平田オリザのレビュー一覧
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平田オリザ氏 本質論であり、反権力主義 心から共感できる 初心を取り戻せる
すっかり嵌まってしまいました
演劇の基本を学ぶ書 基本は大事だが、教えてくれる機会は少ない なぜ?
基本は全体像を教える
ex「戯曲」①場所②背景③問題④登場人物
戯曲を書くこつは二つだけ
(1)周到な準備の元、どこかで勇気をもって書き出す
(2)書き始めたら最期まで書く
演技とは、自分のコンテクストと、演ずべき対象のコンテクストを摺り合わせる
cf新婚夫婦 共同体の形成には時間を要す=コンテクストの摺り合わせ 味噌汁の味
☆「劇団の稚拙な組織論(176)」
「演出家が独裁者となる」← 絶対的人事権
劇団内に -
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2017/11/24平田オリザ「芸術立国論」☆☆☆「成熟」時代認識を踏まえた日本革新=真の成長戦略
「管理」(155)
人間の中に巣くう他者を管理しようとする気持ち、が問題
この心根が、規制を生み、規制緩和を妨げる
構造改革は、この精神の構造改革から
→管理の仕事はリスク無く権力的 望む人が増えると国は滅びの途
しかも「責任者の空洞化」が起こる 開戦の責任者がいない
「芸術」(156)
芸術は常に既成の概念を打ち破り、自由へ向かう強い意志を内包
権力は「芸術」を怖れ、忌避する
「成熟の時代」 成長主義から卒業
芸術文化は余暇ではなく、生活の中心になる
労働さえもが、文化化されていく
「国家が -
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2017/11/20 下り坂をそろそろと下る 平田オリザ
日本は「文化立国」へ大きく舵を切らなければ、犠牲者が増えるだけ
体育会価値の時代は終焉、柔らかく・しなやかな社会を作りたい
しかし安倍政権は「復古」過去の栄光の時代に戻りたい
だがそれは時代に逆行する 社会の活力は生まれない
この五年の総括は「時代不適合の国家戦略」だった
次の時代を構想できないトップは総理の資格はない
国民が不幸になるだけ
堺屋太一さんの論であるが、20年経っても踏み出せない日本死屍累々
(1)工業立国ではない (サービス業が7割)
(2)成長無く、長い後退戦(撤退戦)
(3)アジア唯一の先進国ではない (中国の後 -
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平田「…いまの語学教育は、『使える』ということのみに偏っている」
鈴木「…日本のこれからの一般の外国語教育は異文化理解ということを主にして展開すればいい。『月は黄色』と日本人は思うけれど、白と思う国もあるんだよ。中国では太陽が白なんだよ。…逆に日本の日の丸は赤でしょう。ところが世界中の人に『これはなんだ?』と聞いたら、ほとんどの人は『血』って答えますよ。だいたい世界の人の赤い丸は血なんです。日本人だけが太陽だと思っている。…」
言葉や文化の違いの「面白さ」を
どこかに置き忘れて
使うことばかりを念頭に言語教育をしていないかと
考えさせられたやりとり -
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演劇における「リアル」とは何かについて考える本。日常会話におけるリアル、映画におけるリアル、演劇におけるリアルはそれぞれ全く違う、でもそれが何なのか掴みかねていた僕にはこの本を読んで納得できることが多かった。
「場」としての舞台と、それを構築していく過程における具体的なテクニックについても書かれていてよい。
平田オリザはかなり特殊な理論と実践をしている人だと思うが、しかし演劇人において多くは独自の方法論を持っているのではないかと思う。だから「特殊だから役に立たない」という批判は無用だ。多くの「特殊」を学ぶことによってある種の普遍を見出し、そして自ら独自の「特殊」を編み出せばよいのだ。
これは -
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ええ本でした。
最近、色々なニュース(東京五輪のエンブレム問題とか、夏休み明けに自殺する中高生が多いこととか)を見ていて思う。
「いいね」を押したり、批判したり、ネットというツールがあれば、自分の意思が表明できる。自分の意思をすぐに出力できる環境は、出力する前に
考えること、自分がどう感じているかを観る機会を奪っているのではないかと思う。(そういう環境に疲れている・・。)
もっと言葉にならない、いいとも悪いとも言えないことはたくさんあるのではないかと思う。言葉にならないことを言葉にならないままでいい時間、余白がないことが、世の中の様々な問題の元にあるのではないかと思う。自分の心の中にある言葉に -
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演出家が書く演技と演出について。
そもそもプレゼンとかコミュニケーションに役立つような何か知見がないもんかと手に取った本だが、期待以上に面白くて。
名作の条件とは「社会的テーマ」と「人間的テーマ」の両極がしっかり描けているかどうか。刑事ものでカツ丼が出るのは、刑事とか容疑者という社会的な人物がいる場面で「食べる」というきわめて人間的な行為を挟むことで、よりその人物たちの人間的な存在を強調するんだって。
最近みたフジテレビの「それでも、生きていく」なんかはまさにこれを象徴してて、被害者家族と加害者家族という究極な社会的テーマに、家族愛や人間の尊厳を掘り下げて描いていた。少し笑いの要素なども添 -
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何に、はっとしたかと言えば、『コミュニケーションの出発点は、「人それぞれ、言葉から受けるイメージが違う」という点にあると考えています。』というくだりだ。最近そのことばかりを考えていたから。自分が勝手に定義している言葉と、相手が考えている言葉は全く違うものであるから。それを「摺り合わせる」ためだけに、コミュニケーションをしているといっても過言ではないだろう。だからこそ、何をすると、どうなる、というイメージをあらかじめ共有していることは、虚構を本物に見せやすい。言葉にはそして、必ずコンテクストがついてくる。見えないコンテクストを見えるようにして、ことばにくっつけてやると、そこにシチュエーションが生