読。
■「驢馬に乗る妻」1925以前
彼。
妻の綾子。
その姉の豊子。
綾子は知らないが、実は彼は先に豊子と通じ、豊子の自己犠牲で妹に譲った、という過去がある。
やはり女をふたり並べて、どちらからも愛されている(年上から年下へ移行)というドリーム小説。
■「禽獣」
既読。
■「慰霊歌」1932
既読。とはいえ記憶が薄いので、今後ちくま文庫「文豪怪談傑作選 川端康成集 片腕」で読み直す予定で今回は保留。
■「二十歳」1933
祖父。父の兵禄。が結婚したのは、母お霜。夫婦の長男の銀作。が主人公。
母の父は雲の五六。父の後妻の梅子。その妹の竹子。
銀作は浅草の掏摸稼業へ。
登場人物全員が不良。
……文体も内容も川端っぽくない(織田作之助っぽい?)ので代作かしらんと邪推してしまうが、戦後復刊期にわざわざ総題にしているくらいだしな、と思い直す。
■「むすめごころ」1936★
(私の遠縁の娘、静子が時田武と結婚した。この手紙は静子の友人である咲子が書いたもので、預かった。という前書き。)
私は武さんと、結婚するかもしれない関係だったけれど、静子さんが好きだから、ふたりを引き合わせた。
武さんから言い寄られても、断った。
あなたたちが結婚して、幸せよ。
……うまく整理できないが、いい読後感。素晴らしき百合。
でも不吉で(だから語り手が、この手紙は静子のもとにないほうがいいと判断した)、50年後にはこじれにこじれて、例えば吉田知子や大濱普美子の怪奇小説の題材になりそうな。
■「父母」1936★
・手紙の遣り取り。
・軽井沢のテニス。スカート。ラケット。コートは野外舞踏場。お嬢さん。
・西洋人の避暑地。
・あなたの慶子さん18歳。あなたの棄てた子供。
・ゆき子さん。
・僕は文学者。
・慶子さんはいまはいく子さんと呼ばれている。
・青春が呼び戻される。
・小説家の僕の虚構。
……誰が誰に対してどんな手紙を書いているのか、把握しきれず。
でも堀辰雄っぽい雰囲気や、後半に現れるメタ視点とか、好きになれそうだな。
◆解説 進藤純孝
◆作品解説 古谷綱武
◆『伊豆の踊子』について 川端康成★ -
Posted by ブクログ
ネタバレ「十六歳の日記」。
冒頭の祖父尿瓶(しし)のシーンも凄い。
が、数え16歳=満14歳が、100枚の原稿用紙を大きなテエブルに据えて、自分ー祖父ー手伝いのおみよ、で話しているシーンが壮絶。
祖父は半ば痴呆が進んでいるのか、果たせなかった野望を、大隈重信に頼めばなんとかなると言い張る。
おみよは馬鹿にして笑う、が、ある瞬間ふっと黙ってしまう。凄絶な記録文学だ。
語り手は淡々と「見ている」……盲目の人を見るという視線の非対称性は、今後、鑑賞用の女を探し求める川端の人生のテーマにつながっていくのだ。
愛惜と観察。
時間の区別なくししと食事の要求と。苛立ち。
スケッチとは、単に思ったことを書くのではない、意思によって「それ以外」を捨象する。
という点で14歳時点から書き手だったわけだ。
あとは、川端自身のあとがきも興味深い。
岩波文庫入りしたのは1952年で、もちろん代表作「伊豆の踊子」も「雪国」も刊行され、さらには全16巻の全集(1948-1954)を刊行中。
権力獲得期間で、着々と大家への道を作っている段階だ。
14歳で書く → 単行本収録時、27歳で( )に書き加える → 50歳を超えて文庫化でまた目を通す。
この繰り返しのしつこさもまた、川端。
■「十六歳の日記」
初読。
■「招魂祭一景」
既読。
■「伊豆の踊子」
既読。
■「青い海黒い海」
既読。
■「春景色」
既読。
■「温泉宿」
既読。
◆川端康成自身の「あとがき」
初読。 -
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ネタバレ「朝日新聞」への連載開始は1956年で、1巻をその年に、2巻を翌年に刊行。
とはいえ佐藤碧子による代作の疑いあり。
どおりで川端にしては長い。
ただしきちっとした構成がなくダラダラと続いていくのは川端っぽいといえばいえる。
また、美しい令夫人の市子、気の強い割には気弱なところもあるエキセントリックなさかえ、暗い影を背負った妙子、という女性の三角形と、
彼女達に振り回される佐山、光一、有田という男性の三角形が組み合わさる関係性で話が持続していく作りは、結構川端っぽい。
マンネリの極致なのだ。
で、小母様が好きだとか小父様が好きだとか中年男性の夢のような展開をさせておいて、結局はさかえの奔放が結果的に夫婦を(性的に)盛り上がらせたという、夢の夢みたいな展開にしていくという、悪しき中年男性作家のドリームばかり。
正直結構辛かった……。
ネットで感想を漁ると、結構真正面から感動したという人がいてびっくり。
まあ1956年という「第二の十年」の初期にあたるピースを把握しておくためには、読んでよかったが。
代作問題については、「真似しやすい文体」であったこともまた要因のひとつなのかなと、思ったりした。 -
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古き悪き日本。
恐らくそのせいで、
次の世代は欧米志向で自由に憧れたのでしょう。
そして続く現代の親世代は、その反動で冷静に。
主人公はおじいちゃん。
共感するには早過ぎかと思ったが、
女性は男性より早く盛りの過ぎたのを実感するものである。
30も過ぎればちやほやされなくなるし、
体力もあっという間に落ちる。
老年とはこんなものか、と
想像するには意外と難くなかった。
生々しく赤裸々に書かれた主人公の感情や執着が、期限切れの酸っぱさのまとわりつくほろ苦さ。
少し癖になる。
美味ではないが、晩酌のアテには向いている。
菊子だけが花だ。
丁寧に描写されているのに、
私の中に具体的な顔立ちが見えていないのが不思議だ。
ただ爽やかでまだ可愛らしさの残る、
好ましい女性像はしっかりと浮かんでいる。
読者がそれぞれに、
自分好みの美人顔を当てられる描き方になっていたのだろうか?面白い。
目の前の出来事に老年の記憶の断片や、
いつまでも忘れられない紅葉や義姉を散りばめた彼なりの思いを見せながら、
日常は過ぎ季節が巡る。
筆で色を重ねていくうちに、
引いていた輪郭もぼやけて陰影ができ、
色味は暗くなっていく反面、
味わいは深まる油絵のような作品だと感じた。 -
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川端康成の作品に「湯ヶ島の思い出」という長編があったらしい
そこから一部を抜粋し
「伊豆の踊子」というタイトルで発表して
残りは封印してしまったという
なぜそんなことをする必要があったのか
それは「湯ヶ島の思い出」が
同性愛のタブーに触れていたということもあろうが
それ以前に、やはり小説としての冗長さを嫌ったのだと思う
大本教の家に生まれ育った少年の
世間と相容れない純粋さが
若き川端康成の「孤児根性」に共鳴したという話は
まあそれだけのもので
そこから広がりを見せていくことはない
しかしともかく、伊豆で旅芸人の娘から受けた優しさが
川端の僻んだ心を癒やす物語には
そのような出発点があった
「湯ヶ島」から「踊子」を差っ引いた残りの部分は
戦後、大幅に手を加えられ
「少年」のタイトルで発表された
なぜそんなことをする必要があったのか
ひょっとしたら、太宰治に読ませたい気持ちなんて
あったのかもしれません
太宰は「孤児」でなかったが故に苦しんでたようなもんだし
ちなみに、三島由紀夫「仮面の告白」より5年早い -
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1972年川端康成亡くなって50年となり、全巻35巻の第10巻のなかで全集のみでしか読めなかった部分を文庫化した作品。
その全集は川端康成50歳を記念して刊行されたもの。その編纂にあたり、本人も自身の全作品を振り返っている。その時に、幼少期からの作文や学生時代の日記を取り上げながら、50歳の気持ちを書き加えていくといったいった形式。
出版社はこの文庫の発表にあたり、「川端のBL」と扇状的すぎるかなあと思う。確かに寮生活での日記が主で、その中でも清野少年に対する恋慕的行為表現は多い。他にも美しい少年を見かけるとそちらも気にしてしまう。と、多少そういう傾向ではありますが。
日記書簡からの回想なので、小説でもエッセイでもないかなあ。やや欲求不満読書。
川端作品を数冊しか読んでないので、深読み的な面白さは難しいかな。書簡の希少性や「伊豆の踊り子」秘話、学生時代の文章など川端文学の起源でしょうか。 -
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BL作品にはあまり興味がないんだけど
BLじゃない作品に
BL的要素を感じる人の気持ちは
わからんでもない
美しさを求めてんのかな?とオモウ
話題になってるようだったので
気になって買ってみた
少年少女の頃って
実際はすごく匂いがあるし
己の幼少期は泥んこだったし
家畜の糞尿もすぐそばだったし
汚れ放題だったのに
なぜ回想すると
美しく変換されるのか
ハナタレも汗臭さもどこいったん…
ということが
誰にでもおこると信じているので
川端康成にもあったはず!
回想してるから
こんなに匂いがなく感じるんだと
信じている!!!!
清野の手紙がちょっと切ない
書いた清野の気持ちを考えると
ギューッとなるけど
おっさんになった川端が
回想終わって燃やす気持ちもわかる
その過去と現在の温度差が
おもしろかったかなぁ
いやでも盛り上がらない回想録だし
そうでもないか?
星は2つほど低くないけど
3つも多いかな?の3つ -
Posted by ブクログ
アメリカに生まれた少年・セドリックは、大好きな母や周囲の人々の細やかな愛情に包まれ幸せに暮らしていたが、名も知らぬ貴族の祖父の跡継ぎになるためイギリスへ渡ることとなった。祖父は意地悪で傲慢で、アメリカという国を嫌っていたが、セドリックの純真さに心動かされ、次第に変化していく。だがそこへ真の跡取りを名乗る者が現れて──。川端康成の名訳でよみがえる児童文学の傑作。
子供の頃に読んだ名作。小公女は結構序盤がお先真っ暗なイメージでしたが、こちらは比較的前向きに進んでいくので、穏やかな気持ちで読み進められました。セドリックが泰麒のキャラクターに影響を与えていたなんて!確かにそういう目線で見るととても似ている・・・!!そして何よりびっくりしたのが、翻訳が川端康成!?どうやらもう一人、実質翻訳した方がいたとあとがきで知ったけれど、それにしてもすごいな。自分で名作を書くだけでなく英語力もあったのか。硬い文章を書いている印象だったので、ここまで読みやすくて現代文学と変わらない言葉遣いや自然な言い回しに驚いた。彼がバーネットの作品を子供たちに紹介したいと思うくらい気に入ったんだなと思うと、何だか微笑ましく思える。