川端康成のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレノーベル賞作家の川端康成による現代語訳の本編と、川端本人による解説からなる一冊。
子供の頃に『かぐや姫』の絵本は読んだけど、『竹取物語』の全編を読むのは初めてです。
結婚をしたくないため、かぐや姫は5人の貴公子それぞれにある品を持ってくるように言い渡しますが、これがこの世に存在しない(と思われる)代物。貴公子たちはお題の品物を探しますが、インチキしたり、騙されて偽物を掴まされたり、或いは品物を求めるにあたって怪我をしてしまったり…。
結局、この5人はかぐや姫の婿にはなれず。
かぐや姫の勝ちです。
かぐや姫が帝と相対したときに消えて影のようになってしまうのにはびっくりしました。人間ではない存在だと分かっていても消えてしまうとは。SFですね。
あと、天の羽衣を着せ掛けられると人の心を失うという設定も初めて知りました。
富士山のいわれなど、所々出てくる言葉遊び?も面白い。
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Posted by ブクログ
最初から、最後まで、素晴らしい翻訳でした。
少年セドリックは、イギリス人の父とアメリカ人の母、家族三人慎ましくも愛情溢れる生活を送っていた。美しく、愛らしく、賢いヒューマニティの宝石箱の様な少年は、周囲の人たちにも愛されていく。
父親の死後、突然、父の祖父から伯爵家の後継としてイギリスに迎えられる。
小公子となったセドリックは、慈愛溢れる言動で、頑なな祖父伯爵の心を、領民の信頼を得ていく。
川端康成の名訳(共訳で後に改修もあるらしいけど)の小公子セドリックに、すっかり癒されます。
私は「少年少女世界の文学・アメリカ編」で、小公女・小公子をはじめ読みましたので、川端訳だったようです。
そして、贅沢に川端康成から子供達へ「小公子」の本を読む前にという言葉が掲載されています。(なぜか、最後に)セドリック愛に溢れた文章です。
そして、優しい先生のような文章です。
ほんと、児童文学の名作です。
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Posted by ブクログ
老人と、その息子の嫁が、プラトニックな恋をする
といったような話
老人は、かつて好きだった女(義理の姉)の面影を嫁に重ねており
嫁は嫁で、ファザコンの気を老人に向けているらしい
子供たちは、それぞれ夫婦生活に問題を抱えている
兄の修一は外に女を作っており
また妹の房子は夫と別居して
二人の孫と共に実家に帰ってきている
老いたりとはいえ、まだ現役で働いている老人は
どうしても房子夫婦の問題に手が回せず
修一夫婦のことばかりに気をとられてしまうのだが
それはあるいは要するに
実の娘より嫁の菊子が可愛いから依怙贔屓してるだけ
なのかもしれない
そんな自分に老醜を感じて、嫌な気持になることはあっても
老人がその姿勢を変えることはなかった
そうこうするうち
房子の夫である相原が、よその女と心中事件をおこして
新聞に載ってしまう
さらには、修一の不倫相手が妊娠したとの情報を知らされて
老人は重苦しい不安にとらわれる
一家の大黒柱として
なにもかも独りで抱え込もうとしすぎるようでもある
しかし、友人に頼まれて高額の能面を引き取ったりするぐらいには
経済的余裕もあるのだ
それなのに、追い込まれる感じになってしまうのはなぜだろうか
せっかく戦争の時代を切り抜けたというのに
生き延びた罪悪感から
退廃と不幸の道へと突き進んでいく若者たちのありさまが
恐ろしいのかもしれない
だが裏を返せば
それは民主主義的に自立していく個人の群れの姿でもあった
だからとばかりも言い切れないが
問題に一区切りがついたころ
老人は、ファミリーロマンスからの脱却として
菊子にも自立を促していくのだった
つまり親と息子夫婦で世帯を分けようというわけだ
それは、プライバシー筒抜けの日本家屋から
若い夫婦を解放したい(されたい)という思いであると同時に
「山の音」を聞いてしまった老人にとっては
ひとつの死に支度でもあった
縁起でもない -
Posted by ブクログ
『小公子』(1886)は、『小公女』(1905)と並び、フランシス・ホジソン・バーネット(1849-1924)の代表作です(もう1つ、よく知られている作品に『秘密の花園』もありますが)。
金髪の巻き毛で人懐こいかわいい男の子、セドリック。父を亡くし、母と一緒にニューヨークで暮らしています。質素な暮らしですが、素直なセドリックは、優しく美しい母、多くの親しい人々に囲まれ、幸せな日々を送っています。
ある時、イギリスから驚くような知らせが届きます。セドリックはドリンコート伯爵である祖父の跡継ぎとなり、イギリスのお城に迎え入れられるというのです。セドリックの父は伯爵の三男でした。若くしてアメリカに渡った父は、祖父の知らぬ間に母と結婚していました。アメリカ嫌いだった祖父は激怒し、親子の縁を切ってしまいました。しかし、長男・次男が不慮の事故で亡くなった今、伯爵家を継ぐのはセドリックしかいないというのでした。セドリックは伯爵家の次期当主、フォントルロイ小公子となるのです。
セドリックと母は戸惑いながらもイギリスへと渡ります。しかし、いまだに母のことを認めていない祖父は、セドリックのみを家に迎え入れ、母は近くの別の家に住まわせます。セドリックは大好きな母と離れて淋しくてなりませんでしたが、持ち前の素直さと明るさで、頑固で自分勝手な祖父の心を徐々に溶かしていきます。
どんな人にも分け隔てなく接するセドリックは、貧しい人たちにも親切にして彼らを助け、領地の人々もそんなセドリックを愛するようになります。ケチで尊大だった伯爵もセドリックのやさしさに触れ、困っている人たちを援助するようになっていきます。
ところがそんなある時、伯爵の長男の嫁とその息子と称する親子が現れ、こちらが正統のフォントルロイ小公子だと主張します。もしそうであれば、セドリックは伯爵にはなれないことになります。さぁどうなるのでしょうか。
古くから親しまれている「小公子」の物語、こうして読み返してみると、起伏のあるおもしろいストーリー展開です。
伯爵は頑固で癇癪持ちです。3人の息子のうち、長男・次男は今一つ出来が悪く、三男を愛していたのにちょっとしたすれ違いで縁を切ったまま死に別れてしまいます。初めて会う孫は本当に愛らしく素直で、頑なな老伯爵の心もほぐれていくのです。このままめでたしめでたしとなるのかと思うと、もう一山、というのもおもしろいところです。
紆余曲折がありながらもハッピーエンドに落ち着く全体の構成も安心感があり、ああよかったねと誰もが胸をなでおろすことでしょう。
三人兄弟、思わぬ幸運と何だかおとぎ話のような趣もあります。
セドリックがちょっとよい子過ぎて、いささか現実味がないようにも思うのですが、ここは素直にほほえましい彼の魅力を受け入れるべきなのでしょう。
何せ、フォントルロイ小公子は読者の心も射抜き、挿絵に描かれた黒のベルベット製で白いレースの襟のついた服は、フォントルロイ・スーツとして大流行、母親たちはこぞって自らの幼い息子に着せたといいます。また、英語でFauntleroyというと、一般名詞として「(過度に)丁寧で身なりのよい子」を指すようで、その大ヒットぶりがしのばれます。
バーネットはもともとイギリス生まれですが、10代でアメリカに渡ります。本作はアメリカで爆発的にヒットし、のち、イギリスでもよく売れたようです。
セドリックのニューヨークの友人がイギリスの貴族についてやや偏見を持っていたり、伯爵がアメリカを見下していたり、といった描写もあるのですが、当時のアメリカとイギリスの距離感を想像させておもしろいところです。
各国語に訳された本作、邦訳もさまざま出ていますが、新潮文庫版は川端康成訳を採用しています。川端名義ですが、実際のところ、共訳者とされている野上彰が大部分を手掛けたといってよいようです。
「小公子」という絶妙の訳は川端・野上のオリジナルではなく、元々は、原作刊行のわずか4年後(明治23年)に邦訳の連載を始めた若松賤子(しずこ)によるものです。原題はLittle Lord Fauntleroyですが、これをすぱっと「小公子」としたセンスはすばらしいと思います。のちの「小公女」(Little Princess)と対になるところもよいですね。
こうした時代背景や翻訳事情にも触れた巻末の鴻巣友季子の解説も読みごたえがあり、作品世界が広がります。
*以下、蛇足ですが。
おじいさんはドリンコート伯爵(Earl of Dorincourt)ですが、セドリックはドリンコート小公子ではなく、フォントルロイ小公子(卿)(Lord Fauntleroy)と呼ばれます。イギリスの爵位はいろいろ細かい決まりがあり、跡継ぎになる人には儀礼上の爵位が与えられるもののようです(英王室のウィリアム王子もケンブリッジ公爵の称号も持ちますし)。これは当主の副次的な爵位名を使うもののようで、そのため呼び名が異なるのかと思います。
本作の場合、ドリンコートは苗字というより地名であるのかもしれません。お城の名前もドリンコート城ですし、ofが入っていてドリンコート「の」伯爵となっていますし(紅茶の名前の元になっているグレイ伯爵(アール・グレイ)はEarl of Greyではなく、Earl Greyです。これは姓なのかな・・・?)。
バーネットの記述がどこまで正しいのかよくわからないのですが。
いずれにしてもドリンコートもフォントルロイも何となく高貴そうな感じはしますね。