伊藤比呂美のレビュー一覧
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ネタバレ禅入門、である以前に禅僧による仏教入門としてもそうとうわかりやすい。
で、ちょっとした符牒だの専門用語が出てくるたびに話を止めて確認する伊藤比呂美さんが非常に読者にとって頼もしい存在に思えてくる。
座禅は「本当の自分探し」だの「潜在意識の覚醒」だののためにあるんじゃなくて、ただそこに座っていることで身のまわりとのつながりを確認し己を調えるものなのだ、という辺りが本書の肝で、修行は苦しいものでも特別なものでもない、というところにこの先の未来での布教のヒントがあるのではないかしらん。
とまれ、仏教とはナニか、を説明するために手元に置いといてもいい本なんじゃないかしら。 -
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カリフォルニア在住、更年期真っ只中の作者が、自身の不調を抱えながらも太平洋を越え、
まだまだ手の掛かる小学生の娘を連れ、重い荷物を引きずって熊本への移動。
何度も何度も往復する。親の介護のために。
母親は入院。一人残された父親は何もする事がなくて、何もする気が起こらず半分鬱のよう。
幼い頃は自分を守ってくれた偉大なヒーローだった父親が、老い果てた今は、
家庭をほったらかして何週間も側にいる娘を心配する事もなく、弱みを見せるばかり。
ユダヤ系英国人の文化に育った外国人の夫は
作者の2倍以上の年齢というから、こちらもかなりの老境。
離れて暮らす癇癪持ちのこの夫と、メールのやり取りはするが異文化 -
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伊藤比呂美さんの、実生活の話。母親がボケ始めたと思ったら脳梗塞になり、父親の足元もおぼつかず、再々婚の夫(ユダヤ人)も粉瘤などこさえて老いてきて、長女はふさぎこみ、次女は行方不明、三女は状況に振り回される。熊本とカリフォルニアを行き来する生活。だんだんとみんな老いてきて、自分のちちははの死を見つめねばならなくなって。ほぼノンフィクション、なんだろうと思います。現在進行中のblogと比較すると、当然本作の方が本質に肉薄しています。とうぜんです。文藝なんですから。これで群像に載っていたんですから。
石牟礼道子さんとおぼしき方との話があって、一緒に梁塵秘抄(パソコンが一発で変換した。えらいな -
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80歳、パーキンソン病の詩人、石牟礼道子さんと詩人・伊藤比呂美さんの「死を想う」こと。伊藤が聞き手となって、石牟礼の家族の死のこと、そして自分自身の死のことを聞いている。
伊藤自身も両親を介護しながらだから、いずれかならず訪れるであろう身近な人や自分自身の「死」について考えている、うちに、話は「梁塵秘抄」に行き着く。後白河法皇の編纂した歌謡集で、平安時代の当時からどのようにして死んでいくか(そして、仏になるか)はずっと人々が思い悩んでいたということらしい。
仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ
なにかこう、人々が朝早くぱっちりと目が -
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人生相談をまとめた本だけど、完全なるフィクションでもあるそうで、ジャンルとしては何になるんだろう。
とにかく文体が江戸弁で歯切れがよくって爽快。読みながら時に大笑い。
「女の人あるある」がてんこもりすぎて、これは必読の書だと思う。解説にあるように、若い女の子にも、男の人にもおすすめです。
悩みに真摯に沿う「しろみさん」の回答が、時に具体的に、時には相談者に共感を示し、常にちゃんと「答え」になっているのがうれしい。さすが人生の達人。やさしくて、かっこいい。
文庫版は金原瑞人の解説も秀逸。これを読んで佐野洋子氏の「クク氏の結婚、キキ夫人の幸福」も読んでみたくなった。 -
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母の苦、父の苦、夫の苦……。
母は入院、父は犬とふたりきりでさびしい、夫には瘤ができ娘はやせ細っている。伊藤比呂美は人々の苦を案じながらスーパーマンのように家庭のあるカリフォルニアと実家の熊本を飛行機で行ったり来たり。
そうしてたまに思い出したように巣鴨のとげ抜き地蔵にお参りして皆の苦のとげを抜いてもらう、はたまた「みがわり」をもらっていく。
「みがわり」をオグリさんに渡す伊藤比呂美の言葉はまさに巫女さんのそれのよう。この言葉が心地いい。
エッセイなのか小説なのか詩なのか、なんだかそんなものたちの中間のような本でございます。
中原中也をはじめとする詩人たちの「声」、それから娘や夫のはなす英 -
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二人目の子が生まれる前から上3歳半・下1歳半になるぐらいまでの、(わが経験的にも)怒涛の時期に育児月刊誌に寄稿されていた文章。
レインボウママなりたての(多くはあとになってみればたいしたことのない)不安も迷いもそのまんま、体調不良やストレスの波も、「仕事ができない」「自分の時間がほしい!」という本音などもせきららに。そんなこんなも25年後に読み返せばみなよい思い出、というところまでわかるのが完全版のおもしろさ。
自分の通ってきた既視感たっぷりのキモチやエピソードがあまりに次から次に登場して、ほっとするというか、しみじみを通り越してはげしく共感してしまう。 -
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伊藤比呂美のとげ抜き 新巣鴨地蔵縁起を読みました。
ずっと昔、結婚する前にこの人の良いおっぱい悪いおっぱいと言う本を読んで、「がさつ、ぐうたら、ずぼら」という合言葉にしびれてしまったのでした。
その頃からのファンなので、友人の読書欄に載ったのを見てすぐに買って読んでみました。
読み始めてみて、その文体に驚きました。
普通の文章ではない、話し言葉でもない、講談調でもない、詩でもない、頭の中にわき出てくる言葉をそのまま書き下ろしたような文体なのです。
日本語だけでなく、英語のエッセンスもふんだんに盛り込まれているようです。
最初は面食らったのですが、そのうち煮込んだモツ煮のような文体に引き込まれ -
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藤田一照さんとの対談本で読んでから気にかかる存在であったので、どんなものかと読んでみた。
なんだ、間にエッセイが挟まれるのか、ふーんと思ったがその幕間のエッセイも心地の良いワードセンスでさらさらと。
多分に評価の分かれそうな現代語訳だが、音とリズムを大事にした訳になっていて非常に詩人らしいし比呂美さんらしい。
僕は法事で聴くお経は音楽だなと思って毎回楽しんでいるけれども感覚が似ているように思う。
興味の入り口はそこで、仏教に興味を持ち、ようやく今年に入って重い腰をあげて歩み始めたので、僕の知識は雀の涙だが、また10年後にこの本を読むと感じ方も変わりそうだなと思うよ。 -
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光村図書の中学二年生の教科書に「挨拶ー原爆の写真によせて」が載せられている関係で、石垣りんの教材研究をしようと思って、友人がいっしょに読んでくれることになった一冊。石垣りんの詩以上に、伊藤比呂美の解説が、ものすごく丁寧に一つひとつの詩集の流れを追っているところの方が、ものすごく印象的で、なるほどと思ってもう一度読み返してしまった。
第一詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』は、伊藤比呂美に、「率直すぎて、現代詩というより、ほとんど社会の正義と反戦と平和のプロパガンダだ。アジテーションだ(p287)」と言わしめる戦争をテーマにした詩に始まり、「身のまわりのp日常的なことがらを見つめ始める(p2