小野田和子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ特に中盤くらいまでは「SF作品だがサイエンスフィクションというよりサイエンスファンタジーだな」という感触の作品だった。
一方で、SF作品でしか味わえない雰囲気もそこかしこで感じられた。例えば、16節『隠れ里のサイアナイト』では、それまで断片的だった石喰いの様子が少しずつわかってくる(読者にとってはファーストコンタクト)が、その描写に「やはりしっかりとSFだ!」と思ったのが印象に残っている。
作品の大枠はファンタジーでも、表面的に科学知識を取り入れた幻想小説ではなく、より深いところまで科学が浸透したサイエンスフィクションを随所で感じるものであった。
また、本作品の非常にユニークな点としては、“サイエンス”の部分に地球科学的な知識が散りばめられている点がある。惑星の概要や性質で大雑把に地球科学の知識が使われる作品はあっても、全編を通して火山学や地質学、鉱物学などが使われている作品はかなり珍しい。
これは、目を引くような地球の現象はタイムスケールが人間の感覚と合わない(我々には知覚も『地覚』もできない)ことが大きな要因だと思っているが、本作では問題となっている地球科学的タイムスケールを一万倍も百万倍も縮めること(;地球では数千万年〜数億年に一回しか起きないような地質的イベントがスティルネスでは『季節』として数百年ごとに起きている)で物語の中に落とし込んでいる。地球内部や物質の変形に詳しければ「惑星内部での動きをそんなにパワフルに早回しにすると地球と同じような現象が起きないだろう」と思うかもしれないが、そこまで言及するのは野暮だろう。
本作はファンタジー要素も多分に含む。珍しい分野の作品をファンタジーやロマンで補って愛でる方が幸せで楽しめると私は思う。
本書独特の能力『オロジェニー』も面白い。
一見魔法のようだが、読み進めていくと科学的(= SF)な制約が効いているらしいことが分かっていくる。
読み始めのうちは、周囲を凍らせることも能力のうちかと思っていたが、それは副作用とも言うべきもので、熱エネルギーを周囲から集めて、物質に働きかけるための運動エネルギーへ変換している(;収支が全然合っていないのではとは思うが)ということが分かってくる。 最終盤のサイアナイトの『石も水も同じ。ただ動きが速いだけ』という台詞から働きかける力も流体力学的な制約を受けている(;実際、遅い流れと速い流れの違いが出るが岩石の流動も水の運動も流体力学でうまく記述できる)ようでもある。
ビノフとフルクラムの中枢を探索している際に、ダマヤが壁を探っている感じから、オロジェニーは岩石(固体)内部の応力場を感知しているように見える。それまでは岩石の組成を見ているのだと思って読んでいたのだが「オロジェニーは(熱)力学系に干渉する能力なのか?」と認識が変わった。
ところで、オロジェン名『サイアナイト』の由来については最後までわからなかった。ダマヤが命名する際に意味ありげなことを思うが、その意図がわからない。
なぜ他のオロジェンのように鉱物名ではなく岩石名なのか(;サイアナイトは閃長岩。文中の『閃長石』はおそらく誤訳。ただ、著者自身が鉱物名と岩石名を混同している気もするので、それならこの差異に深い意味は無い)や、
サイアナイトは部分溶融で石英成分が抜けた花崗岩のようだが、その成因を調べてもやはり意図はわからない。石英は白色or透明だが、純粋な部分が抜けてしまったという意味だろうか?サイアナイトは大陸縁辺部の沈み込み帯で形成されるので、ロガのなかでも主流ではなく外れている存在という意味だろうか?
作品の展開としては、
この物語の世界観の紹介と、プロローグとも言える文明崩壊のはじまり(; この作品特有の『季節』の始まり)を見ながら、徐々に数人のキャラクターの動向へと焦点が移っていく。彼らの素性が明らかになりながらそれぞれが旅の道連れを得、望まぬ旅へと旅立っていく。 思惑を異にする、そしてお互いの気持ちも通っていない3組の物語が交互に進んでいく。という形で物語が展開していく。
本書の中ではこの最序盤がもっともとっつきにくい印象だった。世界観が不明なままフォローも無く物語の世界に放り込まれ、その世界に馴染んだ住人達の独特の言葉(『地科学(Geomestry)』などは原著でも造語)や、異界の常識が飛び交う間を右往左往しながら付いていくというのは、迷子の子供になったような気分で居心地が悪い。 巻末の『補遺』を読みながら『スティルネス』の世界の事を我慢強く学んでいくとどんどんと面白くなっていく。この導入の不親切さというか、とっつきにくさは本作に限ったことでなく、近年の海外SF作品ではよくあることなので、海外SF作品に馴染んでいる人には言わずもがなだろうが。
本作は主となるキャラクターを替えながら、少しずつ物語の謎が解けていく仕組みになっている。1人(ひと組)の主人公ではなく、さまざまな場所、時間の出来事から一つのストーリーが形作られていくことや、”神の目線”の読者だからこそ、この世界観を掴めるというのは、実に面白く、スゴイとも思った。
3組の行方を追っていく形だが、ダマヤの物語は登場回数がやや少ない。エッスンの追跡行とオロジェン2人(サイアナイトの、と言うべきか)の旅が軸となっている。
最初は世界観や、コロコロ変わる登場人物に面食らっていたが、『スティルネス』に馴染んでくると3組の時間軸がズレていることに気付く。3者の時間関係の詳細はわからないが、エッスンだけが『季節』に入っていることから時間的にもっとも後だとはわかるだろう。
その物語達が終盤に合流していく様は驚きだった。
まず17節でダマヤとサイアナイトが繋がる。終盤に入り、「そうかも」と思っていても、「おおっ!」となる節の締めくくりだった。
500ページを過ぎて新しい節に入ると、エッスンとサイアナイトも一つにまとまる。3つの物語が1人の人物の人生として縒り合わさっていく手法はうまいと感嘆した。この手法は面白いと同時に、単純な過去の追想とは別の趣きがあるとも思った。
個人的に少し気になった部分としては、
トンキーもそうだが、「女」にこだわり過ぎというか、LGBTを主要な人物に取り込み過ぎというか・・、という印象を受けた点。中盤くらいまでは気になることはなかったのだが、トンキーが男に戻っていく様子あたりから「くどい」という思いが出てきた。 統計的に少数な者をスポットライトが当たる主要部分に過剰に配置すると違和感が強くなると感じた。フレーバーとして文中での露出を控えめにするか、スティルネスが我々の世界とは違う性的な分布であることを示唆してくれれば納得して読むことができる。 『解説』の最後で、アメリカの作家間での多様性についてのもめ事と著者の立場に触れているが、娯楽作品を攻撃的な駒として過度な主張を混ぜ込んでくるのはやめてほしいと思う。「物語的に意味があるのか?」と思っていた設定が、現実世界の不寛容な勢力への当てつけだったとしたら肩すかしを通り越して「何を見せられているんだ。よそでやれ」と腹が立ってきてしまう。 「主張を入れるな」とは全く思っていないが、いかにも今のアメリカらしい自説での殴り合いではなく、せっかくSF・ファンタジーという道具があるのだから、問題を別の角度から見たり、ごちゃ混ぜ、ひっくり返すような、思考を深める”可能性”を見せて欲しいなと思う。以前読んだル・グィンの『闇の左手』なんかは異星での物語という特性を存分に生かし、穏健な内容だが性差について(自然に)考えさせられる部分が多くあった。
物語は面白かったので続編も読むつもりだが、この多様性に対する著者の姿勢が気にかかっているので、最終巻となる三作目まで読み進めるかは続編を読みながら判断していこうと思っている。 -
Posted by ブクログ
2026年お正月特番の代わりに選んだ書籍は「火星の人」
事前情報をいれなかったので"火星人"じゃなくて"火星の人"な理由も読み始めて知ることとなった。
岡田としおのYouTubeアポロ計画オタク話しを聞いて得た素地がなければ火星探査機のおぼろげながらのイメージもつかなかったかも知れない。
最初の80ページは火星に取り残された主人公ワトニーの生存戦略場面なのだが、宇宙船用語やら化学式やら緻密な計算やらでなかなか進まなかった。
(植物学者としてジャガイモを土づくりから行う物語は希望にあふれる展開で胸が躍る。)
ただし、6章場面は地球に切り替わり、衛星コントロールの画像でワトニーの生存が確認できてからの面白さはvery good!!救出の光が見えてきたりやっぱり上手くいかなかったり、先が気になり過ぎで一気に下巻へ。
ワトニーの活動は毎日のログエントリーでわかるのだが、ジョークがいかにもアメリカンジョークなので、昨年末のM-1覇者「たくろう」の決勝ネタのビバリーヒルズ吹き替え版が頭の中に浮かんで楽しみが倍増した笑
「ソル」火星の1日。24時間39分35秒
「MDV」火星下降機
「MAV」火星上昇機
「EVA」船外活動
「JPL」ジェット推進研究所
「RTG」放射性同位体熱電気転換器
「サットコン」衛星コントロール
-
Posted by ブクログ
「火星の人」「プロジェクトヘイルメアリー」を書いたアンディウィアーのSF作品ということで、面白さはお墨付き。
今回の舞台は月に人間が住めるようになり、その施設が「アルテミス」と呼ばれるもの。地球からの観光客を受け入れ、高級リゾート施設もあれば、作業員クラスが暮らす施設もあり。こんな狭い施設の中にも格差があるのか、と地球の縮図を感じられる舞台設計。
主人公はそんな低層施設で暮らす女の子。ただし、清廉な印象は全くなく、地球からの密貿易で小銭を稼ぐ小悪党。言葉遣いも汚いし、清潔感もない。ただし、親譲りの物理の知識はとんでもなくらいにあって、どんなピンチも切り抜ける機転と度胸もある。たくましさは主人公そのものだ。
今回もアルテミスでおこる大ピンチもなんとかかんとかしようとするのだけど、なんだか自業自得な感じもあって、ちょっとなーと思うところがマイナス点かな。
相変わらず、理系の知識に裏付けされた説得力の高い状況に驚くけど、正直、今回は主人公にあまり共感できなかったので、星5つには及ばず。 -
Posted by ブクログ
『第五の季節』三部作の最終巻。
本作を「差別問題に向き合った」と表現するとしっくりこない。
「差別する」という日本語はどことなく受動的な印象を受ける。「元からそこにある差によって扱いをわけている」といったニュアンスを感じる。
しかし”差”はつねに「差別」の過程のなかで新たに生産されている。
直接的ではないが、本作の中でも繰り返しそのことが強調されている。
オロジェンが最初から差別されるべき対象だったわけではない。権力が、過去に遡って彼らが差別されるべき系譜として、歴史を読み変えたのだ。
「差別」は、権力によって一方的に生成され押し付けられるより根源的な意味での暴力だ。
本作でも「差別」という言葉は用いられず、「ジェノサイド」と呼ばれる。
民族浄化。
そしてこれはホアが直接言及しているが、ジェノサイドとは単純に虐殺のことを示すのではない。
人間が、人間として扱われなくなること。
人間としての権利の抹消が、ジェノサイドの根幹部分に存在している。
本作は、母と娘といったミクロな関係から、地球と人類というマクロな関係までを織り上げながら、ジェノサイドにいかに向き合っていくことができるかを描こうとする。
ジェノサイドに対して取りうる態度には、二律背反性がつねに入り込んでくる。
人として与えられるべき当然の尊厳を奪われたものが抱く当然の権利としての怒りや抗議、破壊行動。
一方で破壊行動に対する要請には必ず自分や同胞の誰かの尊厳や人生が充分に尊重されねばならないという祈りや愛がある。
人は、怒ることによって祈ることがある。
一見両立しないこの怒りと愛が実際はコインの裏表のような関係であることを本作は描き出している。
本作の特徴である「二人称の語り」。
作者はあとがきで「色々な人称を試してこれが一番しっくりきた」と話している。
二人称は、相手に話しかける文体であると同時に、相手の気持ちを誰何し、しかし想像ではなく事実として記述する文体であるといえる。
したがって、二人称はつねに他者志向的であるし、同時に他者を外部から決定してしまうという根源的な暴力の側面を持っている。
そしてそのような暴力性は、しかし、それがどのような意図でどのように語られるかによって、相手に対する慈しみとして立ち現れる。
二人称は、暴力性を持ちながらも他者への愛であることができる。 -
Posted by ブクログ
『ほかの誰もが無条件で受けている敬意を、戦い取らればならない人々に』
人として与えられるべき当然の敬意を剥奪され、虐げられ、その虐げられていること自体を地の底深くに隠蔽されし者たちの、哀しみと痛み。
世界に対する憎しみ。
それゆえ、彼らがおこなう破壊行為はみな、その状況に対する必然の抗議として、その権利を与えられねばならない。
「あんたは○○した。」と主人公に語りかけるような独特な二人称は、突き放すようでいてどこかしら優しさもこもっており、耳に心地よい。
彼女たちは、やがて選択をつきつけられることになる。それは単に「迫害の状況に抵抗するか、現状をよしとするか」という2択だけではない。
「”それ”を迫害として認識するか、しないか」「変容を望む自分自身に気づくか、気づかないままでいるか」という選択でもある。
それらの選択は、荒々しい葛藤としてではなく、切実な存在の痛みとして描かれる。
それでも立ち向かわないといけない。
ゆるされるべきでないことはやはり、ゆるされるべきではないのだから。
確固たる人権思想に基づいた力強いストーリー。
SFともファンタジーともつかない世界観も魅力的。
これは三部作一気に読みたい。