川端康成のレビュー一覧
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本書は1968年に、川端康成が日本人初の受賞者となったノーベル文学賞のスピーチ「美しい日本の私」(サイデンステッカーによる英題は「Japan, the Beautiful, and Myself」)を含む、随筆集である。3日間の徹夜のもとで、スピーチ直前に書き上げられた「美しい日本の私」は、やはり川端康成の文学世界を理解する上では一級のドキュメントであろう。
このスピーチでは、道元や西行などの和歌を引用しつつ、古来から日本では自然描写に内在される美しさを尊ぶ文化があることが示される。そして、芥川龍之介の自殺の遺書である「末期の眼」を引用しながら、そうした美しさが顕著に感じられるのは、生活力・動物力とは対局の静かな死を待つ境地においてであり、それが日本特有の”虚無”の概念に通じる、とまとめられていく。
実際、本書に併録されている「末期の眼」という随筆では、修行僧の澄み切った世界では、あらゆる自然の事物が途方もない美の世界として理解され、あらゆる芸術の極意がここにあるとまで語られる。この要点は、世界をどのように理解して何を美と感じるかは個々人の世界認識に依存し、客観的な美があるわけではない、その主観的な美の世界を自殺直前というような「末期の眼」を通さずに文章で再構築すること、そこに日本文学の特異性がある、ということだろうか。
その点では、原題と英題の微妙なズレを意識することは極めて重要であるように思われる。原題は「美しい日本の私」であり、接続詞により”私”は”美しい日本”に包含されることが明示される。この二語の関係は、”美しい日本”という世界が”私”の主観的世界に依拠するものであるという川端康成の主張を示すものであると理解される。一方、英題の「Japan, the Beautiful, and Myself」では、”Japan, the Beautiful”と”Myself”は”and”という並列詞で接続されている。この並列詞により、”美しい日本”は”私”とは無関係に、ア・プリオリに存在しているかのような印象を抱いてしまう。この微妙な原題と英題のずれにこそ、川端康成が考える日本文学の特異性が最も表出しているのかもしれない。 -
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ネタバレ『伊豆の踊子』
旅先で出会った踊り子に心惹かれ、ふれあいの中で心が洗われていくお話。主人公が伊豆を訪れた理由について、「二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。」と述べている。川端自身の出生が作品に大いに影響していることは、言うまでもないだろう。
有名な作品だけど、こんなに短かったとは。サックリ読めた。
『青い海黒い海』
なんと奔放な作品か。全てが漠然としたイメージで成り立っている。それぞれが何の比喩なのかまったく理解できないけれど、作者の死生観、そして触れたことのない母を求めているんだろうなあと。
『驢馬に乗る妻』
元恋人の妹と結婚した男。その結婚生活は、元恋人の犠牲の上に成り立っているのだろうか。この男情緒大丈夫か?と思ってしまう。最後の妻を驢馬に乗せるシーンが、何を表現しているのかわからない。川端の作品は肝心なところを書ききらない。
『禽獣』
「夫婦となり、親子兄弟となれば、つまらん相手でも、そうたやすく絆は断ち難く、あきらめて共に暮らさねばならない。おまけに人それぞれの我というやつを持っている。
それよりも、動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を目標と定め、人工的に、畸形的に育てている方が、悲しい純潔であり、神のような爽かさがあると思うのだ。良種へ良種へと狂奔する、動物虐待的な愛護者たちを、彼のこの天地の、また人間の悲劇的な象徴として、霊障を浴びせながら許している。」
悲しいなあ。
『慰霊歌』
鈴子を霊媒に、呼び寄せた花子の美しい霊。これも母体への渇望が現れた作品なのかな。うーん、解釈が難しい。
『二十歳』
これは唯一わかりやすい作品だった。継母の意地悪、実母の死に接し、坂道を転がるように堕ちてゆく人生。
「彼のなかの女性的なものが、彼を女になれなれしく、女をさげすませつつ、しかも、この世に女がいる限り、自分はいつか立派な人間になれるというような、安らかな夢を、どこかに持たせているのだった。」
ねじれてるなあ。しかしあんな最後ったらないよ。
『むすめごころ』
咲子健気かよ涙。大好きな人同士が結婚したら嬉しい、けどどこかで嫉妬を感じてしまう。心の機微がなんともすばらしく描かれている。
『父母』
旧友に宛てた手紙。内容は、「お前が生き別れた娘と軽井沢でテニスに興じているが、特別な関係になってしまったわ!」これは実父にとっては堪らない話だが、真偽のほどは・・・?
全体的に解釈が難しいけれど、各作品に残る疑問が、作品に深みを与えていることは間違いない。しかし男性作家とは思えないほど少女の心をわかっていらっしゃる。 -
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角川ソフィアの「先人に学ぶ」シリーズに、随分お世話になっているなあと思う。
何をどのように編むか、というのはその人の主観もあって、でも普遍性も必要で、難しい作業ではないだろうか。
今回は「美と日本文化」をテーマとした作品を再編集したとのことだ。
私が読みたかった「美しい日本の私」。
解説には最初「美しい日本と私」であり、英語でも「Japan the Beautiful and Myself」であるのだが、川端の手によって「と」が「の」に変えられたという。
これだけでも、もう充分に面白い。
こうして同じテーマを追いながら編んでいくことで、似通ったもの、根底に流れている思いが浮かぶ。
「すぐれた芸術作品は、一つの文化が爛熟して、まさに頽廃に傾く一歩手前の時に生れることが多いようである。鎌倉時代や室町時代に、作家としての天分が紫式部に劣らぬ人はいたかもしれないが、源氏物語に近づく小説は一つも出なかった。時代の運命であろう。」(「私の考え」より)
「日本の物語文学は「源氏」に高まって、それで極まりです。」(「美の存在と発見」より)
「明治は明らかに勃興の時代でありましたが、「明治百年」の今日がまた勃興の時であるのか、あるいはこれでもすでに爛熟の時にさしかかっているのか、やはり自分がその時のなかにいては、見定めにくいのですけれども、わたくしは未熟の時のように感じています。」(「日本文学の美」より)
そして、後半では「末期の目」として、自殺した芸術家への批判を述べた作品が収録されている。
「この安心のままいつしか芥川氏の死の年に近づき、愕然として故人を見直せば、わが口を縫わねばなるまいが、そこはよくしたもので、自分を恥じる一方、さては自分はまだまだ死なぬのであろうというような、別種の安心に甘えるのである。」 -
Posted by ブクログ
川端康成自身が短編を選び、解説を加えたもの。
以下の感想以外の短編も目を通しましたが、
言い回しや、歴史背景などがよくわからず、挫折しました・・・。
☆伊豆の踊子
自分が孤独根性で歪んでいると、反省を重ね、
その憂鬱に堪えかねず旅をしたが、
旅で出会った踊子がとても純粋で可憐であり、
恋愛ともまた違う好意が芽生え、
主人公を心身ともに清らかな気持ちにさせてくれた。
読んでいて、きれいなきもちにさせてくれると思いました。
今のロリコンとかと通じるものがあるのかなぁ。
いや、そんなことは無いはず!
描写がとても美しかった。。
☆春景色
絵かきとその恋人が田舎で生活をする様子を、景観の描写を豊かにして書いている。
ほのぼの日記。
☆青い海 黒い海
第一の遺言
きさ子と婚約出来ず、熱病にうなされた時、りか子に呼びかけてもらった。
第二の遺言
りか子との無理心中。二人でみた黒い海はりか子がしんだ後青い海だった。
作者の言葉
それぞれの遺言の解説
死と恋の描写がとてもダイナミックに感じられる作品。場面が激しく変化し、恐怖や、儚さを感じ、最後にはちょっとした切なさが心に残った。 -
Posted by ブクログ
荒木飛呂彦がカバー画を描いていたので買ってしまいました。
ま、完全にやりすぎでしたが。
孤独な生涯を送ってきた20歳の主人公が旅先で出会う14歳の旅芸人の踊り子に恋をしてしまう、題名作「伊豆の踊子」。
若さゆえの淡い恋心に揺れる主人公の行動がいじらしい。
が、時代が違いすぎて感情移入できなかったため、★ひとつ減。
それよりも注目すべきは収録されている他4篇の短編。
川端康成の表現力に圧倒される。
川端が15歳のときに書いた日記を、のちに自身で注釈を付けくわえた「16歳の日記」。
そのスタイルだけでも新鮮だが、死の間際にいる祖父との会話を【この世の声ではない】と表現するなど、15歳とは思えないほどの感覚に痺れてしまう。
田舎の温泉宿で働く女中たちの日常を描いた「温泉宿」。
いつもどおりの日常、異性への配慮などは捨て去ってしまったかのような立ち居振る舞い。そんな中にポツリポツリと混在するエロティシズム。
祭りという日常の断片を切り取った「招魂祭一景」。
奇怪な設定、奇怪なストーリー「死体紹介人」。
あ〜もう伝えきれない、とにかく読んで!
やっぱ古典はすげー!