伊藤比呂美のレビュー一覧
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ネタバレ飛翔能力があるから詩人なのであって・・・(伊藤
歌詞って、歌ってなんぼ、聴いてなんぼ(町田
歌いたいと思うもの、ああいいなと思うもの 音と発せられたところがすべて
カッコよくした文章が声に出したとき、意味の分からない音になってしまう可能性
語りもの 目の前で音が発せられているかのような錯覚 (伊藤
「私」にこだわり続ける 実は「私たち」
自分らしい語彙 本当の意味で使えるか 世界観 (町田
自分の力で何かをコントロールしたい (伊藤
比喩で話を転がす、小ネタを入れ込む話芸 (伊藤から見た町田
言葉も植物も私たちの周りに繁茂する(伊藤
言葉にはそれが生まれてきた理由や成り立ちがある、
その「人」の何だったのか? (町田
あたしは言葉を出すプロ 自分の言葉 朗読もする(伊藤
文体とは結果(町田
現在高尚なものがその時その時代においてその表現が
「本当はどういうものだったのか」:宇治拾遺物語(町田
自分の物語を語れる作品としての「日本霊異記」(伊藤
翻訳は自分の色が出ていても出ていなくてもどっちでもいい
歌うことが目的であって、自分の声であることにこだわりはない(町田
百年経っても残る、言葉の芯で伝えていける現代語訳を作りたい(伊藤 -
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此処にひとりのほとけさまがいる。
もはや、詩人伊藤比呂美を聞き手にした石牟礼版「歎異抄」。
人は何故生き、何故死ぬのか。
‥‥次の世というのは、あるんだと思いますよ。「次の世は良か所に、行かれませ」って言いますよ。亡くなったあとに、体を清めてあげるときに。
‥‥人間というのはね、「願う」存在だと思いますね。(略)逆に言えば、人間はそれほど救済しがたいというか、救済しがたい所まで行きやすい。願わずにはいられない。
‥‥(この世に生まれた意味は?と聞かれて)役割とも違いますね。役割を自分は見つけたとしても、その役割を果たすのは至難の業で、ただ、なんか「縁」がある。
‥‥(死とは何かを聞かれ)(賢治の詩にあるように空に微塵に散らばるというイメージという、更には)散らばるというよりか、私はどっかの葦の葉っぱかなんかに、ちょっと腰掛けていたいような気がする(笑)。
‥‥(死んで行くのは浄土だとしても怖くないですか?と聞かれ)怖くない。(←即答)
←ビックリしたのは、7歳の頃、19歳のころ、何度か自殺を図っている。結局、91歳迄生きた。
‥‥(生きていることの苦しさとは何か?と問われ)自分は半端人間だと思うのですよ。(略)半端な人間ですよ。私だけでなくて、生命、特に人間は、生きていくことが世の中に合わないというか。(略)人間が、私だけじゃなくて、無理しないと生きていけないんじゃないかと。
‥‥(好きな「梁塵秘抄」を問われて)「儚きこの世を過ごすとて、海山稼ぐとせし程に、万の仏に疎まれて、後生我が身を如何にせん」(240)。(略)私が若い頃ノイローゼになって死にたくなったのは「万の仏に疎まれて」ということだった。
‥‥「暁静かに寝覚めして、思へば涙ぞ抑へ敢ぬへぬ、儚くこの世を過ごしては、何時かは浄土へ参るべき」(←石牟礼解釈 と、私が解釈 寒い夜に覚めて、辛い世の中に涙してこの世を過ごしても、いつか浄土へ参らせて頂ける)非常に普遍的ですね。普通の庶民の女の人が、こういう歌をつくったと想う。だから共感できるし、共感する。
無宗教の石牟礼道子さんが、人生で受け取った生と死の想いが、素晴らしい聴き手を迎えて縦横に語られてゆく。浄土真宗とも違う。法華経の賢治とも違う。浄土宗からかなり離れたはずの後白河法皇編纂の「梁塵秘抄」の世界とも違う、まるで、弥生時代からの古代の宗教意識のような石牟礼道子さんの死生観が、語られた。もちろん、これを読んだからといって、私たちが石牟礼道子さんの心境になれるわけではない、と想う。石牟礼道子さんの膨大な著作を読んだ後に少しわかる世界だ、と思う。いや、ごめん。私たちは既にわかっているのだ。それを言葉にできないだけなのだ。
道子さんの著作は、今のところ一冊めから挫折している。私は4年前、日本文学全集所収の「椿の海の記」を読み出して、まるきり読み進めることができなくなった。気に入らないのでもなくて、難しいのでもない。その反対で、とても素晴らしく、やさしい小説なのだけど、1ページ読むだけで、もう直ぐに腹イッパイになるのである。一行一行に描かれていることがあまりにも豊潤で美しく、発見がある。1ページも読むと、自分のキャパがすぐにイッパイになる。そういうことが、もう1年ほど続いて、そのあと紐解くのが怖くなった。今回対談形式ということで、やっと普通に読めた。これで石牟礼道子さんの「呪い」は解けるだろうか? -
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『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』は一冊も読んでいないし読む気もないが、現代語訳をした方々が何を思ったのか、そして単純に「平家物語」と付くものは何でも摂取したいという気持ちから手に取りました。
「平家物語」古川日出夫
…『平家物語』のなかで人は本当によく泣きますよね。…月を見て泣きます。風が鳴ると泣きます。…現代のわれわれは近代ヨーロッパ以降に教育された泣き方しか知らないんです…現代の教育が入ってくる前の人は別の感性をもっていて、別のことで泣いていたはずなんです…(p.48)
私は月を見て泣き、空の色が変わっていくのを見て泣く人間なので、そうか私は別の感性で生きている人間なのかと指摘された気分で目から鱗でした。
「能・狂言」岡田利規
能はまだまだ初心者なのだけれど、「松風」の最後「松風ばかりや残るらん、松風ばかりや残るらん」は原文の空間構築力というか、言葉の力がすごすぎて、やはり現代語ではどの話も読みたくないといういつもの結論に達しました笑
「説経節」伊藤比呂美
読んだことないので、さっそく読みたくなった。
小栗判官の話とかは知っていたのだけれど、これは説経節だったのだな。
「義経千本桜」いしいしんじ
歌舞伎でやる段はほとんど見ていると思うけど、読んでやはり文楽を見に行かないといけないですねという気持ちが強まりました。5月ちょうど国立劇場でやるんですよねえ。豊竹咲太夫と桐竹勘十郎…
私はこの本の中で「義経千本桜」パートが一番「私もそう思う」となったのですが、サブタイトル?になっている「思いどおりにならないかなしみ」という言葉が言い得て妙だなと。『平家物語』も基本はそうだと思っていて、私的には「なくしたくないけれど、なくしてしまうかなしさ」。『平家物語』パートにも書いてありましたが、人間は必ず死ぬということ、なんですよね。いつか死ぬ中で、どう生きるか?(死に方含む)、ということなのだなと改めしみじみ。 -
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学生のときに古文をかじっていたから楽しく読めた。勉強していて良かった。
古文を古文のままで理解できない自分としては、現代語訳に頼ったり自分なりに訳したりしながら読むわけだけれど、どうしても型にはまった蓄語訳は分かるのやら分からないやらはっきりとしないと言うことが起こる。そこが楽しむことを目的として古典を読む際の障りとなってしまうので、こういう訳者のカラーが表れている現代語訳は面白い。
古文って行間を読む楽しさが詰まっているのだと分かる。町田康はやりすぎの感もあったが。
自分は森見登美彦、妻は町田康が好きなので、両者の需要が一致した一冊だった。
両作家が現代語訳を手がけた作品の方はまだ買ってないけどもそのうち買うと思う。 -
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ネタバレ●男の気難しさ:
ずっと男でやってきた人間が、ふと「自分が無力であることに、自分が社会や家族に何の意味も影響力も持っていないことに、気づいてしまった」というような気難しさ。
●不倫:-死ぬときは別々-ロマンス心、満たされぬ日々の喜び-
・(この恋愛は成就しない)
・家庭を壊したくない、事を荒立てたくない40代の不倫男女に、いったいどんな将来があるのか。何もありません。どんなに愛し合っていても、老い衰えたら会えなくなる。セックスできなくなったら関係は消滅する。もちろん死ぬときは別々。生き死にに責任のあるのは配偶者ですから。でも、生活抜きの関係から得られるロマンス心、満たされぬ日々の喜び。これは大きい。ほんとはすごく大切なのに、たいていの四十代の人々が生活に追われて、日々から失っていくもの。
●婚外恋愛:
相手にたいしたことを期待しない。・・・いつか二人で何々をしようなんて甘い夢は見ない。老いて体が不自由になったら、その時は潔く家族の元に戻る覚悟を。・・・・一体何のための関係を持ちづづけるのか、という話になる。
・・・ダラけた日常にカツを入れる、いい手段。夫しかいない妻よりもずっと生き生きと、夫とも仲良く生き生きと暮らしていける。
●恋愛:
正論:「あたしはあたし」「あなたはあなた」
実際:それができずに、熱にうかされて「あたしはあなた」になる。
恋愛は、相手を自分の思いのままに動かせるという自分の力を感じたいだけ。「自分が好き」という感情の周りを、「あたしは強いから相手に影響を及ぼしている」喜びがぐるぐるとまわっているだけ。