あらすじ
水俣病をはじめ多くの死を見つめてきた作家は、どのように死をとらえどう生きるのか、日本を代表する詩人が率直に問いかけた魂の対話、増補版。石牟礼文学の入門書としても。
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Posted by ブクログ
死についての対話、先日、曽野綾子と石原慎太郎の対話の本を読み、ほぼ対話になっていなかったことを覚えています。本書は石牟礼道子さんと伊藤比呂美さんの対話の形ですが、伊藤さんが聞き役といった感じです。「死を想う」、2018.7発行。石牟礼さんの言葉は、しみじみとした心に響く優しさ、そして重さがあります。「浜辺の歌」と「椰子の実」がお好きとか。3年前からパーキンソン病、起きるためにベッドの脇の柵を握る、ペンを握る、箸を握る、それぞれの握力の違いを吐露されてます。また、この病は、食品か環境からくるのではと。
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此処にひとりのほとけさまがいる。
もはや、詩人伊藤比呂美を聞き手にした石牟礼版「歎異抄」。
人は何故生き、何故死ぬのか。
‥‥次の世というのは、あるんだと思いますよ。「次の世は良か所に、行かれませ」って言いますよ。亡くなったあとに、体を清めてあげるときに。
‥‥人間というのはね、「願う」存在だと思いますね。(略)逆に言えば、人間はそれほど救済しがたいというか、救済しがたい所まで行きやすい。願わずにはいられない。
‥‥(この世に生まれた意味は?と聞かれて)役割とも違いますね。役割を自分は見つけたとしても、その役割を果たすのは至難の業で、ただ、なんか「縁」がある。
‥‥(死とは何かを聞かれ)(賢治の詩にあるように空に微塵に散らばるというイメージという、更には)散らばるというよりか、私はどっかの葦の葉っぱかなんかに、ちょっと腰掛けていたいような気がする(笑)。
‥‥(死んで行くのは浄土だとしても怖くないですか?と聞かれ)怖くない。(←即答)
←ビックリしたのは、7歳の頃、19歳のころ、何度か自殺を図っている。結局、91歳迄生きた。
‥‥(生きていることの苦しさとは何か?と問われ)自分は半端人間だと思うのですよ。(略)半端な人間ですよ。私だけでなくて、生命、特に人間は、生きていくことが世の中に合わないというか。(略)人間が、私だけじゃなくて、無理しないと生きていけないんじゃないかと。
‥‥(好きな「梁塵秘抄」を問われて)「儚きこの世を過ごすとて、海山稼ぐとせし程に、万の仏に疎まれて、後生我が身を如何にせん」(240)。(略)私が若い頃ノイローゼになって死にたくなったのは「万の仏に疎まれて」ということだった。
‥‥「暁静かに寝覚めして、思へば涙ぞ抑へ敢ぬへぬ、儚くこの世を過ごしては、何時かは浄土へ参るべき」(←石牟礼解釈 と、私が解釈 寒い夜に覚めて、辛い世の中に涙してこの世を過ごしても、いつか浄土へ参らせて頂ける)非常に普遍的ですね。普通の庶民の女の人が、こういう歌をつくったと想う。だから共感できるし、共感する。
無宗教の石牟礼道子さんが、人生で受け取った生と死の想いが、素晴らしい聴き手を迎えて縦横に語られてゆく。浄土真宗とも違う。法華経の賢治とも違う。浄土宗からかなり離れたはずの後白河法皇編纂の「梁塵秘抄」の世界とも違う、まるで、弥生時代からの古代の宗教意識のような石牟礼道子さんの死生観が、語られた。もちろん、これを読んだからといって、私たちが石牟礼道子さんの心境になれるわけではない、と想う。石牟礼道子さんの膨大な著作を読んだ後に少しわかる世界だ、と思う。いや、ごめん。私たちは既にわかっているのだ。それを言葉にできないだけなのだ。
道子さんの著作は、今のところ一冊めから挫折している。私は4年前、日本文学全集所収の「椿の海の記」を読み出して、まるきり読み進めることができなくなった。気に入らないのでもなくて、難しいのでもない。その反対で、とても素晴らしく、やさしい小説なのだけど、1ページ読むだけで、もう直ぐに腹イッパイになるのである。一行一行に描かれていることがあまりにも豊潤で美しく、発見がある。1ページも読むと、自分のキャパがすぐにイッパイになる。そういうことが、もう1年ほど続いて、そのあと紐解くのが怖くなった。今回対談形式ということで、やっと普通に読めた。これで石牟礼道子さんの「呪い」は解けるだろうか?