宮城谷昌光のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
遺産とは、財でも宝物でもなく言葉なのだ。
あとがきに
「なぜなぜと自問を繰り返しているうちに、小説の構想は膨らんでいくもので、そういうなぜがないと歴史小説は面白くない。どこを探しても正解が得られない時でも小説家は避けずに小説的解答や解釈を示していくべきであろう。私はその覚悟で、連載小説を書き始め書き終えた。」
とある。この本を読む価値は、ここにあるのであろう。自分では調べられないこと、自分では問えないこと。自分では導き出せない解答、解釈。
この小説は、日経新聞夕刊2022年1月4日から2023年3月31日まで連載されていた。連載には絵があったようだ。過去の新聞を見返してみたい。 -
Posted by ブクログ
孔子の教えではなく、その人物を描く歴史小説。
漫画『キングダム』の影響で、諸子百家といえば戦乱を思想と弁舌で渡り歩いたイメージだったが、上巻を読む限り、孔子の時期は戦国時代前の春秋時代で、後の戦国七雄となる国もすでにあるもののどこかまだ牧歌的、周王朝もまだそこそこ立てられている印象。あくまで小説なのでどこまで本当かはあるけど。
その分、小説としての展開は若干退屈ではある。孔子もまだ町で教えてるだけっちゃだけだし。
しかし、儒教や中国思想の本は教えが脈絡なく並んでいるように感じられる自分にとっては、孔子の教え的なものがストーリーの中で随所に出てくるのはよい。 -
Posted by ブクログ
陽虎を避けて斉に至ったときには晏嬰と反りが合わず仕舞い。著者の「晏子」は好きな作品だったから、何とも残念に思う。互いに融通の利かぬ偏屈ということなのか。
陽虎の野望が潰え、季孫斯の輔弼となる孔子。城壁の取り壊しを行うが、仲孫氏、叔孫家の反発を買い、弟子たちとの長い放浪となる。
正直、礼による国家づくりに季孫斯が賛成したのが納得し難い。白川静先生は孔子によりクーデターと捉えていたと思う。酒見賢一のサイキック小説「陋巷に在り」もそう。
小説の終盤、顔回や子貢も活躍するが、論語のエピソードから飛び出た俊英の弟子たちの像がはっきりしたように思う。ただ、それでもその描き方はあっさりして、不満が残った。
論語にある狂接輿とのエピソードとか、白川先生が「子路は孔子に褒められたかったんですよ」というネタなど、もっと描ける話はあったんじゃないかなとないものねだりしたくなった。
何より長期の放浪が孔子の思想を研ぎ澄ませたとする白川先生の学説を背負うものになっていないと感じた。 -
Posted by ブクログ
久しぶりの宮城谷さんの本。若い頃に結構、著者の本を読み耽った。
宮城谷さんに教えて貰ったのは、漢字の成り立ちを解き明かした白川静先生。白川先生の孔子伝に沿った内容だろうと思ったが、そうでもないように感じた。
いつでも書くことは出来たんだろうけれど、機が熟すのを待ったんだろうな。
孔丘の題名と文中でもその名で書き連ねることが、その人に迫ろうとする姿勢と思う。
そして丘の名を命名したのが母とする処が沁みた。
儒は元々、葬礼を儀礼をつかさどるもの。そこから学び始る孔丘。官職を得てからも学び続ける。ある意味、偏屈な一匹狼で、直情家な性格をうまく描いていると思う。
そして教育者であり、弟子たちを引き付ける魅力がその教えにあったと納得させられる。
魯の国にあって、王に力はなく、三卿が凌駕する。
昭公が国を去り、季孫意如の国となった中、孔丘は周で師を得る。
しかしながら、孔丘の理想が唯一の答えとも思えない。そのあたりも冷静に記していると思う。
しかし、これで上巻が終わって大丈夫か。子路は登場しているが、子貢も顔回もいまだ登場せず、この後は陽虎の反乱、孔丘自身のクーデター、放浪の身と続くはずなのに。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ三国が並び立ってからまだたったの数十年しかたっていないのに、三国ともが国家として衰退してく。
建国の頃は忠臣、賢臣が次々と現れたはずなのに、今はどの国も人材不足であることは否めない。
蜀についてはもはやほとんど記載がないので、推して知るしかないけど、呉はひどい。
もともと人材不足の国であったけれど、孫権の父や兄の時代からの忠臣が孫権を支え、孫権もまた臣の言うことをよく聴く人であったはずなのに、年老いた孫権は聞きたいことしか聞かなくなってしまった。
共に呉を造った有能な部下が世を去り、それでもまだ何人か残っていた忠臣を、あろうことか孫権は次々と誅していく。
並び立った二人の跡継ぎをめぐり、国は二つに割れ、孫権の周りにいるのは財産と権力を狙う奸物(皇后だったり娘だったりするけど)ばかり。
最終的に孫権は二人の跡継ぎを、一人は流罪にもう一人は死罪にし(ふたりとも自分の息子なのに)、末っ子の孫亮に後を譲ることになる。(魏に続いてまたもやちびっこ皇帝の出来上がりだ)
彼を補佐するのが諸葛亮の甥である諸葛格。
多少を知恵はあるけれど尊大で、自意識過剰の諸葛恪は内政をしっかりと補佐する代わりに、日に打って出て自分の実力を見せつけようとし、結局大敗を喫してしまう。
放置された皇帝と呉という国のために諸葛恪を討った孫峻だったが、彼もまた権力の頂点に立った時俗物に成り下がってしまうのだった。やれやれ。
魏も、そこそこ良い皇帝であった曹叡(そうえい)の後を継いだ、血のつながらない養子の曹芳8歳は、暗愚な若者へと成長する。
当初司馬懿は、天下を牛耳るつもりはなかった思うんだよね。
曹爽一味のお友だち政権が増長しなければ、黙って田舎に引っ込んでいたのではないだろうか。
曹爽は悪人ではなかった。
ただ優しすぎて、そしてその優しさは自分の仲間だけに向けられ、行き過ぎた行為を止めることができなかったがゆえの堕落した政権。
それを一掃しようとしただけ、なんだと思う。
ところが、その後皇帝に会ってみたら、暗愚で淫蕩で残忍。
皇帝を嗜めることもせず、曹氏というだけで奉るのが本当の忠臣なのか?
曹氏だというだけで帝の座に置いておくのが本当に正しいことなのか?
皇帝の代わりに政を行ううちに司馬懿はともかく、司馬師(しばし・司馬懿の息子)たちは徐々に曹氏に見切りをつけていったのだろう。
上に立つものであるのなら、上に立つものとしての矜持が必要ってことだよね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ曹操の後を継いだ曹丕の出来が悪かったけれど、在位期間が短かったのが幸いして魏に大きなダメージは少なかった。
曹丕の後を継いだ曹叡は、軍事にも行政にも有能であり(というか、大局を見る目を持っているのだと思う)、諫言を聞き入れる素直さも持ち合わせていた。
ただ、巨大な建造物を作るのが好きって言うのが悪い癖というか、これだけは臣に諫められてもやめられなかった。
30代、人生はまだこれからだったのに。
後を継いだのは8歳の子ども。
曹操の血を引いた子どもは出来なかったので、出自不明の養子である。
いきなりその子どもが皇帝であると言われても、忠誠を誓うのはなかなか厳しい。
血統も実績もないのだから。
曹氏で王朝をつなごうと思うのなら、曹叡の弟とか従兄弟とかに後を譲るべきだったよね。
というわけで、親族からは曹爽が、軍事・行政ともに優れた業績を持つ司馬懿とともに幼帝を輔弼することになったのだけど(曹叡の遺言)、だんだん歯車が合わなくなっていく。
要は、曹爽がその器ではなかったということなんだけど、浮華の者=華やかだけど中身のない人たちを周囲に置くことによって、どんどん司馬懿とかみ合わなくなっていく。
私は、どうして司馬懿が魏を倒して新しい国を創ったのかが疑問だったのだけど、今作を読んで腑に落ちた。
曹叡が長生きをしたのなら、曹爽が真摯に幼帝と国のために力を尽くしたのなら、きっと司馬懿は立たなかった。
曹操のもとで行政手腕を発揮し、曹丕によって軍事面でも才能を顕にした司馬懿は、庶民が、度重なる戦で荒れた土地で苦労をしていること、国の政策如何で救いようがあることを、遠征に行くたびにきっと痛感したのだと思う。
だから、曹氏を、彼らが治める魏という国を見限ったのだ。(まだ見限ってないけど)
蜀では諸葛亮の死が、あらゆる方面に大打撃を与える。
彼の遺した言葉すら、自分に都合の良いように解釈する者たちの間で、同士討ちしそうになる騒ぎ。
それを見越して司馬懿は追撃したかったけれど、深追いするなという皇帝の命によって引き上げたのであって、死せる孔明が生きる仲達(司馬懿)をビビらせて走らせたということはない、らしい。←でしょうね
諸葛亮の最大の過ちは、後継者を育ててこなかったことだと思う。
言うほど蜀に人材がなかったわけではないのに、育てた形跡があるのは馬謖だけというのなら、彼には人を見る目がなかったってこと?
それとも好き嫌いの問題?
彼には『銀河英雄伝説』を読むことをお勧めします。
どれだけ突出した才能があろうとも、一人が全てを治めていては、後継者などできやしないということ。そしてその結果は…。
魏も蜀も、統治者がスケールダウンしたので、ようやく呉の時代到来か!というわけでもなく、孫権が道を誤っても止める者がほぼいないという状況。
儒教の力の強い呉では、差し出がましいことをするのは悪、という思想が主流なので、上に物申すことが心情的にできにくいらしいのである。
「いやいや、間違ってるんならちゃんと言ってよ!」と思う孫権と、「ちょっと言ってみたけど聞く耳もたなかったじゃん」という家臣たちの間に溝が生まれ、そのうえ才能あふれる逸材だった皇太子が亡くなり、先行き不安なのである。
曹叡の在位末期、魏は遼東を征伐する。
形のうえでは魏に従っているが、実質は公孫氏が支配する王国は、朝鮮半島と中国本土の間にあり、ゆくゆくは朝鮮も版図に納めることを考えると、今のうちに潰すか、と。
魏も呉も、適当な距離を取りながら、攻めたり警戒したりしていたのだけど、それをいいことにちょっと目ざわりの度が過ぎちゃったのね。
焦った公孫氏は朝鮮半島の高句麗と同盟を結ぼうとするのだけど、もちろん高句麗にその気はない。
徐々に孤立していく遼東。
というタイミングで、卑弥呼の使者が魏に赴くのである。
これってすごくない?
ちゃんと貢物を持って行ったんだよ。
史料が残ってないから想像でしかないけど、多分倭国は高句麗や遼東と行き来をしていたんだと思う。
だから、このタイミングで遼東を見限って魏に行ったんだよ。
大陸の情勢をかなり正確に知っていたということ。
そのうえで、次は朝鮮半島と自国だと思って、先手を打って魏に使者を出したんだとしたら、思った以上に卑弥呼はすごいやつです。
っていうか、倭国、すごいな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ一押しの曹操亡き後の三国志なんぞ…と思っていましたが、やっぱり面白い。楽しい。
圧倒的に非凡な人材というのはもうどこにもいないので、あっちもこっちもいろいろと停滞していますが、そこに人間が表れると言いましょうか、ドラマですなあ。
曹丕について思うところは次回に、と八巻の感想で書きましたが、特にこれといって功績も残さずさっくりと病死してしまいました。
大失態はしませんでしたが、全てにおいて能力不足を露呈した曹丕。
いや、能力が足りないだけならしょうがない。
でも、努力をしない。
しかも情に薄くて礼を失し、徳も持ち合わせていない。
諫言はことごとく退けるので、曹操が恃みにしていた重臣たちもあっけなく左遷されたり処刑されたり。
そして自分のやりたいことばかりを優先させる(前線に赴く)ので、大軍を率いて呉の征伐に向かった割には成果を得ることもなく…。
一体君は偉大な父さんのそばで何を見ておったのか!
これじゃあ魏も長くは持たないはずよのう。
と思ったら、後を継いだ曹叡(曹丕の息子)がなかなか良い子で、諫言は進んで受け入れる。
やりたいことよりやるべきことを、わきまえる。
内政も、軍事も、適材適所で任せることができる。
じゃじゃじゃあ、何で司馬懿は?って思ったら、最後の最後で予兆が現れた。
建造好きで、戦で疲弊していようが、農家の繁忙期であろうが、造営のための人手が優先される。
うーむむ。
ここは諫言を聴かなかったらしいぞ。
28歳、謙虚が大事なお年頃なのに。
さて、曹操には行政手腕を買われていた司馬懿だけど、本当は軍を動かしたかった。
曹叡の代になって、曹操時代の優秀な将軍たちも年を取り、世代交代の機に乗じて蜀に対峙する軍を率いることになった。
蜀は、本当に諸葛亮しか人材がないのね。
で、彼は兵法は知っているけど戦場を知らない。
彼は大軍を率いては、大した成果も得られずに蜀に帰っていくしかない。
しかし正直にそんな事を言うと国の士気にかかわるので、小さな勝利を大手柄に、諸葛亮の作戦ミスを馬謖のせいに。
とはいえ、遠征を重ねるごとに戦というものを理解した諸葛亮と、彼を侮る司馬懿。
長期間忍耐強く向かい合い、腹を探り合い、結果ようやく蜀の勝利。
二人とも、軍師としての成長途中。
有名なあれはもう少し先ですな。
そしてついに孫権が皇帝に。
後漢の皇帝から禅譲された魏の皇帝。
劉家以外の皇帝はならぬという正論(劉家の正論だよね)を基に立った蜀の皇帝。
しかし、呉には何一つ皇帝に立つ正当性はないのだよね。
ただ今後の三国のバランスを考えて、今立っておいた方がよかろうという…。
結局後漢王朝のことを最後まで考えていたのは曹操だけなんだよね。
その曹操がなぜ皇帝に親政をさせなかったのかというと、やっぱり献帝に問題があったんじゃないかなあ。
政治的・軍事的能力の欠如というよりも、世間に対する視野の狭さというか。
保身のためなら愛妻をもサッサと切り捨てる非情さとか。
だけど劉備もそうだったし、当時はそれはさほど問題じゃなかったのかなあ。
曹操が宦官の家ので出なければ、後漢王朝はまだしばらく続いたんではないかしら。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ遂に曹操が死んでしまったが、その前に関羽。
一枚岩かと思われた劉備と関羽と張飛だけれども、諸葛亮が加わることによって亀裂が生じた。
諸葛亮が加わる前は、「国のために正義を尽くすぞ!」という一念で繋がっていた三人。
その正義は必ずしも後漢王朝のための正義ではなく、自分たちにとって都合の良い正義だったとしても、本人たちの心はまっすぐであった。
けれども、今の国のかたちが正義ではないのなら、正義の国を創ろうじゃないか。
そのためには人材が必要だ。
と、諸葛亮を加えたことで、目的のために手段を問わないことも出て来た。
詭弁をもって謀るようになったのだ。
それが、関羽には耐えられなかった。
諸葛亮を重用する劉備から少しずつ距離を置くようになった。
劉備も、同じだったのかもしれない。
関羽は無頼の徒であったとしても気性はまっすぐだったので、孫権の言動には実がないことに気づくのが遅れてしまった。
また、厳しすぎる関羽を憎んでいるものが身内にいることにも。
突然呉軍が背後を攻めた時、守り抜いてくれるはずの味方がさっさと降伏してしまったことも、単独行動だった故援軍を頼むことができなかったことも、関羽には想定外だっただろう。
でも、それは関羽が蒔いた種ともいえる。
それでも最後の関羽の戦いっぷりを、誰も非難することなどできないだろう。
曹操が亡くなり、曹丕が後を継いだと思ったら、献帝からの禅譲の話。
曹操・曹丕親子が献帝に無理やり禅譲を迫ったと今まで聞かされていたが、この本によると(つまり史実によると)献帝からの申し入れ。
そして何度も断る曹丕。
思うに、このタイミングでの禅譲ということは、曹操にも過去に持ち掛けていたのではないかと思われる。
けれど曹操が相当はっきりときっぱりと、半ば脅すように断ったのではないかな。
「私を逆賊にするつもりか!」くらいな事を言って。
で、曹操がいなくなったタイミングで曹丕に禅譲。
だって、勧める、断る、勧める、断るのやりとりは、いわばお約束のはず。
そういう三文芝居みたいのは曹操が嫌うところのものだから、「二度と言うなよ!」くらいの強い言葉で断ったのではないかと。
さて、多くの臣が止めるのも聞かず、関羽の敵を討ちに呉に宣戦布告する劉備。
しかしやっぱり彼は戦下手なので、多くの犠牲を出しながら、仇も討てないという体たらく。
”いわゆる礼儀をことごとくないがしろにしてきたがゆえに、帝位に昇るという最大の無礼を平然とおこなうことができたとはいえ、白帝城にとどまったまま、成都へ帰ろうとしない劉備に、いつもながらいさぎよさがみられない。”
国を治めることを中断してまで出兵して、負けたのに帰ってこない皇帝。
無責任にもほどがあるけれど、彼を選んだのは蜀の民だからね。しょうがない。
関羽を失うことでそれほど意気消沈するのであれば、なぜ彼を一人取り残していたのか。
家族すらあっさり見捨てる劉備が、唯一失いたくなかったのが関羽と張飛という事か…とも思ったけど、一度関羽を見捨てて逃げたよね。
やっぱり劉備ってよくわからない。
魏の皇帝となった曹丕についても思ったことはいろいろあるけれど、それは次の巻にでも。
覚えていれば。