宮城谷昌光のレビュー一覧
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ネタバレ着々と領土を広げる劉備。
そして、周瑜亡きあとも安定した強さを見せる孫権。
60歳を迎える曹操には、やはり彼らが脅威だったのだとは思う。
でもどちらにも義はないと思うんだよなあ。
他人が納めていた土地を奪い取って、勝手に領主になっているだけなんだから。
特に劉備に関して言えば、反曹操勢力の強い徐州はともかく、自分が困っている時に助けてくれた人たちからかすめ取っているわけじゃん。
なんであんなに『三国志演義』で聖人扱いされているのかわからん。
”住所の定まらないことを『荘子』は、鶉居(じゅんきょ)といい、それが聖人のありかたであるというのであるが、ここまでの劉備がまさにそれであった。ただし聖人にはなれず、模倣者に終わった。儒学における劣等意識が、儒学的世界に反抗する行動をえらばせたが、じつは劉備には内的な課題はなく、たとえば人が協同して生活するという規範づくりには無関心であったことは否定できず、他者の幸福のために働くということもせず、ひたすら曹操にさからうことで自己の存在をたしかめ、衆望を得てきた。”
周瑜はもっと冷徹に劉備をぶった切る。
”周瑜の目には、劉備は悪運の強い英雄としか映らない。”
しかし、その悪運が大事なんだよね。
人物の出来としては周瑜の方がずっと上であったはずだが、彼は三十代半ばにして病で命を落とす。
彼が圧勝した赤壁の地で病を得たことも、歴史の皮肉を感じずにはいられない。
そして、周瑜が亡くなったことから、劉備一味は呉を振り回すことができるようになる。
孫権の妹を劉備の妻にすることで姻戚として劉備を従えたつもりの孫権と、そんなつもりのさらさらない劉備。
形だけの妻なんてどうでもよくて、孫権から預かった土地を自分のものとして、さらなる領土拡大を画策する。
次なるターゲットは劉璋だ!
これまでの劉備の思想「為さざるは、為すことにまされり」から一転、攻めの姿勢で…って、諸葛亮の存在が薄い。
『三国志演義』では自身は動かなくても、水面下で八面六臂の大活躍をしていた気がするけど、史実には水面下が書かれていないので、こうなるわけか。
でも、諸葛亮って、大局的に物事を見ることができるし、行政手腕は長けてると思うけど、軍師ではないよね。
『兵法』はもちろん知っているだろうけれど、実際の戦いの場では机上の空論となったのではないかと思うのだけど。
そして、蜀には人材がいない。
だから諸葛亮にすべてが集中するしかない。
でも、ちらっと出て来た諸葛謹(諸葛亮のお兄さん)を見ても、賢いかもしれないけど、図抜けた才能というほどのものは感じられず、つまり、人材がいないからこそ自分を高く売るために諸葛亮は劉備を選んだのかもしれないと思った次第。
いろいろと姑息な人にしか今のところみえない。
なぜ曹操は魏の王どまりで、皇帝にならなかったのか。
これが今まで不思議だったのだけど、周の文王に倣ったのね。
初代は王。
つまり皇帝をたて、皇帝の下で良臣として存在し、二代目が皇帝を名乗る。
賢帝が暗愚かどうかはわからないけれど、少なくとも皇后が反曹操の動きをした時、自分の保身しか考えなかったという点で、大きなマイナス。
自分の妻すら守れない人に、縁もゆかりもない民衆を守れますか?
ちなみに劉備は妻も子もさくっと見捨てます。 -
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ネタバレいよいよ赤壁の戦いです。
その前に、いよいよ劉備と諸葛亮が出会います。
しかし、諸葛亮は劉備がどのように生きてきたのかを知っています。
”妻子にも従者にも酷薄な人で、学問を嫌ったせいで浅学であり、知者や賢人を敬ったことがない。とりたててくれた公孫瓚をみかぎり、厚遇してくれた早々に後ろ足で砂をかけた。(中略)群雄のなかで劉備ほど無能な人はいなかったのに、豪傑が淘汰されてきた現在、何もしない劉備に輿望がある。”
しかし、情もないけど欲もない人なのです。
諸葛亮は劉備のもとに行き、劉備を盛り立て、劉備の欠点を隠しながら呉と交渉をするのです。
劉備が諸葛亮を信頼し、それにつれて人となりも多少変わってきます。
逃げないで守ることを覚え始めたのです。
が、それによって、劉備と、関羽や張飛との間に隙間が空いてきます。
ちなみに呉の周瑜はこれっぽっちも劉備を信頼していません。
”劉備は公孫瓚に拾われたのに公孫瓚をみかぎり、陶謙の好意に浴したのにその遺児と徐州を保てず、呂布に迫害されたため曹操のもとへ逃げこみ、礼遇されながら、そこから逃げ出し、うけいれてくれた袁紹の衰運をみるや荊州へ移り、劉表のためにほとんど働かなかった。”
だから赤壁の戦いでも劉備たちの出る幕はほとんどありません。
安全な場所で様子見しているのみ。史実はそんなもの。
だいたい、曹操が虐殺を行った徐州の民は曹操を嫌っているため劉備につきますが、それ以外の場所では劉備を慕ってついていく民衆や、「行かないでください」とすがる人たちはほとんどいなかったようです。
行政手腕がないから。
それに引き換え
”曹操は歴史から教訓を抽(ひ)きだしつづけた者であり、その勤勉さによって活用されたものは少なくあるまい。いわば曹操には文化力がある。文化は精神の光源となり得る。その明るさにひきよせられた人は多いであろう。”
以前吉川英治の三国志を読んだとき、蜀には有能な人材がそろっていたようだったけど、なぜそれで天下が取れなかったんだろうと不思議だったんですよね。
口ばっかりの理想主義者で、無能だからだと思っていたのですが、どうも人材も関羽と張飛と趙雲くらいしか今のところいない。
関羽と張飛はならずものなので、彼らが有能な人材を遠ざけているとまで書かれていて、それじゃあ天下は取れないよね。
肝心の劉備も欲も実力もないし。
でも運だけは良い。これも才能?
三国時代をつくったのは間違いなく諸葛亮ですな。
彼がいなければ劉備が世に出ることは出来なくて、帝を抱いた曹操がそのまま後漢時代を継続させたかもしれない。
いつ、帝をみかぎり魏という国を創ろうと思ったのかは今後を読まなければわからないけど、今のところその野望は見えていません。
危険な作戦が成功した時の曹操。
”わが遠征は、危険にみちており、僥倖があったにすぎぬ。成功したのは、天の佐(たす)けがあったためである。それゆえ常にそのようにうまくゆくはずはない。諸君の戒めこそ万安の計です。賞するにふさわしい。今後も発言をひかえないでくれ”
曹操も50歳を過ぎて久しい。
いつまでこの曹操でいてくれるだろう。
晩年はちょっと問題ありだからなあ。 -
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ネタバレいよいよ曹操の時代となっていきますが、曹操が周囲を従えてぐいぐい前に出ていくわけではありません。
彼は実によく周囲の意見をよく聞くのです。
そして人を見る目があります。
敵の将を捕虜としても、有能な人材であれば官職を与えて仕事を任せます。
曹操の瑕疵は2つ。
出身が宦官の家であること。
当時の有力者の中で曹操を忌避する人の理由は、これが一番多いように思います。
そうそう自身は宦官ではありませんし、仮にそうだったとしても、曹操が私腹を肥やすことはないでしょう。
ただ、感覚的に宦官は嫌、と思われていたのです。
もう一つは、そうです、父の仇を討つために、徐州で大虐殺を行ってしまったこと。
庶民はこちらに拒否反応を覚えたようです。
テレビも新聞もない時代、どこまで情報が広まっていたのかはわかりませんが。
これを除くと、勉強を怠らず、情報の大切さを知り、嫡男を亡くしたため別れることになった奥さんにも生涯礼を尽くし、軍律厳しく…ちょっといいところしか見つかりません。
対する袁紹
”生まれながらに人を使う立場にいる人は、学問の力を必要としない。学問の力とは、けっきょく人を知る力である。それが袁紹にはない。”
”強大な武力をもって世論を弾圧しても、その世論は伏流水のごとく地下で路をつくり、やがて合流し、岩をも動かし、山をも崩す力をあらわす。それほど世論には力がある。袁紹と劉表にはそういう意識が欠如しており、特に袁紹は軍事の成功で世論を動かすことができると誤解している。”
官渡の戦いで大敗を喫したことから、みるみる人材が離れていってしまった袁紹。
というか、聞きたい意見以外は聞く耳を持たないという姿勢が、自ら人材を遠ざけることになってしまったわけですが、最終的には病死です。
心身ともにダメージが大きかったのかもしれません。
劉備は戦に負けそうになると逃げ、頼った先を裏切っては逃げ、未だ大した業績を上げてはいません。
とにかく妻子も配下も捨てて、身一つで逃げてしまうので、ついに関羽まで置いてきぼりにしてしまいます。
曹操は関羽を重用したいと思いますが、関羽は劉備に忠義を尽くします。
”これほどの傑人を棄てて逃げた劉備は、関羽に甘えているともいえる。(中略)最大にその器量を発揮することのできる職と場を与えることが、主としての愛である。”
劉備はどうも感情というか愛情が希薄な気がします。
喜怒哀楽の激しい中国の人にしては珍しいですが。
さて、若くして才能を現わした孫策の周りにも人材が集まってきます。
”団体や組織が活気を帯びると、まったく無関係であった外の異能をひきつけもするが、もともと内部にあった才能が急成長するということもある。”
しかし、若いがゆえに苛烈であったその戦いぶりのために敵も多く、一瞬の隙を突かれて孫策はその短い一生を終えます。
曹操が傍にいることによって帝は、そして後漢王朝はその命を繋いでいるのですが、帝自身は曹操のせいで窮屈な思いをしていると感じていたのでしょう。
曹操を殺せ、と密詔を出します。
同じように家臣のせいで窮屈な思いをしていた徳川慶喜は、それでも勝海舟を殺せ、とは言っていなかっただけ賢いのでしょう。
いや、もしかして言ってたのか…? -
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ネタバレ14ページ目で孫堅が死に、途中でちょっと劉備が出るものの、ほぼ曹操の巻。
と思ったら、次巻に向けての最後の一文『建安年間は、曹操の時代であると言ってよい。』ですって。
まだ序章だったか。
”曹操は不正を憎み、汚吏(おり)には厳罰を与えてきたが、民を苦しめる秕政(ひせい)をおこなったことはいちどもない。”
また、捕虜に取った黄巾軍に対しても、「生産をすることなく流れ者になって略奪を続けていても未来はない。自分の部下にならないか?」などと声をかけ、なってもならなくてもかまわないぞと釈放する。
そうやって少しずつ少しずつ味方を増やしていったのに。
三国志演義で曹操が悪役なのは、父の敵を取るためと言いながら陶謙だけではなく民衆も含めての大虐殺だったから、そこを突かれてしまうのですね。
しかし、元々宦官嫌いの陶謙が、宦官の一族である(ということは血のつながりはないはずなのだが)曹操父子に対して嫌悪感を抑えられなかったから。
曹操の父は金で官職を買う程度の器量しかなく、しかし財産はたっぷり持っていたわけで、そんな父に曹操は距離を置いていたのである。
戦で大敗して行き場がなくなったって、父を頼ったりはしなかったのである。
そんな曹操が、父を殺されて仇討ちに立ち上がる。
それは曹操が儒教を重んじていたから。
”父の敵はなんとしても討たねばならないのが儒教の教えである。”
無辜の民まで虐殺することはないではないか?
この人は殺す、この人は逃がすなんて悠長に選別していたら、陶謙に逃げられてしまうではないか、と思ったのではないかな。
辺譲という学者が「父の敵である陶謙とその兵を殺すのはわかるが、無辜の民まで殺してはならぬ」と曹操を糾弾したが、曹操は、辺譲のような学者がもっとも質(たち)が悪いと思っている。
”実情を敦閲(とんえつ)せず、高踏的に論を展開して、世人をまどわすともがらは盗賊より劣る、と曹操は憎悪している。辺譲がどれほどの善政を行ったというのか。辺譲のような者たちが清談にあけくれているうちに、世はますます悪くなっている。”
そうなの。
口ばっかりの理想主義者より、有能な現実主義者の曹操の方が断然好き。
しかも勉強好きで読書家で努力家だからね。
曹操の本当の敵とは、偽善なのだって。
惚れるわ~。 -
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ネタバレようやく、知っている三国志の時代に入ってきました。
皇帝を私物化した董卓はもちろん大悪党だと思いますが、董卓が出てくる以前から、皇帝も皇后も皇太子も権力争いのための旗印にすぎず、倫理観の欠如している人たちにとっては、国を動かしてうまい汁を吸うための人質にすぎなかったのが、霊帝の何代か前からの実態なのでした。
もう、霊帝の無能さと言ったら、朱理に「上に立つ者が無能なのは、それだけで罪だ!」と怒鳴って欲しいくらい。
*どっかのネットまんがで『BASARA』がミステリ・サスペンスに分類されていたけど、『ミステリと言う勿れ』に引っ張られた?
その割に『7SEEDS』は冒険ものでした。
曹操は、見る人が見たら「この人が次の世をつくりあげる人だ」と思うほど、なんらかのオーラを出していたようですが、董卓の目に留まって出世してしまって、万が一気まぐれで処刑されたら大変だ、と、さっさと中央から官を辞して逃げ出してしまいます。
そういう目端の利くところが、曹操の曹操たる所以と思います。
が、ちびで貧相な体つきだったので、見ない人が見ると、「け…」って感じでもあったようです。
そういう人には、ナポレオンを見ろ、と言って差し上げたい。
反董卓軍が袁紹のもとに集まりますが、誰も動き出そうとはしない。
一番に動いて貧乏くじを引きたくないからだ。
曹操はあえてえりすぐりの少人数で参集したものの、動かない軍勢にうんざりして、少人数で董卓に向かい、惨敗します。
しかし、この戦いの中で、戦を指揮するということを体幹としてつかんだ曹操は、次回を期して戦場を去ります。
袁術のもとから戦いを挑んだのは孫堅で、こちらは大勝します。
が、孫堅は袁術に、何か胡散臭いものを感じ始めます。
この袁紹・袁術というふたりの袁氏が一応のリーダーなのですが仲が悪く、袁紹は決断力に欠けるし、袁術は目先の利益にこすっからい。
そんなわけで、この二人が二人とも、そのために大きなチャンスを逃します。
歴史は一応彼らにも天下取りのチャンスを与えたのです。
それをつかめるかつかめないかで、大きく歴史は変わっていくのですが。
劉備は相変わらずガラの悪い男達(関羽と張飛)を従えてふらふらしていますが、公孫瓚に拾われて黄巾軍とたたかい快勝します。
それより大事なことは、ここで趙雲と出会ったこと。
”劉備に仕えるむずかしさは、劉備の左右にいる関羽と張飛の存在が大きすぎて、腹を割って話をすることができぬことである。劉備はまるで旨い酒を売っているのに猛犬がいるため客が寄りつかぬ店のようなものである。それでは関羽と張飛より能力においてまさる者は劉備に仕えようとしないであろう。すると能力の低い者しか劉備のもとに集まらないことになる。”
なるほどね。 -
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ネタバレこの巻は延々と後漢王朝の腐敗が書かれています。
外戚が横暴をきわめたかと思えば、次は宦官です。
なぜ本来は何の権限も持たない宦官が、権力を持ち財産を増やしてゆくことができたのかと言うと、梁冀が、気に入らない皇帝を次々と亡き者にしていったから。
皇太后の兄であるのをいいことに、好き勝手に権力をもてあそび、人の命を奪ってきた梁冀から皇帝の命を守ったのが宦官たち。
桓帝・霊帝は宦官たちこそを信頼し、心ある臣下の言うことに耳を貸さない。
宦官も、最初は純粋に皇帝の命を守っていたのだろうけれど、大量の褒賞が彼らを狂わせたともいえる。
皇帝からしたら、ほんの感謝の気持なのだろうが、受け取った方は、「もっと」「もっと」となってしまった。
そして歯止めがきかないまま、手段を選ばず蓄財に走り、それをとがめる者たちを誣告し陥れ殺してしまいます。
宦官たちの悪事に気づかない皇帝の無能ぶりはさておき、何度も何度も国を憂いて皇帝に上申する清廉で能力のある官僚たちが殺されていきますが、それでも官僚不在では国が回りませんので人材を募ると、有能な人々が出て来るのです。
しかし、腐敗した朝廷に嫌気がさして野に下るか、宦官に陥れられて殺されてしまいます。
そしてまた人材を募ると…。
つくづく中国というのは大きな国であり、人材の尽きない国だと思いました。
100ページほど読んだところで、ようやく曹操誕生。
おめでとー!
最後の章でようやく黄巾の乱。
早々と孫堅は討伐軍に参加しますが、劉備は…。
”それよりも劉備が、討伐軍の将となるほどの盧植の下にいながら、師からは嘱目もされず、官途にも就けなかったということに問題があろう。”
結局学問は諦め、無頼の徒として当時は過ごしていたらしいです。
さて、桓帝がどうして官僚に重きをおかず、宦官を重んじたかと言うと、梁冀の横暴に対して多くの官僚たちは何も言わなかったから。
後漢王朝の開祖・光武帝の時は、知識の豊富な秀才である官僚は悪を正さない(流れに流される)ので、「頭がいい」ではなく、「忠義心」の熱い人物を官僚として採用していた筈なのだが、それでもいつの間にか善悪ではなく損得で行動する人たちばかりになっていたようだ。
これは、いつの世もそうなのかもしれないけど。
いよいよ次の巻からは知っている三国志。
どんな切り口で書かれているのか、楽しみ、楽しみ。 -
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「言葉を形に表す」
現在、当たり前のように用いている「文字」はなぜ作られたのか……。
表題作の「沈黙の王」では、うまく言葉を発することができない商(殷)王武丁が「文字」を作るまでの物語を、主人公の生き方に光を当てて描く。
歴史小説家が研究者ではない訳は、「事実」や「考察」「推測」をもとに、さらに想像を飛ばし、作家の求める「真実」を「創造」していくことにある。
この作者は、まるでそこにいたかのように「言い切った」短い描写を丹念に積み重ねて、読者を物語の中へ引き込んでいく。
読者は読んでいるうちに「きっとこうだったかもしれない」とすら感じなくなる。
わたしは、歴史小説家が語ることを許される表現のひとつに「好き嫌い」があると思う。その点でこの作家の好き嫌いは、私と同期する。
表題作短編「沈黙の王」で逆境のなか辛抱強く旅をする主人公の姿は、のちの長編大作『重耳』に重なり、収録短編「妖異記」の太史伯陽や鄭公友の生き方の爽やかさは、『妟子』や『楽毅』『香乱記』の感動につながる。
かつて、ずいぶんと読んできた作家の、ポッカリ空いた読み残しを埋め、久しぶりに「この作家好きだ」と思えた。 -
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ネタバレ2021年3月刊。筆者の本を読むのは 『侠骨記』(どんな内容だったか、全く覚えていない)を17年前に読んで以来、2冊目。中国史に材を取った小説などで著名な筆者による、『三国志』世界へのいざない本。
私の『三国志』初体験は、吉川英治版だ。書籍に関しては、他に横山光輝版の最初の数冊を読んだ程度。あとは『三国志』全編を描いた中国製テレビドラマ、有名エピソードを映像化した映画を数作鑑賞……以上が、私の『三国志』体験だ。エンタメの基礎になっている作品だし、また再挑戦したいと思いつつ、長大な物語なので、二の足を踏みながら、早幾年。
そんな時、本書の発刊を知り、取り寄せた。全6章からなり、当時の時代背景、12人の英雄たちの真実の姿、4つの名勝負、『三国志』から生まれた言葉、英雄たちが世を去った後の中国大陸などを解説する。
史実を元に、分からないことは「分からない」とはっきり明言し、筆者の想像で補った部分は、その旨、きちんと断っているので、非常に誠実な筆致と感じられた(割とこの基本が出来てない書籍も世にあるので……)。
そのうえで、筆者のフィルターを通した、登場人物たちへの人物評が、時に愛情深く、時に辛辣で、楽しめた。
個人的に一番意外だったのは、『三国志』きっての参謀格として名高い諸葛亮は、当初は軍事面には疎く、軍事に明るいと信じた馬謖を重用した為に、大敗戦を喫し、以後、自分で軍事を勉強し、軍を指揮できるようになったという下り。私は、諸葛亮は、世に出た時から「名軍師」なのだと思っていたので、この下りは目から鱗が落ちる思いだった(『三国志』マニアには失笑されるかもしれないが)。
他にも「悪役」とされている人物の意外な面を掘り起こしていたり、得るものが多かった。『三国志』の小説版はどれも巻数が多いので、尻込みをされている方は、本書で全体的なストーリー、主な登場人物、事件などを掴んだ上で、小説を手にとってみるのも一興かもしれない。(終) -
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田横。
秦末の人。戦国時代の斉王の一族。楚と漢が天下を争った時期に斉の支配者となった。
田横の人柄は
「漢王と自分は共に王であったのに、彼に仕えるというのは大変恥ずかしい。またいくら天子の命令があるとはいえ、煮殺した相手の弟と肩を並べるというのは恥じ入らずにはいられない。私はそれに耐えられないだろう。そもそも漢王が自分を招くのは、私の顔を一度見ておこうということに過ぎない。いま自分の首を斬っても、ここからなら洛陽まで容貌がわからなくなるほど腐敗することはないだろうから、私の顔を見せるには十分だろう」
からもわかる通り、義の人だったのかもしれない。
項羽、劉邦の楚漢戦争の切り口を大胆にかえて、第三者からの楚漢戦争を語った今作。
全体的におもしろく、あっという間であった。
1巻、2巻は田氏の内容がスピードよく書かれて、これぞ、主人公!という感じではあったが、後半になるにつれ、項羽、劉邦の話が多くなったのが、少し残念。
宮城谷氏の作品をさらに読みたいと思わせてくれる作品でした。