川端康成のレビュー一覧
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伊豆の踊子、青い海黒い海、驢馬にのる妻、禽獣、慰霊歌、二十歳、むすめごころ、父母を収録。旦那に「伊豆の踊子」の感想を聞くと、話淡い恋いの話でしょ。と。私はそれだけではないような気がする。踊り子達一行と、数日間旅をして過ごし、主人公の心が浄化され、優しい気持ちになっていったような、心地よささえ感じる。それは最後の作者が船に乗る時、可哀想な婆さんを上の上野まで連れて行くよう頼まれた時、快く引き受けたり、少年の親切を自然に受け入れられるような、美しい空虚な気持ちになった。という所から。他「二十歳」もおもしろかった。「むすめごころ」は、作者が中学時代の寄宿舎で同室だった初恋の少年への気持ちを、思い起こして書いたのだろうかと読みながら思ってしまった。他数作品は生と死について、彼の独特の空想、非現実世界が広がっている作品だった。 ノーベル文学賞受賞者というので、いいんだろうなぁ。いいんだろうなぁ〜。と少々読む前から、暗示にかかっていた所もあるかも。で、★★★★
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Posted by ブクログ
『雪国』(川端康成)読後感想と考察
1. 全体的な感想:白昼夢のような没入感と視覚的鮮烈さ
本作の最大の魅力は、過度な筋立て(ストーリー性)に頼らず、極限まで研ぎ澄まされた風景や光、音の描写によって、読者を一瞬で小説の世界観へ引きずり込む力にある。
特に印象的だったのは、冒頭の汽車における「窓ガラスに反射する女の顔と、外を流れる夕暮れの灯火」が重なり合う描写である。景色そのものに派手さはないものの、無理なく情景が立ち上がり、まるで自分自身がその透明な美しさの中に佇んでいるような感覚を覚えた。自分の精神世界と作品の波長が静かに重なり合い、白昼夢を見ているかのような独特の没入感を味わうことができた。
2. 抱いた違和感と課題点:希薄なドラマ性と関係性の不透明さ
一方で、現代的なエンターテインメント小説や因果関係の明確な物語に慣れている身からすると、強烈なフラストレーションを覚える側面もあった。
人間関係の不親切さと放置される疑問
「汽車にいた葉子とは誰なのか」「夜ごとに部屋を訪れる駒子とはどういう関係なのか」といった前提条件がほとんど説明されない。葉子がなぜ精神を病み、ラストの火事でなぜ2階から落ちてきたのかすら明言されず、物語の輪郭が意図的にぼかされている。
物語の停滞(「話がフワフワして進まない」感覚)
男女の関係が決定的に進展するわけでもなく、具体的な事件が解決するわけでもない。「早くくっつけばいいのに」と思わせるような曖昧な逢瀬が繰り返され、話の展開の少なさやドラマとしてのカタルシスの欠如には、率直に物足りなさや自身の読書傾向とのミスマッチも感じた。
3. 純文学の仕掛けとしての面白さ
しかし、この「話の進まなさ」こそが、日本の純文学(新感覚派)が意図した仕掛けであるとも理解できる。
主人公・島村は生活者ではなく、親の遺産で暮らす有閑階級の傍観者であり、現実の責任を背負う気がない。だからこそ関係性は進展せず、物語は「因果関係のドラマ」ではなく「美しいスナップショット(絵画的な瞬間)の連なり」として機能している。人間関係を記号化・背景化することで、純粋な感覚美(雪の冷たさ、夜空の星、肌の白さ)だけを抽出して読者に手渡す手法は、非常に実験的で批評性の高い面白さを持っていた。
『雪国』が持つメッセージ(一般的な解釈と両論)
川端康成自身は特定の道徳的教訓や思想を語ることを好まない作家でしたが、文芸批評や文学史において『雪国』が提示しているとされる核心的なメッセージは、「人間の営みや情熱の根底にある『徒労の虚しさ』と、それゆえに立ち現れる『美』の結晶化」です。
具体的には、以下の3つの側面から語られることが一般的です。
1. 「徒労(とろう)」の美学
作中で島村は、駒子が日記を細かくつけ続けたり、芸者として過酷な生活の中で必死に三味線を稽古したり、病気の男のために尽くしたりする姿を見て、繰り返し「徒労だ」と感じます。
どれほど必死に生きて愛しても、人間はやがて老いて死に、雪国の厳しい自然の中に埋もれて消えていく。
しかし川端文学において「徒労」は単なる無駄ではなく、「どうせ報われない、意味のない現実だからこそ、その瞬間に燃やす命の輝きが純粋な美(悲哀)として光る」という逆説的な生の肯定として描かれています。
2. 「現実(肉体)」と「虚像(幻影)」の対比
島村にとって、駒子は生活の泥臭さや情念を背負った「生々しい現実(肉体)」であり、葉子は窓ガラスの鏡越しにしか捉えられない「手の届かない純粋な美(虚像)」でした。
人間は現実の重みに耐えかねて清らかな理想(夢)を追い求めるが、理想だけでは生きられない。
ラストの火事で、天の川(無限の虚像・冷たい自然)が島村の体内に流れ落ちてくる結末は、現実の人間関係から逃走し、純粋な美の虚無へと吸い込まれていく人間の救いようのない業(エゴ)を描いていると解釈されます。 -
Posted by ブクログ
主人公(川端)が寄宿舎生活を送っていた頃、同室だった後輩と紡いだ親交と、思春期らしい執着や依存の気配が描かれている
愛と美に対する強烈な憧れから、美しい人間に執拗なまでの眼差しを注ぐ川端も、やがて宗教に傾倒していく後輩も、どちらも理想を追い求めるが故の孤独が匂い立つのが印象的だった
肉体的な接触を匂わす描写もあるけれど、どこか儀式めいて感じられたのは、その触れ合いの先に、心を通わせたいという人間の感情ベースの欲求が見えてこないからかな
思春期の危うく瑞々しい美と、それを強引に(それこそ生活費を使い込んででも美しい時計を買い求めるように)我が物にし、愛でようとする作家
読書中、あの強すぎる眼がずっと頭から離れなかった -
Posted by ブクログ
暑い夏に読みました。
雪国の美しい景色と、その地で生活する人々の暮らしの描写が、何とも涼やかでした。
登場シーンであんなにも美しく、清潔な印象を持っていた駒子が、徐々に俗っぽく、鬱陶しささえ感じさせる女になっていってしまったのは、なんとも哀しいような気がします。
島村と出会ってなければ、彼女の人生は違っていたのかな…。
というか、駒子は島村のどこにそんな魅力を感じたのでしょうか。都会暮らしで文化的な趣味を持つ所でしょうか?
妻子を置いて何度もこの地に来る(小太りな)男、現代の価値観ではなかなか彼の良さは分かりづらいなあと思います。
でも、日本を代表する文豪による、優れた文学的表現に触れることができ、良い経験になりました。