山内マリコのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
結婚生活はとことん、相手との話し合い、お互いの価値観の違いを認め、時にぶつかりあい(?)、お互いの納得するやり方やペースを掴んで生活することの積み重ねなのだなぁと読んでいて思いました。持久走みたい。
お互いが日々気持ちよく過ごすために、気になることは伝え、どうしても我慢ならない時は思った方が具体的な行動に落とし込む、ただ押し付けにならないよう持ちつ持たれつの精神を常に胸の内に秘めておく必要はあると実感しました。
元々『買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて』から山内マリコさんの文章が大好きで、何度も何度も読み返していました。この本も何度も読み返す本になりそうです。 -
Posted by ブクログ
すべて全く同じ状況というわけではないけれど、本当に思い当たることがありすぎて、うんうん頷きながら読みました。
2人(と1匹)暮らし、男と女で、揉めないわけがない。
揉めて普通、考え方が違って当たり前、価値観だって擦り合わせていかなきゃならない。
そんなこと頭では分かっていても、彼と衝突する度に、「本当に彼でいいんだろうか…」なんて必要以上に深刻に考えてしまったりしていた。
でもこうやって、本当に本当に赤裸々なエッセイを読ませて貰えると、「やっぱりみんなこんなもんだよね」と思ってアッサリ受け入れられたりする。
なんて単純なわたし。
ただ不機嫌さで不満をあらわすのではなく、きっちり言葉で春闘を繰り返してきたマリコさん。
私はこれはなかなか出来ていないので、不満に共感するだけじゃなく、しっかり言葉で向き合っていかなければと思いました。
それから、愛猫チチモとの愛しい日々を読む度、もう居ないんだなぁと私まで寂しくなってしまった。
彼と揉めて怒ったり悔しくなったりしたらまたこの本を開いて、マリコさんと一緒に怒ろうと思います。 -
Posted by ブクログ
「あの子は貴族」や「ここは退屈迎えに来て」など映像化作品が増えつつある売れっ子作家、山内マリコさんの作品です。
舞台は地方都市の商店街、商店街の本屋の長女として生まれて地元の大学へ行き、市の職員になった主人公。
市の職員兼商店街で生まれ育ったものとして、国立大学の講師から商店街がなぜ衰退してしまったのかインタビューを受ける羽目に、、、
そこから、高校を中退して、東京で読モをしていた妹が商店街に戻ってきて、父親のいない子を帰省してすぐに出産。女の子には街子とつけて、商店街で育てていく。そんな中で商店街の復活を企て、大学や行政、地域を巻き込み様々な施策をとりあえずやっていきます。
自由に突っ走る妹とそれを支える堅実な姉、昔気質な父と母、善意で集まる先生や学生、商店街の人
たち。
今日本で抱えている社会問題を取り上げて、山内マリコ節で切り込み、皿に盛り、みんなで見てみような作品です。
実際はこんな上手く行かんだろうとも思うでしょう。身に覚えがあって嫌な気持ちにもなるでしょう。そういうのを生々しいくも面白くアレンジされてるので是非見てもらいたいです。
感想に添えて
昔はイケてる店といえば“街”にあったよなとこちらの作品を読みながら思い返していました。
私は地元が広島なので“街”はまだまだ活気があり、広島駅(新幹線が止まる県内最大の駅)から車で10分ほど離れた“街”の商店街の一角にマクドナルドもビームスも店を構えています。
中心地であった“街”には個人商店のレコードショップや古着などがたくさんあり、ブルータスやチョキチョキなどを読んで東京の流行りをいち早く取り入れるべく、高校の時にはよく散策していたのですが、10数年ぶりに並木通りを歩くとほぼ無くなっていました。もう少し待てば空前の古着ブームに乗れたはずであろうにと悲しくもなりました。
その反面、東京の真似ではないローカル色の強い家具屋やセレクトショップが増えているような気もしています。とはいえ、そこのオーナーは東京は表参道や目黒でバイヤーをやっていた方がUターンで戻られた方などで、この“街”でどこまで需要を伸ばすことができるか、来年もそこにあり続けてくれるのかなど陰ながら心配と応援をしています。
個人的に最後の結婚式の件、臭すぎかも
でもそれがいいんですよね。 -
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映画の予告編で知った原作。地方生活者データのレポートでも紹介されていて、気になって原作を購入。買ってから半年が経ち、ようやく読めた。
手元についてから読まなかったのは、自分も「この作品を読むのが怖かった」(解説より)から。自分は東京から電車で1時間くらいのニュータウンで生まれ育ち、東京で働いていたが、疲れて地方に引っ込んだ身分。それでもやっぱり東京の文化的環境の豊かさには今でも感謝をしていて、たまに東京に帰るたびにその凄さを再確認し、そしてあくまで東京をホームタウンだと思うようにしている。そして、「地方のダレた空気や、ヤンキーとファンシーが幅を利かす郊外文化を忌み嫌って」いる点では、カメラマンの須賀さんと近いのか。
直視したくない自分の感情を見せつけられる感覚はやはり思った通りで、あまり気分の良いものではないなと感じたり、あきらめの中で落ち着くべきところに落ち着いていく出演者たちに哀れみのような気持ちを持ったり、なんとも鬱屈した感覚で読み進んだ。それでも最後まで読み進められたのは、端々に描写される、平成前期のティーンエイジャーたちのファッションやテレビの話題が、まさに自分が通ってきたものだから。自分の思い出のイメージを投影し、まさに映画のように読むことができ、当時の確かに楽しかった思い出も同時に蘇えらせられたことで、不思議と嫌な感覚ではなかった。青春時代の思い出は、布団の中で叫びたくなるような恥ずかしいものも多い。その過去を呼び戻させられるのも、読む前は怖かったんだと思う。
そう言った恥ずかしいもの、思い出したくないことを含めて、今の自分だと思えば、やっぱり退屈なのは田舎だからではなくて、これまでの自分が退屈なだけだ、ということなのかも。 -
Posted by ブクログ
【How old are you?】
「あたしは、〝こんなはずじゃなかった〟って後悔しながら生きたくないの!」
【ライク・ア・ガール】
「女の子らしく走るってどんな意味?」
「できるだけ速く走るって意味」
【さみしくなったら名前を呼んで】
だけど親友とは、どこかのタイミングで行き別れて、それぞれの人生をはじめなくてはいけなくなる。
わたしのデビュー作、『ここは退屈迎えに来て』というタイトルには、親友とはなればなれになったころ、呪文のように唱え合っていた思いがこもっている。あれは、男の子に迎えに来てほしいんじゃなくて、魂の片割れみたいだった親友に、迎えに来てほしかったのだ。もしくは、退屈だ退屈だとあえぐ、あの子を迎えに行きたかったのだ。
でも、実際に迎えに行くことはなかった。もちろん彼女が迎えに来ることも。
女の子同士、友だち同士は、男女のように結婚して、一緒に生きてはいけない。(注釈あり)その時期が来れば友だちはどこかへ退場し、いちなん親密な他人のポジションは、男性に取って代わられる運命にある。
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おもしろかった〜!ただの男女差論ではなく、マリちゃん家でおこる男女のあれこれをエッセイ風にしてくれているところが秀逸。どんどん読み進めてしまった!面白いし、共感の嵐の一冊でした。
p.37 私の手肌は皿洗いであれ、最近はもっぱらハンドクリームの人工的な花の香りで、どうにか乙女成分を補給し、渇いた心を慰めております。
p.54 夏帆、田辺聖子先生の小説の中に、こんな1節があります。
不機嫌と言うのは、男と女が朝に住んでいる場合、1つきりしかない椅子なのよ。
つまり、どっちかが不機嫌になったら、もう1歩が不機嫌になる権利がなくなってしまうと言うこと。これはどうせ&結婚の、基本ルールと言えましょう。
p.56 電車移動が基本の東京暮らしはマジで体力勝負。出かけた。ついでにデパ地下で惣菜でも買って帰ろうと思っても、その時点でぐったり疲れているので、あの洗浄(夕方のデパ地下)に立ち寄る気力も体力もなく、腹を空かせたまますごすごと家に帰った事は数しれず。車がないので、近所のスーパーに自転車で行くのですが、荷物でいっぱいの重いエコバックを自転車のカゴに入れるとき、必ずまごつく、あの瞬間も嫌。ハンドルが「がくん!」となって、その拍子に自転車ごとバランスを崩して倒れそうになるたび、私の心は小さく死んでいきます。
p.78 しかし、世話する側もされる側も、これに慣れるのは危険だと思うものです。誰かに身の回りのことを任せきりにすることも、誰かの世話を生きがいにすることも同等に危うい。各々が自立し、自分の幸せを追求するのがやっぱりベストだし、健康的だと思うわけです。
p.90 男の空間支配力は、リモコン支配力と同義である
出掛けに「今日遅くなるから」と彼氏が言えば、それは午後11時なんかじゃなく、朝4時49日の朝11時の帰宅を指します。直樹に振り回される大変気の毒な話です…が、内心にやけ顔が止まらない。骨の髄まで文化系な私は、読みたい本は山積み。観たい映画でHDDレコーダーはパンク寸前。1人で過ごす。夜は淋しいどころか、忙しくて時間が足りない位なのです。だから「遅くなる」と言った。割に終電で帰って来られようもんなら、「早いよ」とクレームをつけたよ。せっかくお風呂上がりに全裸で、ベッドに寝そべって本を読みながら進んでいたのに。どうせは同棲で楽しいけど、彼氏の帰宅=至福の1人時間強制終了を意味するのです。別に部屋に彼氏がいる時も、読書や映画鑑賞できるのですが、それは純粋な「1人の時間」とはちょっと違います。なんというか、質が悪い。ちょくちょく話しかけられて中断するし、私もついちょっかいを出したくなって集中できないし。何より「そこに男性がいる」と言うだけで、何か物理的にも心理的にも、部屋の容積が圧迫される。こういう男性特有の「空間支配力」て、一体何なんでしょう。黙ってじっとしているだけなのに、いるだけでほのかな圧が…。彼氏は男性性が限りなく薄く、植物みたいな感じだけど、やっぱり部屋にいるだけで、でかい信楽焼のタヌキが置かれているような、ずっしりした存在感が出ます。そのことに気づいてちょっと研究してみたところ、彼氏の「空間支配力」は、ほぼ「リモコン支配力」と同義であることを発見しました。もちろん、男女が醸す雰囲気の硬軟には、性差はあるものですが、家庭内における空間占有率の正体は、間違いなくリモコンだと思うのです。ちょっと暑いとすぐエアコンつけて、自分の快適な温度の調節する彼氏。私が寒いと言うと、しれっとした顔で、何か掘ればと言ってきます。お前が脱げって話です。快適温度の差は非常にもめる厄介な問題である。そしてもう一つはテレビ。私が手間ひまかけて作ったご飯を食べているのに、リモコンを握ってテレビをザッピングし、自分が見たい番組に帰る。彼氏。ちょっとリモコン権は、ご飯作った人のものがって決めたじゃんといっても、なんやかんやと自分の要求を通して、ゴッドタンとかその手の番組を再生するわけです。私も20代の頃は、お笑い芸人のホモソーシャル前回和法を楽しめたけど、30代すぎるとさすがに下ネタとかきつくて…ソファーでちょっとテレビを見てる時もそう。ニュース見てるのにバラエティに変えられたり、朝ドラ見てたら、後から演出に駆けつける彼氏の木平コメントが聞こえてきたり。あー!うるせーよ。とは、侃々諤々(かんかんがくがく)な小競り合いは毎度の事ですが、その圧がプラスに働く部分もあることに気づきました。
p.101 まぁ、わかっちゃいたんですがね、こうなること。どうせ前は、週末ごとに、デートと言う名の大潮重ねていたけれど、一緒に住んでいると、そういう改まった、外出をしなくなってしまうものだと。共にデートを楽しも、開いちゃった、彼氏が、いつしか「毎日夕飯を一緒に食べるダチ」みたいな関係になって久しいです。
p.106 帰省すれば、移動の足はなく、「〇〇に連れてって」と親に懇願する、18歳未満の子供と同じレベルに連絡します。しかし、東京にいる時の私は自由、背中に羽が生えたも同然です。乗換案内とアプリとSuicaさえあれば、どんな場所にも自力で行けます。公共交通機関が発達し、駅前が賑わっている都会はいいなぁと思う反面、大きな不満も。車で一気に運ぶことができないため、日用品の買い物がえらく不便なんです。
p.135 美輪明宏著 人生ノート
(離婚した人の多くは「性格の不一致」を理由にあげるけれど)、そのいかに違っているかの部分を、お互いにどこまで妥協していけるかと言う努力をするのが結婚です。結婚とは、努力と忍耐以外の何物でもありません。(中略)、相手に対する妥協、忍耐の毎日、精神的葛藤、これが結婚です。
p.137 特に何の考えもなく、結婚前の日々を過ごしているのですが、ある時、ふと「私、シングルガールじゃなくなるのか…」と思った途端、猛烈な寂しさに襲われました。「独身」にも「未婚」にも何の未練もないけれど、「シングルガール」でなくなる事は、ものすごく悲しい。魔女の宅急便からSex and the Cityに至るまで、脈々と連なる都会で自立して生きる女の子の系譜。私はあのジャンルを心底愛していて、描かれるすべてのキャラクターに共感し、心の友と思ってきました。だけど、もうすぐは自分はその一員ではなくなってしまう。そう思ったら、悲しゅうて悲しゅうて、今すぐにでも婚姻届を破り捨てたい衝動に駆られました。
p.138 思えば、どうせ以来、あゆ瞬間はほとんどなくなってしまった。彼氏がいるのは嬉しいし、一緒に住むのは楽しい。一人暮らしの時に比べると、セコムがある側に入った以上の安心感があります。でも、そうやって守られた環境では、心の1部分がどんどん鈍くなっていくのです。一人暮らしのシングル・ガールはいつも戦っている。夜中に襲ってくる孤独感と戦い、どう生きるか迷い、悩み、奮闘している。シングル・ガールは神経をぴんと張って、かすかに緊張しながら生きている。たった1人で世界と対峙している気分にもなる。そういうシングル・ガールたちは皆、崇高である。あー、シングル・ガールがいとおしい!この期に及んで、まだまだシングル・ガールでいたい!
p.146 私は、同棲からの結婚だったので生活自体に変化は無いけれど、例えば、結婚と同時に、仕事も辞め、実家を出て、いろんなものを切り捨てて新生活を始めるときに、自分の名前まで変わるとなると、アイデンティティーなんて簡単にクラッシュしそう。というか、昔はそうやって名前を書いて、一旦0になることが「嫁」を迎える側にとって都合が良かったんでしょう。結婚制度、よくできてるな!
p.152 幸福の結婚と言うのは、いつでも離婚できる状態でありながら、離婚したくない状態であるとは、小説家大庭みな子先生の言葉。結婚にまつわる名言の中で、これに勝るものでは無いのではないかと思います。その気になったらいつでも別れられるけど、一緒にいたいから別れない。恋人同士なら当たり前のことも、結婚してしまうと難しいのが現実です。なぜなら、金が絡んでくるから。子供のためにわからないと言うケースはさておき、女性の場合、結構に降り切れない理由で1番多いのは、やはり経済的な部分。そもそも女の人は結婚前は父親に、結婚してから夫に養われる存在とされてきた時代の名残でか、給料が安く設定されています。だから、そのいずれの扶養からもう売れてしまったら、金庫まっしぐらと言うケースも少なくない。世の中の仕組みからした女性が自立して、1人で生きていくことが難しくされているから、いくら「もうこんな男と暮らすなんて嫌」と思っても、簡単には離婚できないようになっているわけで。あー、なんて恐ろしいトラップ…。
p.168 ところが、「夫は〇〇だと思え」界にさっそうと現れた「大型犬」説は、とてもチャーミングで、非常にしっくりきました。別に365日、夫をでかい犬と思って過ごすわけじゃなくて、心の底から「こいつほんと役に立たねぇなぁ」と思ったときにだけ、夫を大型犬にすり替えて、自分の怒りを沈めるのは、ナイスアイディアかと。今井遠回しにいましたが、結婚してまだ2ヶ月。夫が役立たずである事は、もはや隠しようもありません。
p.205 夫の言い分
一方で、先に起きて、妻が本当に多忙で疲れた様子で眠っていると、僕の中にむくむくと試合が湧いてくることがあります。そんなときには、自分でも驚くほどてきぱきと洗濯物を回し、皿を洗い、ルンバをかけ、洗濯物を干して、「起きてきたらさぞ喜ぶだろう」とほくそ笑むのです。いつもこうやって試合に満ちた、薄墨で描かれたお地蔵さんイラストのような心持ちで居られたらいいのになと思いつつも、本当は珍しく、早起きした自分に酔っているだけだと言う部分も大きいし、家事してるアピールをして、できれば音降りたいのです。広い世間には、配偶者に対して、本当に無償の愛を捧げる人間と言うのもいるでしょう。でも、うちは2人ともそうじゃないし、お互いにそれを知っているから、こうやって家庭内マウンティングを作り替えて何とかやっていくしかないのでしょう。その中にはいずれ成長もあるかもしれないしないかもしれない。