山形浩生のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
本は分厚いが、要約は鈴木健氏の解説にのっている。
PlURALITYとは
人間は平等でありながら異なるを前提に社会的差異を超えたコラボレーションのための技術
集団による制限より個人の自由に重きを置くリバタリアン(ピーターティール達)ではなく、技術オリエンテッドで世界を変えようとするテクノクラート(サムアルトマン)でもなく、混沌とトップダウンの間の狭い回廊を広げる方法としてPLURALITYを提言する。一人一票の民主主義による混乱ではなく、超人(独裁王)の支配でもなく、多元的な価値観を尊重しつつ、少数にも優しいアウフヘーベンされた合意形成手法を指すものと理解した。新たな方策による合意だけではなく、新たな発見、新たな発明にもつながる。個人や同じ価値観だけの考えよりも多種多様な人や考えをもとに未来を造っていこうという主張である。
成功例:Wickipedia、台湾のCofacts(誤情報や偽情報の拡散に迅速に対応し、パンデミックの際、ソーシャルメディアのトレンドとSNSの私的チャンネルの両方に効果的に応答)
主著者;
オードリータン:台湾の元デジタル大臣(女性だったのですね)
政府と市民が共同して法案を提案するvTaiwanやjoinを導入
コロナを混乱なく乗り切ることに成功
グレンワイル ラディカルマーケット(個人主義の著書)から方向転換
クアドラティック投票を提案。複数表を投票できるが、集中させるほど費用が2乗で増加することで、意思の強さを反映できるとともに、多様な利害のバランスもとれるとする。
以下 備忘録
インターネット創成期の歴史:ARPAでリックライダーが時分割の大型計算機相互利用システムを立ち上げ、コンピュータを介した共同開発を推進。鍵はパケット交換、ハイパーテキスト、オープン標準設定プロセス
1979年にコンピュータと政府で悪いシナリオを予見
(政府による個人の監視、政府が民間技術に後れをとり規制能力が麻痺、独占企業の搾取、デジタル誤情報の拡散、情報のタコつぼ化、基本的なプラットフォームが民間企業に支配される)
→ 公的機関が社会技術的課題に公的投資を怠ったため、悪いシナリオが現実化
解決策: 公的デジタルインフラは 公的機関が主導すべき(電力、水道、道路等と同じ)
-
Posted by ブクログ
資本主義を帯びたグローバル化が世界を救い続けていることがわかった。自由市場では人はいい人になる必要があり、競合からの圧力によって価格は下がり、消費者は低価格で高品質なものを選ぶことができるようになった。
国は豊かになり、人も幸福になった。
でもなぜか、違和感があるような気がしてならない。むずむずするこの感覚はなんだろうか。
確かに私は今必要なものを十分持っているし、冬に寒くて凍死することもなければ栄養不足で痩せこけることもない。そして私はいい人だと思う。自己理解の努力もしていて、大抵のことは我慢できる自信がある。孤独を楽しむこともできる。だからこそ、あえて人と関わる必要がなくなっているのが私の今のいちばんの問題だと思っている。なぜなら自分さえ良ければ幸せだと感じているからだ。人のため、何十年後の未来の人たちのため、子孫のためなんか考えていないことが、なぜか、人として1番問題なような気がしている。
資本主義は確かに世界を豊かにしてくれたし、金銭面で本当に困ることなど無い。だからこそ、そろそろこの資本主義に終わりが来るのだと思う。それは資本主義で競争社会にいるAI業界の人たちが、寝る間も惜しんで日々AIの精度を上げていき、ついに完成した暁には、資本主義の競争など必要のない社会が待っていると思う。 -
Posted by ブクログ
読み解くと現代社会の「OS書き換えマニュアル」のような一冊だ。思想のポイントを3つに凝縮して紹介する。
1つめは、「個人」から「つながり」へのシフト。これまでの民主主義は「バラバラの個人」を単位にしていたが、本書は「人は関係性の中で生きるもの」という視点を大切にしている。台湾のデジタル民主主義がベースにあり、孤立するのではなく、どう繋がるかに知恵を絞るスタンスだ。
2つめは、「橋渡し」としての多様性。ただ「みんな違っていい」で終わらせず、バラバラなコミュニティの間にどう橋を架けるかという技術(ブリッジング)に踏み込んでいる。SNSの分断を壊すのではなく、違う島同士をポジティブに繋ぎ直すのが、本書の言う「複数性(Plurality)」の本質だ。
3つめは、みんなで公共財を育てる仕組み。お金持ちが力を持つ市場原理に頼りすぎず、より多くの人の意思が反映される「二次型ファンディング(QF)」などの数学的な仕掛けを提案している。AIも「人間の代わり」ではなく、「人間同士の協力をパワーアップさせる道具」として捉え直しているのが面白い。
まとめると、独裁でもバラバラな無政府状態でもない、「協力しながら多様であり続ける」という第3の道。まさに未来への招待状だ。
次は、この考え方を支える具体的な仕組み、例えば「二次投票(QV)」がどんなふうに私たちの意見を形にするのか、もっと詳しく解説しようか? -
Posted by ブクログ
言葉を覚えたり書いたり支配することとか、人間を嫌ってるくせになんだかんだ人間に近づきたいのかな。なんて。
牛の乳搾りが達者なブタってのも面白い。
こんなおとぎ話のような世界観だけど、元となる題材はロシア革命とその後。
独裁者となる豚はスターリンがモデル。
風刺がきいたおどろおどろしいディストピアな世界だった。
誰も反発せず考えようともしない環境。
知能の高い者が知能の低い者を洗脳して刷り込ませた言葉を繰り返させ思考を許さない現状に恐ろしさを感じた。
支配されて失うものは大きい。
知識や思考を止めないことがいかに大事なものか痛感させられた。
読んでて苦しくなる政治的皮肉めいた作品でした。 -
Posted by ブクログ
好況と不況、経済のターニングポイントでナラティブが担った役割についての考察。全体を通じて「…かも」と今ひとつ歯切れが悪いのは、その威力の全体像がはっきりしないからなのか。現代、急激なAIの進化の真っ最中である。OSINT、NoSQLデータベース活用により、草の根的に経済を読み解き稼ぐ者が増え、悪しき者が強力なナラティブをポイズニングし私欲を満たす様な事態に政府や一般民が巻き込まれた後、学術的にまとまるかもしれない。だが、仮にまとまったとて、そんな未来における経済・社会に占める人の役割の心もとなさ、憐れさよ。脆弱なる我々は何を聴き何を語るべきなのか。
とここまで書いたが、ナラティブに関しては情報技術の相性故に、このような書籍にまとまる頃には既に…。などと思わずにはいられない。訳者あとがきもいい味わいを出している。 -
Posted by ブクログ
作品全体には強い感情の爆発はなく、淡々とした、乾いた語りが続く。けどその乾燥は無感情ではなく、重たい倦怠感をまとった乾き。リーは嫉妬し、執着し、欲望に振り回されるが、それを激情としてではなく、疲労の中で繰り返す。人生は止まらない。倦怠の中でも旅は続く。
アラートン(モデルはアデルバート・ルイス・マーカー)との関係は、肉体関係があっても感情は対等ではない。アラートン( 実在の若いアメリカ人男性)は、バロウズよりかなり年下で、性的アイデンティティも流動的だったと言われている。
リーの方が明確に欲望を抱き、アラートンは「今日はやってもいいよ」と許可する側。そこには温度差と主導権の差がある。触れられる距離なのに、埋まらない距離。この冷たさが、滑稽さよりも寂しさを強調する。
リーの人生はほとんど欲望によって駆動している。若さへの欲望、承認への欲望、超越への欲望(ヤヘ探求)。ヤヘ(アヤワスカ)を求める旅も、アラートンへの執着も、根は同じ。「何かがほしい」だがその欲望は救済には至らない。
欲望を追うことは破滅と似てる、若さはそれを純粋な形で抱えるが、年齢を重ねると同じ形では続かない。だから欲望が衰えること自体寂しいことじゃない、その時の感覚を持ったまま(大人)の静けさに向かっていく
リーはきっとまた誰かに恋をする。同じような構図で、同じように欲望し、同じように満たされないかもしれない。だがそれは空虚ではなく、人間の持続の形。欲望は消えない。形を変えていく
3.8ぐらい -
Posted by ブクログ
世界的な反響を呼んだ通称アイヒマン実験。
人間が服従する時、極めて非人間的なことも厭わず行うのはなぜたろう。
本当にそのようなことが起こるのか。
実に興味深い話であった。
しかし、実験した時代にそもそも少しバイアスがかかっている可能性もあり、実験をもっと追求できる部分も残っていたとの感想もあるため、一概に本書の実験結果の説明が全てでないとは思われるが、解釈はともかく結果としては非人間的なことをやってしまう事実は受け入れないといけない。
被験者が電撃を与えることに躊躇しながらも、服従することにより最大電撃を与えることができてしまう心理はきっとその場にならないとわからない。
ただ、本書でも触れてある通り、権威の命令に応えることが目的となってしまい、その目的を如何に達成できたかが主体として認識されれば、普段の道徳的観念は消えてしまうというのもわからなくはない気もする。責任も転嫁されているから、罪悪感もないのかもしれない。
自分が実験に協力したら服従してしまうのかも知りたいところではあるが、ただ、この実験に正直協力はしたいとは思わない。 -
Posted by ブクログ
多数派に偏らず、他者との違いを認めて、多様性、多元性をテクノロジーを用いて協調させ、より良い社会を作っていこう。
テクノロジーは、とっても役に立つよってことだと思う。
全く自信ない。
頑張って読んだ自分偉い。
長かった。
この3連休、デジタルに振り回されたので、もうデジタルはしばらく触れたくない(スマホは手放せないけど)(古いパソコンを処分するのに手こずって、まだ終わらない)。
台湾のデジタル政策の素晴らしさはオードリータンの貢献が大きいのだろう。もし、日本にオードリータンがいたとしたら、その能力は潰される運命でしかないのだろうなと勝手な想像をして、残念な気持ちになった。日本には“オードリー・タンを生かす空間”がない。
日本はデジタル後進国で、他国からはデジタルコンテンツ消費国として重宝されているんだろうな。
日本発のグローバルプラットフォームを誰か作ってくれないかな。元Microsoftの伝説的エンジニアの中島聡さんでも、きっと日本じゃ活躍できなかったから、海外行っちゃったんだよね。
日本は、これからどう変わっていかないといけないんだろう。
先日、道端で超高齢のおばあさんが倒れてたのを救助したのだけれど、読んでいる間、そのおばあさんがずっと頭をチラついた。おばあさんは、身寄りがないって言っていた。連絡して欲しい知り合いもいないって言っていた。「私は1人なんよ」って言っていた。
『プルラリティ』読みながら、テクノロジーでおばあさんが取り残されない社会って、どうやって作るんだろうと考えていた。どこのコミュニティにも所属しないおばあさんの意見はどうやって反映する?
-
Posted by ブクログ
社会に対しての技術の方向性
・テクノクラシー:AIの可能性を重視し、それに社会を適応させる
・リバタリアニズム:暗号とネットワークコミュニティが政治・組織に替わり、
規制から解放され自由市場に個人が参加できる
全要素生産性の停滞要因
・テクノクラシーに起因
→技術進歩が自動化に向かい、労働力を補う方向になっていない
・リバタリアニズムに起因
→政策が積極的な産業発展の構築を止め、自由市場任せにしてしまっている
デジタル民主主義のプロジェクト
・零時政府/g0v(ガブゼロ):オープンソース・自ら実施・公共性
政府のデジタルサービスの品質・データの透明性に不満
→市民ハッカーが政府Webサイトのデータ表示・インタラクションを変革
→オリジナルよりも人気になり政府でもサービスに取入れ
→技術に明るくない市民団体を活発な市民ハッカーと交流させる
-
Posted by ブクログ
ヨハン・ノルベリ氏は、1973年ストックホルム生まれの歴史学者・著述家。ストックホルム大学で歴史学修士号を取得後、思想史・経済学・統計学・進化生物学などを横断的に研究。経済グローバリズムと古典的自由主義を擁護する立場で、『進歩』(原書は2016年出版)、『OPEN』(原書は2020年出版)で、英誌「エコノミスト」のブック・オブ・ザ・イヤーを連続受賞。2007年から米ケイトー研究所のシニアフェローを務め、公共テレビ向けのドキュメンタリーも多数制作。
本書は、題名の通り、資本主義によるグローバル化と自由市場の優位性を説いたもので、2024年に出版された。原書は『THE CAPITALIST MANIFESTO』(2023年)。
私がポイントと思った点を列挙すると概ね以下である。
◆資本主義はこれまで、世界の貧困率を劇的に下げてきた。経済的に自由な国は、平均寿命が長く、経済成長が高く、賃金が高く、貧困削減が大きく、投資が多く、汚職が少なく、主観的な厚生が高く、民主的で、人権が尊重されている。
◆「成長」とはGDPの水準が上がること。成長と進歩はほぼ確実に相関している。世界の貧困をなくすための最高の方法は、全体の成長を生み出すことであり、ケーキの大きさの方が分配よりも重要。自由市場は、意図せずとも多くの人が協力することになるため、あらゆる中央管理のシステムよりも生産力を向上させる。自由市場の価格は、人々の求めるものの情報を伝え、かつそれに適応するような行動を促す、経済の「GPS」である。市場経済は、他人のために最善を尽くし、代わりに他人に最善を尽くしてもらう、互恵のシステム。
◆自由市場に反対する人々は、かつては、貧困国を貧しくすると考える左派が多かったが、今では、貧困国を豊かにするが、富裕国を貧しくすると考える右派ナショナリストが多い。しかし実際は、多くの中産階級の所得は増え、労働時間は減り、仕事の満足度は上がっている。自由貿易のために失業した人を救う方策として保護主義(関税)は逆効果。
◆資本主義において富が公平に分配されないのは事実だが、資本家は利益を出したこと自体が社会還元なのであり、自らの取り分は決して多過ぎるとは言えない。むしろ、現代はかつてないほど、重要な多くの財・サービスが平等に分配されている。世界の億万長者2,153人は、最も貧しい46億人を合わせたよりも多くの資産を持っているが、仮にそれを配ったとしても、46億人の年間所得を1年だけ60%押し上げるに過ぎない。よって、貧困を減らすには、既にある繁栄を再分配するのではなく、投資によりもっと多くの繁栄を生み出すことが必要。
◆GAFAなどの大企業は、イノベーションの主体であり、労働条件もよく、我々にとってむしろ有益。資本主義は、消費者が資本家を監督する手段としても機能する。資本主義のデメリットとされる、計画的陳腐化は言われているほど多くはなし、流行を追う行動も、商業的に作られたものではなく、進化で身についた本能。
◆偉大なイノベーションは、政府の計画や孤高の天才から生まれるものではなく、民間の相互協力から生まれる。
◆地球温暖化とその影響を減らすには大規模な変化が必要。しかし、多くのエコ論者がいう「脱成長」は全く無意味で、それは、コロナ禍のロックダウンで減ったCO2排出量がわずか6%だったことからも明らか。温暖化に対応するには、繁栄と技術が必要。これまでの環境問題は、天然資源の枯渇リスクなども、上手く対処されてきた。近年では、資源の消費量と人口・経済規模において、絶対的デカップリングが起こっている。気候・環境問題を解決できる技術やイノベーションは、今の段階では誰にもわからず、だからこそ、できるだけ多くの人々を動員してそれに取り組まなければならないのであり、脱成長は解決策ではない。
◆自由市場と個人主義的な社会は、人間関係やコミュニティ等の私たちを人間たらしめるものの対極にあるのではないか、人を幸福にしないのではないか、という指摘がある。しかし実際は、心を病む現代人は増えておらず、金銭的インセンティブが私たちの公共心を損なうことはなく、市場主義社会の方が人助けの意欲が高く、経済成長が幸福に貢献することが明らかになっている。
私は、著者とは反対に、最近の(行き過ぎた)資本主義による、格差の拡大、気候・環境への影響等は看過できないと考えており、斎藤幸平氏が『人新世の「資本論」』で提案した「脱成長」に基本的に賛同する立場で、セルジュ・ラトゥールの『脱成長』、ジェイソン・ヒッケルの『資本主義の次に来る世界』等の本も読んできた。そして、こうした意見の対立の大きなテーマにおいては、逆の立場の考えを知ることは不可欠であり、本書を読んでみた。(以前に、柿埜真吾氏の『自由と成長の経済学』等も読んではいるが)
一読して、内容は概ね予想通りだったのだが、この考え方の違いはどこから生じるものなのか、しばらく思案して、思い至ったのは、「足るを知る」ことに対する考え方の違いである。つまり、本書に賛同する人々は、物質的な豊かさや便利さ(今日よりも明日という意味でも、他人よりも自分という意味でも)を求める気持ちが強く、よって、何か問題があっても、それは解決されるに違いないと希望的に考え、一方、賛同しない人々は、物質的な豊かさや便利さはもう十分なので、よって、何か問題があるなら、豊かさや便利さを引き換えにしてでもそれを解決するべきと考えるのではないか。。。実際、本書の主張を振り返ってみると、多くは驚くほど楽観的である。
また、本書では論じられてもいないが、私が強く懸念しているのは、資本主義(=成長至上主義)が科学万能主義とつながり、人間が人間らしさを失っていくことである。生命工学やAIの技術は、使い方を間違えれば、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』やフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(映画「ブレードランナー」の原作)のような、ディストピアに繋がりかねないのだ。人間は過去に、原子力技術の使い方を間違う過ちを犯していることを忘れてはいけない。
まだ別の道を選ぶことができる今(もう遅いのかもしれないが)、それぞれが、自分事として、他人の意見を鵜吞みにするのではなく、自分の頭で考えることが必要なのだ。
(2025年11月了)