あらすじ
若き天才が全て明かす「芝居作りの技術」。シェイクスピアはなぜ四世紀にわたって人気なのか? 日本で対話劇が成立しづらいのはなぜか? 戯曲の構造、演技・演出の方法を平易に解説する画期的演劇入門書! (講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
演じる場である劇場について、触れてるかなと思い読み始めたが、一言も出てこなかった。期待は外れたものの、内容は興味深く、特に一章のリアルなセリフとは何か、と、四章のコンテクストについて、でハッとさせられ面白かった。
コンテクストは一般化して考えることができ、演劇に限った話ではない。あらゆる物事において、何がベースにあるか知ることはとても大事だと思う。
別に演劇をやっているわけでも、よく観に行くわけでもないが、続編の「演技と演出」も読んでみたい。
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演劇のはじめ方の本。タイトル通り。
ダメな戯曲を書かないためのコツが分かる。
テーマより自分の世界を表現することが大事。
テーマに触れることで自分の世界の表現方法が見えてくるみたいな…。
情報の格差を持たせることがリアリティに繋がり、
格差を持たせるためにはセミパブリックな場を用意するとよいらしい。納得。
色んな舞台をいっぱい観たくなった。
財力が足りない………。
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私は演劇やTVドラマ、映画などは見る一方なのだが、手に取って読んでみて、なるほど、TVドラマと演劇とでは似て非なるものであることがよくわかった。たしかに映画やドラマ、演劇では全くちがう感覚で見ていることに改めて気付かされて自覚的に改めて演劇を見たいと思った。このコロナ禍で、オンラインでのライブ配信などさまざまな取り組みがなされてはいるが、やはり生ならではの良さが演劇にはある。改めて演劇の奥深さを感じた。
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現代演劇は、観客とのコミュニケーション。つまりコンテクストの擦り合わせである。
作家は戯曲の中で、対話が起こるようなしかけを用意しないといけない。会話ではダメ。
場所を選び、問題を起こす。
他者を存在させ、様々な人物を右往左往させる。
という仮説を検証する。
演出家は権力者であるが、コンテクストの擦り合わせにより、民主的に集団をマネジメントし、かつプレイヤーからのフィードバックにより、コンテクストの精度を高めていく。
対話は西洋特有のものであるが、そのことに意識的になることで、何かインパクトを与えることができるかもしれない。
Posted by ブクログ
10数年ぶりに再読しましたが、改めて名著だなって思いました。
本書は200ページ程の一般新書ですが、演劇の作り方、演劇の役割、そもそも演劇とは何であるのかがぎっしり詰まっていて、また熱い想いも感じれました。
「何かを伝えたいのではなく、表現がしたい。」
「対話、コンテクストと演劇の関係」
「演じる-鑑賞する、という限定的かつ一方的な空間の中で、”コンテクスト”の摺合わせ、積み重ね、共有、もしくは生成がいかにできるかどうか。」
演劇の面白さと難しさ、役割、奥深いです。
Posted by ブクログ
平田オリザ氏 本質論であり、反権力主義 心から共感できる 初心を取り戻せる
すっかり嵌まってしまいました
演劇の基本を学ぶ書 基本は大事だが、教えてくれる機会は少ない なぜ?
基本は全体像を教える
ex「戯曲」①場所②背景③問題④登場人物
戯曲を書くこつは二つだけ
(1)周到な準備の元、どこかで勇気をもって書き出す
(2)書き始めたら最期まで書く
演技とは、自分のコンテクストと、演ずべき対象のコンテクストを摺り合わせる
cf新婚夫婦 共同体の形成には時間を要す=コンテクストの摺り合わせ 味噌汁の味
☆「劇団の稚拙な組織論(176)」
「演出家が独裁者となる」← 絶対的人事権
劇団内に厳然としたヒエラルキーや年功序列が確立
劇団員同士の自由な相互批評を不可能にしている=組織の硬直性
いかなる集団も権力構造を内包し、その権力構造が腐敗を生む
「俳優の存在理由」・・・サラリーマン論に通じる
その存在の弱さと孤独を知り、俳優とは何かを問い続け、
俳優の誇りは何かを常に考え続ける存在であること
→俳優の尊厳と主体性
Posted by ブクログ
演劇における「リアル」とは何かについて考える本。日常会話におけるリアル、映画におけるリアル、演劇におけるリアルはそれぞれ全く違う、でもそれが何なのか掴みかねていた僕にはこの本を読んで納得できることが多かった。
「場」としての舞台と、それを構築していく過程における具体的なテクニックについても書かれていてよい。
平田オリザはかなり特殊な理論と実践をしている人だと思うが、しかし演劇人において多くは独自の方法論を持っているのではないかと思う。だから「特殊だから役に立たない」という批判は無用だ。多くの「特殊」を学ぶことによってある種の普遍を見出し、そして自ら独自の「特殊」を編み出せばよいのだ。
これは脚本を書く前に読み終えていたかったなあ。
Posted by ブクログ
ひさびさに、とんでもない良書に出会った。演劇の本なので、舞台や役者の文脈で話は進むが、要は、ある特定のプロジェクトを立ち上げて、人を配置して、どのように場を形成して、意図するところに人を導くかという話なので、プロジェクトでも企画でも、日々の業務でチームをマネージするなど、なにか場を作ることをする人にはすべて当てはまる本。これだけ、左脳な話題を、右脳で感覚的に捉えさせるとは、お見事!もっと前に出会いたかった!
Posted by ブクログ
現代演劇の特徴は伝えたいこと=テーマがなくなってしまったこと
一つはそれが本当になくなってしまったこと
もう一つは芸術の社会的役割が変容したこと
対話を通じて自己と他者のコンテクストと擦り合わせて新しいコンテクストを生成する
新しい世界像
そのために内的対話を積み重ねること
Posted by ブクログ
まさにタイトル通りの演劇を作るための技術について書かれている
演者目線ではなく制作側、特に戯曲を書きたい方には非常に為になる事が多い
日本には役者が芝居を学ぶ場所は多々あれど“演劇を作る“事を学ぶ場所はない
脚本に関しては数える程の学校があるが、それも書くことに主を置いている
脚本講座に在籍している身として、とても勉強になる内容が多々あって読んで良かった
Posted by ブクログ
作劇の方法が書かれている珍しく貴重な書といえる。
作劇方法以外に、とくに作者の演劇に対する見解がとても興味深くハッとさせられる文が多かった。他の著書でもうすこし深掘りして読んでみたい。
以下、印象的な文を引用。
─私たちは、先にテーマがあって、それを表現するために作品を創るのではなく、混沌とした自分の世界観に何らかの形を与えるために表現をするのだ。
─演劇とは、リアルに向かっての無限の反復なのだ。その無限の反復の中で、ゆっくりと世界の形が鮮明になっていく。この混沌とした世界を、解りやすく省略した形で示すのではなく、混沌を混沌のままで、ただ解像度だけを上げていく作業が、いま求められている。
Posted by ブクログ
お芝居を書く、いわゆる戯曲をどのように作っているのかの概要を理解することが出来た。私は批評家ではないので、仮に不自然な戯曲に出会っても技術的に脳内で補完修正してより深く鑑賞に浸るようにしたい。高校演劇が割と引き合いに出されているので、是非一度高校演劇を観てみたいと思った。
また、戯曲に限定されるものでなく、広く示唆に富んだ内容なので確かに演劇が色んな人間模様を描く表現だということなのだろう。
Posted by ブクログ
大学で演劇サークルに所属していました。
入学した時にこの本を読んでおけば、多少は演劇に対しての考え方も変わってたのかなと感じました。
演劇を見ていてリアルに感じられない時があるのは何故かという疑問を起点として、戯曲の書き方をメインとして、演出・俳優についても論理的に書かれています。
特に「演劇=コンテクスト(文脈)の摺り合わせ」というのは当たり前といえば当たり前ですが、改めて考えさせられました。
・役柄同士の対話
・俳優同士・俳優と演出家の対話
・表現者と観客の対話
この3つの対話によって、コンテクストを摺り合わせ、互いのコンテクストを広げる、気づきを得るのが演劇の目的
もう一回演劇やってみようかな。
Posted by ブクログ
論理的で説得力のある文章だった。コンテクストの擦り合わせこそが民主主義の根源であるという考えに共鳴したし、その根拠を歴史と照らし合わせて証明していく手法に強く賛同した。
Posted by ブクログ
平田オリザ(1962年~)氏は、国際基督教大卒の劇作家、演出家。劇団「青年団」主宰。東京藝大アートイノベーションセンター特任教授、大阪大学コミュニケーションデザインセンター客員教授、日本劇作家協会理事なども務める。
芝居がかったセリフではなく、日常的な話し言葉で舞台を演出する方法を体系化した「現代口語演劇理論」を提唱し、その手法は、現在の演劇界に大きな影響を与えた。
本書は、演劇(戯曲)を創るためのハウツーから始まって、現代日本における演劇の役割までを論じたものであるが、その論旨の展開はスリリングかつ見事で、演劇の世界の門外漢である私にとっても示唆に富む内容であった。
(ノウハウ以外で)印象に残った点を以下にいくつか挙げてみる。
◆近代芸術には「伝えたいこと(=テーマ)」があったが、現代芸術(演劇)の特徴は、「伝えたいこと」がなくなってしまった点である。ただ、「伝えたいこと」はないが、「表現したいこと」はたくさんあり、それは、世界とは何か、人間とは何かという、自分の内側にある混沌とした想いであり、換言すれば、私たち人間の精神の振幅、心の在りようである。
◆演劇というドラマの本質は、運命に立ち向かうにしろ、立ち向かわないにしろ、もともとは卑小な存在であった一個人が、直面する問題の中で右往左往し、人間として変化を遂げていくことである。シェイクスピア劇や忠臣蔵が長く舞台化されてきた理由もそこにある。
◆日本語は、その歴史的背景から、「会話(Conversation」(既に知っている者同士のお喋り)には向いているが、「対話(Dialogue)」(他人と交わす新たな情報交換や交流)には適していない。「対話」が重要な要素を占める戯曲を書くという行為は、日本人・日本語の「対話」の形を探るという意味も持つ。
◆演劇とは、一人ひとりが持つ「コンテクスト」(ここでは、一人ひとりの言語の内容、一人ひとりが使う言語の範囲を指す)を擦り合わせる(共有を目指す)行為である。それには次の3つの側面がある。①演劇とは他者との「対話」を中心とするものであり、舞台上の演劇作品の内部において、コンテクストの共有が必須である。②演劇を創る上で、俳優と劇作家・演出家の関係において、コンテクストの共有が必要である。③表現者と観客の間でコンテクストが共有されてはじめて、「リアル」な演劇となる。
◆上記の「コンテクストの共有」とは、「対話」を通じて行われるものである。一個人があるときは表現者になり、あるときは観客となる、「参加する演劇」を文化としていた古代ギリシャにおいては、①~③は地続きに繋がっており、常に対話を通じたコンテクストの擦り合わせが行われ、それが民主制の維持に役立っていた。
翻って、現在の世界を見ると、自国(自分)第一主義、他国(他人)についての想像力の欠如が蔓延っているが、その根本的な原因のひとつは、まさに「コンテクストの共有=対話」の欠如である。本書の示す演劇の意義というのは、予想を超えて大きな問題の解決に繋がっていると言えるのかも知れない。
(2020年5月了)
Posted by ブクログ
演劇、戯曲について丁寧にわかりやすく解説されていました。作品は作者と観客のコンテクスト(文脈)の照らし合わせによって生まれるという解釈が腑に落ちました。
観客が作品に対して、アートリテラシーを持つべきというのも納得できました。
Posted by ブクログ
書評集とかでオススメされているのを何度か見かけ、そんなに良いのならということで、入手したもの。演劇はたまに見に行くくらいで、好きと言えるほどには知らない。当たり前だけど、テレビドラマとは魅せ方が違う訳で、本作ではその理由を言語化されていて、なるほどという感じだった。特定の劇団しか知らないけど、もっと色んな演劇に触れてみたい、というモチベーションにもなった。
Posted by ブクログ
今回読むのは2回目。2016年12月31日(土)から読み始め、2017年1月5日(木)に読み終わった。なかなか勉強になる。
1回目は2010年6月30日(水)に読み始め、7月12日(月)に読み終えている。
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ただ漫然と舞台を見るのではなく、演劇というものの良し悪しをちゃんとわかるようになりたいと思って、客の立場ではあるけれど、演劇についてちょっとお勉強したくなって読んだ本。これすっごくわかりやすかった。演劇の「良し悪し」の基準を「コンテキスト」という言葉を使って定義していて、すごく腑に落ちた。
一つの分野は最低3冊読むようにしているので、あと1,2冊演劇論の本が読みたいな。
Posted by ブクログ
演劇を大学の授業開発に取り入れられないか考えてみたく本書をとった。教育工学における先行研究をあわせて読み進めて、深い能動的・浸透的学習方法を開発してみたい。
Posted by ブクログ
リアルな演劇の脚本を書くためのハウ・ツー本の体裁をとりながら、著者自身の演劇の捉え方が明らかにされています。
本書はまず、演劇をリアルなものにするために、「セミパブリック」な空間・時間を利用することや、「遠いイメージから入る」といったテクニックを紹介しています。その一方で、そうした工夫が「役者と対象、あるいは役者と観客との間で「コンテクストを摺り合わせる」こととして捉えることができるというアイディアが示され、均質性の高い日本社会においては「対話」の伝統が育まれてこなかったことなどに触れつつ、「コンテクストを摺り合わせる」という観点から演劇を包括的に捉えなおすような視座が示されることになります。
演劇の見方を解説した本だと思っていたので、ちょっと期待外れかな、と思いながら読み始めましたが、演劇におけるリアルを追求することが、メタ演劇的な考察につながっていることが明らかになっていくスリリングな議論の運びにしだいに興味を引かれ、おもしろく読めました。
Posted by ブクログ
「話し言葉を書く」ことのむずかしさ。「伝えたいこと」(テーマ)ではなく「表現したいこと」志向の現代演劇。物語を進展させるための「セミパブリックな空間、時間(背景・状況)」。
(起承転結すべて語りつくすのではなく、)観客の想像力にゆだねるのが演劇。
日本(ムラ社会)では、「対話」は育たなかったということ(=近代演劇の困難)。
といった内容で、「戯曲の作り方」を初心者に一つ一つ丁寧に(純を追って)講じていく体ではあるが、それに含まれるエッセンスのひとつひとつが、相当に興味深い。
Posted by ブクログ
「7人のシェイクスピア」という漫画を読んで、演劇に興味を持ったのでなんとなく読んでみた。
戯曲を書き、演劇を創るためのハウ・ツー本とのことで、確かに創作技法が丁寧に綴られていた。
創作技法はなるほどと思った。舞台設定や人物の配置、会話の展開方法などは、読者に戯曲を書いてみたい、自分にも書けるのではないかと思わせるような分かりやすさだった。
一方、現代演劇と近代演劇の区別も付いておらず、ストレートプレイは平田オリザどころかシェイクスピアですら1回しか観たことがない演劇音痴にとっては、演劇におけるリアルとは何か、演劇が市民社会に占める役割、日本文化と演劇の相性といった演劇論についてはよく分からなかった。
言いたいことは分かるが、それは演劇だけのものではないと思った。また、そもそも本書における演劇の定義が示されず、宝塚や歌舞伎が本書の「演劇」に入っているのかもよく分からずじまいだった(文脈によるようだが、非常に分かりにくい)。
また、著者は学校教育を「架空のコンテクストを強要する」として批判しているが、架空ではないコンテクストもそうない。「現実は万人の空想に支えられた楼閣である」と寺山修司も言っていた。文化も思想も架空そのものである。生まれ落ちたところのコンテクストをインストールするのはもはや本能であり、強要というのも違う気がする。著者がここで何を念頭に「架空のコンテクストを強要」と言っているのかが分からなかった(平田オリザの他の発言録等からなんとなくさす察することはできる)。
そんな調子で、全体として説明不足は否めない本だったが、手軽に読めて「入門」としては十分な内容だと思う。ただ、その説明不足は「演劇を通してコンテクストを丁寧に擦り合わせたい」という主張を空疎にしてしまい、本書においては致命的な気がした。
Posted by ブクログ
戯曲を書くにあたって、テーマを先に考えてはならない。これは従来の戯曲方法からすると、おかしなことらしい。だが、私から見ると、従来の方法のほうがはるかにおかしなことのように思えてならない。だって、あなたは絵を描くときに、テーマを考えてから風景を探しはしないだろう。ある風景に出会い、その風景を描写したいという表現の欲求が、あたに絵を描かせるのではないだろうか。もちろん、テーマが先にあり、そこから描く作家もいるだろうが、それはおそらく少数派なのではあるまいか。
私たちは、テーマがあって書き始めるわけではない。むしろ、テーマを見つけるために書き始めるのだ。それは、私たちの人生が、あらかじめ定められたテーマ、目標があって生きているわけではないのと似ているだろう。
ジョン・ロックの考えに従えば、まず私たちは、普通、次の二つの事柄を前提にして(誤解して)、他者とのコミュニケーションをとっている。
一、自分の考えは、当然、自分の考えている当の事物と一致しているものと信じている。(表象の一致…概念と事物が一致している)
二、自分がある言葉によって表明した考えや物事は、他人も同じ言葉によって表明すると考えている。(間主観性の一致…概念と言葉が一致している)
「遠いイメージから入る」という戯曲を書く際の一つの法則は、この「内的対話によるコンテクストの擦り合わせ」の端的な例である。表現者は、鑑賞者が日常生活で五感を通して行っているコンテクストの摺り合わせを、それに代わる何らかの情報を提供していくことにより代行させる。そして、鑑賞者が、主体的にコンテクストの共有を受け入れるように、その感覚を緩やかに導いていかなければならない。
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おそらくテーマはすでに、あなたの精神にいくつも内在しているのだ。その内在している表現の衝動が、書きたい対象と一致したときに「この風景を描きたい」という欲求が起こるのだろう。
。。。私たちは、先にテーマがあって、それを表現するために作品を作るのではなく、混沌とした自分の世界観に何らかの形を与えるために表現をするのだ。
Posted by ブクログ
表現者とそれを観る者との間に生まれる対話、つまり「コンテクストの摺り合わせ」がどのように行われ、演劇としての「リアル」がどのように産出されるのか、といったことを劇作家、演出家である著者が解説している。
「下手な演劇」を下手と感じる理由の一つに、「説明的な台詞」があるが、例えばこれは「清水が大山のことを好きだからといって、『好きだ』だの『惚れた』だのという台詞を描いてはいけない」(p.103)というのがあって、なるほどと思った。「いかに清水の心情を、場の雰囲気に溶け込ませて表現するかが、台詞を書く技術だといえるだろう。」(同)というのが、分かりやすい。また、そのような台詞が発生する条件の1つとして、「絶対的他者である観客に近い存在、すなわち外部の人間を登場させ、そこに『対話』を出現させなくてはならない」(p.122)というのは、さらに納得させられた。確かに家族同士とか友達同士とかで延々続いていく芝居を見ていると、状況を理解するのに時間がかかるというのは、よく経験する。(状況が理解できるまで頑張れればいいが、途中で寝てしまったら最悪だ。)その他にも、役者と演出家との関係、演劇とサーカスやオペラとの違いなど、分かりやすく書かれていて面白かった。
演劇をする人だけでなく、演劇を時々観るという人にもおすすめ。演劇だけでなく、小説を読むことにおいても、こういった「コンテクストの摺り合わせ」は行われるのではないかと思った。(15/12)
Posted by ブクログ
演劇をつくるという行為を通じて、コンテクストのずれを認識し、すり合わせを行うこと=対話の場をつくるということ。
WSDで学んだことの復習ができたなぁという感じ。