宮城谷昌光のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
中国の春秋戦国時代を主に書いている作者の日本の戦国時代を書いた作品。
一代ではなく三代に渡ってひとつの作品としていること。そして三代というと徳川三代なら家康・秀忠・家光と考えるところだが、ここで出てくるのは清康・広忠・家康。そもそもなかなかスポットライトの当たらない家康に至るまでの三代の時代を描いているのだが、その三人が主人公ではなく、それに仕える管沼家が三代描かれている点が斬新といえば斬新。
歴史のスポットライトが当たるのはごく一部。でも、それを光り輝くために働いた人々が居たことを忘れるなよ!ということを痛切に感じさせてくれたのが本作品だ。
作品の中では、何となく流れていく部分と歴史の -
Posted by ブクログ
本書のクライマックスとも言える野田城での30000(武田軍) vs 400(野田菅沼軍)の攻防戦。
リアル、スリーハンドレッド基、フォーハンドレッド in JAPAN!
約400年前にあった日本の話です。
そして、舞台は長篠の戦いへ・・・
戦国の明暗を分けた戦いの1つの顛末が、筆者独特の哲学にて語られます。
こんなこと、本当にあったんだ?
日本人は、なんだかすごいな。
そんな風に思える本書です。
それにしても塩を送ったり水を送ったりと、
日本の戦いは泥臭いのに結構妙なところでフェアです。
これも基質か?
結末はわりと切ない・・けど事実だから変えようがないのですね。
合計6冊中々読み応 -
Posted by ブクログ
久々に読み応えのある長編を読んだ。
宮城谷氏は元々中国モノが得意ということで、使用される漢語が硬めなのと、序盤の豪族に関する記述が詳細なので、1~2巻は少し読みにくいかも知れない、、、と言うか、ここまでで挫折する方が居るかも?
が、3巻以降は非常にテンポ良く読めるようになる。
戦国時代中期以降に東三河に勢力を伸ばした野田菅沼氏の視点を通して語られる、織田・今川・松平・武田各氏の興亡は戦国モノ好きには堪らない。
特に序盤の松平清康(家康の祖父)に関しては、大著で扱われていることが少ないのでとても興味深く読めた。
以前から文庫化を楽しみに待っていたが、大満足でした(*´▽`*) -
Posted by ブクログ
第三巻は12代霊帝の終盤から14代献帝初期の時代。しかし最早帝号で時代を数えることにあまり意味はない。中央政府は統治能力を失い、内乱から群雄割拠の時代に入るからである。
正史は政権の正当性を重視する。軍事力で洛陽を占領した董卓は極悪人だし、董卓以前の地方軍閥も「賊」扱い。後世の知識人は暢気な歴史観で登場人物を仕訳することができるが、当事者たちは正統な政権はどこにあるのか、に思い悩みながらも、次第に自らの旗を打ち立てていく。
曹操と孫堅は果敢に戦う。たとえ董卓が強大でも戦うことで名を上げ、次代の主役にのし上がろうとする。一方の袁紹と袁術は名門を背負いアンチ董卓の主役と目されながら、目の前の損 -
Posted by ブクログ
宮城谷文学といえば諸国がしのぎを削る春秋戦国時代を背景に、颯爽とした英雄が登場して・・・というストーリーを愛読してきたが、三国志となると勝手が違う。貪欲な意図を持ったものが権柄を握り、清廉な志で政治を立て直そうとする者も、やがて奸悪な刃に斃れていく。正史三国志が正史紀伝体の常として、前王朝のプロパガンダ的批判から入る仕立てになっているのもあるだろうし、何より後漢書も三国志も、異民族台頭下での亡国の嘆きを基調としていることがあるのだろうか。
第一巻は後漢王朝の中盤、6代安帝から8代順帝の時代が主に語られる。前漢滅亡時に官僚が皇帝の藩屏として機能しなかった反省から、後漢王朝では科挙による学識登用 -
Posted by ブクログ
部下の郊昔が楽毅を評していう「自分と楽毅とは精神の置き方や置く場所が違うようである。」という部分に、楽毅の凄さを見出している。つまり、知らず知らずのうちに自分の立ち位置を、小さな場所に留めて視界を狭めてしまうことに対する警鐘だ。偉大なる人物は自分を世界・宇宙・自然などの大きなところからとらえているようだ。そこから始まる戦略は、偉大なものになりえる。危険なのは、精神の置き場を違え、つい陥りがちな目の前の小さな問題を解決するための戦術を戦略と勘違いすることだから。
「王必ず士を致さんと欲せば、まず隗より始めよ」この不朽の名言もこの時代に生まれた言葉だ。それぞれの王が持つ精神の置き場。それを見極