あらすじ
「日常会話」や「雑談」は得意でも「対話」は苦手なことが多い日本人。ふだん同じ価値観の仲間とばかり会っているので、異なるコンテクストの相手と議論をしなくて済んでしまう。文化の違う相手と交渉したり共同作業をする経験が、まだ日本人には少ないのだ。さらに携帯電話などの登場で、世代間のギャップが広がる。それではどのようなスキルが必要なのか。豊富な具体例をもとに、新しいコミュニケーションの在り方を真摯に探る。(講談社学術文庫)
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Posted by ブクログ
ええ本でした。
最近、色々なニュース(東京五輪のエンブレム問題とか、夏休み明けに自殺する中高生が多いこととか)を見ていて思う。
「いいね」を押したり、批判したり、ネットというツールがあれば、自分の意思が表明できる。自分の意思をすぐに出力できる環境は、出力する前に
考えること、自分がどう感じているかを観る機会を奪っているのではないかと思う。(そういう環境に疲れている・・。)
もっと言葉にならない、いいとも悪いとも言えないことはたくさんあるのではないかと思う。言葉にならないことを言葉にならないままでいい時間、余白がないことが、世の中の様々な問題の元にあるのではないかと思う。自分の心の中にある言葉にならないことに色々な角度から見せてくれるのが、本と対話する時間、本と対話して、自分と対話する時間だと思う。
そうやって自分も生きてきたし、そうした場や時間を子どもにも大人にもつくりたいのだと思う。
下記、引用。
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「人は、たとえば誰かを好きになったときに、その言うに言われぬ気持ちを言葉に託したくて、はじめて詩を読むものだ。
あるいは愛する者を失った悲しみを、そのままにはどうしてもしておけなくて、小説を読んだり芝居を見たりして、その気持ちを表すのに、何かぴったりの言葉や表現を見つけて、かろうじて精神の均衡を保つのだ。
21世紀のコミュニケーション(伝達)は「伝わらない」ということから始まる。この連載で何度も繰り返してきたように、対話の出発点は、ここにしかない。
私とあなたは違うということ。
私とあなたは違う言葉を話しているということ。
私とあなたが分からないということ。
私が大事にしていることを、あなたも大事にしてくれているとは限らないこと。
そして、それでも私たちは、理解し合える部分を少しずつ増やし、広げて、ひとつの社会の中で生きていかなければならないということ。」
Posted by ブクログ
向かい合う人を理解し、
異なる考えを楽しめるように生きたいと感じた。
オリジナルは約15年前の発表ながら色褪せない。世の中が変わっていないというよりは、人生の本質にかかわる鋭絵院のテーマであるからではないか。
Posted by ブクログ
対話とは、異なる考えを持っている他人と話をし、自分の考えを変えていくこと。
なぜ、それが必要なのか、日本人はどうしてそれができないのか、が詳しく書かれていた。
どうしたらそれができるようになるのか、ヒントのようなものは書かれていたが、普通の人は演劇をやる機会はあまりないし、なかなか難しいと思った。
Posted by ブクログ
20年前に書かれた連載をまとめたものなので、スマホなどなくてIモードが登場してびっくり。
しかし平田オリザの感覚は全然古くない。
2500年前にギリシャで生まれた演劇や、250年前のルソーの社会契約論に比べたら、平成から令和の20年なんて同じ時代のくくりかもしれないけれど。
日本人には対話が必要ってことだけは、変わってはいないと思った。
Posted by ブクログ
20世紀末に書かれたものを再編した本。フランスワールドカップの話題や、ニフティサーブの話題が懐かしい。「対話のレッスン」とあるが、最初は日本語の変遷、日本人という民族性、コミュニケーションのことについて書かれている。これはこれで面白い。
そして後半はいよいよ対話について書かれている。2500年前のギリシャの民主制からの対話の始まり。哲学、演劇。日本での対話の位置づけ。
ハウツー本ではないが、対話やことばに興味を持たれた方は読んで見ても良い本と感じる。
Posted by ブクログ
いつものオリザさん。コミュニケーションというふわふわしたものをつかもうとしている本、ということで、なかなかこれに書いてあることをすべて飲み込む、というのはむずかしいんですが、それでもこういう本は読めば自分のどこか奥底のほうまで染み込んでいくことがあるのでは、と思う。それが自分のこれからのコミュニケーションを変えていく、そういうもんやと思う。
Posted by ブクログ
伝わらないという前提で語りかけ、1度のミスマッチで断念せずに継続して相互理解に挑む、という姿勢が対話である。この定義にいたく感動。会話はできても対話はできてないことをようようと自覚するに至る。日本語ならではの隠しの文化も、対話を避ける一因とも説明。これも納得。演劇関係者の視点で、この対話についての分析を試みているのがおもしろい。若干冗長なところもあるが、連載記事ということもあり、こんなもんなんだろうと。
レッスンねたもちゃんと記されており、試しはじめたところであります。
Posted by ブクログ
1997年9月から2000年9月まで雑誌に連載された、平田オリザの日本語に関するコラムを集めたもの。「対話と会話の違い」にスポットを当てた文章に始まり、日本語の様々な特性や問題点、その背景にある日本社会や日本文化について論じている。15年以上前の文章なので、さすがの平田オリザもまだ若く、最近の文章に比べると若干の硬さや性急さが感じられるのが面白い。逆に言うと、最近の彼の文章や発言は、昔よりも肩の力が抜け、ますます達人の域に到達していることが分かる。意地悪く言うと、この頃よりも毒気が薄れている印象もあるが。
内容については、極めて新しい視座は少ないものの、漠然とした概念を実に理路整然とした言葉にまとめている点に感心させられる。すでに述べた「対話と会話の違い」をはじめ、「コンテクストのずれ」に関する文章など、痛いほどよく分かる。平田が全編で最も言いたかったであろう「日本社会/日本語は対話のための言葉を持ちえなかった」という主張にも納得。ただし「対話の言葉」を獲得するレッスンのために演劇が必要だという話は、いささか我田引水の感を拭えない。もちろん演劇も確実にその一端を担うことになるだろうが、この問題は演劇以外の様々な芸術やメディア、そして何よりも教育が、根本から少しずつ変わっていくしかないだろう。なお「少しずつ」と加えたのは、言葉の急速な変化が生み出す弊害も、この本を読むことでよく分かるからだ。15年以上前の文章なのに、問題は今日でも全く変わっていない…とつい言いたくなるが、15年程度で言葉の問題が一変するようでは、確実に何らかの弊害が生じる。言葉も、その背景にある社会や文化も、少しずつ、しかし着実に変化していくしかない。そのための指標として、この本は大きな役に立つだろう。学校の国語の教科書に収録したい(もうされているのかな?)。
Posted by ブクログ
難しい、高橋源一郎の書評がわかりやすい。
対話、自分でもよく言葉にするが、何のために?違いはと聞かれるとうまく説明できないだろう。
言葉と時代背景、行動とのリンクも納得。
考えは伝わらないをスタート地点にし、価値観の違う人にわかってもらうことが対話。納得。ここにかける説得力の必要性
現代語版ハムレットは爆笑