川端康成のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1972年川端康成亡くなって50年となり、全巻35巻の第10巻のなかで全集のみでしか読めなかった部分を文庫化した作品。
その全集は川端康成50歳を記念して刊行されたもの。その編纂にあたり、本人も自身の全作品を振り返っている。その時に、幼少期からの作文や学生時代の日記を取り上げながら、50歳の気持ちを書き加えていくといったいった形式。
出版社はこの文庫の発表にあたり、「川端のBL」と扇状的すぎるかなあと思う。確かに寮生活での日記が主で、その中でも清野少年に対する恋慕的行為表現は多い。他にも美しい少年を見かけるとそちらも気にしてしまう。と、多少そういう傾向ではありますが。
日記書簡からの回想なので -
Posted by ブクログ
BL作品にはあまり興味がないんだけど
BLじゃない作品に
BL的要素を感じる人の気持ちは
わからんでもない
美しさを求めてんのかな?とオモウ
話題になってるようだったので
気になって買ってみた
少年少女の頃って
実際はすごく匂いがあるし
己の幼少期は泥んこだったし
家畜の糞尿もすぐそばだったし
汚れ放題だったのに
なぜ回想すると
美しく変換されるのか
ハナタレも汗臭さもどこいったん…
ということが
誰にでもおこると信じているので
川端康成にもあったはず!
回想してるから
こんなに匂いがなく感じるんだと
信じている!!!!
清野の手紙がちょっと切ない
書いた清野の気持ちを考えると
ギュー -
Posted by ブクログ
川端康成没後50年ということで、新刊として刊行された「少年」
さてどんな小説だろうかと蓋を開いてみると、全く予想外であった。大衆小説を予想して読んでいたので、率直に、非常に読み進めにくかった。内容的には森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」や三島由紀夫の「仮面の告白」と似ている(ただ後者は読みやすかった)。また話の構成の巧さで言えば、彼らにはちょいと劣るかな、、?
そこに書かれている内容は、青少年の頃の川端と後輩の清野の長きにわたる交流である。互いに寮生活の中で愛(この場合、友愛も恋愛も全て包括している)を育むも、川端の卒業によって徐々に疎遠になっていき、、、というような感じである。
ここで交わ -
Posted by ブクログ
アメリカに生まれた少年・セドリックは、大好きな母や周囲の人々の細やかな愛情に包まれ幸せに暮らしていたが、名も知らぬ貴族の祖父の跡継ぎになるためイギリスへ渡ることとなった。祖父は意地悪で傲慢で、アメリカという国を嫌っていたが、セドリックの純真さに心動かされ、次第に変化していく。だがそこへ真の跡取りを名乗る者が現れて──。川端康成の名訳でよみがえる児童文学の傑作。
子供の頃に読んだ名作。小公女は結構序盤がお先真っ暗なイメージでしたが、こちらは比較的前向きに進んでいくので、穏やかな気持ちで読み進められました。セドリックが泰麒のキャラクターに影響を与えていたなんて!確かにそういう目線で見るととても似 -
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皆さん多分一度はよんでますよね。私も小学生の頃読んで、子ども達が小さい頃買ったのを再び読んで、今度は川端先生の訳で読み返しました。
気難しいおじいさまがセドリックの無邪気さややさしさにほだされて、やさしいおじいさんに変わっていく。最後は嫌っていたアメリカ人の嫁の良さも認めて一緒に暮らす…というストーリーの主軸は覚えていたのですが、偽者が出てきたのは記憶になかった。
たぶん子どもの頃は省略されてる本を読んだのかもしれないですね。そして、偽者事件を解決するのにセドリックのニューヨークのお友達が一役買っていたのも面白かった。あの二人のお友達、なかなか味がありますね。
解説を読むと、実際に翻訳し -
Posted by ブクログ
ノーベル賞受賞後の記念講演会での講演「美しい日本の私」を含む、戦前戦後のエッセイをまとめたもの。どのお話にも川端康成の「日本の美」に対する思いが込められている。川端の感じる美というのは、日本画や自然にとどまらず、源氏物語などの小説や勤勉な労働者など幅広く、本質的には「もののあはれ」に表現される、純粋さや儚さ。一方で、戦争で夫を亡くした寡婦が、姑を養いながら残された子を育てる姿を取材することなどは、川端自身も純粋に美しいと思っているのだろうが、今でいうヤラセ感がないではなく、戦争・国策の影響を感じる。
「もののあはれ」を至上の美と考えていた川端が、戦後の混乱した社会や米国に傾倒している人々を見 -
Posted by ブクログ
横光利一らと共に「文藝時代」を創刊し、ダダイスムな芸術活動の先駆となった「新感覚派」と呼ばれる作家グループの代表的作家・川端康成の短編集。
本作は氏の処女作から、その文芸活動の前期にあたる作品が収録されています。
川端康成ははっきりって読みやすい作家ではないと思っています。
例えば、本作収録の"温泉宿"はこんな出だしで始まります。
「彼女らは獣のように、白い裸で這い廻っていた。」
これは何を表現しているかというと、風呂掃除をしている女性たちなんですね。
こういった、比喩的な、詩的な表現が多用されていて、表現力が多彩すぎて何が書かれてるかすぐにわからない場面が多々あります。