宮城谷昌光のレビュー一覧
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項羽の死で終わった。 途中は結構いろいろ華やかで最後に作者も語っているが、劉邦は突出した才能の持ち主ではなかったが、人を引きつける魔力というものがあったようだと言うことは否定できないことで本当に中心核のような人物であったことは間違いないです。 現在の世の中ではそんな人はいることはいるが事象を間違えた方に引っ張ってしまう人が多い。成功に導いた人の一人かもしれない。ただ本位は断片しか書かれていないが、2代目皇帝の時には皇后の呂氏の専横が酷かったようだ。まあ中国だからやることが普通じゃない。項羽もそうだけど、それは現代にも通じる。 毛沢東の文革などを見ても明らか。 ただそこで終わっちゃったので盛り上がりにちょっと欠けるので星3つ。
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ネタバレ後漢の初代皇帝 光武帝の話だ。劉秀あざなは文叔という。劉秀の頃、漢の帝室は退廃し、漢の皇帝の外戚の族から台頭した王莽の世であった。2百十余年つづいた漢王朝はこの男によって余命を絶たれた。新という王朝名は、王莽が新野に領地をもっているためにつけられた。略奪王朝である新王朝は紀元後九年に誕生したのだ。王莽の伯母が漢の元帝の皇后であり、その伯母は弟の子である王莽を信用して引き立てたという。王莽は、劉氏を危険な族とみなし、些細なことを理由に劉氏一族の覆滅を図っていった。劉秀もその一族の中のひとりであったが、嫡流にいたわけでなく、いわば住み込みの身のような者であり、幼い頃は、他の裕福な族に養子にやられていたぐらいだった。
劉秀が世間に知られるようになるのは、養子先の主である劉良が劉秀を見込んで、長安に留学に出したときからである。世に知られ、世を知ることで、劉秀は成長していく。劉秀はとりわけ勉強(中国では儒教だが)が出来たわけではく、長安での留学中に見込まれて官の道に推薦されたわけではないが、人を魅了するもって生まれた才により、名が知れることが一番の財産になった。
本書を読んでも、劉秀の智のきらめきが冴え渡るような箇所も無く、軍略の才が見えるような箇所もそんなにない。なぜ、劉秀のような人物が皇帝になれたのか、少し分かりにくい。結局、劉秀の取り巻きに優れた人物が多くいて、その人物を遣うことが非常に上手だった、そして、機を見ることに長けていた、といったことになるのではと推量する。