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Posted by ブクログ
中国の歴史は嫌いではないにしても、にしても一般人向けに常にフリガナがあると助かるのう。こんな感じは覚えられんよ。。戻って確かめてもよいけどね、なんなテンポ悪くなるし。
というわけで名前とか地名の漢字は見た目のイメージというか象形文字と思って読んでしまったよ。
内容としてはちょっとしたトリビアを挟みながら、妙にあっさりとエピソードを語っていくので、教科書っぽいとでも言おうか。なんだけど、教科書はこうかも知れんけど疑わしいよね、みたいな個人の見解がちょいちょい入ってきて、いや歴史を語るならこういう姿勢が良いよな。まぁぶっちゃけ何を言ってるかはよく分からんのだけどもさ。
Posted by ブクログ
古代中華の世界を静謐な筆で著してきた著者が、平成五年から産経新聞夕刊文化面に連載を始めた『史記の地平』。一年が過ぎ連載が終了するとその評判から、新潮社の雑誌「波」に『史記の風景』として連載が引き継がれた。
一話原稿用紙三枚に、司馬遷の『史記』から話を引くという独特な手法を用いている。
「管仲と晏嬰」では、生きた時代が違う二人に対話をさせている。『列子』には、晏嬰が長生きの秘訣を問うと、自分の思った通りに生きれば良いと答える。管仲が葬式はどうすれば良いかと問うと、六種類あり、火で焚く、水に沈める、土に埋める、野晒しにする、谷に棄てる、石棺に 斂める、そのどれでもよくその人のめぐり合わせだ、と晏嬰は言う。管仲が生について知り、晏嬰が死について知っていたとするのは、管仲は君主桓公より先に死に、晏嬰は霊公、荘公の二君主の死を見送ったからではないかと、著者は解釈している。
「大うつけ」では、『史記』の「田敬仲完世家」に斉の威王が、即位後九年の間国政をほったらかしにし、うつけを決め込んた挿話がある。九年後に突然即墨の 邑を治めていた大夫を呼び「汝の悪口が毎日聞こえるが、調べてみると即墨は良く治めている。それは汝がわしの側近に取り入らなかったせいであろう」て褒美を取らせた。逆に阿の邑の大夫には「汝の評判は極めて良いが、調べてみると阿の民は貧苦におり、汝は怠け者よ。わしの側近に賄賂を贈ったな」と、責めこの大夫と賄賂を受け取った側近どもを鼎で煮殺した。『信長公記』には作者太田牛一が、信長は十六・七・八歳に突然うつけになったと記しているが、これは父信秀の死が関係していると著者は考える。独創的な改革を次々に打ち出した信長は頭脳明晰であり、多分に中華の書籍を熱心に学習していたのではないか、と結論づけている。いや〜、中華の書籍は知見に富むなぁ。
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