スティーヴン・キングのレビュー一覧
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彼がそれらのことをしたのではない。それらのことが彼の身に起こったのだ。
スタンリー・キューブリックの映画で見たことはありますが、原作が未読だったので読んでみました。
「かがやき」と呼ばれる読心術と千里眼、予知能力が合わさった能力を持つ子どもダニーと、アルコール依存症に苦しむ父ジャック、実の母との関係に葛藤を抱えた母ウェンディの3人が、呪われたホテル「オーバールック・ホテル」で客が来ない冬の間、管理人として生活を始めていくまでが上巻では描かれます。
「悪いことが起こるかもしれない」という予感の描写が素晴らしい。ダニーの能力はかなり万能なのですが、彼自身がまだ5歳なので、事態の打開を図ることができません。「危険があることは分かっているが、それを防げない」というわけで、飲酒欲求に苦しむ父、それにより不安定になる両親の関係、雪のせいで外界と接触が絶たれるホテルなど、少しずつ危うくなっていく様子がキングらしく丁寧に描写され、読み進むにつれ不安感が増していきます。
「ペット・セマタリー」で少し感じたエピソード過剰もありません。明確な幽霊描写も最後以外はなく、心理サスペンスといっても通用しそうです。「児童遊園で」の生垣のシーンなど、口で説明すると馬鹿げて聞こえるでしょうが、読むと本当にハラハラします。
凄く気になるところで終わるため、下巻が楽しみです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ作家になりたいのなら、絶対にしなければならないことがふたつある。たくさん読み、たくさん書くことだ。私の知るかぎり、そのかわりになるものはないし、近道もない。
私は本を読むのがそんなに速い方ではない。それでも、一年に七十冊から八十冊は読む。そのほとんどは小説だ。読みたいから読むのであって、何かを学ぶためではない。たいていは夜、書斎の椅子にゆったり腰かけて読む。繰り返しになるが、読みたから読んでいるのであって、小説の技法やアイデアを学ぶためではない。それでも、読めば何かしら得られるものはある。手に取った本にはかならず何かを教えられる。概して優れた作品より、出来の悪い作品からのほうが教わるものは多い。
出来の悪い小説は、してはいけないことを教えてくれる。
本を読み、凡庸さやくだらなさを経験すれば、そういったものが自分の作品に忍び込もうとしたとき、すぐにそのことに気づき、それを排除することができるようになる。また、読んだ本が秀作や傑作の類であれば、自分の書いたものがどのレベルにあるかを知り、これから何ができるかを推し量ることができるようになる。もちろん、本を読めば、さまざまな文体に遭遇することもできる。
気に入った文体が見つかればそれを真似すればいい。何も悪いことではない。子供のころの私もそうで、レイ・ブラッドベリを読めば、レイ・ブラッドベリのように書いていた。〈中略〉そういった他人の文体のブレンドは、自分の文体をつくり上げるためには欠かせないものである。真空状態からは何も生まれない。作家は多くの本を読み、それと並行して、たえず自分の作品に手を加え、純度を上げていかなければならない。信じられない話だが、本をほとんど、場合によってはまったく読まずに小説を書き、それを好きになってもらえると思っている者が、この世の中には少なからずいる。作家になりたかったが本を読む時間がなかったという言い訳をする者に出くわすたびに五セントずつ貯めていくとしたら、豪華なステーキのディナー代くらいはすぐにできるだろう。ここではっきり言っておこう。読む時間がないのに、どうして書く時間があるのか。単純明快である。
これで準備は整った。書斎のドアは閉まっている。カーテンも閉まっている。電話のコードは壁から引き抜いたし、テレビは叩き壊した。火が降っても槍が降っても、一日千語の目標は変わらない。と、ここで大きな問題が持ち上がる--何を書けばいいのか。それに対しては、ごく大づかみに答えるしかない−−書きたいことを書け。なんでもいい。それが真実であるかぎり。
創作科の金科玉条は〝知っていることを書け〟だ。お説ごもっとも。だが、惑星探検の宇宙船や、妻を殺して死体を木材粉砕機で細切れにする男を書きたいときには、どうすればいいのか。それ以外にも、現実離れした、だが卓抜なアイデアは無数にある。そういったものに対して、〝知っていることを書け〟の原則をどのように当てはめればいいのか。
まずは原則を可能なかぎり拡大解釈することから始める。配管工は配管のことを知っている。だが、知っているということの意味はそれよりずっと広い。心も何かを知っているし、想像力も何かを知っている。ありがたいことではないか。心と想像力がなかったら、フィクションの世界はさぞかし殺風景なものになっていただろう。それどころか、そもそも存在しなかったかもしれない。
どちらかというと、私は直観に頼るほうだ。私の作品は筋立てより状況設定に依存するものが多い。それでこれまでなんの支障もきたさなかった。なかにはいくぶん凝ったつくりの作品もないわけではないが、出だしはたいていデパートのショーウインドーや蝋人形の飾り物のような単純なものが圧倒的に多い。私は複数の人物(ときにはふたり、場合によってはひとりのときもある)を窮地に立たせ、彼らがどうやってそこから脱出するかを見守っているだけだ。私の仕事は脱出に手を貸すことでもなければ、彼らを安全な場所へ導くことでもない。それはプロットという削岩機を必要とする作業である。私はただ単になりゆきを見守り、それを書きとどめるだけだ。
最初に状況設定がある。そのあとにまだなんの個性も陰影もない人物が登場する。心の中でこういった設定がすむと、叙述にとりかかる。結末を想定している場合もあるが、作中人物を思いどおりに操ったことは一度もない。逆に、すべてを彼らにまかせている。予想どおりの結果になることもあるが、そうでない場合も少なくない。
もうひとつ忘れてならないのは、現実の世界に〝極悪人〟や〝無二の親友〟や〝美しい心を持つ娼婦〟などはいないということである。現実の世界では、ひとはみな自分こそが主人公であり、キーパーソンであり、いっぱしの人物であると思っている。カメラはいつも自分に向けられていると信じている。その種のリアリティを作品に持ちこむと、突出したキャラクターだけでなく、通俗小説ではお馴染みの平面的なステレオタイプをつくりあげることすら容易ではなくなる。
『ミザリー』でポール・シェルダンを監禁するアニー・ウィルクスは、傍目には精神を病んでいるように見える。が、ここはひじょうに大事なところなのだが、自分ではまったく正常であり、しっかり道理をわきまえていると信じている。それどころか、自分のことを、下種な有象無象が支配する敵対的な世界に孤立無援の闘いを挑む英雄と見なしている。
『ミザリー』の読者がいだく当然の疑問のひとつに、ポール・シェルダンは私なのかというものがある。たしかに、そういう側面は否定できない。だが、実際に小説を書いてみればわかることだが、どんな場合にでも作中人物にはかならず作者の一部が投影されているものだ。ある人物が与えられた状況下でどんな行動をとるかを決めるとき、作者は自分ならどうするかということを基準にする(悪党の場合には、自分ならそうしないというのが基準になる)。あとは、他人を観察することだ。観察の対象はかならずしも好ましいものばかりとはかぎらない(たとえば、誰も見ていないところで鼻クソをほじる癖とか)。さらには、第三の素晴らしい方法もある。純然たるイマジネーションによるものだ。 -
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人は二本足で立った時から、次に空を飛ぶことにあこがれてきた。
同時に、二本足になったことで感じる「不安定さ」を「不安感」という感情に置き換えて、遺伝子にインプットされてしまった。
「足元の無い」状態の「落下」に対する不安感は誰にでもあり、ある人は「刺激」として喜び、ある人は「恐怖」として忌み嫌う。
人類が自力による飛行を諦め、飛行機械を生み出したのは、ほんの120年前の出来事。以降は移動手段として、多くの人が「あこがれ」の空を体験することができた。
そんな時代だからこそ、この本が生まれた。
気の利いたスティーブン.キングの序文や、ベヴ.ヴィンセントのあとがきを含め古今の短編が19話。
映画「トワイライトゾーン」でおなじみのリチャード.マシスン「高度2万フィートの戦慄」や、アニメ「紅の豚」で飛行機乗りの墓場のエピソードとして取り入れられたロアルド.ダール「彼らは歳をとるまい」など、どこかで一度は目にしたことのある物語もあれば、今回のための書き下ろしも含まれている。
物語は「落下」以外にも、「密室」や「未知なる世界」など様々な「不安感」の仕掛けが施されて、短編一つ一つに原題「flight or fright」(fight or frightもモジっている)が凝縮されている。
「絞首刑に遭う旅客機」の表紙絵や、意味不明な邦題「死んだら飛べる」などと合わせて、テーマを「空の恐怖」とするアンソロジーは、見事に成功している。
スティーブン.キングは、本当に飛行機が嫌いなの? -
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ネタバレ不吉さを漂わせながら緩やかに進んだ上巻を経て、吸引力が凄い下巻。
上巻の最後で予言されていたとおり、幼い息子のゲージが亡くなります。死者の蘇りについての話である以上、この息子が生き返ることは明白なのですが、実際に生き返るのはラスト50ページ前ほど。それまでは「恐ろしいことがもうすぐ起こる」という予感だけで引っ張るのだから凄い。
上巻は「死」というものの悲しさが印象的で、涙を誘うところもありましたが、下巻は蘇りの元となる魔力の描写が圧倒的。違うジャンルを読んでいるよう。
自分にも幼い息子がいるので、他人事ではない感じで読みました。 -
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文庫本で全4冊、各巻がそれぞれ500ページ以上あるので、総ページ数が2,000ページを超えるという、とんでもない超大作。
しかも、主な登場人物のリストが4ページもあり、実際に登場する人物は遥かにこれを上回る。
実は、単行本で一度挫折した経験があるのだが、その理由は、この膨大な登場人物の行動や相関関係を理解するのに苦しんで投げ出したんじゃなかったかという気がする。
今回改めて通読して感じたことは、よくもこれだけの架空の人物を登場させ、しかもそれぞれの人物がちゃんと「生きて」いて、最後まで破綻していない、という、圧倒的なリアリティを持っているということだ。
キング作品にある感動的な展開はあまりないのだが、架空の町の架空の人物たちによる闘いの模様は、2,000超ページを通して圧倒されるばかりだ。 -
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『シャイニング』で幼い子どもだった主人公が中年になり、同じく超能力をもつ少女とともに、子どもたちの命を狙う一族との闘いに挑む。
あのダニー坊やがアルコール依存症になり、すさんだ生活をしている序章は、読んでいて気分も下向きに。でも、どん底の暮らしぶりがあったからこそ、その後の少女とのかかわりや一族との闘いにも説得力が加わっり、深みが出ている。
『シャイニング』を初めて読んだのは数十年前。
逃げ場のない閉鎖的な空間で、徐々に追い詰められていく恐怖は圧倒的で、しばらくは物語の世界をひきずって、動物の形の植え込みにぎょっとしたり、出張先のホテルでバスルームをのぞくのが本気で怖かったのを覚えている。
以来、何度か再読するほど、キングのなかでは好きな作品だ。
そんな前作とはまったく趣が異なるけれど、これはこれでおもしろい。思いもよらなかった設定に驚かされ、後半のスピーディーな展開にはらはらして。全体的に人間味のある温かさも加わって、心地のよい余韻が味わえた。
そのうち映画も観てみようかな。時間があれば、『シャイニング』のほうも、また本と映画を見比べてみたい。 -
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キングのホラー小説はほぼすべてジェットコースターだ。
落ちる落ちる落ちるぞ……ほら落ちたー!!と、緩急は絶妙にして盛り上げるだけ盛り上げてどん底に突き落とす、よくできた遊園地のアトラクションのような構成。
それ故に、彼の作品で恐怖を感じたことはない。
一時期ハマって読み漁ったのだが、「IT」も「シャイニング」も「呪われた町」も、モダンホラーの傑作と絶賛される完成度の高さは認めるが、お話としてはよくできてる、エンターテイメントとしては大満足、と感心しながら、真実の恐怖を味わったことはいまだない。
それよりはむしろ「刑務所のリタ・ヘイワース」や「11/22/63」のようなヒューマンドラマに重きをおいた作品のほうが長く余韻を残すし、同じホラーでも「ミザリー」のようなサイコパスを描いた作品の方が暴走する狂気に慄く。
本書もまたしかり。超自然的な力に翻弄される幸せな一家を主軸にした話で、不吉な雰囲気は序盤から漂っている。
手製の墓が並ぶペットセメタリ―や、その奥のインディアンの聖地の異教的な描写にはぞくぞくするし、スリルは十分ある。
しかし上巻では学生の事故死と猫の復活と豹変以外に特筆すべき変事はおこらず、冗長にも感じられる。
そのぶん幼い子供を抱えた一家の幸せな日常がたっぷり尺を割いて描かれている。エリーとゲージの成長、姉弟のじゃれあいは微笑ましく、ゲージと凧を揚げる終盤のシーンはじんわりする。
キングの作品にままあることだが、「○○が二週間後に死ぬとは誰も思わなかった」とか「○○の命はこのあと二か月しかもたなかった」など、まだ何も起きてない時点の地の文であっさりネタバレされるので、人によっては興ざめするかもしれない。
気になったのは主人公の飼い猫チャーチへの仕打ち。
死んで初めて愛してたことに気付いたと独白してるが、その割には「なに死んでくれてるんだ」と罵声をとばすし、自分の身勝手で甦らせたのちは殴る蹴る虐待するで、猫好きならずともペットを可愛がってる人にはキツい。
良くも悪くも今ほどペットが尊重されてない時代の価値観で書かれている。
ジャドに至ってはお前が元凶だろ!!!!!と全力でツッコミたい。名伏しがたい力に操られてたのはわかるけどさあ……
上巻は起承転結の起承だけで、下巻の転結から面白さが加速するが、個人的にはスッパリ潔く救いのないラストでもよかった。
というか、あのオチじゃ生き残った彼女が可哀想。
ルイスが破滅するのは自業自得だが、その眼中から零れ落ちた存在のその後の人生を想像すると切ない。
一番ぞっとしたのは超自然的な邪悪ななにかや不気味な墓地、食屍鬼よりもなにより、ジャドの愛妻・ノーマの真実だった。
なお「ペットセマタリー」のタイトルは、共同墓地に子どもがかけた看板の誤字をそのまま引用したもの。
この遊び心が憎い。