石牟礼道子の一覧
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ユーザーレビュー
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憤りと叫び
こういう表現が適切かは分からないが、作者に神様が乗り移って書かせたような、そういう文学だと思う。被害者たちの壮絶な叫びと、憤りの極限で研ぎ澄まされた作者の言葉が胸をえぐる。
水俣の人々にとって、「会社」は市の発展の象徴であり、心のよりどころであり、問題発覚後もそうであり続けたことを初めて知った。そ
...続きを読むして、それを守ろうとする市民の感情が、被害者たちと対立・圧迫する形になってしまったことも。どこまでも因果な話だと思った。
ななし
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美しい水俣の自然、人間模様、村の様子を、4歳のみっちん目線で描かれた、おはなし。
この時代のことも、この土地のことも、ここの言語のことも知らないけれど、その情景が目に浮かぶような、描写だった。
Posted by ブクログ
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神様と動物と人間の魂が、今よりも近くつながっていた頃のお話しです。
いろんなところに神様がおられて、お葉もおじいさんもそのことをとても大切にして暮らしています。
私はこの時代に生きたことがないけど、胸がじんとして懐かしい気持ちになります。
石牟礼さんの書く物語は、人間の深いところに流れているものと繋
...続きを読むがっているからでしょう。
山福朱実さんの版画も本当に素敵です。
小学校上級以上と書いてありますが、子どもの頃に読んでいても、あらすじだけを楽しんで、この本のしみじみとしみ入るようなよさはわからなかっただろうなと思います。
今、出会えてよかったです。
手元に置いて何度も読み返したい1冊になりました。
Posted by ブクログ
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石牟礼道子さん、1927.3.11~2018.2.10、享年90。「魂の秘境から」、2018.4発行。2015.1から2018.1の間、朝日新聞に掲載されたもの。チッソ工場が廃棄物を水俣川河口に。有機水銀に汚染された不知火海。当初「奇病」と呼ばれた患者が運ばれたのが避病院。医者がいるわけではない。
...続きを読むあばら屋の板敷きの上に、病者たちが寝かされていた。海辺の猫たちは、鼻で逆立ちしてきりきり回り、最後は海に飛び込んで狂い死にしたと。死期を悟った猫は人に知られず姿を消す。そんな恥じらいを知る猫にとって「狂い死に」とは、あまりにむごい最期。
Posted by ブクログ
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今回読んだのは、赤い平凡社新書(2007)。以下、目次。
■まえがき 石牟礼道子
■第一章 飢えと空襲の中で見たもの
パーキンソン症候群──読めなくなる、書けなくなる/声が出なくなるかもしれない/食べ物をつくれないのが不自由/石牟礼さんの印象に残っている死についてうかがいたい/飢えの経験/水俣の空襲
...続きを読む人間ってこんなものか/物資不足と竹槍訓練/そのころ、お年寄りはどうしてましたか/お年寄りも「この世に用があって生きている」
■第二章 印象に残っている死とは
祖母の死/あの世は「良か所」/祖父・松太郎/父の死──猫のミーを懐に入れて、ぽとんと/いい死に方をした父/父は殺されたぽんたの解剖に立ち会った/『苦海浄土』を書く前に解剖に立ち会う/ぽんたの事件に死の実相を見た/行き倒れの人の死/一人で死ぬのは寂しかけん/お名残惜しゅうございます/父の葬儀/お母様のこと/「勉強しておけば道子に加勢できたのに」
■第三章 それぞれの「願い」
『あやとりの記』──流々草花(るーるーそーげ)/お経はどこで習いましたか/『正信偈』を唱える/『梁塵秘抄』につながっていく/後白河院と白拍子/お能の魅力/いじめられっ子の味方をしてきた/父と母の老いと病気に向き合うと『梁塵秘抄』が現われる/後白河院が『梁塵秘抄』に込めた願い/景戒が『日本霊異記』に込めた願い/石牟礼さんの願いとは/宗教とは/「そらのみじんにちらばれ」──宮沢賢治との共通点/石牟礼さんの愛唱歌/自分が死ぬということ/寝たきりの母が「生きたい」と言う/自殺を考えたこと/弟の死/自分は半端な人間で
■第四章 いつかは浄土へ参るべき
『梁塵秘抄』を飛び飛びに読む/「我等も終には仏なり」/「よろづの仏に疎まれて」/仏様と乞食さん/「勧進どん」への施し/「いつかは浄土へ参るべき」/自分は浄土へ参るのか/良か夢なりとも、くださりませ──七夕の願い/「遊ぶ子供の声聞けば」/「囃せば舞い出づる蟷螂、蝸牛」/伊藤さんの好きな法文歌/「人の音せぬ暁に」/『あやとりの記』のお経を唱える
■あとがき 伊藤比呂美
その後、石牟礼道子が亡くなった年に、青い平凡社新書から〈新版〉が出る(2018)が、
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増補 詩的代理母のような人ほか一編
満ち潮――解説がわりの献詩
詩的代理母のような人
・
が増補されているらしい。
よくある対談のような持ち上げ合戦ではない、結構話の方向がズレたりして、お互いに隔靴搔痒感が残ったのではないか。
でもそれが生々しい。
特に周囲の死や自身の自殺念慮について語る石牟礼道子の声が印象的で、それを引き出せた伊藤比呂美すごい。
亡くなった祖母や、連れ合いを喪って寂しくしている祖父を思い、といって母や自分や家族も全然他人事ではない、もはや死を想う必要のなかった幼年期から遠く追放されて久しいからこそ、身近な本になった。
といって重いわけではない、飄々とした会話の在り方が、読者を励ましてくれる。
石牟礼道子が言及している鶴見和子の最期の言葉
「死ぬというのは面白い体験ね。こんなの初めてだワ。こんな経験するとは思わなかった。人生って面白いことが一杯あるのね」
ほどの高み? は目指せないことは判っていても、
本書を読んだことで少しは何か精神のありようが変わりそうな気がする。
そんな予感を抱かせてくれるという意味で大事な一冊になりそう。
伊藤比呂美絶賛の「流々草花(るーるーそーげ)」が気になるので、『あやとりの記』を読もうかな。
あとは「梁塵秘抄」。
まっっったく文脈の違う、単に思い出したことを書いてみるだけだが、押井守が宮崎駿「崖の上のポニョ」と自作「スカイ・クロラ」を指して、
「映画監督ってある年齢になったら死生観を描くようになるんですよ」
と言っていたが、作り手だけでなく受け手(消費者)も、他人の創作に乗っかる形ではあっても、死を想うようになるのかも。
十代で「元気いっぱい」という言葉を嫌悪していた側だが、例えば徹夜しても大丈夫という若さのマジックがあったころには「抹香臭いな」と思っていた事柄が、切々と迫ってくる。
老いというんだか成長というんだか。
Posted by ブクログ
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