福澤徹三のレビュー一覧
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面白かった。まあ、なんか予定調和ではあるが、美味しそうなのでゆるそう。
若水良太はFランクの大学4年生でまだ就職は決まっていない。ハイエースに二人の男が人間型の重そうな何かを運び入れようとしているのに出会い、銃撃が始まった。パトカーが来て、二人組は良太の家に乗り込んでくる。一人は組長らしい。ご飯を作ってくつろぐ。大学に行く時間になっても出て行ってくれない上に口止めされた。
組長は料理を教えてくれる。帰ったら冷蔵庫とフライパンが代わっていた。
友達に家に来ないように何度も言ったのに、突然イブの日に押しかけられた。組長がご飯をみんなに作ってくれる。
年越しても二人は居座っている。就職内定したら出て行ってくれるという。だごブラック企業にひっかかりそうになったり、面接で全くアピールになっていないと言われたり散々である。 -
Posted by ブクログ
福澤徹三『あねご酒 角打ちの流儀』PHP文芸文庫。
東京の下町辺りには今でも角打ちをやっている酒屋があるのだろう。昭和の頃は、自宅の近くの酒屋でも角打ちをやっていた。その頃は自分は小学生だったので、あれが角打ちだというのはずっと後で知った。小学校の帰り道、その酒屋の前を通ると小汚い労務者風の格好をしたオヤジたちが何時も酒を飲んでいたのを覚えている。
最近だと自分の住んでいる町の隣町で、町をあげての角打ちイベントを行っており、昭和レトロがひとつのブームになっているようだ。もっとも10年以上前に酒を一切止めた自分には関係無いのだが。
さて、本作。東京の下町にある昭和レトロな酒屋の角打ちを巡るストーリーなのだが、福澤徹三の『侠飯』同様、ちょっと冴えない男が主人公である。
角打ちを営業するダルマ酒店の小鈴が提供する美味そうな料理の数々と下町ながらの人情を背景にハラハラ、ドキドキのストーリーが展開する。捨てる神あれば、拾う神あり。
ネットやスマホなどが無く、人間同士のリアルな繋がりがあった昭和の時代は良かったなと、古き善き時代への郷愁を誘う面白い小説だった。
広告代理店に勤務する30歳の係長の暮林達也は会社の飲み会で、専務のセクハラを咎めたことで資料課に左遷される。資料課では、うだつの上がらない上司の元でクセの強い同僚と雑用をこなし、定時で帰る日々を過ごしていた。
ある夜、自宅アパートで独り飲みをしていて、酒とつまみが尽きて、近くのコンビニに調達に行こうとしたところ、道に迷って昭和レトロなダルマ酒店という酒屋の角打ちに辿り着く。女将の小鈴の手料理は絶品で、常連客は美形ニューハーフのモモヨを始め、クセ者揃いで、恋人も友達も居ない孤独な達也は不思議な魅力に惹かれ、ダルマ酒店に通い始める。
そんな中、達也の会社は売上が激減し、リストラこそ行われないが、資料課のメンバーに膨大な量の資料廃棄作業が命ぜられ、実質的な追い出しが行われる。
ダルマ酒店では、店に来た高飛車で傲慢なユーチューバーと小鈴が店内の撮影を巡って揉め、小鈴がユーチューバーを追い返すが、そのユーチューバーは腹いせに誹謗中傷動画を作り、ネットで公開する。動画は炎上し、心無い動画の視聴者がダルマ酒店に嫌がらせを始める。
本体価格980円
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ネタバレ2026.01.02
本書の良さは序盤は人によってはクドイと感じるくらい丁寧に、登場人物の日常を明らかにするための背景描写があり、かつ、終盤には疾走感のあるイキイキとしたアクションが描かれるという小説としてのバランスの良さにある。
ネタバレになるが、確かに、ある登場人物の女性は「男を見る目がない」と思うし、男は女性の前で見せる顔とは違う顔で生きているのだなとも思う。これに対し、男性たちは良い人、悪い人、いろいろだが、「そうだよな」と腑に落ちる行動をとるところにも納得感がある。登場人物それぞれの心と行動のありようが人間らしく描かれることに好感を持っている。 -
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ネタバレ普段よりも、登場する若者が、まとも。
普通の若者が、気が付けば、犯罪に巻き込まれていく。これまでの、若者に喝を入れる、教えるという展開とは、一味違う。
今の不寛容社会の問題と、そんな社会で生きる上での心構えが語られる。
全てが金と、若者が感じられる社会にしてしまった大人の責任が述べられ、若者への贖罪と、そんな社会でも自ら切り開くとい観点からのエールが垣間見られる作品だった。
世相か。
今回のメッセージは、最後の締めくくりに書かれているとおりだろう。
[引用]
他人の失敗を許せない人びとや他人を見下す人びとは、誹謗中傷やレッテル貼りを続けるだろう。
しかし、社会が変わらなくても、自分は変えられる。人生をつまらなくするのも自分、充実させるのも自分なのだ。
[ここまで]
下手をすると、自己責任論とも読めてしまいそうで、困っているときには難しい。
別に読んだ禅の本にある、大いなる自己というもの、生かされていることを含めての自分次第、という補助線も必要な気がする。
全て自分次第というところと、人に助けを求める、協力するということをどうすれば両立できるのか。自分の課題にもつながる。
今のところ、そのあたりは、わからぬままに、探究していくしかないですね。
誰かそのへんは、教えて頂けるとありがたいです。
しかしまあ、若者が都合よく、レシピに関心を持って質問してくれたりは、やはり物語のご都合的なものなのかも。現実社会では、そうしたことを聞いてくれる人自体はいなかったり、聞いてもらうための関係性の構築やティーチングも必要なんだよなと。ストーリーに慣れすぎると、ストーリーどおりに展開しない現実にイラッとしてしまうが、人それぞれ、違うストーリーを生きてるから当たり前なのかもなと、改めて思う。
そういうことも含めて、まずは、他人を見下さない、レッテルを貼らない生き方を丁寧に心がけて、自分の目指したい、多元主義と共生、寛容という価値観の体現に取り組みたい。
チカラを入れて力まず。