宮城谷昌光のレビュー一覧
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前660年頃。晋の人で姓は王,名は光。重耳を慕いその亡命に従い,重耳一行が飢えに苦しんでいた時でもひそかに重耳の食糧を確保したり,閻楚という刺客から守ったりした縁の下の力持ち的な役割を果たした人です。縁の下なので重耳も介推の活躍は知りませんでした。重耳は19年の亡命生活を終えて晋へ帰国し君主となりました。そこで論功行賞を行った時,重臣の咎犯(狐偃)は重耳に報酬を求め,重耳もこれに応じました。これを見て介推は重耳に失望します。というのも,君主になったのは天の意思と考えており,重臣達が手柄を誇り,報酬を求めるのは間違っており,それを認めた重耳にも失望したということです。やがて介推は母と共に山へ姿を消してしまいます。後で重耳は介推の活躍を知り,彼に褒美を取らそうとして探しますが,山から出てこないため,重耳は山に火を付け,おびき出そうとしました。が,介推は木を抱いたまま焼け死にました。重耳は大いに悔やみ,その山の名を介山と改め,彼の領地としました。その忠節と自分の信念を曲げない志の高さで今でも中国の人々に尊敬されています。
ちなみに,寒食という冬至の日から数えて105日めの日で4月4日か5日にあたる日の前後3日間は火を使うことを禁じ,煮たきした食事をしない風習がありました。これは,重耳が介推の焼死をあわれんみ,その日に火を禁じ冷食を用いさせた故事に基づいています。
『人を疑うと2つのつらさをいただくことになる。その人が犯人でなかった場合,自分が惨めになる。また,その人が犯人であった場合,さらに惨めになる。それなら,人を疑わず,騙され続けていたほうが良い。騙されるのは愚かであろうが,騙す不幸より勝る』
『人は心のもち方で別人になる。一度人を信じたら,最後の最後まで信じつづけていきたい。信じることは人を明るくし強くするが,人を疑うことは人を暗く弱くする。それなら信じつづけたほうが良い。信じて騙されても,疑って騙されても騙されることに変わりない』この言葉が好きだ! -
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前650年頃。晋の文公。春秋時代の五覇。(五覇:孟子は斉の桓公,晋の文公,秦の穆公,宋の襄公,楚の荘王を言い,荀子は斉の桓公,晋の文公,楚の荘王は変わらないが,あと2人を呉王闔閭(こうりょ)と越王勾践言う)。
国内の後継者争いで殺されそうになり,国外へ逃亡,各地を遍歴し,十七年後に晋の君主となります。
魅力的な人間の回りには人が集まります。狐突,郭偃,狐偃,先軫,介子推など一人一人の小説も出来そうなぐらい魅力的な人が多いように感じます。
『古来,やってはいけないことが3つある。1.禍をたくらんではならない
2.乱につけこむことをしてはならない3.人の怒りを増大させてはならない。喧嘩により人を屈しようとしてはならなく,たとえ勝ったとしても恨みを買うだけであり後世に禍を残すだけだ』この言葉が好きだ。 -
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太公望。
誰でも知っている名前でありながら、何をした人なのかは知られてないですよね。不遇時代に釣りばかりしてた人だという印象が強烈。軍師であることは知っていたのですが、その為にどちらかと言えば武張った感じを持っていました。
宮城谷さんは例によって少ない情報から、出来る限り正確な生身の太公望像を描き出そうとします。もっとも、それも最後は想像でしかないのですが。
宮城谷さんの太公望は、若くて、頭が良く、指導力を持つ剣の達人です(かといってスーパーマンでも無いのですが)。そして謀略の人。様々なスパイ活動で、反商勢力をまとめ上げ、最後の最後に周王と組んで商との戦いに臨みます。
500ページ×三巻の大作です。そしてそれが宮城谷さんの特長ですが、ダレることなく、しかしどこか淡々と物語りは進んで行きます。有名な釣りをしている太公望と周王の出会いは下巻の中ほど、牧野の戦いは最後の100ページに入っています。若き日の太公望の姿を描いた秀作です。 -
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この作品は、春秋時代の中国が舞台。宮城谷さんの持ち味の出た、父の晏弱(あんじゃく)、子の晏嬰(あんえい)親子二代に渡る壮大な物語。
斉の国を訪れた晋の国の使者郤克(げきこく)が体の特徴を笑われたことに怒り狂い、斉と晋の関係が悪化。斉の晏弱は険悪になった晋と国交回のために、晋へ向かうところから、話は始まる。
前半のみどころは、四方八方敵だらけの晋で、晏弱無事に使命を果たして帰国できるのか?
その他、野心に燃える元亡命貴族の崔杼(さいちょ)とのやりとり、南郭偃(なんかくえん)、蔡朝(さいちょう)といった友人との関係もなかなか楽しい。
そして後半のみどろこは、体は小さいながらも(およそ身長135?以下)誰に対してでも間違ったことをぴしぴし指摘する晏嬰の活躍。
物腰が柔らかい晏弱と、言いたい放題で、体の小ささを理由に嫌がらせをされても、ちょっとやそっとのことではへこまない晏嬰という対照的な親子の描き方が興味深い。
「羊頭をかけて狗肉を売る」「橘化して枳となる」といった言葉のエピソードも織り交ぜられ、晏嬰の言葉をきっかけに物語がどんどん進んでいく。
それだけ言いたい放題言って、よく殺されなかったもんだと思うくらいの晏嬰だけれども、おそらくそれは、「社稷(しゃしょく)を主とす」(君主に仕えるのでなく、国家に仕える)という考えを貫き、裏表無く仕えた晏嬰の人柄であったのだろうと思った。