伊藤比呂美のレビュー一覧
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ネタバレ酒井順子さんの「本棚には裏がある」に、伊藤比呂美さんがだいぶ紹介されていたので読みました。
人生相談にこたえる、みたいな感じで伊藤比呂美さんの人生観がつづられています。興味深いです。よくある新聞の人生相談とは違って、もっと達観している感じだし、具体的に「こうしてはどうですか?」「こうしたらよいですよ」みたいな回答ではなく、人生なんてそんなもん、的な感じですけど、面白く読めます。
私が一番面白く読めたのは、巻末の「或る女の一生」の部分で、著者自身が自分の人生をざっくり振り返って経歴を書いた部分。一番肝心な、離婚のいきさつなんかは「いろいろあって、本当にいろいろあって」などと端折ってある。
それでも相当に濃い人生だったことが分かる。「人生なんてそんなもん」と思えるようになるには、さんざんな苦労があって、苦労の渦中にいるときには「そんなもん」とは思えていなかったことがわかる。
私の人生は平穏で、全然波乱万丈ではないけど、私も「或る女の一生」と題して自分の来し方をつづろうと思いました! -
Posted by ブクログ
2013年に単行本として刊行。
連載中は「漢(おんな)である」というタイトルだったらしい。
執筆時、伊藤比呂美さんは現在の私の年齢と同じ55歳だったようで、娘3人を連れてカリフォルニアで多国籍の男性といっしょになり、父の介護のため熊本にも頻繁に帰っている。
私はどうも更年期障害というものがピンとこなく、男性のもあるらしいがたぶん女性の方が強いものなのだろう。本書には彼女自身の身体の変調を含め、アメリカンな脂っこくて甘いファストフードで太ったり、ダイエットのため「ズンバ」なるエクササイズに励んだり、さまざまな日常の光景が描かれている。
このような気軽な感じのエッセイは、小説家や詩人にとっては小遣い稼ぎ程度で、芸術的な「作品」を作ろうという意志はないのだろう。そんなユルさを読み取って時間が費消されていく感覚がリラクシングである。
こないだ読んだもうちょっと近年の伊藤さんのエッセイは芸術的なひらめきも一部あったのだが。 -
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岩波文庫から出ている、詩人・石垣りんさんの詩集。
詩って本当に、詩人の「人」が見えてくるんだなと実感する。
全体的に静かで、それでいて激しく、何か鋭利な刃物のような感触が漂っている。
厳しい?物悲しい?静謐な?
そんなイメージが漂う詩たちが詰まっていた。
巻末の解説や年譜を見ても、激動の時代に揉まれ、家族に揉まれ、それでも背筋をピンと生き抜いてきた石垣りんという人の人生が、詩にぎゅっと凝縮されていることが分かる。
世界へ、戦争へ、国へ、家族へ、個人へ。
様々な事にフォーカスを当てながら一つの生き方を見せてくれる一冊でした。
イメージとして、茨木のり子さんとも通ずる所のある雰囲気。 -
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育児をしている母親の心をうたった『今日』という詩を、育児で疲れ果てていた頃に読んで涙した。そして、助けられた。その詩を訳したのが伊藤比呂美さんだった。さっき、調べるまで、この詩の作者が伊藤さんだと思っていた。訳者だったのか…
誤解をしたままこの本を手に取った。犬や猫、植物が大好きな作者。熊本に住んでらっしゃるそう。でも、仕事で家を空けることも多く、その度に、留守の間、動物と植物のお世話を頼む人を探し求める生活をしている。
野犬だった仔犬を保健所から連れて帰った。チトーと名づける。野犬は野良犬より更に懐かない。懐かないだけではなく、部屋中荒らされ、物を破壊され、糞尿で汚される。よく耐えられるなぁと正直思う。
私もかなりの犬猫好きだ。以前飼っていた柴犬が痴呆になり、晩年は2年近く、ちょっとした買い物以外はほぼ家に閉じこもりで介護した。ちょっと側にいない間に部屋中うんちまみれなんてこともよくあった。だから大変さは少しはわかるつもりだ。でも、それは長年一緒にいた愛犬だからできることであり、新たに野犬のお世話をするのとは随分違う。本当に頭が下がる。
時々登場する、作者が大学で教えている生徒に対しても、本当に懐広く、慈悲深い。
チトーの姿を見たくて、画像を探してみた。かなり可愛い。たまらない。同居犬のクレイマーと猫のメイとテイラーも見ることができた。大満足!
ここまで動物を愛せるものなのか…と信じられない気持ちと、その偉大さに圧倒されっぱなしだった。
(一番感動したところ)
◯犬猫のいない暮らしをベルリンで3ヶ月やってきました。快適で、便利で、1日の予定が自分中心に作れて、どこへでもすいすい行けたんですが、行きながら、犬がいない犬がいないといつも思っていました。犬がいれば犬がいればとも思っていました、もっともっと充実してるだろう、と。
(どうしてここまでできるんだろう?の問いのヒントになったところ)
◯世話の必要なものたちを、わざわざ集めて、浮世の義理みたいなものを人工的に作り上げて、情で自分をがんじがらめにして、必死で世話しているのはなぜか。自分が、この浮世にどうにかこうにか引っかかって、生き抜くためなんではないか。
◯『これだけは心に決めています。私は、チトーが死ぬまで、死ねません。』
これは愛するペットを飼っている全ての人に共通する想いでしょう。チトーがリードをつけて楽しくクレイマーと散歩できる日が来るといいな。 -
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臨界前に訳した日本昔話
この「特別試し読み版」は、中世前期に鎌倉時代が成立した頃にできた『宇治拾遺物語』のなかから「瘤取り爺さん」を抜粋し、現代作家によるその翻訳を読めるようになっている。これは誰でも子供のときから知って記憶してるお伽話の一つだ。ただ、現代の日本人で中世当時鎌倉時代の世相がわかる者はほとんどいない。そこで現代の風俗を入れたようにして翻訳する意味は大きい。ここでは登場する鬼どもは、赤や青のほかに黒い皮膚のがいてそいつはゴールドのふんどしを締めていたりする。カラフルである。今、都会の繁華街の外国人らの路上飲みが問題になっている。派手な衣装で髪の色も肌の色もさまざまで酔っ払った彼ら彼女らに囲まれたりするとちょっとビビッてしまう。しかし、中世の鬼は異界に属しスーパーナチュラルな存在である。これは鎌倉時代にこの説話に何を込めて伝え残したかったのだろうかと千年前の時空を覗くきっかけとなるであろう。この説話のしめくくりは「物うらやみはすまじき事なりとぞ。」