川端康成のレビュー一覧
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皆さん多分一度はよんでますよね。私も小学生の頃読んで、子ども達が小さい頃買ったのを再び読んで、今度は川端先生の訳で読み返しました。
気難しいおじいさまがセドリックの無邪気さややさしさにほだされて、やさしいおじいさんに変わっていく。最後は嫌っていたアメリカ人の嫁の良さも認めて一緒に暮らす…というストーリーの主軸は覚えていたのですが、偽者が出てきたのは記憶になかった。
たぶん子どもの頃は省略されてる本を読んだのかもしれないですね。そして、偽者事件を解決するのにセドリックのニューヨークのお友達が一役買っていたのも面白かった。あの二人のお友達、なかなか味がありますね。
解説を読むと、実際に翻訳したのは野上彰って人だったようですね。川端先生はおそらく…翻訳された日本語を編集したのかな?と思います。川端先生の名前のほうが本が売れるからでしょうね。その証拠に印税はすべて野上さんに渡していたようです。
翻訳で一つ引っかかったのは、使用人達がセドリックを「小公子さま」と呼び掛ける点。タイトルとしては定着しているので変える必要はないと思うけど、小公子ということばが日本語の文章の中に紛れているのが、何か不自然に思える。原文がどうなっているのかわからないけど、(Lordかな?)他に何かいい表現はないのかなと思う。 -
Posted by ブクログ
ノーベル賞受賞後の記念講演会での講演「美しい日本の私」を含む、戦前戦後のエッセイをまとめたもの。どのお話にも川端康成の「日本の美」に対する思いが込められている。川端の感じる美というのは、日本画や自然にとどまらず、源氏物語などの小説や勤勉な労働者など幅広く、本質的には「もののあはれ」に表現される、純粋さや儚さ。一方で、戦争で夫を亡くした寡婦が、姑を養いながら残された子を育てる姿を取材することなどは、川端自身も純粋に美しいと思っているのだろうが、今でいうヤラセ感がないではなく、戦争・国策の影響を感じる。
「もののあはれ」を至上の美と考えていた川端が、戦後の混乱した社会や米国に傾倒している人々を見てどう思ったか。太宰や三島の自死を非難していた川端自身が謎のガス自殺を図った理由が垣間見える気がする。オリンピックとコロナ禍で混乱する今の日本をどう見ているか。
全体を通じて日本語が豊かで美しいの感じるので、読みがいのある一冊。 -
Posted by ブクログ
横光利一らと共に「文藝時代」を創刊し、ダダイスムな芸術活動の先駆となった「新感覚派」と呼ばれる作家グループの代表的作家・川端康成の短編集。
本作は氏の処女作から、その文芸活動の前期にあたる作品が収録されています。
川端康成ははっきりって読みやすい作家ではないと思っています。
例えば、本作収録の"温泉宿"はこんな出だしで始まります。
「彼女らは獣のように、白い裸で這い廻っていた。」
これは何を表現しているかというと、風呂掃除をしている女性たちなんですね。
こういった、比喩的な、詩的な表現が多用されていて、表現力が多彩すぎて何が書かれてるかすぐにわからない場面が多々あります。
ある種のクイズのようなこの表現は、イジワルでやってるわけではもちろんなく、例えば上記例の場合、"温泉宿"は実は娼館で、そこに漂う人熱れが一文で伝わってくるようになっており、単に、「女性たちは裸で風呂掃除をしていました。」と書くよりも、より確かに情景が伝わってくるわけです。
そのため、川端康成の文学は、読むだけで情景が鮮やかに伝わってきて、さらには日本語の美しさ、その多様さ、自由さを堪能できるものになっています。
ただ、一方で、あまり文学を読まない方は、繰り返し読まないと意味が伝わってこず、文章量の割にはまったく読み進められずに挫折することにもなる可能性もあります、
一応、掲題の"伊豆の踊り子"が最も読みやすいと思いますが、川端康成らしさというと、私的には、他の作品の方がそう感じます。
本作収録作は、皮切りとして、川端康成文学に親しむことができると思います。
各作品の感想は以下のとおりです。
・十六歳の日記 ...
発表されたのは「文藝時代」の創刊後ですが、書かれたのは川端康成の中学3年生の頃で、事実上の処女作です。
寝たきりの祖父を看病していた日記風の文学で、執筆したことも忘れた頃に、伯父の倉から発見され、注釈等を付加した上で出されました。
苦しみながら日に日に弱ってゆく祖父の様子を、川端少年の視線から純粋に写実した内容となっており、計算されない死の嫌悪や祖父の看病の煩わしさなどが生々しく克明に描かれます。
苦しみながら放尿する祖父の尿瓶の音を"谷川の清水の音"と表現するなど、非凡な谷川少年の才覚が垣間見える作品となっていて興味深い作品です。
・招魂祭一景 ...
川端康成の最初期の作品。
氏は本作で菊池寛から認められ、その他多くの著名な作家から高く評価されたことで商業作家としての地位を得ることとなりました。
まず、曲馬娘の「お光」から見た、靖国神社の招魂祭の賑わいが描写され、昔、曲馬団にいた「お留」という女性に、早く世帯を持って引退することを勧められる。
そして、動揺したお光が落馬する、と、まあそれまでの作品なのですが、情景の描写と会話だけで、登場人物の感情、心理が伝わってくるようで、完成度の高い作品と感じました。
・伊豆の踊り子 ...
言わずと知れた川端康成の初期の代表作。
川端康成の、自身の伊豆旅行の体験を元にしています。
憂鬱から逃れるために一人、伊豆へ旅行に出た学生の「私」は、旅の途中で出会った旅の一座の踊り子に心惹かれます。
一座を率いる踊り子の兄と仲良くなり、道中共にすることになるが、という展開で、伊豆の風景美や、「私」と「踊り子」の心理描写が、直接的に表現されていないのに、ダイレクトに伝わってきます。
氏の代表作であり、テーマも明るく一般的で、読みやすい名作と思います。
・青い海 黒い海 ...
岩波文庫の本作は川端康成自らがあとがきを書いているのですが、それ曰くには"横光利一が非常に褒めてくれた"作品。
確かに新感覚派らしい、感覚的な作品だとは思いましたが、本作については高次元過ぎて何が書いているのかさっぱり意味がつかめなかったです。
日本語なのですが、抽象的で、ストーリーがあるのかすらわかりませんでした。
本作については、ネットを調べてみても明確に解説できている情報もないので、無理して理解せず、"こういう作品も書くんだ"でとどめておくのが吉な気がしています。
・春景色 ...
ある絵かきとその恋人の日々を情景豊かに描写したもの。
こちらもなんでもない日常の一コマを記述しているだけなのですが、表現が文学的で難解です。
話がブツブツと飛び、状況を把握するための大事な一行が婉曲的にサラッと書かれます。
それほどページ数もないのですが、読むのが大変な作品だと思います。
また、特に物語的な面白さも感じられなかったのも残念でした。
川端康成らしさのある作品だと思いましたが、おすすめはできないです。
・温泉宿 ...
ある娼館を舞台にした作品で、そこで働く女達について描いたものとなっています。
土工を相手にするような、安い温泉宿で、体を壊しながら働く事情持ちの女達がの様子が書かれており、明確な主役というものはいません。
閉鎖的で退廃的な場所で働く彼女たちは、不思議と、躍動的な雰囲気が感じられました。
個人的には"伊豆の踊り子"よりも表現豊かで、川端康成らしい文学だと感じました。 -
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表題策を含んだ短編集。踊り子がスタンド使ってる表紙という触れ込みに踊らされて購入。
伊豆の踊り子はエリート学生の主人公が踊り子に見惚れて踊り子達と一緒に旅をする話。身分の差が憚る恋、と一言で言えれば簡単だが、恋に落ちたという自覚の描写もなし。多分そういうことではないのだろう。だからこそ、綺麗な話として読める。踊り子が茶屋のおかみさんや宿の人に蔑まれるが、それが余計に主人公の踊り子に対する庇護心というか、この人を特別に思うのは自分だけだという選民思想的な感情も抱かせる効果があるのだろう。
個人的なお気に入りは死体案内人。同室だが顔見知りでもなんでもない女の死をきっかけに起こる話。こんな話を思い付く著者の才能を感じる。
解説でもあるが、醜さの中の美しさを見出だす作者の才能が随所に現れている。文学とはいえ、文章のきれいさと話の面白さによりするすると読める。 -
Posted by ブクログ
川端康成 「伊豆の踊子」「温泉宿」「十六歳の日記」「死体紹介人」ほか 短編集。驚きの連続だった。
荒木飛呂彦の表紙イラスト以上に、川端康成の孤児根性や死者への執着 に驚く。「伊豆の踊子」が映画のイメージと違うことに驚く。あまりにグロテスクな「死体紹介人」に驚く。
「十六歳の日記」あとがきの記述が 川端康成 理解のヒントになった。「家とか家庭とかの観念は私の頭から追い払われ、放浪の夢ばかり見る〜死者の叡智と慈愛を信じている」
「伊豆の踊子」自分の孤児根性に嫌気がさした主人公が 踊り子の少女に癒され、他人の親切を受け入れられるまで を描いた。踊り子に 家や家庭のない自分を見たのだと思う
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「伊豆へ旅するひとにも伊豆を旅したひとにも伊豆の旅を想う人にもなつかしい愉しい本」と編集者の方が結論づけたことに同意です。
今回は、伊豆旅行の道中で読み出し、本文中の美しい自然描写を実感。2月に関わらず、河津桜と温かい日差しに迎えられて、まさに「美しく晴れ渡った伊豆の小春日和」でした。
偶然にも川端氏が「伊豆の踊子」を書いた二十八歳になって、幼い頃に比べてじんわりと文章を味わえるようになって感慨深い。
ただし、「椿」に書かれているように、「少年の夢みたいな」赤裸々な部分は、表現が豊かすぎるが故に恐ろしくも感じます。また、その感覚を知りながら「伊豆の踊子」を読むと違う手触りがします。
「六月の町の女は 、さっとゆでた野菜のように美しい 。」くらいは可愛いけれど。