宮城谷昌光のレビュー一覧
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悩める青年として描かれた上巻、有徳の名将へと覚醒する中巻、そして本巻では、苦難に遭いながらも、中華で至高の人物へと登りつめるまでの劉秀の姿が描かれる。
また、呉漢を初めとした劉秀のもとへ集まった人物のエピソードも、サイドストーリーのように描いているのが興味深かった。
「策戦に凝りすぎると、敵が無能で無抵抗であるかのように錯覚するようになる。いわば、敵の反撃にたいして用心をおこたるようになる。」『河北平定』より。
「人の成否は、徳の薄厚に在り、富や勢力の大小にはかかわりがありません」『新勢力』より。
「人は、外にある宝に目をむけやすい。が、内にある宝は気づきにくい。」『新勢力』より。
「人の巨きさと深みは、紆余曲折を経て成るのである。たやすい成功には、早い失敗がある、と思うべきである。」『草の勁さ』より。
「生きる者がみるこの世界の風景と、生かされた者がみるこの世の風景は、似ているが、まったくちがう。あえていえば、前者が虚で、後者が実である。」『草の勁さ』より。
「━━疾風にして勁草を知る。」『草の勁さ』より。
「小さなことでも見落としはないかと目配りと気配りをおろそかにしないことは、大胆なことをおこなったり人を威圧することより、失敗がすくない。それは歴史が誨えている。」『大躍進』より。
「政府という組織は複雑でも、おこなわれる政治はわかりやすいものでなければならない。」『王者への道』より。
「だが負けが込んだ人は、常軌を逸し、冷静さを失う。」『光武帝』より。
「人は足るを知らざることに苦しむ。すでに隴を平らげて、復た蜀を望む。」『光武帝』より。 -
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前巻では悩める青年だった劉文叔。その彼が戦いに身を投じていくうちに、有徳の名将へと変貌していくさまには驚きを禁じえない。何が彼を変えさせたのだろうか? 本巻は劉文叔覚醒の物語と言える。
「そもそも民に怨まれる者は、天に棄てられ、民に慕われる者は、天に助けられる。大きな事業を興すには、かならず下は民心に順い、上は天意に合わなければならない。そうであれば、大功はすなわち成る」『明暗の戦場』より。
「もしも強大であること、勇敢であることを誇り、心のおもむくままにやりたいことをやれば、たとえ天下を得ても、かならずそれを失うであろう。」
『明暗の戦場』より。
「すべきことがないと、よけいなことを考えるようになるのが、人の悪癖である。」『明暗の戦場』より。
「革命という大業において、最初に立つ者は斃れる。二番目も成功はむずかしい。三番目に立てばよい」『昆陽の戦い』より。
「常識とは、大いなる虚である。虚を衝けば活路が開ける」『王莽の死』より。
「千人にひとり、あるいは万人にひとりといわれる人は、他人には見えぬ深淵を飛び超えて、むこうのほとりに立つことをする。」『王莽の死』より。
「人とは、変わるものであり、その人の過去を知っている者が、現在のその人をみてがっかりする場合はすくなくない。」『北へ━━』より。
「人の精神の成長は、片言隻語でわかる。」『北へ━━』より。
「━━もっとも危険であることは、もっとも安全であることへの近道ではないか。」『白衣の老人』より。
「━━戦いとは、相手の心を打つことだ。」『白衣の老人』より。
「━━威張っただけ、人は隙が大きくなり、視界が狭くなる。」『白衣の老人』より。 -
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「春風がやさしく草を撫でるように吹いている」
という書き出して始まる本巻は、悩める青年と言える劉文叔が故郷から帝都に出て、勉学に励む様子が主に描かれる。
さまざまな人との出逢いに彩られるその日々、読んでいて、まさに春風のように爽やかな印象を受けた。
宮城谷昌光らしい清廉な筆致である。
本作は文叔の時代からみた故事の引用が多く、それも楽しかった。
「人格は貌にあらわれる。とくに四十歳をすぎると、よけいなものが剥がれてゆき、その人の本性が貌に露呈してくる。それでも人は他人を見あやまる。見るという行為は、誤差を避けられない。が、目を閉じて聞くのはどうであろう。」『春風のゆくえ』より。
「━━人は何かを信じていなければ、生きてゆけない。」『常安留学』より。
「強靭な志は堅固な信念を産む。いや、信念が志を育てることもある。つまり志と信念は切っても切れない絡りをもって、人生の道を選択させる。その選択に迷いはないだろう。」『常安留学』より。
「知ることがむずかしいのではありません。実行することがむずかしいのです。」『雲の影』より。
「人は何かを失えば、何かを得られる。多くのものを両手でかかえて生まれ育った者は、それを落とさぬようにするだけで、あらたなものを得ることはできない。」『華彩の路』より。
「━━天災は人災の反映にすぎない。」『華彩の路』より。
「人が消えてゆくのは、さびしいものである。」『地の声』より。
「大きく得ようとするあまり、大きく失うのは、人も政府もおなじです」『予言』より。
「良いものさえ作れば、かならず売れる、というのは妄想にすぎません。作るより、売るほうがむずかしいといえる。作ったものを、広く遠くまで人々に知ってもらうには、そうとうな工夫が要ります。」『予言』より。
「政治にしろ、事業にしろ、ことばがすべてであるといってよい。善政とは、良いことばの政治である。企業においては、ことばを大切にする者が成功する。」『予言』より。
「……先駆者はかならず斃れます。一歩遅れて起つ者が、革命を完成させるのです。」『予言』より。 -
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宮城谷作品には欠点がある。それは主人公の前半生の描写に多くを費やしてしまい、後半生の描写が希薄だということだ。よって世に出て、歴史上に名を現した時期の描写が駆け足になり、それが私にとりもの足りなさを感じさせていた。『奇貨居くべし』『風は山河より』がその例だ。
本作も全9巻のうち、第6巻でようやく有名な伍子胥の「死屍に鞭打つ」エピソードである。しかもライバルと言える范蠡はこの巻でもまだ本格的に登場していない。
先行きが心配だったが、うまくまとめられていて安堵した。
人にとって大切なものの一つは洞察力、卑近な言い方をすれば空気を読むということだ。范蠡の見事な退き際を見るに、彼は非常に優れた洞察力の人だった。
では、伍子胥は范蠡に劣るのかというと、私はそうは思わない。子胥の想念は全く別のところにあったということだろう。
「━━学ぶということは、生涯学ぶということだ。」『外交の妙』より。
「あるところまで学んで、これでよし、これでわかった、とすることは、おのれでおのれの発展を止めることであり、おのれの深奥をみきわめることなく、軽量の個を真の自身と勘ちがいをして生きることになる。」『外交の妙』より。
「旱にはすなわち船を資し、水にはすなわち車を資するは、物の理なり」『外交の妙』より。
「わからないことをむりにわかろうとすると判断をあやまる。わからないことを、わからないままにしておくことも、ひとつの賢明さなのである。」『外交の妙』より。
「━━功が多い臣は、君主にうるさがられることになる。」『外交の妙』より。
「非凡な思想は、しいたげられた環境から生まれる。」『人質の交替』より。
「たやすくあらわれる意望など、たかがしれている。」『人質の交替』より。
「財を失うより、時を失うほうが、損害は大きいのではありませんか」『謎の商人』より。
「財は、おのれが築き上げてこそ、まことの財となり、不動となるのです」『謎の商人』より。
「苦難のうけとりかたをまちがえると、人は卑屈に堕ちてしまう。」『西施の命運』より。
「尊大さは、愚かさの現れであるともいえる。」『仙女の飛翔』より。
「もともと策は常識からはみだした創意をいうが……」『属鏤の剣』より。
「━━人の和の堅さは、すべてを凌ぐ。」『出撃の時』より。
「人は、けっきょく、人を喜ばせた者が勝ちだな」『呉越の決戦』より。
「策は、おのれを弱、と自覚した者の発想だ。」『呉越の決戦』より。
「人は、環境と地位のちがいによって、変わるものである。他人への好悪の方向、角度、濃淡さえ変わる。」『湖上の影』より。 -
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史実または史書に描写された出来事を拾い、それへ作者自身が解釈を加えて話を紡いでいくのが歴史小説だろう。どのような出来事を採用するかといった取捨選択には作家の考え、つまり作家性が表れる。
本巻も確かに面白かったが、宮城谷の作家性には共感できない点もあった。
諸稽郢の外交交渉での活躍は実に痛快である。彼の弁舌は後の戦国時代に現れる縦横家のそれそのもので、読んでいて楽しかった。
「徹底して理を求めると、ほかの者には不合理に映るのではあるまいか。」『大戦略』より。
「策を好む者は、策に淪没する。」『大戦略』より。
「まともに押しても動かない岩も、梃をつかえば動く。交渉のこつは、それである。」『講和成る』より。
「発想が秀逸でも手段が陋劣では、けっきょく愚策におわってしまう。」『講和成る』より。
「この世には、いかなる財宝にもまさる物がある。それが人のことばというものだ」『雪中の声』より。
「推量の上に推量を積んでも、実像はみえてこない。」『楚への密使』より。
「旅行は人の精神を育てるにちがいない。」『船上の風』より。 -
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主役は伍子胥から若き范蠡へ。それでも伍子胥は輝きを失うことなく、その存在感は際立っていた。伍子胥恐るべし、である。
呉王闔廬自ら率いる呉軍の侵攻に対し、気鋭の新国主である句践率いる越軍が迎え撃つ。呉と越の存亡をかけた戦いがついに始まった。
これまで戦のシーンでもどちらかというと“静”の印象を受けていた宮城谷の筆致だが、本巻では“動”の描写の連続で、読んでいて心が震えた。
「━━人の造った物のなかで、もっとも美しい物は、もっとも醜い物になりうる。」『将来の妻』より。
「偶然とおもわれることも、天意あるいは神力がはたらいて、じつは必然であったことがあとでわかる。」『将来の妻』より。
「徳で攻め治めることは、才や威のそれにまさる。商売だけではなく政治でもおなじことがいえる。」『将来の妻』より。
「いまの自分が弱いので、強い者を避けつづけるのでは、いつまで経っても強くはなれない。」『将来の妻』より。
「人生も戦いの場であるとすれば、戦って敗れたがゆえに逃げるのは宥されようが、戦うまえに逃げては世の人々の赦しは永遠に得られない。」『将来の妻』より。
「……意いつづけていれば、いつか成就する、」『范季父』より。
「━━欲するためには、備えよ。」『国難』より。
「すぐれた人と思想があれば、たとえそれが敵側にあっても、学ばなければならない。これは、できそうでできないことである。悪感情がさきに立つと、それが自身の思考的視野をさえぎってしまう。」『越軍の策』より。
「━━威張ったら、人としての成長がとまる。」『夕映えの空』より。
「人は、聴く耳をもたない人には、語りかけないものだ。民と政府のありようもおなじで、訴えても願っても、とりあってもらえない政府には、なにもいわない。沈黙した民はおとなしい良民ではなく、不満と怒りのかたまりであるとおもうべきだ。そうなるまえに、悪感情の捌け口をつくっておく。それも政治の方法のひとつだ。」『海辺の風』より。
「勝つ、ということは、勝ちつづける、ということだ。」『諜者たち』より。
「人生にも、攻守がるのだ。まず内をかためるのが、成功への常道だ」『西施』より。
「信用を失えば、人として立てない。」『諜報戦』より。 -
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呉に勝利をもたらす孫武のあざやかな兵法には、賛嘆と痛快さを感じてならない。まさに神算鬼謀の天才軍師である。
歴史というのは、いわば集団劇のように有名無名の多くの人たちによってつくられるのか、それとも個人の英雄的なちからによってつくられるのか…… 孫武、申包胥、そして伍子胥、彼らの姿を見ると後者のように思われた。
「勝った者は、かならず美化されます。」『蔡と唐』より。
「━━戦いとは、情報戦である。」『大別山の戦い』より。
「わずかのあいだにみえた勝機をつかみそこねると、その怠慢はかならず苦戦に変わる。」『柏挙の陣』より。
「法に例外を設けると、それがとりとめのない紊乱のもとになる。」『楚都近し』より。
「性根が腐りきっていないかぎり、人はなにかのきっかけで善良にかわりうる。」『追う者』より。
「人は大事をやり遂げると満足する。同時に、人格の成長が止まる。生涯の敵がいるとおもえば、つねに用心をおこたらず、怠倦におちいることがない。」『好敵手』より。
「人がほんとうに屈するのは、武の力ではなく、徳の力である。」『好敵手』より。
「老いるとともにめんどうなことを避ける性向が強くなる。」『申包胥』より。
「━━知らぬということは、気楽なことだ。」『去就』より。
「将の優劣は、攻めるときにではなく、退くときに、あきらかになる。」『ふたりの呉王』より。
「━━大きなものを得れば、大きなものを失う。」『黄金期』より。 -
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本巻でひときわ輝きを放っていた登場人物は、孫子こと孫武だろう。
後宮の貴妃を兵にみたてて訓練するという、あまりにも有名なエピソードは読んでいて心が躍った。
無名の彼がその兵法により世に出ていくさまは痛快だ。
「人の幸と不幸は、人とのめぐりあいで変わる。」『右[示右]の帰郷』より。
「人はおなじ感情をもちつづけることは、そうとうにむずかしい。」『子胥の外交』より。
「目のまえに倒れている者を救うことは、たしかに人助けにはちがいないが、視界の外にいる者たちを救うのが為政者のつとめである。無形の形がみえるか、無声の声がきこえるか、それが人の上に立つ者の良否となる。」『子胥の外交』より。
「自大の叫びは、世の顰蹙を買うだけであろう。」『孫子の兵法』より。
「復讐心は、他人を殺すが、それが返ってきて、おのれを殺すもととなる。」『孫子の兵法』より。
「理を極限まですすめてゆくと、非常識とかわりがなくなる、ともいえる。」『春景色』より。
「人の思考と行動を解く鑰は、多くの人がみのがす細事にあります。」『女兵』より。
「人を試すことは、おのれが試されることになる。」『女兵』より。
「ものごとには多面があり、人はどうしても一面しか視ず、そこから事象の深奥を洞察しようとする。視点を移して、ほかの面を視ることは、かんたんなことであるようにみえるが、じつは至難である。つまり、他人の意見はほかの面を映す鏡となるので、他人の話をきくことも大切なのである。」『女兵』より。
「他人の晦さは、自身の幸せ、であるとはいえ、国も人もおなじで、謙虚さ、慎重さを忘れてはなるまい。」『季子の死』より。
「強くなることを急ぎすぎると、かえって弱くなり、大きくなることを急ぎすぎると、かえって小さくなる、ということもあるのです。」『季子の死』より。
「失敗を失敗のままおわらせることを、ほんとうの失敗というのです。(中略)ほんとうに努力した者は、たとえ失敗しても、そこに成功への鑰をみつけているはずです」『鍾吾と徐』より。
「他人のためになにもしないで、おのれだけが助けられる人は、この世にいません」『神出鬼没策戦』より。
「計画が精密すぎると、かえって窮地におちいることがあるのです」『神出鬼没策戦』より。
「すさまじい努力をしても、時と人にめぐまれなければ、花は咲かぬ。」『神出鬼没策戦』より。
「大事をなすためには、小事をおろそかにしてはならない。」『呉軍と越軍』より。 -
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呉で政変発生、物語は大きく動く。これにより、この国に逃れた伍子胥は悲願の成就にまた一歩近づく…… 読んでいてそのような印象を持った。
清廉とも言って良い宮城谷昌光らしい筆致のため、生臭いエピソードでも、陰鬱さを感じて途中で投げださずに順調に読み進むことができた。
「━━運よく勝った。というようないいかたは、孫武にはありえない。勝敗にはかならず原因と理由がある。」『斉の国』より。
「家を大きくするには、家族だけでの経営では、限界がある。」『斉の国』より。
「旅とは、教訓そのものです。」『斉の国』より。
「知らないということは、気楽なことであると同時に、きわめて恐ろしいことである。」『暗殺の矢』より。
「優秀な臣下こそ国の宝である。」『暗殺の矢』より。
「怨みを忘れて生きれば、人は聖人となる。」『運命の年』より。
「人はゆるやかに、無理なく成長していったほうが、器が大きくなりやすい。」『運命の年』より。
「二十代とちがって三十代になると過去の風景は厚みをもつ。その厚みの上にいまがあることもわかる。」『王と将軍』より。
「人はおのれが立てた計画に熱中しすぎると、あたりがみえなくなる。」『王と将軍』より。
「兵略家は、失敗をも、考慮にいれて戦うものなのだ。かならず、ひとつの失敗をおぎなうための手段を講じている。」『[魚專]設諸』より。
「敵対する者たちを徹底的に圧殺すれば、なるほど敵対勢力はすつかり消滅する。しかしながら、かならず怨みが大きく残る。後年、その怨みが巨大な害となって襲ってくるのである。」『初秋の風』より。
「その決断をすみやかにせよ。誤った決断を恐れて、ためらっていることのほうが、より悪い。早い決断は是正しやすいが、遅い決断は、とりかえしがつかない。」『初秋の風』より。 -
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乱暴な言い方だが、“時代小説”とはその時代を舞台にしたフィクション、“歴史小説”は史実(史書の記述)に沿って描かれていくもので、宮城谷昌光はそのオーソリティーのひとりだと認識している。
第二巻と同様にこの第三巻も活劇が登場する“時代小説”という印象を受け、その点が少々違和感を覚えたものの、読んでいて面白かった!
「小事を視て大事を知らなければ、とりかえしがつかない事態に遭遇するということである。」『密告者』より。
「人は根拠のないことを信じないくせに、風聞に接して右往左往することがある」『脱出路』より。
「臆病がすぎると、妄想がさらに妄想を産む」『脱出路』より。
「毎日が有意義であることは、いかなる聖人にとってもありえないが」『呉へ━━』より。
「時のむだづかいのほうが、人生にとって、損失は大きい。」『呉へ━━』より。
「おのれを大切にすることは、人を大切にすることになる。」『蘭京の船』より。
「大器をつかいこなすには、それ以上の大器が要る。」『延陵の地』より。
「人の智慧と勇気には限度があり、天下で偉業をなす者には、かならず天佑がある」『呉王と公子光』より。
「良い主とは、━━よく聴く人。である。」『呉王と公子光』より。
「天に活かされたと感じたかぎり、大事にむかって邁進しなければならない。」『呉王と公子光』より。
「偉材を活用できるのは、英主のみだ。」『謎の絵図』より。
「ながながと説くと、かえって決断をにぶらせることに気づいた。自身の運命を拓くのに、よけいな助けは要るまい。」『謎の絵図』より。
「人は、多くのことを知れば、かえってつらくなるということがある。」『謎の絵図』より。 -
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これまで宮城谷作品は人物を通して「徳」というもののあり方がたびたび描かれてきた。
それでは「死屍に鞭打つ」など激越な生涯を送った伍子胥は、いったいどのように描かれるのか、以前から興味があった。
本作はその伍子胥が主人公であり、私にとって待望の作品といえる。
宮城谷作品らしい快男子といえる子胥だったが、まだまだ本巻はこの長編作品の序章という印象である。
「むろん人はことあるごとに、なぜそうなったかをつきとめなければ生きてゆけわけではなく、むしろ原因も理由もあえて無視するか、あるいは推測によって理解したふりをするか、いずれにせよ、人生の大小の起伏の起因を執念深くさぐっていては、まえにすすめない。」『柳陰沢』より。
「正義とは理想のひとつではあるが、家も国もそれを堂々と掲げることができるときは、強い。」『旅立ち』より。
「人材こそ国と家の宝だ。」『剣の勝者』より。
「謎めいたことがわかったあとすこし落胆することがある。知るということのつまらなさをふりかえると、問いの尊さにくらべて答えは卑しいとさえおもってしまう。」『新しい船』より。
「求めなければ、得られないさ」『長い夏』より。
「ひとつ大きな事をおこなうとそれにともなって吉凶あるいは陰陽が同時に生ずるということである。」『長い夏』より。 -
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本作は王粲に始まり12名の人物を取りあげた短編集である。中でも『正史』の著者である陳寿にスポットを当てたのは興味深い。
また韓遂の生涯には心打たれるものがあった。
ただ、これらの作品は全て宮城谷昌光自身の手によるものなのかは疑わしい。その理由は宮城谷作品の“肝”の一つといえる漢字の使い方が、作品により異なるからだ。しかし、それが本作の評価を下げることにはならなだろう。
どの作品も面白かった。
「人は、出発はおなじでも、おなじ道を歩きつづけることはむずかしい」『許靖』より。
「人は無名のころに他人から受けた恩と仇を死ぬまで忘れない。恩を忘れず、仇を忘れることができたら、その人は聖人に近い。曹操は恩を忘れず、仇を忘れたふりをすることができた。ゆえに彼は英雄であり傑人であった。忘れたふりをつらぬくことさえ、凡百の人にはできない。」『蔡琰』より。
「身分の高低にかぎらず、怠慢はかならずおのれを損するかたちで返ってくる。それは人だけではなく王朝という組織についてもいえることかもしれない。」『蔡琰』より。
「武人にとっての弁解とは、敗戦の原因についてくどくどと解説することではなく、つぎに汚名を雪ぐほどの功を樹てることであろう。」『陳寿』より。
「勇気とか不屈とかいう精神は、政治や軍事の表舞台に立つ者だけが発揮するものではない。無名の者でも、あるいは匍匐叩頭して生きなければならない者でも、失ってはならない。失わないかぎり、その精神がかがやくときがくる。」『陳寿』より。
「文芸には伝播力ある、と最初にいったのは孔子であり、その点でも、かれは偉大であった。事実というものは、そこにとどまるが、その事実が文芸的表現をまとうと、時空のかなたまでゆける。」『楊彪』より。 -
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文春文庫で「三国志」全12巻の刊行を終えたことを機に出版された、三国志や中国史に関する論考と対談を一冊にまとめたもの。
収録内容は、目次を要約すると
・「歴史小説」観を聞くロングインタビュー
・三国志とそれを正史で語ることに関する自作解説
・歴史小説を語る対談
水上勉
井上ひさし
宮部みゆき
吉川晃司
江夏豊
五木寛之
・中国古代史に関するエッセイと対談
白川静
平岩外四
藤原正彦
秋山駿
マイケル・レドモンド
・項羽と劉邦を語るエッセイ
となっています。
ファンブック、それも宮城谷昌光版の三国志を読んだファン向けであることは一目瞭然です。
それがわかっていながらも宮城谷昌光の本を読んだことがない自分が手を出したのは、もちろん宮部みゆきとの対談が目当てです。
でも、三国志は吉川英治版と横山光輝版とコーエーのシミュレーションでたっぷり楽しみましたし、宮城谷昌光は本屋さんの棚では大体宮部みゆきのそばにあるし(関係ないw)、いずれその著作の「正史に基づいているのが売り」の三国志も読んでみたいと思っています。
そんなこともあって、お目当ての宮部みゆきとの対談以外の部分も楽しめるんじゃないか、と思い読み始めたわけです。
三国志がテーマになっているところは、インタビューにせよ解説にせよ対談にせよ、楽しく読むことができました。
これは、自分が三国志の登場人物のうち好きな者を書き出すと夏侯惇、典韋、許褚…と、どうやら曹操陣営の武将に肩入れしているのが理由の一つでしょう。
「三国志演義」が元になっている他の三国志では、劉備と関羽張飛が主役で、曹操は敵役ポジションですが、宮城谷昌光はまず曹操の祖父曹騰から語り始め、その後も曹操と劉備の扱いが公平です。
そんなところに親しみを感じ、読み進むにつれ「黄巾の乱」の黄色の意味などの豆知識を挟みつつも後漢末期から晋成立までの間を俯瞰する眼差しで書かれた宮城谷版三国志は、いつかは読みたい本リストのかなり上のほうにリストアップされることになりました。
ただ、それ以外の古代中国を語っている部分は馴染みがなくて(よく知られていると思われる項羽と劉邦ですら、知っているのは名前だけです)やっぱり予習不足を痛感しました。せめて話題になっている人がどういう風に言われている人なのかくらいは知らないと(例えば『信長って「うつけ」って言われているけど実は』って話は前提になっている通説を知らないと楽しめませんよね)読んでいても字面を追っているだけで内容が頭に入ってきません。
肝心の対談について。
楽しみだった宮部みゆきとの対談はちょっとおとなしめでした。それでも仕事場や仕事の進め方についての話が聞けて興味深く読むことができました。ワープロと会話する宮部みゆき、今は何を使っているんでしょうか。
ただ、特に作家や評論家などの出版関係者以外の人との対談は、対談として成立していないような気がします。
江夏豊とか吉川晃司とかと対談をしていて、こちらも読むのが楽しみだったのですが、彼らはその道では超一流の人だけど、宮城谷昌光との関係は作家と一ファンです。作家とその一ファンの対談なのですから、どうしても作品をベタ褒めする内容になってしまっていて、そんな対談を自分のようにファン未遂の人が読むとどうしても引いてしまうことになります。
ということで、やっぱり宮城谷版「三国志」を先に読んでおくことが大事でした。余裕があるなら、三国志と直木賞受賞作の夏姫春秋 くらいを先に読んでからこちらを読んだほうがよかったと思います。
いずれこれらを読んだときに再読します。