朝井リョウのレビュー一覧
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そっか、桐島部活辞めるんか...
そんな感じの小説だった。桐島のことは知らないし、友達の友達でもない、けど確実に彼がいなくなった影響を受けている。仰々しい言葉を使うならバタフライエフェクトだ。そんなことをひしひしと感じられる小説だった。
決して桐島視点からは物語は語られないし、桐島の親友と呼べるものからの視点もない。だが確実に彼が存在したいたことがわかる。
文庫版ではある少女の話が追加されている。小説の登場人物の重い女の過去の話だ。桐島とは関係ない。しかし、なぜかそこにはこの小説に関係しかないいわざる得ない何かがある。
私にとって本書は朝井リョウの小説第1号だった。朝井リョウのデビュー作の衝 -
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ネタバレ映像編集を生業している身として、グサグサ刺さるものがたくさんあった。自分はショウゴタイプに憧れるがなかなかなれないので、どこまでも質を追い求められる人はすごいなと思う。
言葉によって共感を呼ぶタイプの作品だけど、登場人物に語らせすぎて「物語」は感じにくい。最後はどうなったのかわからない「問」で終わるけど、ここは知りたかったかな。
以下登場人物の名言要約メモ。
頭の中に編集ソフトがあればいいのに。消費者がかけているのはお金でなくて時間。2時間かけて本気の映画を観るのは辛い。みんなが共感できる事が減ったから、生死を扱う医療ドラマが増えた。質を高めるのが許されるのは特別な人。若い人は1作品に問 -
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ネタバレこの本の特徴はやはりスクールカーストのリアルさだと思った。自分の学校にもあるようなあのグループとそれ以外の壁。例えば運動部のエースとか派手な女子が教室の真ん中にいる中、端っこで空気を読んでいるような人たちがいるというヒリヒリと心臓に悪い描写。吹奏楽部の部長とか、映画部の前田とか。みんな何かに必死だけど、それが将来の役に立つのかもわかんないし、前田がゾンビ映画に情熱注いでる姿はすこし切なかった。中心にいた桐島がいなくなっただけで、周りの人間関係がボロボロ崩れていくのが怖かったし、みんな桐島を通して自分を見てただけなんだと思った。できる人もできない人もみんな足掻いてるんだと感じた!!
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これ系は結構好き
改めて浅井りょうの今までの読後感想読んだら
好きな作家さんだった
確かに昔とくに中高ぐらいか
男子が集まって話すと何かというと競いたがる
風潮あったかも
くだんねー自慢話とか
どっちが酒が飲めるとか
原付免許持ってるとか
それも自分じゃない知り合いの先輩がどうとか
せめてお前の話をしろよと思った
ホントその中に存在することが苦痛だったけど
我慢してたな
だから集団じゃなくてもいい
自分で選択できる
大人になってからは
しあわせになった気がする
てか堀北君は試験の順位や運動で競ってんだから
むしろ健康的じゃないかw
ボクの周辺はもっとずっと低レベルだけど
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★★★★ 何度も読みたい
オムニバスで、同じ空間を共有している者たちの短編集。本当に必要なことを大切な人に伝えることができない女子大生、楽しく日々を送りながらも熱中するものが見つからない男子大生、母の再婚に気持ちの折り合いがつかない美大生、美人な姉と比較され続け、彼女を追い抜きたい浪人生、ダンスの専門学校に通いながらも才能の限界を感じている専門学生がそれぞれ主人公になる。
特に最後の「破りたかったもののすべて」は院進と就職で悩んでいる私に深く刺さった。高校時代に言われてきた「すごい」には賞味期限がある、とか、普通になることを選べなかった、とか。その道を選ぶ覚悟は本当にあるのかと問うてくる作 -
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全部持っていかれた。著者の現代の生きづらさを言語化する明瞭さがハンパない。自分の人生に投写してしまうぐらい共感した。正論と個人主義と死にがいと人間の性みたいな抽象的な概念が、温度感を持ちそのまま人になり群像劇になっている。生きがいを求めないと自分の存在確認ができない、他者との好善なつながりを担保できないのは、育ってきた生育環境を省いても、そういう葛藤はあるのだろうと思った。人間の性として著者は、弱さに重きを置いてる気がする。ダメだけどやってしまう、不安でたまらない、求めてしまう、人間の土台は弱いからこそ、その上時代の変化になんなく影響されてしまったり。そういうところを取り出して保存してるのが好
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大学生の時、私も死にがいを求める症候群になっていたことを思い出した。今思えば、周りの人とは違うと自分を肯定してあげたかったことが理由だと思う。
そんな私を変えてくれたのは夫で、社会問題は考え出したらキリがないし、誰かがかならず全力で解決してくれるのだから、自分の好きなように生きたらいいという、ある意味生殖記的な考えを持っていた。
今は彼の言葉で楽に生きられているし、生活や趣味を大切にしている自分(むしろ、仕事のように、よく見えない誰かのためにすることの重要度を下げている自分)に満足している。
…と書いていてふと思ったのだが、令和の時代は、他者との分断、自己責任論を超えて、それを放棄する -
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雄介のイタいかんじ、めちゃめちゃ伝わってきた。友達にいたら引いちゃうと思うけど、じゃなんでコロコロ生きがいを変えちゃダメなのかはわからない。
でも、人から感じる胡散臭さとか信用できない感じって、雄介みたいに自分の見栄とか理想を優先して追求しまくって、周りの人を自分を輝かせる照明的な存在としてしか見れてない人から醸し出されるものなのかなって思った。
自分が何をしたいか、どうなりたいのか、何が好きか、みたいに自分の考えを感じられるようにならないと生きがい地獄からは逃れられないような気がする。人を勝手にランクづけして、負けた勝ったを無意識に判断するの心当たりありすぎてキツかった。今もやっちゃってるか