平田オリザのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
高校の演劇部がコンクールに挑む話。最初の地区大会で敗退するのが常連だった高校が、演劇経験のある先生を顧問に迎えたことで、県大会や、その先のブロック大会を目指すようになる。
演劇の世界は全くわからないけど、青春ストーリーとして楽しめた。まあ、本当は、こんな弱小高校が急成長するのは難しいんだろうけど、何かに夢中になって一生懸命に向かっていく姿がとても眩しくて良かった。こういうの、たまに読みたくなるんだよねー。
作者の平田オリザさんは劇作家で演出家らしい。プロが書くと演劇論みたいな話になって難しくなりがちだけど、一切そういうことはなく、高校生の視点で描かれていて、シロウトの私にも優しい内容だった。学生さんだけでなく、キラキラを失いつつある私のような大人にも(笑)、ぜひ読んでほしい。 -
Posted by ブクログ
昨年、平田オリザささんの講演を聞いた。その内容と本の内容はかぶってた。だから、本を読むことを通して、復習したって感じ。
対話と会話の違い
対話はあまり親しくない人同士の価値観や情報交換
会話は価値観や生活習慣の近しい人とのおしゃべり
なかなか対話って難しい。本当はただ言葉が行き来していればOKではない。だけど、対話をするにあたりそこの共通認識からできていない。それじゃ、進まないって思う。
マナーと人格は関係ない。
コンテクストのずれ
コンテクストとは、話し言葉の個性の総称。その人がどんなつもりでその言葉を使っているのか。
シンパシーからエンパシー(同情から共感へ。同一性から共有性。協調性から社交性) -
Posted by ブクログ
かれこれ10年以上前、
高校生たちが演者の舞台を観に行った。
最初は正直どんなもんなんだろうと穿っていたが
まっすぐがんばる彼らはとても眩しくて
一生懸命になれるものに出会えて
とても羨ましいなあと思ったことを思い出した。
発する側が中途半端でないときってきっと、
向き合う側も逃げられないんだろうな。
これは高校生だから、
じゃなくて大人になってもそう。
恥ずかしがってやっているのをみるほうが
観ている側も恥ずかしくなってしまう。
「ちっちゃく謝るのはなし」っていいルールだな。
最初は吉岡先生ありきすぎて俗人的だぞ、
大丈夫か?と思っていたけど
次第に前を向き始める逞しさもかっこよかった。 -
Posted by ブクログ
演劇プロパーによるコミュニケーション教育論。高校の副教材で採用されていて、原著もいい本だと先生が言っていたので、数年ぶりに開いた本。学生時代にも読んだはずだが、あまり記憶に残ってなかった。問題提起の仕方が、産業構造の変化だったり、PISAショックだったりするところに、一時代過ぎた感を感じた。
特に時代性を感じたのが、アンドロイドを使ったロボット演劇のくだり。
ロボット、あるいはアンドロイドと演劇を創っていて、よく聞かれる質問の一つに、「ロボットは人間を超えられますか?」という類のものがある。あるいは、演劇関係者からの質問で、「人間のような即興はできないでしょう?」という類のもの。(p62)
生成AIがこれだけ普及した今の時代から見ると、ずいぶんとマヌケな質問にさえ見える。
国語科教育という点で言うと、現行の指導要領で最大の話題になったのは、高校の科目再編問題だった。「文学国語」と「論理国語」が分けられたことで、実質的な文学外しが行われたことで、文学教育の意義が大きな議論になったのは、自分がちょうど学生だったこともあって、ものすごく記憶に残っている。
この本が問題にしているのは、その一つ前の指導要領の頃の話で、PISAショックの記憶がまだ新しかった。日本型コミュニケーションのダブルバインドの話といった論調の立て方も、従来の国語科教育の問題点が、PISAという国際的な比較から導き出されていることによるのだと思う。
そう考えると、ここで言われているコミュニケーション教育や演劇教育の話は、一体どこにいってしまったのだろうか、という感じもする。最近の国語教育の文脈では、めっきり聞かなくなった論点が溢れているなという風に、今からすると感じる。すでに現代的な論点を議論しているというよりは、昔議論されていた論点から、今は何を学ぶのかというフェーズに移った論点にすら見えてくる。
そんなことを思って、出版年を見てみたら、2012年の本だった。13年経つと、教育の議論も一巡するのかという意味で、自分が学生時代に現代の問題とされたことが、一昔前になる経験をした初めての本になるかもしれない。こうやって、モヤっと時代は変化していくのかということを実感した一冊であった。
演劇教育とコミュニケーション教育が結びついた話は、今はどうなっているのだろうか。そんなことが気になる本だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレわかりあえないことを前提にして多様な人と生きる。
そのために演劇という手法が効果的である。
コミュニケーション力とか言われると相手を説得するとか、納得させるといった流暢性に行き着くことが多いように思う。
そうではなくて、どうでもよいようなフィラーや表現にこそコミニュケーションの本質があるんだということ。
あとはわからないことをわからないということ。それが自分には難しいなかなか言えない。
見栄ばかり気にして。
演じるとは何か。分人主義。適当な場で適当な役割を。適当なってなんだ?
自分を騙すのは演じるとは違う?じゃあ自分は自分を騙してばかり…楽しむことが大切なのかな?
コミニュケーションについてわかった気になってまたわからなくなる。そんな一冊でした。 -
Posted by ブクログ
人は誰しも「わかりあえない」壁に突き当たる。家族でさえ意見は食い違い同僚とも誤解が生じる。そこで試されるのがコミュニケーション能力だ。単に言葉を巧みに操る力ではない。相手の立場を想像し違いを前提に橋を架ける姿勢こそが肝要である。だが社会はしばしば「空気を読む」ことを強調し異論を控える態度を美徳としてきた。その結果対立は覆い隠され議論の芽は摘まれる。平田オリザはむしろ「わかりあえない」ことから始めよと説く。差異を直視する勇気が共生の第一歩になるからだ。意見の衝突を恐れずに対話を重ねる。そこから生まれる理解は薄紙を重ねるように確かなつながりへと変わる。
-
但馬日記 演劇は町を変えたか
- カート
-
試し読み
Posted by ブクログ
ネタバレ・便利になれば幸せになるとは限らない。
いや、たしかに、便利さが人を幸せにした時代はあった。かつて自動炊飯器が日本の家庭に普及しはじめた頃、日本の主婦の睡眠時間が一時間長くなった。一時間長く眠れることは、誰にとっても幸せだ。
しかし平成の30年、地方は便利さを故に疲弊してきたのではあるまいか。便利さ競争だけでは大都会に勝てるわけがないのだから、私は科学の進歩を否定するほど石頭ではないが、しかし、何のために便利にするのか、何のために効率を高めるのかという理念がなければ、科学はただ暴走を続けるだけになる。
豊岡演劇祭の理念は単純だ。アートのために便利にするのだ。トヨタの標語は「Mobillity for All」だが、豊岡演劇祭の理念は、「Mobillity fo Arts」である。
豊岡市はコウノトリを再生させ、そのために無農薬、減農薬の田んぼを増やし、そこで育った米を「コウノトリ育むお米」としてブランド化させた。これを彼らは「環境と経済の両立」と呼んできた。次に目指すのは、「芸術と経済の両立」だこう書くと顔をしかめる人もいるだろうから、念のため、注釈を付けておく。それは、「芸術と地域経済の両立」だ。豊岡演劇祭は、まだ日本のどの自治体も分け入ったことのない荒野に、足を踏み入れようとしている。
・感性を磨くことは重要です。それはとても重要です。
しかし、感性だけでは、矛盾に満ちた世界と戦うことはできない。
皆さんの感性。たとえば皆さんが差別を憎む正しい心が折れそうになるとき、本学で培った理性がかろうじてそれを支えてくれることを願います。芸術を愛する美しい心、世界中からの観光客をもてなしたいと思う優しい気持ちがくじけそうになるとき、本学で学んだ知性がそれをかろうじて救ってくれることを願います。 -
Posted by ブクログ
全体を通して1番グッときたのは以下の部分。
『特に私が調してきたのは、大学などのリーダーシップ教育においては、「ロジカルシンキング」や「クリティカルシンキング」も大事だが、もう一点、社会的弱者のコンテクストを理解する能力も重要なのではないかという点だ。論理的に喋る・書く能力はもちろん必要だ。しかし、それと同じくらい、論理的に喋れない人たちの言葉に耳を傾ける能力も必要なのではないか。』
もちろん、人道的、倫理的観点でもなるほどなと考えさせられた。
ただ、それ以上に、ビジネスにおいても非常に示唆深い指摘だと言える。
相手が社会的弱者でなく、取引先や上司だとしても、彼らがいつも本人の言いたいことを言えているとは限らないからだ。彼らに対して「本当に言いたいことは何ですか」とか「じゃあ僕らはどうしたら良いですか」とは言えない中で、相手が言語化に失敗した部分まで汲み取ることができると、コミュニケーションは飛躍的にスムーズになり、相手からの信頼を勝ち取ることができ、そこからは取引も業務も成功が約束されることになる。
著書から、深い知性と洞察に加え、言葉への信頼と節度を感じる平田オリザ先生だが、今作は「ブラックジョーク」というか、「攻撃的なユーモア」というか、けっこう攻めてる。
子供達のための教育を本気で考え続けている平田氏だからこそ、大学入試の共通テストにおける記述式問題導入見送りに係るバタバタ劇がよほどアタマに来たのだろう。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ『小説神髄』坪内逍遥
一八八四年、二十代半ばにしてシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の翻訳を出版した坪内逍遥は、翌八十五年、評論『小説神髄』を発表する。
小説の主脳は人情なり。世態風俗これに次ぐ。(中略)人情とは人間の情慾にて、所謂百八煩悩是れなり。
と坪内は宣言した。これから書かれるべき小説は、勧善懲悪ではなく、人間の心理(これを坪内は人情と呼ぶ)を直接描写しなければならない。
『山椒魚』井伏鱒二
井伏作品の中で私が最も好きなものの一つは『厄除け詩集』と題された漢詩の超訳だ。有名なものは于武陵の「勧酒」の訳。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ -
Posted by ブクログ
2020年、COVID-19が席巻した世界では次々と社会の歪みが露呈した。そのコロナ期とポストコロナ期に、次世代の若者たちがどう生きるべきかを内田樹をはじめとした様々な年代の言論人たちが語る。
内田さんが声をかけて集まった様々な分野の今をときめく著名人たちがコロナとコロナ後の世界をテーマに執筆しました。内田さんのセレクトだけあってみんなけっこう尖っていて(偏っていて)どれも読み応えのある内容でした。中学生向きということで平易な文章で一編が短いのも読みやすくていいと思います。そしてみんな分野が違うので、コロナ期というものを違う角度から見ているのも面白い。また、分野が違っても結局、多くの著者が今世紀に入ってからの日本の教育が間違っていると言及しているところが内田さんセレクトらしくていいし、実際にその通りだと感じます。
近代に入ってから特徴的なのは膨大な富を得た後に残る負債を残らず次世代に押し付けるところ。これを明確にあぶり出したのがコロナで、コロナがあってもなくても次世代の若者たちは老人たちのケツを拭きながら生きる羽目になります。そのことに若者たちと、おそらく現役世代に含まれる私たちがどう向き合って生きなければならないのか、時代のまさに転換点に生きているということを感じさせる本でした。
特にキューバを例とした無料医療に言及した三砂ちづるさんの章が勉強になりました。ということでゲバラの若き日の旅路を描いた「モーターサイクルダイアリーズ」も併せてお楽しみください。この映画はすごくよかった。本も出てる。
あ、あとバランスを取るために武田邦彦の「君が地球を守る必要はありません」もどうぞ。 -
Posted by ブクログ
少子高齢化社会でも経済成長を続けることは、お米が足りないのにおにぎりをもっと作れって言ってるようなものなのかな。無理よね。
まず、無理を認めること。
それから、資本主義社会の外の世界があることを知り、体験し、その世界の間でバランスをとっていくことが鍵だと思った。
・大切なことを持続させるために、我々はこれまでの手法からの撤退を学ぶべきなのである。
・社会の内と外、此岸と彼岸、文明と自然、常識と非常識などなど、二つの原理を行ったり来たりすることで、問題を「なんとなく」暫定的に解決する。これが地に足を着けることである。
・現代における下野とは、他社のニーズを全く気にせず、とにかく徹底的に主観を認めることだと言えます。
・僕らが生きている時間の中には、大きく分けて二つの相があります。ひとつは必ず前に進む「文明の時間」、もうひとつは循環し回帰する「自然の時間」です。猫には、循環する時間だけが流れているのです。彼らにら「進歩」の概念がない。