あらすじ
ウマし、マズしと味わって、咀嚼し、ハマる、懐かしむ。
うなぎ、スナック菓子、エナジードリンク。チーズ、きのこ、マーマイト、山椒。あんこの甘さ、地ビールの苦み。
食の記憶、異文化の味。そして、卵へのただならぬ愛着。
「あたしは、カリフォルニアロールである」。
海をまたいだ往来の果て、母/妻/娘の役目をいよいよ終えて、詩人の言葉がほとばしる。
胃の腑をゆさぶる本能を賞味すべし。滋養あふるる偏愛のエッセイ。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
わたしもアメリカ在住のおばさんであるので、日米の食を比較する項ではだよねだよねとうなずきながら、あるいは自分の中で理解に達していなかった概念を言語化してもらってそういうことかと膝を打ちながら、頭からお尻まで楽しく読みました。海外在住の経験があるかたは特に面白く感じるのではなかろうか。特に気に入ったのは以下の項。《》内が引用。
◎おつきさまくらいのパンケーキ
最近日本でアメリカ風のパンケーキが流行っているから食べに行こうかと思うものの、《日本に行ったときくらいまともなものを食べたい》ので食べる機会がまだないと。わかる。シロップをかけてぐずぐずになったパンケーキを《粥状》と表すのにもうなった。
◎食べるな危険
アメリカで《普通に生きていると、どうしてもふくよかになる。避けられない風土病といってもいい。》わかる。そしてほっとする。これは風土病だったんだ。
◎ターキーこわい
ターキーの風味は、《おっさん臭い》と。なるほど。わたしの周りにもターキー不得手なアメリカ人が多く、感謝祭の際にはとにかく伝統だからと苦手意識を押し殺して/自覚せず食べているのだと思われる。ターキーはおっさん臭いなんて、タブーとも取れる発言者ができるのは非アメリカ人だからこそ。いや、伊藤比呂美さんだからこそ。
あとがきの、自分が食べているのは実は食べ物ではなく自分自身なのではないか、という考察にも目を開かされました。
少し話が逸れるかもだけど、わたしもそれをコンビニ食に感じます。アメリカにいると日本のコンビニ食が懐かしくてたまらず、日本へ一時帰国すると不必要に色々買い込んでしまう。でもお弁当やサンドイッチや洋菓子なんかを食べても、それほどおいしく感じない。わたしが異国の地で恋い焦がれていたのはコンビニの食べ物ではなくて、お散歩の途中でふらりと寄れる手軽さとか、季節ごとに限定品が登場するワクワク感とか、そういうことのほうなんだなと気づくわけです。
本書はそういう本です(どういう本だ)。
Posted by ブクログ
おなかほっぺ…以来、高橋源一郎の飛ぶ教室に度々ゲストで登場するのだが話が面白くて久々にエッセイ読んでみた。言葉がほとばしるような疾走感がたまらない。食べ物と食べることをこんな風に表現できるとは驚きだ。オノマトペの洪水も楽しい。
Posted by ブクログ
2018年サンディエゴから帰国、熊本に住み、週1で東京、枝元なほみの家に居候しながら早大で教え、サイゼリアとコンビニと枝元食で生きていた。2020年の春、コロナ禍で熊本で自炊を。こだわるものをとことん食べている。伊藤比呂美「ウマし」、2021.3発行。①日本の菓子パン文化の素晴らしさ ②桃屋の「江戸むらさき」(1950)、永谷園の「お茶漬け海苔」(1952)、丸美谷の「のりたま」(1960)③1960年代後半、即席袋麺。1971年にはカップヌードル ④熊本は「デコポン」「いきなり団子」「団子汁」。私は「熊本ラーメン」「辛子蓮根」「誉の陣太鼓」w。