宮城谷昌光のレビュー一覧
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西暦208年、赤壁の戦。三国志のハイライトともされるこの水戦に曹操は敗れ、南方攻略の足場を失った。歴史にイフは禁物だとしても、この敗戦がなければ、曹操は存命中に全中華の八割方を支配することができたに違いない。
この時代の正史を書く陳寿も、この史実を吟味しただろう。ここをどう書くかで正史というストーリーの視座が定まる。三国鼎立の始まり、と見るのは我々を慣れ親しんだ史観だが、魏や晋を正統と見るならば、珍しく和同した南方抵抗勢力が報いた一矢、と描いただろう。
曹操は呂布、袁術、袁昭と強敵を破り、天子を保庇し、有用な人材を登用して華北に平和と安定をもたらした。陳寿は羅漢中のような小説家では -
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歴史小説を書くということは、歴史の中に一つの視座を定め、その視座に沿って一つのストーリーを切り出すということである。
長く中国古代史を書いてきた宮城谷さんは、日本の三河の小豪族の物語であっても、堂々たる正史の視座をとる。即ち、王者となるものには王者たる正当性があり、徳があり、その徳を慕って義や勇を備えた部下が集まってくる。そして欠かせないのは悪役というか、ライバルの存在。殷の紂王は暴戻に走って徳を失った、項羽は軍事において劉邦より優れていたが度量の大きさで劣っていた、と、ライバルの高い壁を乗り越えたのも単に戦に勝ったとか、幸運だったでは済まされず、ライバルよりも王者に相応しいことの立証が求め -
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菅沼新八郎定盈が永禄三年に今川軍傘下で西三河の刈谷で初陣を果たしてから、永禄十二年に徳川家康の下で遠江攻略を果たしその翌年までの十年間を描く第五巻。永禄三年は今川義元が桶狭間で倒れた年。そこから三河には松平元康の時代が訪れるのだが、物語は東三河の菅沼主従の目線で進む。菅沼新八郎は祖父同様にいち早く新時代に希望を託すのだが、祖父の時代とは異なり今川の支配力は強く、菅沼主従は辛酸を嘗める。その頃松平元康は西三河の平定に忙しく、なかなかその姿は新八郎の目の前に現れない。この渇望感、待望感が良い。
ちなみに永禄十三年が元亀元年になった年、織田信長は既に京にあり、姉川の戦、長島一向一揆と畿内の敵対勢力 -
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桶狭間で横死した 今川義元。その印象がどうしても強いので、駿河の今川氏と言うと弱い大名、貴族趣味に溺れた守旧的な守護大名、というイメージがあるのかもしれない。
しかし この時期の今川氏は違う。同盟の計略をもって北条氏を駿河から追い出し、東が安定したとみるや 西の三河ににすばやく楔を打つ。それは怪僧太田雪斎がいたからだと筆者は言う。尾張の織田信秀が戦国大名としてまだ自立していなかったこの当時、雪斎の頭の中には駿河から尾張まで東海四ヶ国と、更には京都に至る地図が描かれていたのだろう。
一方で今川義元よりも京に近い織田信秀。守護代ですらないのに伊勢神宮の改築に金を出す彼の眼は、明らかに都を向いて -
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派手な演出はないが、歴史に埋もれた脇役の立ち居振る舞いが丹念に書き込まれている。随所で三国志の再発見をさせてもらった。淡々と歴史を綴っているだけなのにこれが実に面白い。「曹操の心には真心がある。それがなければ人を打てぬ。」人好きの曹操のエピソードがふんだんに盛り込まれている。「刎頸の交わりでも終わる時がくる。曹操は重耳と陳余の顛末を知っている。怨みを誚めるのであれば己の徳の薄さであろう。」幾多の蹉跌を飽経しながらも着実にそれを乗り越え、自らの糧としていく姿に限りない憧憬をおぼえる。人として目指すべきは曹操。改めてそんなことを思い知らされる。